第肆章 狼煙 五 凶夜の助け舟
時は今少しばかり遡り……。
神樹城、本丸の客間では――
「はっああっ!」
永久が脇差で襲いかかった大柄の武士を一刀のもと縦一文字に斬り伏せる。
「ふっ!」
啓益も二刀の小太刀で永久の後ろに回ろうとした武士を横薙ぎに斬り捨てた。
だが――
「ぐるぅぅぅっ……!」
「がぁあああああっ!」
何れも致命傷を受けたにも関わらず、平然と立ち上がり獲物に狙いを定めた獣よろしく再度飛びかかる。
「しっつけぇんだよ!」
それを永久は膝蹴りで襖ごと弾き飛ばした。だが、敵はこの二人ばかりではない。都合四十名ほどの大樹の武士や足軽らが客間を囲んで飛びかかる機を窺っているのだから……!
この状況に永久は眉間に青筋をいくつも立てて堪らないとばかり憤然と叫ぶ。
「だぁ――ッ! もう何がどうなってんだよぉぉぉぉッ!? 俺たちゃ味方だぞ! 戦前にまさかの同士討ちかよ! ふっざけんな!!」
時は数刻前のことだ。
湯浴みを終えた二人はそれぞれ酒盛りと書類仕事に精を出していたのだが、不意に不穏な気配を感じ身構えるや瞬く間にこのありさまという道理だ。
そんな中で啓益は小太刀を油断なく構えながら永久に諫言する。
「永久殿……。よくこの者たちをご覧になってくだされ。こうして我らを囲みながら何故誰ひとりとして槍の一本は愚か、腰の太刀ひとつ抜かぬのでござろう。それに、この者たちの眼は――」
そう。啓益の指摘通り彼らはこれまで一切の武具を用いず、徒手空拳というより四つん這いで獣そのものな挙動で襲いかかってきたのだ。
それだけでも奇怪なことこの上ないが、目は何れも血走って結膜が真紅に染まり、口は裂けるように歯を剥き出しにして涎すら垂らしている。
まさに獣そのものだ。
「ああ、尋常な状態じゃねぇてことくらい初っ端から百も承知だよ。おそらく何か盛られたんだろうな。ちくしょうめ! その上だ」
脇差を正眼に構えて悪態をつきつつ、広縁から垣間見える葉華の街並みの惨状に目をやる。
この襲撃から間もなく各地で火の手が上がり見るも無残な惨状と化していた。あの森林に囲われた瑞々しい城下町は今や見る影もない。
「こりゃ完全に機先を制されたぞ。まんまと敵さんの術中に嵌っちまっている……!」
いらだちも露わに舌打ちする。
火計による狂乱とこっちの兵に劇薬を盛って狂暴化させ同士討ちによる指揮系統の断絶。奇襲の典型も典型だが、こうもまんまと見事に決められるとは腹立たしいにもほどがある!
その上、上述の事柄は大樹に内通者がいることを示している。兵に薬を盛るなんてこと、こちらの懐に入らねばできるわけがないのだ。
「ただもっとも――ただの劇薬ってわけでもなさそうだがな……! くそったれ!」
先程襖ごと蹴り飛ばした兵が不自然に曲がった首で再び立ち上がるのを視認して毒づく。
「然り。これではまるで伝聞に聞く鬼道術による屍食鬼のようではござらんか……!」
啓益も狂った兵を油断なく見据えながら同意する。
――さて、どうする? 四方八方が狂った兵どもと炎だらけ。こりゃ本気で笑えねぇ修羅場だぜ! だがな――
「俺は、これでも武士としての覚悟はある。が、生憎とこんな色気もねぇ奴らに貪り喰われて死ぬのも、火に巻かれて死ぬのも真っ平ご免被るぜ……!」
永久は牙を剥き出しにして獰猛に笑う。
「某とて同意にござる。ましてや、若君を武士の王にするという大望を叶えずして、このようなところで死ねませぬ!」
啓益も決死の覚悟を瞳に宿して愛刀の一対の小太刀を握りしめる。
「よく吠えた。んじゃまあ、もうひと暴れと行こうか。どこで油売ってるか知らねぇガキどもを迎えに行かなきゃならんしな!」
「異論ござらん。今こそ斯波京透流小太刀術・免許皆伝の意地を見せん!」
