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転章 一 白牡丹

「ともあれだ」


 再びの共闘を締結した直後、アイアコスは右手を横にかざして魔法陣を展開する。


「「何を……!?」」


 警戒する樰永(ゆきなが)(おぼろ)だが、アイアコスは意に介すことなくそのまま平然と詠唱を続ける。


「来たれ、来たれ、主座より来たれ、我が同胞。血と誓約の下、我が誓願に応えよ――カルファン!」


 魔法陣が雷のごとき魔力波動が発し満ちて発熱するや、轟音とすら思える咆哮とともに黄色と白に輝く鱗におおわれた大型の飛竜が出現した。


 かつて扶桑(ふそう)で見た飛竜よりも一回り大きいだろうか。にじみ出ている魔力と圧力も通常の飛竜と比較にならない。


 背にはゲルが御輿として取り付けられ、底冷えるような唸り声を漏らす口内の牙は見るだけで鋭さがわかる。あれなら鉄すら容易に噛み砕くに違いない。


「ひょっとして、そいつが噂の嵐神竜(グルニカ)か?」


「情報が早いな。それはともかく()()二人とも」


「は?」


「え?」


 唐突すぎる宣告に思わず目が点になる兄妹へ、竜翼の騎士は呆れまじりの溜息を吐いて眼下の火災を顎でしゃくりながら諭す。


「地上は今この通りのありさまだ。ならば炎を越えられる足と翼がいるだろう」


「いや、この通り飛行くらいは俺たちでも単独で可能なんだが?」


 樰永と朧は揃って解せないという顔になる。


 そう。今樰永が上空に滞空しているように妖力を噴射することで空中浮遊はできるし。速度こそ愛馬にして天馬(ペガサス)赤羅(せきら)には劣るが、高速飛行くらいは二人とも造作もないことだった。


 しかし、そんな兄妹の考えを読んだかのようにアイアコスは眉間を険しくして苦言を述べる。


「いかに単独飛行が可能でもおまえたちの場合は妖力の消費が大きすぎる」


 容赦の無い指摘に、樰永と朧も二の句が継げなかった。


 否定はできない。今さっきも朧のことで頭がいっぱいで妖力を馬鹿みたいに噴射したばかりだ。その負荷と疲弊は確かに自覚している。ましてや、こうして鬼化までしている以上なおさらだ。


「これからすることを考えれば、余力はできるだけ残しておくに越したことはない。それに加えてだ」


 さらに続けて言うと再び手元に空間の裂け目が生じ、そこから臙脂に染色された絹の丈の長い上着と洋袴(ズボン)という大陸の遊牧民が着る民族衣装(デール)一式がポンと出て両手に収まるや、樰永の腕に抱かれている朧へと差し出す。


「まず服を着ろ……」


 顔と目をそらしつつ告げられ、朧もまた羞恥に顔を真紅に染めるとひったくるように服を受け取る。今の自分が前面をおおう外套以外は素っ裸であることを改めて思い出したのだ。


 抱きかかえている樰永もまたバツが悪い面持ちで思わず反射的に目線をそらした。だが、今自分が直接触れているのは、素肌である背面だ。自覚した途端にこの世のものとは思えぬ極上の肌触りを改めて意識してしまい、煩悩を振り払おうにも今更かつ無意味な努力だった。


「着替えはゲルでするといい」


 アイアコスの助言に従い樰永は嵐神竜へと赴き朧をゲルまで連れていく。兄の腕から下りた朧はそのまま竜の背から御輿の中へと突風のように走って消えた。


 それからしばらくして……。


「お待たせしました……」


 ゲルの天幕が揺れて、季節外れの鮮やかな紅葉が咲いた。そんな錯覚をしてしまうほどに樰永の中で時が止まった。


 豊麗な曲線が臙脂の民族衣装(デール)に包まれ花開き、総髪(ポニーテール)にまとめられた青みがかった濡れ羽色の髪が流麗に夜空に舞う。


 いつもとは趣が異なる美を咲きほこらせた愛妹の姿に完全に心を奪われていた。


 ――綺麗だ。


 思わず場違いにもそんなありきたりで平凡な感想が口から漏れ出そうになる。


 だが、ふと髪に挿した黄結晶(シトリン)の宝玉が映える白牡丹の花簪が目に入った。


 それは紛れもなく自分が先頃朧へと贈った品に相違なかった。

 

 ――てっきり、この炎で元々の衣服とともに燃え尽きたと思っていたんだが……?


