ブラック企業社員 リンネル・トールの疲弊と邂逅③
正方形の部屋の中心に立つケンバーは、こうして五人の男たちに包囲される形となった。
シティの中でも特に厳しいキノカワ・バーテックスの武器判定AIの目をごまかすための隠蔽用コートの下には、先ほどターミナル駅で相まみえた三下どもが持っていたような鉄刀や警棒のような武器が玩具に見えるような凶器が隠されているに違いなかった。
しかし、ケンウッド・ケンバーの左腕のリングの内にも、それら凶器の全てを凌駕しうる力は宿っていた。
「さて、殺せとまでは言われてないが…どうする?」
玄関へと続く廊下をふさぐリーダー格らしき作業服の男が、口元に牙がプリントされたバンダナを巻きながら尋ねる。
「本気モードを見せてもらうぜ」
左腕を突き出すように構えたケンバーが答え
「何だと?」
「お前たちには言ってない!」
次の瞬間、左腕のメタルの腕輪からはVETS流体の真紅の奔流がほとばしり、ケンバーの全身を覆っていた。その紅色はゼロ番ホームでの姿よりもはるかに滑らかで、力に満ちていた。塗りたての樹脂を思わせる表面が鱗のように波立ち、肩・腕・額など人体の要所をスパイクや、あるいはねじれた角で禍々しく飾る。
「流体ッ」
「こいつ!」
想定外の武装に対して、男たちも隠蔽のための分厚いコートの前を開け、それぞれの武器を取り出す。炭素鋼製の万能片手斧、圧縮空気式の銃身が三つ束ねられた改造銃、本来は廃材解体や救助に使われる収束型の熱放射トーチ…「殺せとまでは言われていない」という言葉と裏腹に、実行部隊の取り出す武器だけあって一撃でも喰らえば重傷、あるいは致命傷もおかしくはない。
五人の刺客と、一人の流体装者。微動だにしないまま、敵への殺気と、味方へのアイコンタクトが部屋中に走っては跳ね返っては飛んで散る。
先陣を切ったのは流体に包まれたケンバーを左後ろから狙う改造銃だった。腕をまっすぐ突き出し、銃口と標的の距離をなるべく縮める暗殺者の射法が迫る!
「動いたな…!」
しかし、全身を覆うVETS流体と神経的に接続されたケンウッド・ケンバーの視界に、背後の死角など存在しなかった。
「ならまずは、お前だ!」
「なッ」
慌てて引き絞られたトリガーは身をよじり跳ねたケンバーの影を捉えるには一歩遅く、風切り音とともに飛んだ軽金属のベアリング弾は何一つ傷つけることなく室内を飛び、反対側の壁を突き破って消えた。
「馬鹿ッ!ハズすかよ!」
射手の対角線上に陣取っていたもう一人の空気銃持ちは、身近に直撃した弾丸に動転しながらも標的を必死で視界に捉え
「早く撃て、右だ右!」
「右ッ」
「お前から見て!」
初撃の失敗に混乱した射手は、向かいに立つ味方からの怒号でさらに混乱し
「そらッ」
深紅の流体に包まれた両腕に、空気銃ごとその右腕をつかまれていた。
「あぁッ!」
悲鳴とともに腕は捩じ上げられ、その手が握る銃口はもう一人の射手へと向けられる。
「何してんだこのバカ…」
「撃たせるかッ」
ケンウッド・ケンバーの手の甲から触手状に伸びたVETS流体が銃にまとわりつき、大まかだった照準を精密に補正し、仲間と複雑に絡まる標的へ向けて銃を構えながらも狙いあぐねていたもう一人の射手へと、二発連射!弾丸は鮮血と火花を炸裂させ、ややあってから床の粗末なカーペットの上には破壊された銃と、大粒の血のしずくがこぼれた。
「グゥ…」
右手の傷を押さえ、よろめいて後ずさる対角上の射手の姿を見るや、ケンバーは用済みとばかりにねじりあげていた腕を無理やりに伸ばし、力任せの一本背負い!その投げる先は、超高温トーチを構えて接近していたいま一人の刺客!
