密輸用地下ホームの逃走と闘争①
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今回から舞台は北の犯罪都市、パーシモン・シティへと移り、本格的なケンバーの戦いが始まります。
◆前回までのスカーレット・リベンジャー◆
数百年続いた大災害の後始末として集積サイトBkで回収員として働いていたケンウッド・ケンバーは、見知らぬ男の口車に乗せられ、夜の街へ赴いたきり、消息を断った。底辺労働者の命が極めて安価な崩壊後のこの世界にあっては、よくある行方不明であり、典型的な拉致・誘拐であった。しかし、ケンウッド・ケンバーの魂は、闘志は、ただ甘んじてその運命を受け入れるほど惰弱ではなかった。
大陸中央からの北部へ列車の旅。そのクオリティは両極端だ。
飛行船や、更に高度な技術である鏡面航路が発展した今となっては、列車の旅は古式ゆかしい悠然さを楽しむための道楽観光の類か、あるいは止むに止まれぬ事情で使う最後の手段か。未だ未開の地も多く残る北へのルートでは、貧富どちらの列車も見ることができる。
そして、二日前に大陸中央を出発し、北の荒野において唯一の高速通信設備や弾丸鉄道の駅が備わった大都市、パーシモン・シティへと走る列車は、その姿から駆動音に至るまで、およそ優雅とはかけ離れた有様だった。
客車と呼ぶのもはばかられる粗末な長椅子と敷物だけが散在する車両の中には、その陰惨な構造に負けず劣らずの悲壮な面々が押し込められていた。
狭い車両に乗りも乗ったり七十人ばかり。彼らの服装はボロから平服、一張羅まで種々雑多だが、この長旅で皆一様に汚れ、汗ばみ、くたびれ果て、それらに包まれる肉体、さらにその内の心すら、この非人道の運搬車の圧力と振動で粉々にされたかのようだった。まもなく到着するパーシモン・シティは、旅客列車や飛行船で到着した時とは全く違う顔で彼らを迎えるだろう。
パーシモン・シティ。およそ五角形の輪郭を対角線状の星型に区分けされた北部最大の計画都市は、表向きには大陸中央と北部を結ぶ流通と運輸、そして観光が主な産業の地方都市だが、その裏では密輸、密造、搾取、人身売買がそれ以上のスケールのビジネスとして存在し、それらに付随する暴力、誘拐、拷問、リンチ、殺人も後を絶たない暗黒都市だった。
五年前、大規模な抗争が集結してからは平和都市への一歩を踏み出したとは市政府広報の弁だが、準軍であるシティーガードの火力に任せて表立った騒乱を鎮圧しただけであり、今日このときに至るまでその闇の本質が変わっていないことは、この誘拐列車の有様を見ても明白なことだった。
この列車の乗客は、貨物列車の止まる各駅において愚かすぎたか、知りすぎたか、借りすぎたか、ただ単に余って邪魔になったのか…ともかく様々な理由と手段でもって捕らえられては、かつての大崩壊以来人跡未踏の地も多く残る北の、腐りきった犯罪都市へと厄介払いされ、この過酷な旅へと駆り出されたのだ。
彼らを待つのはパーシモン・シティでの最底辺労働か。それならまだいい。狂った金持ちの余興に嬲り殺しにされてしまうかもしれないし、人体実験の噂の絶えないパーシモン大学に送られるかもしれない。パーシモン・シティよりさらに北の荒野への開拓に送られたら、もはや人として生きるどころか、意味のある死は迎えられないだろう。
薄暗い列車を満たすのは、この最悪の振動と瘴気に満ちた旅が永遠に続き、残酷な運命と対面しないようにと願うかのような虚ろな視線と、力ない呼吸。
しかし、そんな絶望の渦の中に、両目を爛々とかがやかせ、炎を吹くかのように吐息を吹き上げる一つの影があった。身長は高く、太い首の上に乗った頑丈な顎と鉄柱のような鼻柱、猛禽を思わせる瞳を囲む長い睫毛は華麗というより荊棘のような鋭さ。緩やかにカールし肩にかかる長髪も優美さとは程遠い、肉食獣のたてがみが如く…。
その男こそ誰であろう集積サイトで姿を消したあのケンウッド・ケンバー。この列車に乗ることになった経緯は御存じの通り。出稼ぎ先で愉快な男に秘密のクラブをダシに連れ出され、一杯おごると称して一服盛られ、昏倒の間に車中の人という寸法だった。
この手口は力仕事のための頑強な頭数を誘拐する常套手段だが、唯一犯人側に誤算があったとすれば、このケンウッド・ケンバーに関しては想定以上に頑強であり、ケンバーの隣に並ぶ他の力自慢の連中のようにシティに着くまで寝こけているはずのところを、途中で覚醒しまったことだった。後ろ手に掛けられた結束バンドは、起きて五分後には力任せにねじ切られ、拘束の用をなしていなかった。
「殺す…殺す…ぶっ殺す………」
財布も身分証も、まだ契約期間が残っていた使い捨て携帯すら奪われてしまった薄闇の中ではやる事もなく、祈りの詠唱のような厳かさで物騒な呪詛をつぶやき続けるケンウッド・ケンバー。今や彼の心中を満たし、あふれ出すのはのはただひたすらに不屈不撓の闘志と、恐るべき怒りの奔流だった。
