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ブラック企業社員 リンネル・トールの疲弊と邂逅①

ご覧いただきありがとうございます。



◆前回までのスカーレット・リベンジャー◆


大陸北部の犯罪都市、パーシモン・シティへと拉致されてしまったケンウッド・ケンバーは、何とか拘束を脱し、逃げ込んだ共同溝の奥で朽ち果てたナノテクデバイス・VETS流体のスーツを発見する。これを好機とみたケンバーは再起動させて装着、犯罪組織への反撃を開始するが、着装した紅い流体・ケンバー共に十全なコンディションとは言えない状態での戦いは痛み分けに終わる。地下の密輸用ホームから地上を目指し脱出行を続けるケンバー。一方、その数十メートル上方、地上に当たるパーシモン・シティの観光区画、キノカワ・バーテックスのはずれでは一人の会社員が帰途についていた…

「何だったっけな」


 およそ五角形の輪郭と、対角線状の五つの大通りで区分けのされたパーシモン・シティ。その区画の一つであるキノカワ・バーテックス。薄緑の街灯が照らす深夜の道を、益体も無いつぶやきを漏らしながらリンネル・トールは自宅への道をよろめき進んでいた。

 高等学校を卒業後、二年余の苦節の果てにようやく手に入れた移住権を使いこの大都市へと引っ越して、流通会社、ターク興産に勤めて二年になる彼の肉体と精神は、念願かなった後とは思えぬほどに限界に近いところにあった。

 ターク興産への就職のきっかけとなった雇用条件は全て嘘八百か、あるいは会社が当局から補助金や助成金と言った形で小銭を稼ぐための名ばかりのもの。タダよりはマシと働けど、連日の激務では給金を使う暇もなく、そもそも使って発散するほどの額も無い。ここ最近では昇給率は物価と税金の上昇に全く追いつけず、給料日ですら憂鬱の種だ。


「帰りてぇなァ……」


 家路につきながらでは支離滅裂とも取れる独り言に合わせて前へと振り出される靴は、不自然なほど左右非対称にすり減っている。

 休日に丸一日寝ていれば治っていた左半身の痺れが、昨年の冬から寝ても覚めても消えなくなり、今では彼の一部どころか彼そのものとなりつつあった。

 完備と聞いていた医療保険は会社役員の親戚が理事を務めるヤブ医者限定の、しかも割高な治療でなければ適用されない無意味なもの。健康診断などは、こき使われる前に異常がないかと入社の時に受けさせられたのが最後だ。そもそも、医者の空いている時間はこちらも働いているわけなのだから、身体のどこが悪かろうが診てもらえるわけもない。


「ま、生きては、いる…」


 くっついていることを確かめるかのように左手を振りながら、身も蓋もないボヤきが漏れるが、リンネルにとっては全くリアリティを伴った発言だった。

 一年先輩のリョポスはリンネルの入社と入れ替わるように心臓麻痺で息絶え、同期入社のヘイナンはこの地獄を抜け出すには出世しか無いと事あるごとに豪語し、過集中剤に手を出して本当の地獄へ行った。リンネルに一年遅れて入社してきた後輩たちも、半分あまりが生死様々の理由で脱落し、生き残りも半死半生だ。

 そんな地獄の中にあっては、リンネル・トールの左半身の痺れは、かえって彼の右半身の生命反応を担保する逆説的な証明だった。


 防菌剤の悪臭が立ち昇るシティの人工河川、カタカラ川沿いを這いずるように進み、ほうほうの体でたどり着いたのはシティに移り住んで以来の住処である貧相な集合住宅。その一階の二つ目のドアの前で立ち止まり、ドアノブに触れて個人チップを認識させ、続いて顔面認証。光が明滅し、扉が開く。


「何だってんだこの人生は……」


 ほうほうの体で何とか自宅にたどり着いたリンネル。しかし、これで朝まで一休みというわけにはいかない。たとえ退勤したとてもターク興産はそんなことはお構いなしだ。会社から押し付けられたタブレット端末で、夜番の社員や、どこにいるやら外回りばかりの上役たちから逐次送られてくるデータを分析・整理しなければならない。


「だがメシ、だ」


 二分間の加熱でできあがるパック入りのスープを調理機に放り込み、粗末な寝台に腰掛ける。調理機からの電磁波でタブレットの通信が切れるこの二分間だけが、ターク興産からの連絡も催促も来ない、真の休息時間だった。

 ぼんやりと殺風景な壁を見据えるリンネルの耳に、何かがドサリと着地した音。音の出どころは、窓の外。カタカラ川に面した、庭と呼ぶのもおこがましいような建築法上の必要性以外に何の意味もない空間からだ。


「動物か…?」


 リンネルの独り言を待ってか待たずか、再びガラス戸が叩かれる。怪訝な顔で寝台から立ち上がり、目を凝らしたリンネルが見たのは、うつぶせの状態から起き上がろうとする巨大な人間の影だった。