それぞれ己を鼓舞するがごとく咆哮して凶獣の群れと化した武士たちに斬り込んだ――のだが……。
その覚悟に水を刺すかのようなド派手な轟音と土煙が客間の一部を吹き飛ばす形で上がった。
飛んできた襖と木片が雨霰といくつも飛んで狂った武士たちを殴打する。それは無論のこと永久と啓益にも容赦なく降りかかるが、二人は各々の得物で巧みに弾いて凌いだ。
「今度は何だってんだ!?」
「新手かッ!?」
当然警戒に貌を歪める二人であったが、瞬でその緊張感を台無しにする第一声が放たれる。
「やあ、やあ! 久方ぶりですな。永久殿に啓益殿。まあ、実際は一日程度でしかありませんが、あなた方の御用商人が満を持して参上いたしました♪」
その聞けば聞くほど無性に神経を逆撫でにさせられるいけ好かない声音の持ち主を、二人は今や嫌というほどに知っていた。
「カルドゥーレっ!?」
「貴様っ! 何故ここに!?」
二人の怒声に等しい叫喚に対し、当のうつけ商人――ゼファードル・カルドゥーレは一頭の天馬に騎乗して優雅に微笑んでいる。それも片目を瞑ってである。はっきり言って気持ち悪いし胸糞が悪くなる。是非に止めて欲しい。
「まあ、まあ、そう嫌そうにお顔をしかめんで。積もる話はお互いにありましょうが、今はこの火急の修羅場をともに脱しましょう。ほら、お二人のための天馬もこの通り」
あからさまに嫌悪と侮蔑の視線を向ける女武者と古武士に、商人は馴れ馴れしいとさえ言える鷹揚な笑みでもう二頭の天馬の手綱を引く。
「相も変わらず妙に用意がいいじゃねぇか。まさかたぁ思うが、こうなるってことを初めから承知してたんじゃねぇだろうな?」
その余裕の佇まいと手際の良さにますます呆れと疑いがまじった視線を向ける永久に、カルドゥーレは涼やかな笑みで首を横に振る。
「まさか、まさか、確かに些か不穏な情報を掴んだものですから、こうして至急まかり越しました次第です。ただまあ――」
と、そこで炎上する城下町を見据える。
「これほどの大事になってるとは夢にも思っていませんでしたが……」
和やかであった瞳に冷たさが宿る。だが、すぐにいつものアルカイックスマイルを浮かべて二人を天馬へと促す。
「さあ、何はともあれ今は脱出です。おそらくこの城はもう持たない」
「はっきり言いやがるな。神樹城は倭蜃の中でも指折りの防衛力を持った城だぞ」
「ですが、事実でしょう。城内を守るべき兵たちは何者かに盛られた薬で見境を失くし指揮系統は崩壊。さらに、この城の力の源とも言うべき言霊の森もこの通りのありさまと来たものだ。ここに留まるのは座して死を待つのと大差はない」
まるで容赦がない。
だが、ぶっちゃけた話がカルドゥーレの言う通りなのだ。いかに堅牢な城でも守り手たる兵が我を忘れて狂暴化。挙句に同士討ち。既に味方内での疑心暗鬼も始まってしまっていることだろう。外が硬くとも内がぐちゃぐちゃではハリボテ同然。
しかも、頼りの外でさえもはや惨憺たるありさまだ。
ここ神樹城は、言霊が宿る神樹の森を有する鬼灯山を土台に建てられた山城だ。言霊の加護を一身に受けていると言える。
だが、当然その加護の源は森だ。その森が燃えては当然その加護とて失われる。言わば、この城はもはや丸裸と言って差し支えない惨状なのだ。
加えてそもそもだ。城や城下町の核とも言うべき霊山でもある鬼灯山は、極めて純度の高い霊気と神気に満ちた水分を多量に含んでいる。
本来なら火災は愚か小火でさえありえないのが、葉華の代名詞なのだ。
だが、その絶対とも言うべき安心が今や無残に崩れ去った。
兵や領民たちの動揺と不安、不審、衝撃は想像に難くない。
絵に描いたような内憂外患の様相を呈しているのが、今のこの城の現実だ。
そんなことはうつけ商人に言われるまでもなくわかってはいる。わかってはいるが……!
