第弐章 大蜘蛛の巣中 七 上洛
「なっ―――!!」
親友からの報せに樰永は目を見開いて絶句する。
鎮守府将軍とは、應州において扶桑の朝廷にまつろわぬ叛徒を征伐し平定するために置かれた軍政を司る鎮守府の長官のことだ。これに任じられた者は、事実上應州の支配権を認められたことを意味する。
「この北應州には、いまだ我らがいるにも拘わらず、か?」
その舐められた話に対し、樰永の声に剣呑さが宿る。そんな親友の赫怒を義正はすぐさまなだめた。
「まあ落ち着け。あくまでも今は話だけだ、話だけ。とはいえ先の事はわからんこともまた事実だがな……」
そういう彼の声にも苦々しさがにじみ出ている。
「……で、その言い出しっぺは誰だ? まあ、おおよその予想はついているがな」
樰永が軽蔑がにじむ声で吐き捨てると、義正も嘆息をついて首を縦に振る。
「ご名答。現・摂権殿下だよ……」
「あの野郎……!」
予想通りすぎる答えに、樰永は歯軋りする。
そんな主の裾をアフリマンが引っ張る。樰永はこんな時にまで何だとばかりに睨むが、
「さっきから何の話をしてるですか? わたしだけ置いてけぼりなのです」
そう言ってむくれる相棒に、樰永もようやく自省する。
「すまん……。そういえば、おまえにはまだこの国のことをロクに教えちゃいなかったな」
「そうなのです。ユキナガは説明が足りないのです」
「ああ、まったくだ。だったらまずは、この国の成り立ちからだな。倭蜃という国が成立したのは今から千年前も昔なわけだが、その当時は他国同様にこの国にも王があり王家があったんだ。だが、その血筋も十三代で絶えた……」
「絶えた? ならば臣下の中から有力な誰かが、新たな王に立てばいいのでは?」
アフリマンが首を傾げて指摘するが、樰永も義正も首を横に振って苦笑する。
「まあ、これが隣の藍帝国や西界の国なら、それもありだろうが……。この国は少しというか、かなり事情が異なるんだ。この国を開闢した王と王家は倭蜃の民にとっては現人神と同じだ。誰も神にとって代わるなんて畏れ多いって話さ。たとえもう存在しないのだとしてもな……」
「む~~。そういうものなのですか? この国の者たちは、一風変わった物の考え方をするのですね」
アフリマンの身も蓋もない感想に、義正も豪快に笑って同意した。
「はははははは! まったくだ。正直俺たちも少し首を捻りはするが……まあ、そういうもんなのさ。無論、取って代わろうなんて野心を持った連中が歴史上に皆無だったわけじゃないが……全員、最終的に支持を得ることができずに頓挫したよ」
「そ・こ・で、亡き王家の代行と銘打って、この国の実権を握りはじめたのが、初代国王の始まりの臣下たちの末裔――公卿こと公家。さらに言えば、公卿を統べる摂権を輩出する権利を有する、五つの上級公家、五大摂権家だ……」
樰永が忌々しさすら含む声音で吐き捨てる。
「せっけん? 石鹸屋が国の舵取りを?」
「「違う! 摂・権! 摂政の『摂』と権力の『権』だ!!」」
アフリマンのド天然すぎる疑問に、思わず痛烈な突っ込みを入れる二人……。
「ま、まあ、ともかくだ。その摂権というのは、元は王を補佐する宰相に相当する役職だったんだが、王亡き後は公家どもによる合議制の中心となって事実上の君主に相当する地位へと変節したんだ」
「そして、その摂権位を独占しているのが、五大摂権家という五つの公家ってわけさ。代々、この家系の当主五人から摂権が輩出される。因みにさっきも言ったが、俺の母がそのひとつの出身でな。連中のことは嫌というほどに知り抜いてる……」
義正は辟易するといわんばかりに息を吐いた。樰永も同意とばかりに腹立たしさを隠すことなくこう続ける。
