状況整理・詰問・そして慟哭①
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◆前回までのスカーレット・リベンジャー◆
地下道の奥深くで発見したVETS流体を装着し、危機を脱したケンウッド・ケンバーは、地上への脱出を果たしたのち、パーシモン・シティで法外な激務に揉まれ、半死半生となっていた会社員、リンネル・トールの自宅へ転がり込み、助けを求める。古き騎士道の戦士である流体騎士に憧れを持つリンネルが本来は労働者でしか無いケンバーを騎士と誤解した事もあり、VETS流体への水分補給と僅かな急速を得る事ができたケンバーだが、犯罪組織の追跡は執拗だった。
リンネルの家まで迫る追跡チームを迎え撃ったケンバーは、給水を経てかつての性能を取り戻した流体スーツで敵を圧倒。さらなる追撃を避けるため、リンネルの先導で眠らぬ犯罪都市、パーシモン・シティの喧騒に紛れんとするが…
パーシモン・シティはキノカワバーテックスのやや外れ、先程戦いを繰り広げたリンネル・トールの自宅から二十分あまりの位置にある建造物。安い光源で闇夜を照らすテナントバナーの記載は『市民食堂 7c』。
市民食堂とはパーシモン・シティの公共福祉政策の一つであり、市民IDに紐付され一日二食分まで与えられる食事券で栄養補給を行えるようシティの各所に設置されている。
深夜にも関わらず客席をまばらに埋める人々に供される食事、通称「市民麺」は粉っぽいスープにクローンでんぷんの出力形成麺やブツ切りの合成タンパク質が浮かぶ三級品だが、その大量生産の出自ゆえに常に一定の品質を持っており、あくまでも噂だが季節ごとの流行病ワクチンが混ぜられているとも言われる、まさしく飢える貧者の希望であった。
「騎士じゃ無いんですね…」
「その点は言い訳できません…」
「そりゃ、流体騎士なんて、五年前ならともかく、今来るなんて変だなー。とは思いましたけど……」
「本当にすみません…」
その食堂のやや奥まったテーブル席に向かい合わせに座るのは、あからさまに落胆して机に突っ伏すリンネル・トールと、すっかり萎縮した言葉遣いで深々と首を垂れて詫びるケンウッド・ケンバー。
紆余曲折の果てにこの北の大都市に拉致されて以来、不眠不休で闘争と逃走に明け暮れてきたケンバーと、その騒動に巻き込まれ、長時間の業務の果てに、数時間ぶりの食事を家に置き去りにせざるを得なかったリンネルの二人が夜のパーシモン・シティへ駆け出るとなれば、その行く先はリンネルの提案で市民食堂になるのはある種当然の帰結といえたし、そうして同じ釜の飯を食う間柄となったリンネルを相手に、いつまでも古き伝説に生きる戦士である流体騎士への憧れを利用した嘘八百で身分を偽り続けるというのは、ケンウッドケンバーの矜持に反することであったから、この食事の席でシティ到達以来の真実を包み隠さず話すのはまさに頃合いであった。
「そんな本気で謝るほどでも」
「謝るほどの顔だよ、今のお前…」
身に染み付いた謙遜の癖が口から溢れるリンネルを相手に詫びるにあたっても、手は抜かないのがケンバー流の義理の通し方だった。
実際問題、労働者としての出自、パーシモンシティに拉致されるに至るまでのいきさつ、誘拐されて以来の騒動など、ケンバーが話せば放すほどに幼少の憧れだった流体騎士との乖離に打ちのめされて心内で落胆するリンネル・トールの姿を目の前にすれば、そうするよりもほかなかった。
「しかし、このバーテックスのマフィアも誘拐なんてするようになっちゃったのか…」
「誘拐、珍しいのか」
ため息をつき尽くしたらしいリンネルから素朴な感想は、ケンバーにとっても聞き捨てならないものだった。
「ええ、ここのマフィアは、まあクレインズ・ファミリーとかですけど…卸しの独占とか、組合勝手に作ってタカったりとか、観光地区なんで地元だけで商売できてるんだとばかり」
「詳しいんだな、堅気の割に」
「危険回避のためにも少しは勉強しますよ」
「俺は来たばかりだから、どんな情報でも助かる。おまけにご馳走にまでなって、本当にありがたい…」
「いえ、コレはその、本当にオマケみたいなもので」
列車で誘拐されて以来初めての食事とあり、いたく感動したらしく先刻とはあべこべに頭を下げるケンバーに、自嘲気味の笑いを含めて返すリンネル。実際、暇のない貧乏人であるリンネルは、わざわざ食堂まで移動する時間すら惜しいほどに消耗していたため、チケットは余ったまま、期限を迎えるばかりの毎日だった。しかし、その余剰から二人分の食べ損ねた夕食を確保し、さらにバーテックスで最もセキュリティの厳しい「公共施設」へと逃げ込めたのだから、今日ばかりは幸いだった。
「ここで暴れたら市警もすぐに来ますし、民警の巡回も他と比べて多いんです。向かいのホテルはニージョの系列なので」
「ニージョ」
「民警やってる会社です。あそこの『ル・マット』ですね。」
油混じりの湯気で曇った窓の向こう、通りの反対側には、小さいながらも立派に整えられたホテルがあった。窓からは高級感のあるオレンジの光が漏れて、やや緑がかった下品な白の灯りに満ちた市民食堂とは正しく対照的だった。今その前を横切った青と白の制服の警官が、リンネルによれば民間警察ニージョ・セキュリティの職員だという。
「民警ね、俺の地元じゃ警備員の下請けみたいなのだったな」