「わっ!」


 悲鳴を上げ、飛び上がるリンネル。おりしも調理器が料理完了のブザーを鳴らす。コツコツ。ガラス戸が叩かれる。


(あけてくれ)


 ガラス越しに動く唇は恐らくそう言っていた。部屋の明かりに照らされてうつし出されたその巨体は、先刻キノカワ・ターミナル駅の地下『ゼロ番ホーム』で、この地区を牛耳るクレインズファミリーと一戦を交えたケンウッド・ケンバーだった。その前身は、頭の頂上から擦り切れかけた作業靴の先、やや小さめにも思える革のジャケットに至るまで、余すところなく濡れそぼっては水滴をこぼしていた。


「開け…やですよ、そんなの」


 素人なりの読唇術に返事を返したリンネルは、ガラス窓を遮光モードにして外界の怪人を視界から遮断するべく窓に手を伸ばす。しかし


「わかった。こちらから開ける」


 その操作よりも一足先に、肝心の窓は外側からセキュリティごと取り外され、解放されていた。この手の安普請の集合住宅に共通の脆弱性を利用した「ドンデン」と呼ばれる解体業者の方法だが、リンネルにとってはこの非常時にそんな情報は全く無意味だった。


「すみません。入れてくれ。事情は追って話すから」


 恐ろしげな獣のような異貌に似合わぬ穏やかな口調で語りかけながらも、さりとて止まる様子もなく入室するケンウッド・ケンバー。じっとりと濡れたその身体から、濁ったしずくが落ちる。


「か、金なら」

「いらん。強盗ではない」

「じゃあ何で、うちに…?隣なら少なくとも楽器か、作曲機材はあるし、上の階なら…たぶん高性能のセラピーボットが…」


 理由を問いつつも強盗の線から予測を逸らせない様子のリンネル。二年前、大規模抗争が終わりを告げたと市政府から発表され、リンネルのような市外出身者も大都市の好景気をあてに移住するようになったパーシモン・シティだが、結局の所戒厳令が解かれただけの犯罪都市には変わらないのだから、その感想も当然だった。しかし目前のケンバーはバツが悪そうに肩身をすぼめ


「そりゃその明かりがついてて…ああ、欲しいのは水だ…。水をくれ」

「水、ってあなた、もう十分では」


 リンネルは困惑の返答。ケンバーも自分の濡れねずみの現状を理解したらしく。


「こ、これは川の方から来たのでやむなく……で、その。水だ。つまり精製水。」


 ケンウッド・ケンバーは、謎の状況を飲み込み切れていない部屋の主、リンネル・トールに、左腕に嵌められたメタル製の腕輪を示す。細い腕輪の中心、菱形の窓の内側で、紅色の流体がうねる。


「俺はたらふく飲んだが、流体に充填したい。頼む。水だ」

「それ…流体騎士ですか?!」


 先ほどまで腐り切って死んでいたリンネル・トールの目に火が灯る。


「流体だが騎士…なのかな」

「いやだって、その腕輪!」


 リンネルは信じられない宝物を指すかのようにケンバーの左腕を示す。


「間違い無いですよ。その菱形窓、二重縁取りに筋彫りの蔓草…」

「く、詳しいな……」

「俺、生まれがセキンカなんです。リェイダの北の」

「そうなのか。知らんが」

「流体七騎士・ケンヴ卿の生誕の地ですよ?」


 不健康な猫背から一転して胸を張るリンネル。首と、背骨のあちこちからポキポキと音が鳴った。


「それ…サーバトルンだろ」


 一方のケンバーは怪訝な顔。


「まあそれもその…諸説ありって事で。」


 リンネルもそこは気にせず流した。流体七騎士のような伝説的な英雄の存在は、数百年前の大崩壊で記録も史跡もほとんどが散逸しているのだから、そんな行き違いで議論するのは全く無駄な事だった。


「で、騎士なんですか?」

「いや。その…分からないが、受け継いだ。」

「騎士本人から?!」

「本人といえば本人だが…まあともかく!」


 たまたま押しかけた先で、偶然に出会った男が流体に興味津々のこのラッキーな状況下で、朽ちて干からびた死人から盗ったなどとは口が裂けても言えないケンバーは、是が非でも会話を前進させねばならなかった。


「そう言うわけだ。水。流体用の水が欲しい」


 振り出しに戻ったかのようなセリフを吐くケンバーだが、そこへ返される反応は正反対だった。


「確かにカタカラ川の水は…ありえないですね。わかりました」


 言い終わらぬうち得心し立ち上がっては棚をあさるリンネル。その動きは、給与が発生しているはずの業務時間のそれよりも、遥かにきびきびとしていたし、無意識に左に傾いていた姿勢も、少しずつ垂直へと立ち直りつつ有った。


「助かる、本当にな」


 誤解を利用して援助に預かる後ろめたさもこもった礼の言葉をかけながら。ケンウッド・ケンバーはリンネルの居室の奥ヘと進んでいった。

ご覧いただきありがとうございました。

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