「でもってだ。現在の摂権が一条宮是叡という男なんだが、これまたとんだゲス野郎を絵に描いたような奴でな。黄金の力を持つ鷹叢家を敵視していると同時に、だらしなく涎を垂らしている貪欲さと過去の栄華への固執しか存在せん俗物だ。これは公家ども全体に言えることだが、奴は俺たち武士がこの国の政を取り仕切っていること自体快く思ってはいない。今回の芦藏の鎮守府将軍任官とて、俺たちが反発し芦藏とぶつかることで少しでも應州の力を削いでおきたいという魂胆なのだろうさ。あわよくば、共倒れになった後に應州の黄金を掠め取ろうなんて近視眼的な皮算用でな。相も変わらず狡い男だ」
「しかし、一条宮家が持つ人脈をはじめとした影響力はいまだに侮れん。大名の中にも深い付き合いを続けている者も多い。なにせ五大摂権家の筆頭格であり、摂権を最も輩出している名家中の名家だからな……」
樰永が酷評する横で、義正は頭をかきながら懸念を口にする。
「それは認めるが、奴自身は家の格のみの男だ。その人脈とやらも先々代が築いてきたものに過ぎん」
「おい、樰永。いくらなんでも油断は――」
義正が親友の壮語を諫めようとするも、樰永はそれを遮るようにして否定する。
「しないさ。むしろ、俺の全身全霊をもって奴を張りぼての家格ごと粉砕してみせる。そして、この俺が新たな武家の世を開闢してやる」
そう断言しつつ腕を上空にあげて拳を握り締める。その瞳は澄み真っ直ぐと望む未来を見据えていた。
「応! それでこそ我が妹の婿だ!」
「婿?」
「い、いや、それは……?」
義正の言葉に耳聡く反芻するアフリマンに、樰永はしどろもどろになる。
しかし、それも気にせず義正はアフリマンの疑問に、上機嫌で答える。
「ああ、俺にも妹がひとりいてな。咲夜といって、月下美人と評するにふさわしい器量良しな自慢の妹だ。おまけに神楽や笛といった芸事も達者だ。そんな自慢の妹を預けられるとしたら、こいつしかいないって話さ」
「そうなのですか?」
アフリマンは、愛妹を自画自賛する義正をよそに。小声で主に詰問する。
「いや、まだ話程度で……。それ以前に咲夜とは幼馴染で兄妹のようなもので……」
樰永も、義正に聞こえぬように囁く。すると、アフリマンはたちまちジト目になって嘆息した。
「実の妹に手を出そうという不埒者が何をいうのやら。というより、本当に気が多いんですからユキナガは……」
「ひとを節操無しみたいに言うな! 俺は最初から最後まで朧一筋なんだよ……!」
「おーい? さっきから二人して何こそこそしてる」
義正が訝し気な視線と声を投げかけてきて、二人は我に返った。
「で、義正。芦藏の鎮守府将軍任官の件……どの程度まで進んでいるんだ?」
ようやく本題に立ち返り問う樰永に、義正も顎に手を当てて唸るように答える。
「正直いって、今のところは半々ってところか……。伯父上や楠原の老公は反対票を投じてくれたが、鷲司卿は是叡公に便乗。残る四条院は中立を表明した」
「つまり――現状は二対二で、ひとつは無効票ってことか……。いつどっちに転んでもおかしくはないな」
樰永は息を吐いて厳しい現状を認識する。
「だな。四条院家は、元々五大摂権家の中では日和見な傾向が強い。まず決め手になることはあるまいよ。鷲司卿は、摂権殿に次いで俺たち武家が国政を担うことを快く思っちゃいない公卿の代表格だからな。これも順当だ。でもって楠原の老公は、正直いって何を考えているんだか昔からよくわからん御仁だ。おそらく情勢の推移次第では、いつ芦藏の任官の賛同に回ってもおかしくはない」
義正の言葉で、改めて樰永は気が滅入りそうになる。
要約すれば、結局は公卿どもの気分次第ということではないか!
