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第肆章 狼煙 九 過去の轍

 神樹(しんじゅ)城 大浴場……否。今や跡地と化したそこはいまだ炎が燻り、眼下から見渡せるはずの深緑映える森と城下町は今や溶岩のごとき紅蓮の焔で上書きされていた。


 その上空で、雄々しい漆黒の竜翼をはためかせた黒鉄の騎士――アイアコス・フォン・アグリッパは兜越しに射殺さんばかりの視線を己を睥睨している巨大な蜘蛛へと注いでいる。


 本来なら己の独壇場であるはずの空は今や濡れ羽色の糸による蜘蛛の巣が張り巡らされ、行動範囲を狭まれたばかりか退路までも塞がれた形だ。


 おまけに巨大な蜘蛛は元より巣を構成している極細の糸すべてが高密度の神気によって強化された刻神(アインヘリヤル)ときている。つまりは、この蜘蛛の巣自体が強大無比な結界に等しい。これでは十八番である空間転移で撤退することも儘ならない。


 忌々しいが、八方塞がりとはまさにこのことだった。


 しかし、この危機的状況もそうだが、()()()()今聞き捨てならぬことを口走った。


「その名をどこで――?」


 アイアコスの声は警戒の色を帯びると同時凍えるように冷たい怒気が轟いていた。何故、まったく見ず知らずのこの者が自分の素性を知っているのかという純粋な疑問と危惧。何より自分にとって禁忌にして禁句ともいうべき過去を触れられたが故の憤激が吹き荒れていた。


 それに対し、巨大蜘蛛はくつくつと嗤う。


『おや? そう言う君だって僕の正体を速攻で看破したじゃない。なら僕だって、君のことを知っていても別におかしいことじゃないでしょう』


 娼妓を思わせる艶笑を響かせる漆黒の蜘蛛――芦藏(あしくら)左近太夫(さこんだゆう)嵩斎(たかとき)。南應州(おうしゅう)八か国の太守にしておそらくはこの惨事を引き起こした元凶に、アイアコスは斬るような声で断ずる。


「限度がある。私は扶桑(ふそう)での一件より、樰永(あいつ)の身辺や秋羅国(しゅらのくに)を中心とした情勢をおおよそ調べ把握している。鷹叢(たかむら)の宿敵である芦藏が糸を用いた術に長ける蜘蛛の妖――絡新婦(じょろうぐも)の末裔であることもな」


 今まさに己を蜘蛛の巣で絡め捕っている蜘蛛(たかとき)を睨んで指摘する。


「加えて、この情勢下に動くことで利を獲得する勢力など芦藏以外にはない。まして、これだけ強大な神座王となれば正体などただひとりに絞られてくる。それが理由だ。だが、対しておまえはどうだ。倭蜃の一領主では西界(せいかい)の情報をつぶさに掴むことさえ難しい。ましてや、一武将に過ぎない私の個人情報などなおのこと知る由も術もないはずだ」


 すると、万雷の拍手を思わせる嘲笑がカラカラと鳴り響く。


『お見事! お見事! まったくもって一部の隙も無い論理的解答だね。ま、面白味もありゃしないけれど』


「結構だ。そもそも貴様からの賛辞など唾を吐かれたと覚えておく」


 嘲笑まじりの賞賛をアイアコスは一刀両断する。それに嵩斎は『あっはっはっは! 君もなかなかに毒舌だね!』とあっけらかんとした笑声を上げるだけだった。


『それはそうとそうは言うけどねぇ。君も大概に僕ら倭蜃(わしん)の大名を甘く見てないかい? 父上の世代はどうだか知らないけれど、僕自身は国内のみならず西界(せいかい)の情勢にだって気を配っているし。何より僕も君と同じく気になったことはとことんまで調べる性質(タチ)でね。まして――君はあの若様と一緒になって僕の計画を台無しにしてくれた奴だもの』


 声音こそ笑声のままであったが、そう結んだ時の声質には明瞭な怒気が孕んでいた。かと思えば、次には一転しておどけた調子で『警戒するのは当然でしょ』と付け加えた。


 さらにそこからは聞かれもしないのに、軽妙な声音(ハーモニー)でとことんまで調べたとのたまう情報を奏でるかのように羅列する。


『カイ・セルヴァス。西界は、セフィロト専制帝国の帝都ダアト近郊に位置する小さな領土「ネーデルラント」を治める武門の誉れ高きセルヴァス子爵家の三男坊として生まれる。歳は今年で十七。思ってたより結構若いね』