やがて外から響く車輪の轟音に、とりわけ不快な減速のための金属音が混じりだす。列車はとうとう終着地であるパーシモンシティのキノカワ・ターミナル駅へと到着したのだ。
客車路線とは別に用意された地下線路へと潜り込み、正規に用意された貨物用ターミナル駅でそこまで違法ではない荷を下ろしたヤミ列車は、続いてターミナルと車庫の間に作られた『ゼロ番ホーム』へと停車する。
この暗黒の停車場で哀れな囚人列車を出迎えるのは駅員ではなく、パーシモン・シティの星型区画の一角であるキノカワ・バーテックスを支配する犯罪組織だろう。彼らは駅員や運転手にあらゆる圧力をかけ、この臨時駅をその密輸の拠点として維持しているのだ。
何とも哀れな嘆息を引き裂く金属音とともに、列車の壁の一角から四角い光が漏れて、それは次第に大きくなる。扉が開き、ホームに据えられた作業用の青白い光線が差し込んだのだ。
「前の奴の肩に手をつけ!」
一息いれる間も無く怒号が飛ぶ。
「前の奴の肩に手だ!」
声の主は、伸縮警棒を担ぎ、革のジャケットを羽織った坊主頭の男。大きいばかりで輝きのない瞳に、毎日ボクサーに右の頬を殴らせてから寝ているかのような歪んだ歯列が叫ぶたびに覗く。その後ろには部下らしき男が続き、頑丈な手持ちライトをいつでも振り下ろせる位置に構えて、虜囚たちが指示通り動いているか見張っている。
当然、ここに来て改めて痛い目を見たい者など居らず、たちまちのうちに見るも哀れな人間の鎖が作られて行く。が、
「聞こえないのか!肩に手だ!」
下っ端の男が叫ぶ。無抵抗の連鎖を断ってライトに照らされたのは、ゆっくりと立ち上がった大男。ケンウッド・ケンバーだった。
「なんだこいつ?」
「クラコアさん、きっと耳がイカれてんですよ」
舐め切った様子で近づいてくる下っ端の隙を、ケンバーは逃さなかった。
「いや、肩に手だな」
ケンウッド・ケンバーの放つ鋭い右の手刀がガラ空きの左肩へと炸裂し、その直撃を受けた鎖骨は真っ二つにへし折れられる!
「がっ…」
「不用心すぎだ!」
前代未聞の激痛にまさに叫ばんとする下っ端の喉に、刺又状の形をとるケンバーの掌が追撃!後ろに弾き飛ばされた意識不明の身体は、警棒を持つ兄貴分へと倒れ込んで素早い反撃を全く不可能にしていた。
「野郎ッ」
クラコアと呼ばれていた兄貴分、不甲斐ない部下を押し退けて何とか戦闘態勢にこそ入ったものの、乱杭歯の隙間から悪態を漏らすのが精一杯の抵抗だった。警棒を肩より上に持ち上げる間もなく、いつのまにかケンバーの手に渡っていた極太の手持ちライトの直撃を下顎に喰らい、完全に脱力して崩れ落ちた。
それまでなすがままだった車内の虜囚たちがわずかにどよめくが、次は我がと討って出る者はいない。それもそのはず。すでに車内の騒ぎを聞きつけてか、列車の外では数十もの足音が甲高く反響していた。
「出だしは上々だが……」
深いため息をつくケンウッド・ケンバーは、急接近する足音を聞きつけて再び臨戦態勢に移る。
「どうした!」
駆けこんできた若い男が倒れた二人の仲間を見るや怒鳴りつけ、
「アッ、あいつです」
答えたのはいつの間にか前の虜囚の肩に手を置いていたケンバーだった。
「あいつ?」
「俺だ!」
再び奇襲!逆手に持って隠された警棒がすぐさま回転し構え直され、側頭に一撃!二人目に倒した坊主頭の男の革ジャケットを羽織り、つい先程警棒で打ち据えては昏倒させた男の腕を肩に回して介抱するように担いだケンバーはそのまま貨車の入り口へと足を進めて
「おい!またやられたぞ!」
貨車に乗り込もうとしていた青いシャツの男に自分で倒した男を投げ渡す
「おい本気かよ!…てかお前誰」
異変に気づいた時には、男の青いシャツのど真ん中に鉄拳が食い込んでいた。
「一人逃げたぞ!!」
それを見た後続の太った男が叫ぶが、即座にその顔面は跳んだケンバーの足の裏に叩き潰される。反動で飛び、着地したケンバーは低い姿勢で列車の下へ滑り、ゼロ番駅の臨時照明の届かない闇へと潜り込む。
「追え!追い詰めろ!」
明かりと凶器を携えた十数名余りの悪党がその後を追う。列車の最前まで駆け付けた彼らが見つけたのは、わずかにずれた床下点検シャフトの出入口の落し蓋だった。
「これを一人で持ち上げるかよ…」
「というか開いたんでスね、ここ」
「ああ、だがバカだ。この先は出口なしのクソ溜まり、行きついても廃溝だ。降りるぞ。お前らは回り込め。」
先頭の二人が蓋の両端を持ち上げて動かし、男たちは続々と床にぽっかり空いた孔へと降りてゆく。何人かは、取り出した鍵束で別の扉を開け、粗末で古い階段を下りていく。
戦い、あるいは狩りの夜が始まった。
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