もしも、芦藏が正式に鎮守府将軍を任官すれば、北應州の国人領主もなびく可能性は非常に高い。
既に王もなく形骸化したとはいえ、朝廷の正式な官位ともなれば、皆やはり二の足を踏むことは想像に難くはない。
その上、秋羅国をはじめとした應州の国人たちは元々芦藏の臣であることを思えば、なおさらだ。
「ホントに、ややこしく入り組んだ国なのですねここは。いちいち、そのような奸物どもの機嫌をとらねばならぬとは……」
アフリマンは、どこかげんなりとした声で息を吐く。それを受け樰永も苦々しい息をついてうなずく。
「正直、返す言葉もないし同感だ。公家野郎どもの番犬でしかなかった俺たち武家が、武力によって政権を担うようになって三世紀にもなるが、そのしがらみは何も変わっちゃいない。先の大君家ですら扶桑の朝廷とは無関係ではいられなかった……」
「ま、王亡き後の倭蜃国と神都たる扶桑京を、王に代わってお守りすることこそが、大君と大君家のそもそもの存在理由であり存在意義だからな……。そして、公家どもは亡き王家の代権行使者って名目を今に至るまで利用している」
義正も補足しつつ顔をしかめている。
「だが、俺が新たに作る武家の世……否、倭蜃国の天下はもはやそうであってはならない! 俺たち武家が守るべきは、あのような奸物どもではない。この倭蜃国のすべてであるべきはずだ! これからの天下は、公家や武家だけでなく、商人も、職人も、農民も、倭蜃の万民総てが泰平に暮らせる世でなければならんのだ!!」
樰永は拳を強く握り締めて断言すると、赤羅を厩舎に戻して厩を出る。
「おい、どこへ行くんだ?」
「決まってる。親父殿のところだ。おまえも出向く途中だったのだろう。ちょうどいいから同行させてもらう」
「それは構わんが……悠永殿に何を言うつもりだ?」
「……上洛を進言する」
「なっ!?」
その一言に義正は度肝を抜いた。
『上洛』とは都に、即ち扶桑京へと赴くことだ。
しかし、それが持つ意味合いは千差万別だ。単に、摂権を始めとした五大摂権家に拝謁するという意味もあれば、それこそ物見遊山に訪れるという意味もある。
だが、この場合の意味は――
「それは……軍勢を率いてという意味か?」
「当然だ。元より俺は座して待つというのは性に合わん。直接、連中の牙城に乗りこんでやる」
「早まるな! 鷹叢を朝敵にするというのか!?」
義正は親友の肩をつかんで制止するが、樰永は肩をすくめて否定する。
「そっちこそ早とちりをするな。別に軍勢で攻めこむなんて言ってない。軍勢は、あくまでも牽制と抑止に過ぎん」
「たとえそうでも、軍勢を率いての上洛は明確かつ正当な大義名分がなければ、芦藏どころか倭蜃すべての大名が黙っていないぞ!?」
「明確かつ正当な大義名分だと? あるじゃないか」
義正の指摘に樰永は不敵な笑みを浮かべる。
「それは――?」
アフリマンがその答えを促すと、樰永は悪戯が成功した童のように笑みを濃くする。それに義正はハッと目を見開いて引きつった笑みを浮かべる。
「おいおい。おまえ、まさか……!」
「そうだ。上洛するに足る理由を俺は――否、親父殿は既に持っている。"禁裏近衛府督"というありがたいお役目がな」
「きんりこのえのふとく?」
アフリマンは首を傾げて復唱する。
『禁裏近衛府督』
扶桑の禁裏御所の警備と警護を担う役所の長官だが、現在は時代と共に廃れて有名無実化しており、ほぼ名誉職に等しい扱いだ。
そもそも、守るべき王もいない空っぽの宮を守る意味合いがあまりないのだから、無理からぬことではある。
現・摂権の是叡もそれがわかっていたからこそ、悠永にポイ捨てのごとくくれてやったのだ。
「だが、それがここで活きる時が来た。父上が禁裏近衛府督として御所を守るために上洛するならば、芦藏をはじめとした諸侯も手出しはできん」