「朧。おまえ、それ……」


 兄の言葉に朧はどこか恥じ入るようにうなずく。


「はい。その……咲夜(さくや)の後を追って浴場へ入った際に一緒に持ってたんです」


「っ!」


 ――あの時か……。


 既に朧が、自分と咲夜の浴場でのやり取りを覗いていたことは承知している。その時の自分の優柔不断な態度で深く傷つけたことも……。


菊乃(きくの)様が、咲夜を焚きつけてるのを目撃したら……居ても立っても居られなくって……。兄様のことはもちろん信じていました! けれど、せめてものお守り代わりにって……。そうすれば、兄様をより信じられるし。何より強くなれると思って……」


 消え入りそうな声で独白する愛妹のいじらしい姿に、樰永は愛おしさと同時に胸が締めつけられた。


 朧に今このような表情(かお)をさせているのは、すべて己の不甲斐なさだ。にも拘わらず、愛妹はそんな至らない(こいびと)に頭まで下げて謝る。


「それで……その……つけるような真似をした上、覗き見なんてはしたないことをして、ごめんなさい! 挙句に天魔まで暴走させて。あまつさえ、よりにもよってアイアコスに私たちの関係が露見してしまうなんて……! どこまでも兄様や皆にご迷惑を……!!」


 眦に雫さえ溜めて詫びる最愛の(おんな)の姿に樰永は堪らず抱きしめる。


「え? えっ!? 兄様……!?」


 一方の朧は兄の脈絡もない唐突な行動に顔どころか全身を真っ赤に染め湯気すら出している。


 だが、樰永はただ戸惑う妹へ――


「ごめん。本当にごめん、朧」


 今できる精一杯の謝罪を自分こそが紡いだ。


「ど、どうして兄様が謝るのですか? これは私の失策で――」


「違う。何から何までおまえを不安にさせた俺が悪い」


 首を横に振って妹を抱きしめる力を強める。


「いえ。そんなこと、私は不安になんて……。けれど、ただ……」


「ただ何だ」


 優しく愛おしい声音が耳朶を打つ。


 それが弾みとばかり、みるみる内に涙腺が緩んで震える口唇から少しづつ堰にヒビが入るように抑えこんでいたものがあふれ出した。


「私は、すごく悲しくなったんです。兄様が咲夜に抱きつかれていたことにじゃない。あの子が兄様に語った夢が、私が幼い頃から今に至るまで抱き続けてた夢そのものだったから……」


 そう。あの時、咲夜が樰永へとぶつけた夢はまさに朧が樰永へと抱いている想いそのものだった。


 愛するひとと結ばれ子を作る。そんな誰もが夢見るありきたりで至上の幸福。


 ただひとつ異なるのは、咲夜(しんゆう)にはそれが叶い、(じぶん)には決して赦されない想い(ゆめ)であるということだ。


「咲夜は、叶います。きっと父様や母様だって祝福してくれる。兄様の志の大きな助けにだってなれる」


 すぐ目に浮かぶ幸福な光景。兄と咲夜がともに寄り添い、その間に添い遂げた愛し子を挟んで微笑み合う。それを父母が、家臣が、領民たちが笑顔で囲む。


 そんな夢のような幸福(みらい)が親友には約束されている。


「けれど……!」 


 遂に潤んだ黄結晶(シトリン)の双玉から堰が切れたように大粒の雫があふれ出した。


「私は叶わない! 父様と母様を! 皆をたたただ悲しませ! 兄様の足枷になってしまう!! 私の我が儘のせいで……!!」


 自分の気持ちが明るみになるだけで両親は酷く悲しむだろう。家臣や領民たちに至っては、おぞましい化け物でも見るような目で軽蔑するに違いない。


 そうして鷹叢家も兄の天下の夢も潰えていく。


 そんな最悪かつ絶望的な破滅(みらい)しか見えない! 


 ――本当はわかってるの。私の恋心(きもち)なんてとっとと捨て去ってしまった方が皆と兄様自身のためだって……! 咲夜と結ばれる未来こそがすべての最善だなんてわかってるの。


 それでも諦めたくなかった。兄との未来を。夫婦(めおと)として添い遂げる幸福を……!


 ――でも、そんなの私の手前勝手な我が儘でしかない! 兄様の足を引っ張ることしかできない気持ちなんて――


 だが、そんな愛妹の気持ちを察したように樰永は抱きしめる力を強めた上でその口唇を己のそれで奪う。


「んっ!?」


 朧は驚きのあまり大粒の雫を止めどなく流し続ける双眸を見開く。樰永は構うことなく愛する妹の唇を思うさま貪り尽し、舌まで入れて口内をも侵略する。おまけに止めとばかり背中から臀部にまで手と指を這わせて甘美な感触を愉しむ。まるで余すことなくすべて自分のものだと主張せんばかりに。


 朧もまた兄から注ぎ込まれる熱情に応え、その美貌を蕩けさせ舌を入れ返して唾液を交換する。


 延々と続くかに思われた濃厚な愛撫はやがて途切れて、樰永はようやく愛妹の唇を離した。


 やっと解放された朧は、口唇から唾液の糸を引いて瞳をとろんと潤ませ最愛の(おとこ)の姿を映す。


「兄様……?」

 

 どこか呆けたような声音で何をと問う前に、樰永は決意を漲らせた面持ちで口を開く。


「……我が儘というなら、俺も我が儘を言わせて欲しい」


「え? 我が儘……」


 こんな時に何を言うのだろうと首を傾げる。だが、続けて発せられた言葉に心臓が止まりそうになる。



「朧。俺の子を産んでくれ」

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