「だからって、早々に見切りを付けててめぇだけとんずらってぇのは違うだろ。それに……ここにはまだ樰永と朧がいる」
永久は頑として首を手手には振らない。だが、一方のカルドゥーレも舌鋒をさらに研ぎ澄ませる。
「だからと言って、あなた方が残ってどうにかなる事態というわけでもありますまい。あなた方の腕が立つのは承知していますが、多勢に無勢はいかんともし難い。加えて、正気を失っているとはいえ、相手は大樹の武士たちです。後々の禍根に繋がる可能性もありましょう。それは今この時とこれから先を考えれば、あまりによろしくない」
「ぐっ……!」
不本意ながらも口ごもったのは啓益だ。永久も普段の陽気さの影もないほど険しい面持ちをしている。
確かに止むを得ぬ事情とは言え、同盟関係にある家中の武士を斬ったとあってはその関係に罅が入るのは間違いない。
ましてや、永久は現当主の妹とあってはなおのことだろう。
セフィロトという難敵が迫る中で同盟破棄なんてことにもなり兼ねない。
悔しいが、カルドゥーレの進言は極めて正鵠を射ている。
「それに、若君と姫君の位置はわかっております」
「なんだとっ!?」
「まことかッ!?」
思ってもみなかった朗報に喜色を帯びた叫びを迸らせる二人へ商人は深くうなずく。
「ええ。ただ若君はこの本丸に向かっておいでのようです。加えて何者かと交戦中のようですね」
「なにっ!? ではなおのこと某たちが助太刀に向かわねば!」
逸るように身を乗り出す啓益にカルドゥーレがその両肩をなだめるように撫でる。
「いいえ。むしろ我らが行っても邪魔にしかならぬでしょう。相手は相当に上位の神座王のようだ。自然災害同士の戦いに割って入っても自殺行為にしかなり得ませんよ」
「貴様ァ……! 侮るのもいい加減に……!」
当然、啓益は顔に怒りの朱を注ぎ射殺さんばかりに睨みつけるが、それを永久がやんわりとたしなめる。
「よせ、啓益。言い争いなんてしてる暇さえ惜しい。それで――朧は?」
次に姪のことを尋ねる永久。
「姫君はどうも当城の浴場にいるようですね」
その答えに憤慨したのは例によって啓益だった。
「なんとッ!? このような非常時にご自分はゆっくりと湯浴みとは……!! どういう了見なのかッ!!」
「いえ……。決して、そのようなことではなくてですな……」
どこか言い淀む商人に永久が眉をしかめる。
「だったらなんだ? 朧に何があった」
平淡ながら鋭い追及にカルドゥーレはどこか緊迫した面持ちで答える。
「……どうやら、その……体内に眠っていた天魔がまた暴走を始めたようなのです」
朗報から一転しての凶報に、永久も啓益も目を剥く。
「なあんだとぉッ!?」
第六天魔王波旬――朧が生まれた時より半身として宿していた刻鎧神威。樰永と朧自身から聞かされたが、アフリマンに負けず劣らずの魔性の神気を誇り、獰猛性と危険度においてはアフリマンすら凌ぎ得る最恐の魔神……!
扶桑での邪神復活に引きずられる形で目覚め暴走したという話だが、それが今また始まったと!?
「しかも、前回以上に危険な状態なようでして……正直に申し上げますが、このままではおそらく鬼灯国が丸ごと地図から消えることになるでしょう」
さらっと立て続けに告げられた爆弾発言に、永久と啓益は今度こそ開いた口が塞がらなかった。しかし、カルドゥーレは二人が立ち直るのを待ちはしなかった。
「ですので、まずは姫君の保護に赴きましょう。若君もまずそれを目指しておられるはず。他ならぬご自身が神座王であられる以上、妹君の異変を誰よりも敏感に感じておられるでしょうから」
その言葉でいち早く我を取り戻したのは永久だ。
「ああ、どうもそれが最善のようだな。良くも悪くも……」
「……某も右に同じでござる」
それに啓益が不本意だという顔を隠すことなく続く。
「では、参りましょう」
カルドゥーレに再度促され、二人はそれぞれに天馬へと速やかに騎乗する。