「しかし、おまえも知っての通り、既に有名無実化して久しい官職だぞ。そんな建前で諸侯は元より、朝廷も納得するとは思えん」
「有名無実化してるからこそ近衛府の兵は皆無。そ・こ・で、近衛府の兵に代わって我が鷹叢の精兵をもってお守り申し上げまする、と言上するのさ。近衛府の長として堂々とな」
樰永がしれというと、義正は呆れたように舌を巻く。
「おまえ、ホントに悪だな~」
「人聞きの悪いことを言うな。この乱世の昨今、公家方を言葉巧みに惑わす奸物どもから、俺たちが守ってやろうというんだ。感謝感激されてもいいくらいだぞ?」
飄々とした笑みすら浮かべてのたまう親友に、義正は苦笑しながらも、その是非を問う。
「それで、その軍事力を背景にしておまえは朝廷に何を望むんだ? 芦藏ではなく鷹叢を鎮守府将軍にしろとでも請うのか」
親友の疑問に樰永は首を横に振った。
「それこそ南應州を芦藏が陣取っている今は時期尚早だな。無論、挙兵上洛の目的は任官の白紙も入っているが、そもそも俺は官位を強請るつもりは一切ないぞ」
「なに? それでは任官の白紙のみを求めて上洛するのか」
義正が意外そうな声を出すと、樰永の笑みはさらに濃くなった。
「無論それだけでもないさ」
「やけに話をもったいぶるじゃないか。官位ではないなら何を求めて――」
「義正。おまえの叔父上に摂権となっていただくぞ」
途端に、義正はポカンと口を開けて間が抜けたような面持ちで絶句した。
その言葉を、義正は最初理解できなかったのだ。いや意味は理解できる。しかし、その意味が頭に浸透するまで数瞬ほどの間を待たねばならなかった。
そうして樰永の言葉が脳髄に浸透し覚醒した途端――
「は、はあああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!?」
と、素っ頓狂な絶叫を木霊した。
「……っ。いつ聞いてもおまえの声は莫迦でかいな。少しは抑えてくれ……」
あまりの大音量故に、樰永は両耳を塞いで文句を言うが、義正にしてみればそれどころではない。
「お、伯父上を、摂権にだと……!? 五大摂権家中最弱の萩原家が!? あののほほんとした伯父上が!?」
「おまえ、結構酷いな……。まあ否定できないが」
身内に対するさんざんな言い様に樰永は苦笑するが、間も置かずに説明を続けた。
「まあ、とにかくそういうことだ。確かに、おまえの伯父上萩原清聡卿は温厚な人柄で争い事が苦手であるが、決して暗愚な御仁ではない。他者の意見をよく聞きまとめ上げる才に長けたお方だ。それに、是叡と異なり見栄を張るということをしない。公家たちを取りまとめ浅慮な行動を抑制するには、打って付けの人材だろう」
「確かにそうかも知れんが……まず他の摂権家は認めまい。いや、それ以前にあの是叡が摂権を退くことなど承諾するわけがない」
義正はあくまでも悲観的だ。
無理もない。先にも告げた通り、萩原家の勢力は五大摂権家中最弱にして惰弱だ。先々代の放蕩もあって財力も乏しい。先代の地道な尽力によってわずかな発言権のみが残るというありさま。
それ故に大樹のような辺境を治める一介の武家に、その姫である母が嫁いだわけだが……。
だからこそ義正は、そんな萩原家が摂権家筆頭にして当代の摂権である是叡に対抗しようなど、夢のまた夢に思えた。
しかし、それらの事情や情勢を踏まえてなお、樰永は断言する。
「させるのだ。そのための挙兵だ。そもそも今、扶桑京は是叡の悪政が祟って治安が悪化している。野盗は言うに及ばず、妖魔なども徘徊してな……! それに奴をはじめとした公家どもは、何ら打開策を打てなかった。これを摂権失格と言わずして何という? 交代には充分に過ぎる理由だろうが」