「わーっ!」
背負い投げの遠心力は人体を質量兵器に変えるのに全く十分だった。振り下ろされる両脚に叩き伏せられ、混然一体となって床に倒れたところにダメ押しの踏み付けが連続。もはや再起は不可能だった。
「クソ!こうなりゃ…」
瞬く間に三人を倒され、髑髏模様のバンダナで口元を隠して命令を出す以外特に何をするでもなかった作業服の男がここで動く。体を開き、一切の迷いなく踵を返し、玄関から外へと駆け出しす!しかし、自分で施錠した玄関扉の開錠にもたつくうちに、その後頭部には弾丸を打ち尽くして文鎮と化した空気銃が直撃!これはもちろんケンウッド・ケンバーの投擲によるものだった。
「オイっ本気かよ…!」
押し込んだ刺客の内で、最後の戦闘員となってしまった男は、銃を落としてうずくまる刺客仲間の顎を躊躇なく蹴りあげる深紅の流体戦士に斧を突き付け牽制し、最終的には大上段に構えて決死の突撃!
しかし、奇跡の逆転劇はなく、頼みの斧をいとも簡単に奪われては首筋に手刀を叩きこまれ、ダメ押しの前蹴りで壁と激突、意識不明の姿へとなり果てた。
武装した四人を相手にわずか一分余り。給水を経た深紅の流体の実力は凄まじいものだった。
「本当に騎士の戦闘用かもな…」
意外なように呟いたケンウッド・ケンバーは赤い流体をブレスレット内に戻し、浴室へ続く扉を叩く
「すんだぞ」
「みたいですね」
ゴトゴトと身体をぶつけながら洗面所からはい出したリンネルは顔をのぞかせ、自室で起きた惨劇に息をのむ。
「あの、この三人が追手の…わ、四人だ」
「五人な。もう一人は玄関で伸びてる。」
「…強いんですね」
非日常に圧倒されたリンネルは、のんきとも取れる感想を漏らすしかなかった。
「ああ、正直想像以上だ…………出るぞ」
「な、何が?!?」
「違う。俺たちがここから出る。追手が来るからな」
「二人で?」
「ここに残ってたら捕まって消されるぞ!」
渋るリンネルをケンバーが怒鳴りつける。
「何で?!あなたを追ってきたんでしょ?」
「いや、それはそうだが…見ろ。」
ケンバーが顎で指した先には、玄関ドアに寄りかかるように崩れ落ちている作業服の男と、その手の中で発信中の画面が光る携帯。大股でそこまで歩いた勢いでケンバーはその光を踏みつぶし、再び戻る。
「通話はしてないが、まあ、探知されてるだろ…残ってたら次の殺し屋が来るぞ」
「そしたら…その前にあなたが出て行って、俺はここにいて『出て行った。もう関係ない』と」
「言ったところで信じはせんだろうな。それにこいつらがその前に目を覚ましたら…」
「お供します。」
過酷な社会生活で目前の危機回避能力を鍛え上げていたリンネル・トールの反応は素早かった。
「よし!ついでだ。詳しい事情も話す!さあ行くぞ!」
「で、どこに……?」
颯爽と玄関から出ようとする背中に、質問を投げかけられたケンバーは停止し
「どこって…」
「また誰かの家ですか?」
「いや、その」
「土地勘あります?」
「まあ……無いが」
「わかりました。ついて来て下さい」
「面目ない」
先ほどまでの威勢が嘘のように委縮したケンバーは、廊下の壁に貼りつくようにしてリンネルを先に通し、その影に付き従って死屍累々たるリンネルの住処を後にした。
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◆ 次回のスカーレット・リベンジャー ◆
迫りくる追手を退けたケンウッド・ケンバーは、リンネル・トールの導きでもってひとまずの安全地帯へと逃げ込む。事なかれ主義の習い性を曲げないリンネルにほだされながらも、自らを北の大地へと拉致した巨悪への復讐を諦めないケンバーは、数奇な偶然も手伝い、復讐のための重要情報を手に入れる機会を得る。交渉手段は、もちろん力と鉄拳だ。
次回『状況整理・詰問・そして慟哭』