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第肆章 狼煙 十六 御神体

「な、んだとぉ……!?」


 あの豪胆で滅多なことでは動じぬ義正(よしまさ)が目に見えて狼狽している。いや、絶望していると言っていいほどに勇ましい面魂が悲壮なまでに蒼白へと染まっていた。


 そのただならぬ様子に永久は首を傾げながらも緊張に顔を強張らせる。


 ――御神体? 仔細はわからねぇが、いずれにせよ、あの義正の奴があんなにも狼狽えるたぁ只事じゃねぇ。


 確実に何事か尋常ならざることが起きている!


 永久がお得意の感働きでそう確信した。そして、その確信を正解と断ずるかのように咲夜(さくや)が恐怖と怒りがない交ぜになった声で叫ぶ。


蒜山(ひるぜん)!! あ、あなたというひとは……なんて、なんという恐ろしいことを……!!」


「咲夜姫……?」


 啓益(よします)も不断は淑やかな姫らしからぬ様子に眉をひそめる。だが、ただひとり。今まで悠然と事態を静観していた商人――カルドゥーレが「ふむ」としたり顔でうなずいていた。


「なるほど。鬼灯(ほおずき)の地の所有権そのものを書き換えたわけですか」


「おい! 何ひとりでわかったような面してやがる! 俺らにもわかるように説明しやがれ!!」


 余裕綽々な態度を腹立たしく思いながら問い質す永久に、カルドゥーレはいつものアルカイックスマイルで悠然と答える。


「失礼、永久殿。この鬼灯国(ほおずきのくに)とは、千年よりも前にひとつの神器を植えたことで始まった土地なのです。おそらくこの者たちは、その神器を火事場騒ぎに乗じて猫糞したのでしょう」


「っ! カルドゥーレ殿、貴殿……何故それを?」


 その言葉に目を剝いたのは、茫然自失していた義正だ。斬るような視線で商人を射竦める。


「いえね。あなた方が生まれるより些か昔に、この地とは多少なりとも縁があったというだけのことに過ぎませぬよ。大樹の若君、これがあなた方の最大の秘事であることは承知しております。なれど、事態はもはや変わりました。事ここに至った以上は永久殿らにも事情を説明せねば、かえって危ううございましょう」


 返す刀で切り返された義正は口から出かかった詰問と追及を呑み込まざるを得なかった。


 確かに問答をしている場合ではないし。同輩に等しい永久たちにも事態の重さを理解してもらう必要性があると思い直した。


「義正、咲夜、その神器ってのはいったい――?」


 カルドゥーレの言葉に首を傾げていた永久も促すように大樹兄妹に問いかける。


 口火を切ったのは咲夜だ。その双眸にはある種の諦念と同時に不退転の覚悟が確と燃えている。


「倭蜃王国ができる遥か昔……この地は不毛の荒野であったと聞きます」


「この緑豊かな鬼灯の地がか!?」


 あまりに寝耳に水かつ信じられない事実に、永久は思わず素っ頓狂な声を上げる。


「私たちも伝聞で伝え聞いた程度ですが……確かにアレならば、それだけの神気(チカラ)があると納得しています」


 断言する咲夜に、永久は狐につままれたような面持ちで首を傾げる。


「正直眉唾な話だな。何も生さねえような荒野を深緑の森林に変えるような力がこの世にあるってのかよ……!?」 


「何はともあれだ。その不毛な地にさる神官が訪れ、不毛に苦しみ嘆く民を哀れみ、山神の化身たる器を埋め込まれたのだという。それによってこの鬼灯は、緑におおわれた森林地帯へと生まれ変わった。それが我ら大樹家に伝わる伝承だ」


 妹の言葉を継ぐように義正がいつになく粛然と結ぶ。


「そして、その山神の器こそが“御神体”……。 それを蒜山めが……否、芦藏が奪ったと……!?」


 啓益が異形と化した蒜山一党を睨んで言う。


「しかしだ。仮にその御神体が奪われたからと言って、おまえらの大地の祝福まで剥奪されるようなことになるってぇのか? その理屈なら鬼灯の地を出れば、その力が使えなくなるのが道理じゃねぇか」


 永久の疑問に大樹兄妹もまた顔を歪める。


 そう。鬼灯の地を出ようと、大樹一族は木霊の末裔として大地そのものに愛された血族だ。どこの大地や龍脈であろうともその恩恵を力とできる権能を持つ。


「御神体が奪われたことで、加えてこの火災で森が燃え尽きてしまったことで、鬼灯の地と龍脈そのものが死に絶えてしまっということは……?」


 啓益が遠慮がちに推論を語るが、それに首を横に振ったのはカルドゥーレだ。


「いえ。御神体がなくとも既にこの地は千年以上にも渡り瑞々しい神気を取り込んで荒れた地脈を癒し成長してきたのです。今更神器の力を取り払ったところで、せいぜい神気が些か弱まる程度のこと。すぐに滅亡するというような極端な事態になるとは考え難いかと。いかにこうして森が焼き払われようともね」


