ゴールドラッシュの黄金旋風①
「アーッ!」
組織の首魁、D・タークからの一命でケンウッド・ケンバーへと打って掛かった二十名ばかりの戦闘員。その最後の一人がたった今、深紅の流体をまとったケンバーの手により壁際に積み重ねられていた椅子が次々と投げつけられ下敷きになって倒れた。
完全な意識不明と、苦悶ばかりで再起のできない者を除いた五体満足の人間は、ついに怒りに燃えるケンウッド・ケンバーと恐れ慄くD・タークを残すのみとなり…
「さて、残るはお前だ」
「いや、待てッ」
「待てるか覚悟しろーッ!」
「わ、わッ…」
全神経を自分への殺意に沸き立たせて突きつけながら怒涛の勢いで迫る深紅の巨体を前に、身を引きつらせて己の上着をまさぐることしかできないD・ターク。
勝負は決したかと思われたその時、ケンウッド・ケンバーの視界の端に、壁を蹴ってバウンドし、側面から迫る何らかの影が一瞬ゆらめき…
「おりゃッ!」
直後、ケンバーの側頭に飛び蹴りの衝撃!警戒を怠り不意打ちをまともに食らった深紅の巨体は横転して床を転がり、謎の襲撃者はD・タークの傍らに華麗に着地!
「お、遅いぞ!」
「ヘヘ…すみませんね、メシに行ってまして」
「まったく…」
刈り込んだ茶髪を軽く掻きながらD・タークの小言を飄々と受け流す乱入者。その肉体は、ケンウッド・ケンバーにも劣らぬ偉丈夫であった。隆々たる肉体を漆黒の革ズボンとベストに包み、刈り上げられた薄茶の髪と、刀剣を思わせる力強い眉。不敵な笑みの向こうに見える歯は、全て深い黄金色に輝いている。
強いて巨体同士のケンバーとの差を挙げるならば、過酷な肉体労働で全身がほぼ均等に太く、大きく発達し、キレとは無縁の質実剛健さに満ちたケンウッド・ケンバーに対して、黒染の帆布製のズボンと、革製のベストとズボンに包まれた肉体の隆起は、筋肉の一つ一つをそれぞれ意識的なトレーニングによって鍛え上げた、無駄のない精悍さで溢れていた。
「この野郎…ようやくエースのお出ましか」
身を起こしたケンバーはきらめく黄金の歯に対抗するかのように、流体製の面の下で歯を剥き出して闘争の構え。VETS流体はその機微を読み取り、その深紅の肩や側頭に禍々しいスパイクを猛り立たせ、突き上げる!
「また来る気だぞ…さっさとやれ、ゴールドラッシュ!」
「焦るなよターク、アレだけやる気満々なんだから、逃げやせん。」
D・タークにゴールドラッシュと呼ばれた男は、全身を超硬質化したVETS流体で覆った大男をまるでテーマーパークのアトラクションかのように眺めて楽しむ。
「ゴールドラッシュ…ってのが名前か」
突如現れた強敵と、卑怯にもその後ろに隠れる仇敵D・タークへ双眸から殺気を放ちながら、ケンバーは尋ねる
「そうだ。……お前相手なら、これを使う楽しみも出てくるな」
ひどく愉快そうなゴールドラッシュは、ズボンの尻のポケットから、小さな本ほどの大きさの革包みの水筒を取り出し、中身を口に含み、自らの両手へと吹きかけた。酒か、毒か?否。ゴールドラッシュの両手は彼の歯と同様の黄金色に包まれていた。これは単なる塗装ではない。
その黄金色は、まさしくケンバーの総身を覆うVETS流体と同じ輝き!
腕にまとわりついた金の色は、金属製の彫像のような硬さと、流体のしなやかさを両立させた一種奇怪な様相を呈する。
眉ひとつ動かさずその様子を見るケンバーの前でゴールドラッシュの腕はさらに変形してゆく。左手の肘から先は膨張し、毛皮の防寒着のような肉厚さ。右手もまた、鉄拳とでも形容すべき禍々しさを増し、各所からスパイクが突き出す。
「久々の強敵であるお前には改めて名乗ろう。俺はゴールドラッシュ。」
黄金のVETS流体に覆われた腕をぶつけて打ち鳴らし、男は名乗った。挑発に満ちた笑みと共に剥き出しになった歯の列が、腕と揃いの黄金色にきらめいて輝く。
「そりