プロローグ 労働者 ケンウッド・ケンバーの受難と誘拐②
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「おい、なんだよ…」
ケンバー達の『ランニング・フラッター』への入店は、入り口の横にたたずんでいた丸禿げの大男に遮られていた。
「兄ちゃんはダメだ」
ケンバーですら見上げるほどの大男は、鼻の下に蓄えた曲刀のような髭を撫で、樽のような胴体の前で巨大な腕を組んで、ケンバーに一言。
「なッ…そりゃないだろ」
「そっちこそだよ。あんな喧嘩されちゃ他のお客さんの毒。というか危険だよ。出入り禁止ね」
どうやらランニング・フラッターが雇った用心棒らしきこの男、手に持った携帯端末を巨大な指で操作し、顔写真のリストを確認している。その一覧の中には、ケンウッド・ケンバーの強面も含まれていた。
「喧嘩ッ…は確かにそうだが、ホラ、店の損害は保険で何とかなるって…」
身に覚えのあるらしいケンウッド・ケンバーは、それでも腕を広げて必死の弁明。
「今回は何とかなったよ。机に椅子にボトルとグラスたくさん……でも、次の請求可能期間まで出入り禁止だよ
「一理ある…が!アレはそもそも、かッ鑑定屋の奴らが吹っかけて…」
「うん。だから向こうも出禁よ。リストに載ってる……だから兄ちゃん帰って。他の皆さんは載ってないから、いらっしゃいね」
入り口を塞いでいた大男は立ち方を半身に構え、ケンバーには手を突き出して制し、他の五人にはにこやかな手招き。
「だとよ。ケンバー、悪いね」
「コメで我慢しな!」
軽口を叩き、あるいは気の毒がりながら魅惑の殿堂へと吸い込まれてゆく同僚達を、哀れケンウッド・ケンバーはただ見送るほかなかった。
「だッ!オイ!お前らには情けの心ってのは」
「ないよ!ハハッじゃあな!」
「兄ちゃん、すまないけど帰って」
「この野郎…」
いよいよ進退窮まったケンバーは、なるほど出禁になるのも納得の攻撃的な視線を大男に向けるが、当の相手は禿頭を指で軽く掻いて涼しい顔だ。
「喧嘩ダメよ。それに俺、銃持ってる」
「銃で撃っていいから入れて!」
「銃は冗談。帰れは本気。帰って」
「な、それじゃここだけの話、今日はちょっとした値打ち物を持っててな」
説得通らぬと悟ったケンバーはやむを得ず本日手に入れたばかりの切り札、希少元素である多層化ベオクタイトを使わんとするが
「かえって」
「場合によってはくれてやっても…」
「俺だけを買収しても中に用心棒はもっとたくさんよ。帰って」
現実は非情であった。
「チクショウ…」
万策尽きたケンウッド・ケンバーは虚脱し放心。集積サイトに努めるほかの業者も次々と今日の仕事を終え、通りへの人の流れも増えていた。『ランニング・フラッター』にも、団体の客が次々と接近する。邪魔だどこかに行け、用心棒の大男からの無言の圧力は高まり、とうとう立ち去るほかに道はなかった。
「ついてなかったな」
それから数分後、当てもなく通りをぶらついていたケンウッド・ケンバーは、その道半ばで唐突に声を掛けられた。目を向けた先に立っていたのは、やや細身の若い男。髪型や手の爪から見ると、内勤か、少なくとも現場最前の作業員ではなさそうだった。
「まあな。誰だ。」
「シラー。清掃屋だ。」
「にしちゃ小奇麗だな」
「管理ステーション内のさ。見かけも大事」
「なるほど。俺はケンウッド・ケンバー」
相手の素性を把握したケンバーは握った拳を突き出し、相手のそれと突き合わせる労働者におなじみの挨拶をかわす。
「そんで、シラー。この『ついてないヤツ』に何の用だ?」
「さっきフラッターの入り口で小耳に挟んでな……『ちょっとした物』って、何だ?」
「何って、多層化ベオクタイトだが。…追い剥ぎをやろうってんなら、その前の喧嘩の話も聞いての上だよな…?」
出禁の苛立ちもあってか、過剰なまでの威嚇を見せるケンウッド・ケンバーを相手に、
「や、そうじゃ無い…まあ、そうでもあるか…」
シラーは慌てて否定しながらも何やら口ごもる
「どういうこった」
「実はな、その…仕事中にサイト管理の連中が話してたんだよ、『クラブ5u』…知ってるか?」
「知らんが」
「まあ地下の…非認可のクラブらしいんだが……これが凄いんだと…色々」
「いろいろ、ね」
薄い口髭を撫でながら語られるシラーの言葉を前にして、ケンバーの目には警戒以外の光も浮かび始めていた。
「そう。ただ、入るにはある程度の前払いっつーか、担保の提示が要るらしくて……」
「それで俺の持ってる多層化ベオクタイトか」
「そうだよ!場所を知ってるって言う俺のダチに話をつけたから、あんたも一緒に連れてくって事で…まぁ、何だ?俺に紹介料、そいつに案内料って事で、分け合って三人揃って…どうよ?」
「そうだな……」
ケンバーはしばし考える仕草こそ取るが、その腹はとっくに決まっていた。
「行くか。どこだ?」
「そうこなくっちゃ!」
快哉を叫んだシラーは飛び上がらんばかりだ
「じゃあ俺のダチのグルナスを待とう!奴はシフトがちょっと遅いんだ。フラッターほどじゃないが、そこの飯場で飲んで待とう…この際だ、その分は、おごるぜ?」
「いいね!」
すっかり意気投合した二人は、労働者たちの喧騒でむせ返る歓楽街へと消えていった。
その夜、深夜を過ぎても作業員寮のケンウッド・ケンバーの寝床は無人のままで、彼は翌日の朝礼にも姿を現すことはなかった。
二日後、彼の集積サイトBkでの労働契約は音信不通に伴い失効となった。
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◆ 次回のスカーレットリベンジャー ◆
集積サイトBkから姿を消した労働者、ケンウッド・ケンバーは粗末な列車に詰め込まれ、遥か北部の犯罪都市 パーシモン・シティへと輸送されていた。己を待ち受ける最悪の運命を回避し、その尊厳を踏みにじった外道共へ復讐の鉄槌を下すべく孤軍奮闘するケンバーの前に、忘れ去られた戦士の遺物が逆転の切り札として現れる。いよいよケンウッド・ケンバーの喧嘩殺法が炸裂!
次回「密輸用地下ホームの逃走と闘争」