「ならば何故!?」


 義正と咲夜の力が機能しないのかと訴える啓益に答えたのは、老武士の醜悪な哄笑だった。


「まったくもって度し難い浅はかさでござるな。嵩斎(たかとき)様の仕掛けがただ単に御神体の簒奪のみに留まると正気でお考えか? いやいや、まったくもってお甘い」


「なに!?」


「どういう意味だ?」


 敵意も露わに歯を剥き出しにする啓益と永久の隣でカルドゥーレは怜悧な双眸をさらに細めた。


「やはりですか……。ご老体。御神体に代わり()()この地に埋め込まれました?」


 商人の詰問に義正と咲夜が顔色を変えて裏切りの老臣を見る。


「ふん! 異国の商人ふぜいにしては、そこな暗愚どもより見る目があるようだな。そうだ。既にこの地を統べるは木霊の森に在らず――」


 口角を邪に上げたのが狼煙。大地――龍脈から尋常ならざる力が蒜山たちの元へと流れ注がれていく。


 それに義正は目を剥いて愕然と叫んだ。


「ば、莫迦なッ!!」


 だが、それも無理はない。それはまさしく木霊の血を継ぐ自分たち大樹一族の権能に他ならなかったのだから。


 大樹の血を継がぬはずの蒜山らが何故――!?


 若殿の言葉にならぬ疑問に裏切りの護役は呵呵と嗤う。


「これぞ鬼灯の地を新たに統べる“新たな御神体”の力……。嵩斎様が我らに授けてくだされた呪詛(しゅくふく)よッ!!」


 狂信ともいうべき崇拝の咆哮に呼応するかのように、眼下の燃え盛る葉華ようかから焔を突き破っておびただしい黒茶の木と黒緑の蔓が突き出るや、一本の巨大な樹木が葉華そのものを覆わんばかりに生い茂った。


 焔の上から生える樹木というだけでも異様に過ぎる景観だがその大樹を見た瞬間、義正たちは心臓を鷲掴みにされたかのような恐怖に凍った。


 巨樹を構成する木と枝は動物のごとく脈打ち今なお成長を続けているようですらあった。枝に生っている黒緑の樹葉は囁き嘲るように揺れ、鮮烈な七色に輝く実が夜天(よぞら)と今だ燃え続ける焔さえも照らしている。


 この修羅場にはあまりに似つかわしくない、思わず感嘆の溜息さえ漏れてもおかしくない幻想的なまでに麗しい景観。


 だが、何故なのだろう?


 義正や永久たちが、巨樹とそれらが織りなす景観に抱いた感情はただただ圧倒的なまでの――絶望的なまでの恐怖でしかなかった。



 ――なんなのだ、あれは? 身体や妖気の震えが止まらない。怯えているのか? 幾多の戦を生き抜いたこの俺が……!?


 義正は普段は勇壮な面を蒼白に染め双眸を巨樹へと凝視し、呆気に取られたように口を半開きにしている。


 ――あれは木霊の樹じゃない。絶対に違う。あれはもっと……遥かにおぞましいものだわ。でも何故なのかしら? あれを視界に映しただけで肌が粟立つのを止められない……! 身体が――本能が抵抗を諦めてしまったかのよう……!!


 咲夜も毅然とした物腰から一転、震えを止めんとするかのように己の身体を搔き抱いている。


 永久もまた天馬から挫けそうになる闘志を懸命に拾い集めながら不気味な巨樹を睨んでいる。


 ――何が何だかわからねぇ。だが、ただひとつわかるのは、あのバカでかい樹が義正と咲夜から大地の祝福を奪い、蒜山の野郎どもに力を与えている存在だってことだ。しかし、何だ? あの樹の気配……こいつはぁまるで――


 扶桑(ふそう)で見た黄泉津大神(バケモノ)のようだと永久が呻く中で蒜山の意気軒高な哄笑が耳障りに響く。


「ほほほ! お気に召していただけたかな? 冥途の土産に紹介しましょうぞ。これぞ嵩斎様が用意なされた鬼灯の新たなる御神体にござるよ!」


「“御神体”? ()()()()()()()()()がか……!?」


 かつての護役の豪語に義正は恐怖と怒りまじりに聞き返すが、老武士は恍惚とさえした微笑を浮かべて首肯する。


「左様。これこそが我らに新たな栄華と言う実りを授けてくださる聖樹。その名も――」


 口角を狂喜に満ち満ちた愉悦に歪め言祝ぐ。忌むべき呪詛(しゅくふく)の聖名を――




「“蓬莱の珠の枝”」

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