「っ!!」


 さらっと本名と出生を告げられ、兜の下で眉尻を驚愕で歪め憤怒の朱で顔を染める。だが、嵩斎はそれを知ってか知らずか悠然と火に油を注ぎ続ける。


『しかし、生まれつき魔力はなく剣をはじめとした武才にも恵まれず、一族の中じゃはみ出し者で爪弾き者だったそうだね……。おまけに上には優秀なお姉さんやお兄さんたち、下にはこれまた天才肌の妹たちに挟まれてときたものだ。うわぁ……これは堪ったものじゃないね』


「黙れ……」


 アイアコスは無造作な声で軽快に回り続ける舌を断たんとするが、無論そんなもので止めてやる毒蜘蛛ではない。


『なのに君は諦め悪く子供の頃から自分も騎士になるって猛特訓をしてたそうだね。“お姫様を助ける騎士”だっけ? かっこいいー♪ 結果一族郎党から私刑(リンチ)に遭うこと数度。当主の母君も黙認。一番上の妹に至っては君をほぼ召し使い(パシリ)扱い……挙句にいない者扱いだったそうじゃないか。なんて言うかさあ。もう君の人生生きてて楽しいの? みたいな感じだよね~~♪』


「黙れ……!」


 喜劇仕立てに語る口調にもう限界も限界だった。ほぼ見ず知らずの輩に己の最も知られたくない過去(はじ)を我が物顔で穿り返され、いかにも知った風な声音と浅薄な舌で弄繰り回される謂れなどどこにもない!


 しかし、憤怒の咆哮を上げようとした刹那、次に紡がれた言葉でその怒りに冷水を浴びせられた。


『さらにさらにだ。八年前には弱いくせに出しゃばって王女時代の現女王の命ばかりか、多くの民の命を危うくさせるという大失態まで演じた君は完全に一族の中で居場所を失った』


 ズキッと鈍痛が胸を走り、頭にまで上って燃え盛らんばかりだった血は一気に零度まで冷え、出かかった憤怒の言の葉はたちどころに枯れ消えた。


『ははは! さすがに自分の失点にはバツが悪いらしいね! まあ、お姫様を助けるどころか足を引っ張っちゃったんだもんね!』


 心底おかし気な笑いであったが、それが嘲笑であることは明々白々だった。


 だが、反論はできない。それは紛れもなく己の失態で罪だ。弁明する気などない。


 そう己に言い聞かせ悔し気な呻き声を兜から発する。


 すると、その様に嵩斎はどこか肩をすくめるような声でたしなめはじめた。


『あーと、誤解しないで欲しいんだけどさぁ。僕は何も君を責めたいわけでも笑い者にしたいわけでもない。むしろ尊敬してるし。共感しているんだよ』


 兜越しに殺気まじりの視線を飛ばす。今更何を白々しい!


 しかし、それを巨大蜘蛛の頭を大仰に振りながら再度否定する。


『いやいや、本当だってば! 事実君の不遇の時代もここまでだろう。ここから先はまさしく誰も彼もが羨む痛快英雄譚(サクセス・ストーリー)だ』


「ッ!?」


 その言葉にアイアコスはますます眼をつり上げた。


 やはり、この男は知っている。()()()()()()()()()()()()()()()()が、いかにして現在の地位を築くに至ったかを……!!


 その危惧通り毒蜘蛛は狂言回し気取りで英雄譚などと称した己の経歴を謳い上げる。


『それからほどなくしてネーデルラントを、隣国のハルトランという王国が奇襲して多くの民草が連行されるという事件が起きたんだよね。と言っても一部諸侯の独断だったみたいだけれど。そもそもからして主犯は魔導士……西界(きみたち)の国じゃ魔道宗師(エリクサー)とか言うんだっけ? まあ、ともかく主犯は魔道宗師至上主義国のクレオンだしね。クレオンが取引をしていた諸侯たちを焚きつけた結果だ。で、なんでそんなことをしたかと言うと、解答(こたえ)は四言――人・体・実・験♪』


そう。あの時……クレオンは奇襲により魔道実験のための被検体として非魔道宗師(魔力を持たぬ普通の人間)狩りを行ったのだ。


 夜襲だったことに加え、当時ハルトランとは二十年に渡って不可侵条約が遵守されていたという油断もあったろう。何より当主の母や兄をはじめとした主力のセルヴァス騎士が遠征のため不在であったという間の悪さまでが加味され、対応は後手後手に回った。


 結果として老若男女問わず多くの民がハルトランを介してクレオンへと連行され、そのほとんどが当国の魔道実験の犠牲となった。


 ――そう。()()()()()……!