「それを鷹叢の武力と伯父上という錦の御旗で実現させると……。その暁には、その裏でおまえたちが実権を握るってか?」
義正がどこか試すような声音で問いただすと、樰永は肩をすくめて見せる。
「まさか、うちだってまだそこまでの余裕はないさ。ただ俺は、これ以上應州に――俺たち武家の領分に首を突っ込んで欲しくないだけだ。都のイザコザなんぞは清聡殿に任せるさ。俺はこれまで通り天下に向かって疾走るのみだ」
そうニヤリと笑って樰永は悠然と歩を進めた。
そんな主の後ろ姿を、アフリマンは少し目を細めて唖然とした面持ちで見ている。
それを義正が気づき、その頭をわしゃわしゃとした。
「どうした娘っ子? 呆けた顔なんてして。さては樰永の奴に見惚れでもしたか?」
と、少しからかい気味に聞くと、アフリマンは不機嫌そうな仕草でその手を払い除ける。
「全然違います。というより無礼ですよ人間……。ただ少し意外だっただけです」
「意外?」
「はい。我が主は――ユキナガは、なにをするにも猪突猛進で直情的な印象を抱いていましたから……。なのに実際には、あれだけ深く物事を考えている」
「ははは、樰永の奴も散々な言われ様だな。俺が言うのもなんだが、一見ガサツさが際立つ男に見えて、頭の回転は悪くないどころか鋭く速い上に、大がつく勉強家でもあるからな。だがまあ、その猪突猛進で直情的だというのは間違いではないぞ。少なくとも本質的にはその通りだろうさ」
「というと?」
アフリマンが思わず問いかけると、義正は「ふむ」と息を吐いて、一瞬だけ黙考してから口を開いた。
「……これは八年前くらいになるか。これは樰永の奴から聞いてるかも知れんが、鷹叢家の財源は莫大な埋蔵量を誇る金と銀に、西界に繋がる海からもたらされる富……即ち交易だ。故に黄泉の港には多くの船が行き来している」
「それとユキナガと何の関係が?」
「……ある時、悠永殿に連れられ樰永と朧が港へと訪れ見学していたわけなんだが、その頃まだ割とやんちゃだった朧が交易船に乗り込んで、そのまま出航してしまうという事件が起きた」
「オボロがですか? それはまた意外ですね。ユキナガならばいざ知らず……」
普段のいかにも淑やかな姫君という印象が強い朧の姿を知るアフリマンは、少し驚いた声を出す。
「ああ見えて、朧は今でも結構なお転婆娘だぞ。剣技も男顔負けの腕前で樰永にも引けを取らんほどだからな。さて、話を戻すが……問題が起きたのは出航した後だ。折り悪く嵐にあってな。船は行方知らずになり朧の生死は絶望視されたよ……。その中でだ。樰永は小舟一艘で嵐の中を漕ぎだし、妹を探しにいったんだ」
「無謀の極みですね」
アフリマンは至極当然の感想を述べ、義正も真顔でうなずく。
「だな。当然誰もが二人は死んだと悲観した。悠永殿ですらそう思った。だが――」
そう現に今、二人がここにいることこそが明瞭な答えだ。
「無事にオボロを救い出して帰ってきたのですね」
「ああ。遭難した交易船ごとな……。水夫の話によると、樰永の奴、満身創痍になりながらも小舟で交易船までたどり着き、朧を見るや抱き締めて離さなかったんだそうだ。我が親友ながら凄まじいことだ。まあ、俺も咲夜が同じ目に遭ったとしたらジッとしていられんだろうがな」
「…………」
義正の話を聞きながら、アフリマンはうつむいて大きな嘆息をついた。
――ユキナガ、貴方というヒトは本当にオボロのこととなると、あからさまなんですね……。
思えば、自分の力に抗った時もそうだった。唯ひとりの最愛故に自らを圧し潰す力を拒み、逆に従えさせて見せた。
だからこそ自分は――
「しかし、どうあれこれで、わたしのやるべきことは定まりました」
「ん? 何の話だ?」
「こっちの話です。それと無礼ですよ人間」
「そうか。すまん」
アフリマンの慇懃な物言いに対して、義正は大して気にせずに流したのだった。