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密輸用地下ホームの逃走と闘争②

 外道極まる人身売買列車によって、北の犯罪都市パーシモン・シティへと連行されたケンウッド・ケンバーは、拘束からの脱出にこそ成功したものの、それでも窮地の最中にあった。


「洞窟じゃねえ。人の作ったダクトだ、これ以上狭くなるって話はまずないだろうが……」


 未だ鎮静薬物の影響が残る身体で、避難用の最小限の明かりだけが灯る点検シャフトを這い進むケンウッド・ケンバー。その巨大な肩幅は、隠密潜行には全く不向きなように見えるし、実際その通りだった。


(相手も狭くて必死なはずだが、裏道もあるだろうし…ここは文字通り奴らのホームだからな)


 しかし、手、足、脊柱…大柄な全身をよじらせて進むケンバーはそれでも驚くべきスピードだった。直前の彼の仕事である集積サイトでの資源探索と採集の経験は、現在の逃避行には完全に有利に働いていた。

 一秒でも早く、遠くへ進もうと伸びるケンバーの指先に深い凹凸の感触。続いて手のひらを、腕を、下からの風がなでる。それはダクトの通風口。わずかな光も漏れている。


「下に部屋…!?突破口であってくれ!」


 にじり寄り、ハッチの蓋に肘で叩く。何度かの打撃ののち、落下した蓋は一秒余りで床との激突音を反響させる。高さも広さも十分のようだ。

 開いた穴を一旦通り過ぎてから後進、足から順に降り立った先の空間は、薄緑の非常灯が明滅する何の飾りもない部屋だった。


「よッ…とォ!」


 通気口の縁にぶら下がり、軽快な掛け声とともに飛び降りては着地したケンバーだが、同時に先ほど落とした蓋に足を取られ、バランスを崩して床に突っ込み、倒れた右の半身がべったりとした何かに触れる。


「わ、何だこりゃ!」


 地下ホーム建設の際に倉庫として作られ、落成と同時に放棄されたか、とにかく人の手が長く及んでいない室内は漏水と、そのほか想像もしたくないような経年劣化で散々な状態になっているようだった。さらに最悪なことに、薄暗い非常灯に照らされた扉は明らかに外からしか開かない構造。まさに飛び降り損の汚れ損だった。


「なんてこった、クソっ…」


 げっそりとした感覚に襲われたケンバーは首を垂れる。しかし、その視線の先で非常灯の光を揺らめかせる液状の何らかは、最初の感触から想像した何らかよりもはるかに力強く、高貴な輝きを持っていた。


「これ、流体だ……」


 ケンウッド・ケンバーは膝と掌に触れる不可解な感触をそう結論付けた。

 不定形の動力システムであるVETS流体。力や感覚を極限まで高めるナノテク応用のデバイス。床を覆う量からして、全身スーツ型。ケンウッド・ケンバーにとっては、拉致される以前の職場、集積サイトBkでも慣れ親しんだテクノロジーだ。

 こんなどん詰まりでドブ以外の液体に巡り合ったのは完全に予想外だが、実際それ以外には考えられなかった。


(けどよ、流体がどうしてここに…)


 見回すケンバーの視線は、程なくして部屋の角で崩れかける古びた亡骸に向けられた。カラカラに乾燥し、白骨化すらした躰にまとわりつく服の残骸。赤い流体は、その服の袖や裾から垂れ下がり、広がっていた。


「なるほどね…」


 ケンバーは目を閉じ、数瞬の黙祷。その後改めて撫でるように床に広がる流体に触れる。

 濃い紅色のVETS流体はずいぶん乾燥して、粘土のようなダマも出来始めていたが、この漏水多湿の地下溝の環境もあってか、完全に死滅していないのは明らかだった。そうなれば


「すみませんが…借りま、いや。貰います」


 ケンバーは白骨となっては物言わぬ元装着者に軽く会釈し、両手の指を流体に漬け込む。

 拉致される前、集積サイトBkで纏った工業用流体の起動手順を反芻し、再現する。


「作業用でも生身相手なら……」


 この急場では、詳しい経緯を推理している暇はなかった。複数の敵に追われて追い詰められ、閉じ込められたこの状況、神経機能の増幅、筋力強化、衝撃防護などの様々な恩恵を得られるVETS流体の着装は、最善にして最後の抵抗手段だった。


 ちくり。ケンバーの指先に鋭い感覚が走り、手首、肘、肩、そして脊柱へと伝播してゆく。力なく横臥していた流体はケンバーの手で再起動し、その神経との接続を開始したのだ。


「あとは装着!」


 立ち上がり、いささか奇妙にも見える装着姿勢を取るケンバーに、紅色のVETS流体が床から這い上がり、まとわりつく。元装者の亡骸の左腕から、流体に引っ張られて細い金属製の輪が抜け、ケンバーの左腕の位置へと収まった。