『その中でも極めて危険で致死率九割と言われた実験こそが「竜人計画」だっけ? ぶっちゃけた話がひとと古に滅びたとされる竜族との融合実験。その極めて希少な成功例のひとりが……君なわけだ』


 まるで指を指すかのように脚のひとつをアイアコスへと向ける毒蜘蛛。


『けどまあ、無茶するよね。ひとと竜じゃ肉体は元より魂の形からしてあまりに違う。元より失敗が約束されたも同然の実験だ。死刑宣告と言っていい。事実被検体となった三百人の子供たちの中で生き残り栄えある成功体となったのは、君を含めてわずかに十二人。三百分の十二……はっきり言って普通なら費用対効果があまりに釣り合わない割に合わぬ実験だ。そう。()()()()ね』


 そこで蜘蛛の双眸が貪欲に爛々と光ったのは気のせいではないだろう。


『その身に竜を宿すことに成功した十二人はいずれも強靭な身体能力に筋力、堅牢な鎧兜に等しい竜の鱗、絶大な魔力に生命力を獲得した。それこそ刻鎧神威に選定された神座王ばりの力をその身に直接宿したわけだ。ま、二百八十八人の犠牲に見合って余りある成果を叩き出したと言えるだろう』


 あまりに軽々しく告げる様に、アイアコスは眉間を不快気に歪める。


 そうだ。自分も含めて十二人しか生き残れなかった。残る二百八十八人は骨どころか魂さえ残らなかったのだ……!


 人間と竜族を融合させる実験――より正確には、魔力を持たぬ常人の子供と肉体を失い力の結晶と化した竜族の魂魄を身体どころか魂レベルで融合させるというものだ。


 まず被検体が常人の子供に限られたのは、魔力を持つ人間では融合する竜の魔力と自身の魔力が体内で衝突し反発し合って対消滅してしまうからだ。故にこそ、竜の新たな器となる人間は中身が空っぽでなければならないという道理。


 もうひとつ、子供に限られるというのは、肉体の急激な変化に耐え得るのは成長期の子供の方が望ましいという理由だ。身体が完成してしまっている大人では八割方拒絶反応で即死する可能性が極めて高い。


 無論、これらの条件に合致するからと言って成功が約束されるわけではない。というより十中八九必ず失敗する。


 この男が言ったように、人間と竜族ではその肉体はもちろん。魂の在り方からしてそもそも違うのだ。むしろ、異端同士を掛け合わせて上手くいくと考える方がどうかしている。


 結果、多くの頑是ない子供たちは適合できず肉体は愚か魂魄に至るまで憑依した竜族の魂魄に喰われ完全に消滅するに至った。


 その様を自分たちは毎日嫌と言うほど見せられてきたというのに……!


 この男はそれを然も幸運であったと言わんばかりに痛快などとふざけた感想を言うのか!?


『睨むなよ。だからこそ、君も本来なら届くはずがない夢に手が届いたんじゃない』


「…………」


 事実だ。これにより自分は欲しくて堪らなかった魔力を得たばかりか常人を遥かに超える膂力をはじめとした強靭な肉体能力を得た。それらが今の自分の地位や功績に大きく付与したというのは、紛れもない事実。それは認める。


 しかしだ。


「ああ、その通りだ。ただし! ()()()()()()()()()()()()()()()な!」


 自身から突き出る鋭利な翼と尾っぽを強調するように揺らして叫ぶ。


 そう。自分を含めた十二人はその身に強大な竜の力を宿した代償に、姿形はおよそひとと呼ぶには憚られるものへと変貌した。


 背中をはじめとした身体の至るところが竜鱗におおわれ、そこから竜の翼と尾が生え、頭には一対の角、鋭利な牙に爪。


 言わば、完全な半竜半人と化したのだ。


 確かに、この身体になって得たものは大きい。だが、同時に失くしたものもまた然りだ。その苦悩、血涙を知りもしないで……!


 竜の逆鱗がごとき憤激を注ぐが、嵩斎は呆れたような嘆息を返してきた。


『ひとであることを捨てた、ねえ……。そんな程度でそう言われても生温すぎるよ』


「なんだと……!」


『それにねぇ。本当に人間を捨てられたというなら何よりじゃないか。だって、それって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 怒声を上げようとした瞬間――心臓が凍り付いたよう心地となった。声音こそ今まで通りの笑声。だが、その芯に轟くものは先刻とはまるで違う。


 果てが見えない烏羽玉の渦と底が見えぬ溶岩の蠢動が静かに、されども激しく迸っていたのだから。


 だが、それも刹那で消え一転して元の軽妙で弾んだ声音に戻ると想像だにしないことを口走りはじめた。


『ま、それはそれとして……アイアコス殿。君、僕の同志にならない?』

次週はお休みです。

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