「ソイガラードは首都に近いですからね。こっちは市警だけじゃ話になりません。五年前だって」
「…さっきも言ってたな。五年前。何だ?」
座席に居座る理由を担保するため、わずかに残した麺をかき混ぜながら、リンネルがぼやき、机に一つ据え付けられた飲料水用のピッチャーの水を腕輪の中に吸い上げていたケンバーも顔を上げる。
「ええ。抗争がひどい時期があって…戒厳令が出るわ、移住権の抽選も止まるわで、もう戦争ですよ、戦争。その時に民警とか地元の自治会の要請とか、あるいは単に一旗揚げようって話で、結構な数の流体騎士も町に来たって話なんですけど………」
「じゃあ俺が見つけた流体は、そのうちの一人か」
「おそらくは。でもどの流体なのかはさすがにちょっと…」
「見たところ赤い流体だがな」
ケンバーがかざして見せた腕輪の中央に切られた菱形の窓の奥では、リンネルの自室と、さらに市民食堂で給水を経てすっかり元気を取り戻したと見える真紅のVETS流体が渦巻いていた。
「赤の流体…居たかのな……?」
「知らんのか?」
「確かパーシモン動乱に参戦した流体騎士は。有名な所でヴォーエン騎士組合のシルバークロン、ランブロッサム、赤色流体で有名なのはメラーホロゥですけど、普通に今も生きてますし………そもそも死んだとニュースになったのはインディゴウェンディゴとか…紅い流体は、ちょっと思いつきませんね」
「そうか…って待て。パーシモン動乱て、ここ…パーシモン・シティ??!」
流体絡みとなって途端に饒舌となったリンネルの長広舌を何とか理解し、時間差であまりにも今更な事実に驚愕するケンウッド・ケンバーに、リンネルは呆れ果て
「いや、他にどこだと…」
「そりゃそのお前、言ってたろ、リェイダの北の」
「セキンカですってのは僕の故郷の話ですよ!ここはパーシモン・シティです!シティに着いてから何してたんです」
「着いてから…?えー、貨車から抜け出して地下道を這いずって、川を潜ってお前の家に…」
列車到着以来の数時間の記憶を反芻するケンバー。その内容はと言えば戦うか逃げるかばかりで街の標識を見る間もなかったことをリンネルも察したようで
「あー…それじゃ、わからないですね。すみません」
「いや、こっちもさすがにアホだった。しかし、思った以上に北に来たな………で、パーシモン動乱でこんな色の流体が来てないなら、俺が拾ったこいつは誰なんだ」
ケンバーは細工も見事なメタル製の腕輪を振るう。キノカワ・バーテックスのち上への上陸以来、リンネルの助けで良質な水を補給され続けた腕輪の中のVETS流体は、非常に艷やかな光沢を放っていた。
「さあ………噂になるのは有名な騎士だけで、あの規模の騒動なら見習いみたいな流体戦士が何十人も来ては、すぐやられてるでしょうし…」
「そうなのか。じゃあまあ名無しの騎士か、その類か」
「ええ。VETS流体も無敵のテクノロジーと言うより、もう携帯性くらいしか優れてないなんて言われるくらいには古臭いものですし…」
「わかるわ」
サイバネティクスやトポロジメカの台頭で、もはや戦場の花形から工業機械へと零落し、その地位すら危うくなりつつあるVETS流体の有様を、誰より近くで体験してきたケンバーの頷きは深いものだった。
「それにガセネタも随分あります。警官を殺した、探偵を拉致した、流体騎士を倒した…マフィアとかその手の連中は箔付けのために何でも言いますから」
呆れ半分のリンネルが語る。流体騎士の伝説を愛する彼が、シティ到着以来その手のガセネタで何度も落胆させられてきたことが、その語調からも察して取れた。
「まあとにかく、パーシモン・シティは偶然たどり着いて長居できる街じゃありません。火の粉を払ったんなら、もう帰った方がいいですよ…」
「そうは言うがな……」
「駅まで送るから、帰ってください…」
「帰れってお前、元居たのはソイガラードの集積荒原だぞ?運賃が払えん」
目の前の男が想像以上の遠路からやってきた事実を前に、リンネルの喉から出かけていた運賃の肩代わりという親切心は完全に霧消した。
「し、心配してくる家族は」
「いない身分だ。残念ながらな」
「ああ、首都近くで男性……すみません」
首都近郊で流行している遺伝優生学と、それに伴う複雑な出生・育児のシステムに思い当たったリンネルは、まるで禁忌にでも触れたかのように口ごもるが、ケンバーは慣れた風だ。
「気にするな。なぜかそうなってる人生だ。」
「えーっとじゃあ…民警に行きましょう。民警」
気まずい質問をどうにかやり過ごし、元の話題へ戻ったリンネルは、左右に目をやってはそわそわと離席を促す。実際彼とケンバーの目の前の丼にはもはや汁の一滴も残っていなかったし、夜番の仕事を終えたり、朝一番での仕事に向けた腹ごしらえの労働者たちが市民食堂に集まり始めていた。これ以上座席を占拠していては、無用のトラブルを招きかねない。
「ああ。一息付けたしな……行くのは市警じゃなく?」
それを察したケンバーも腰を上げながら、意外なところへ案内されつつある理由をただす。
「ケンバーさんの場合、誘拐なら広域事件なので民警の方が良いです。たぶん」
「なるほどな。」
「さ、そうと決まったらなるべく賑やかな通りを通って、民警の夜間受付に行きますよ」
ケンウッド・ケンバーとリンネル・トールは、労働者で溢れつつある市民食堂を後にした。
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