「……これ、セミオーダー品か」


 流体を格納する腕輪型容器に彫られた華美な意匠を一瞥したケンバーは嘆息。たった今、彼が纏った流体は、単に迷子になってのたれ死んだ地下溝作業員のものではないらしい。しかし


「ちょっと乾き過ぎだな……」


 なんとか全身に流体を行き渡らせ、赤い樹脂製の彫像とでも言うような姿へと変化したケンウッド・ケンバーが毒づく。やはり年単位で放置されていた流体スーツでは、そこかしこに不具合が生じているらしい。

 集積サイトで使用していたオレンジの工業流体のような光沢はないし、古くこわばった流体は全身を覆えず、下半身や背中など、流体が伸び切らなかった部分ははハシゴのような格子が組まれて誤魔化されている。見た目だけでなく、試しとばかりに振られる腕や足の稼働にもやや固く、引っ張られるような様子が表れていた。


「まあヨシ、だ!」


 ともあれ、生身よりは百倍の安心感があるのは間違いなかった。


(オイ、見つけたか?)

(知るかよ、一本道だし進めばいるだろ)


 早速増幅された聴覚が、天井を走るダクトの奥から、這い進む追跡者の兆候を捉えていた。


「うまく避けろよ!!」


 ケンバーは先ほど自分が叩き落としてはつまづいた鋼板製の蓋を拾い上げるや、流体スーツによって強化された膂力をフルに生かして天井へ投擲!年季の入った構造材とダクトの薄鉄板をいともたやすく貫通してダクトに突き刺さった蓋は、衝撃的な隔壁として追跡者の眼前に現れたことだろう。


『ワーッ!ヤバい!戻れ!』


 混乱した悲鳴がダクト内で歪に反響し、その声は体中をぶつける音を響かせながら遠ざかっていった。


「さて、残るは…」


 ケンバーが振り返るのと


「俺たちだよ」


 外側から解錠された廃倉庫のドアを開けて、室内へと入ってきた三人の男が武器を構えるのは同時だった。


「そうかい。じゃあまあ、入れよ」


 後退するケンバーに合わせて、三人の男は部屋に侵入し、ケンバーへじわりと接近。奥行に対して幅のない倉庫に合わせて、相討ちの恐れのない縦の陣形をとる。

 充分な間合いを取り右足を引き格闘の構えを取るケンバーも、拳を突き出した迎撃態勢。

 先頭の男が構えたライトの光が、深紅のVETS流体をまとったケンウッド・ケンバーの巨体を照らす。


「わっ!何だお前その…何だ…?」

「逃げたのって…コイツか?」

「知るかよ。人違いでもやっちまえ」


 三人の追跡者は、追ってきた大男とは完全に異なる異貌の深紅の怪人との遭遇に若干の困惑を見せながらも、それぞれ粗雑な警棒や、鉄刀と俗称される片手持ちの凶器を構える。鉄刀とは鋭角の二等辺三角形に成型した厚い鉄材の片端を板で挟むなり、テープで厚く巻くなりして持ち手を作った極めて原始的な刃物で、だからこそ棒などと同じく市街監視カメラの武装判定AIの目を掻い潜り、堂々と携帯することができる。


「死ネーーッ!!」


 言意の伝達よりも殺意の表明が色濃く飛び出る絶叫とともに、最前の襲撃者が鉄刀を振り下ろし、後ろに控えた二人も連続攻撃の構えを取る。


「ダーッ!」


 しかし、流体をまとったケンウッド・ケンバーの気迫も負けてはいなかった。身を屈め床に潜るように踏み込み、鉄刀を握る相手の右手首を左手で掴むや、強化された握力に任せて粉砕!そのまま腹にタックルし、恐るべき馬力で三人をまとめて部屋の入り口まで押し飛ばし、そのまま飛び出し反対側の廊下の壁へと叩きつける!


「お前らがッ死ねーーーッ!」


 さらに握りしめた両拳を次々に繰り出す追い討ち。最前の襲撃者は手を砕かれ、それより後ろの二人は男と男、あるいは男と壁に挟まれ、武器を使うどころか身動きもできないまま殴られ放題の惨状だった。眉間への一撃が決定だとなった一番前の男は流血しながら失神し、二番目の男はパンチングボールのように激しく前後する前の男の後頭部で鼻を、歯を次々と折られて昏倒、最後尾の男に至っては壁に叩きつけられ、圧迫されたダメージで既に戦闘不能の有様だった。

 ごちゃごちゃに絡まりあって崩れ落ちた三人の襲撃者を見下ろしながら手の甲の血を払ったケンバーは、その肉体をまたぎ越し、廊下を走る。


逃走ではなく、闘争のために

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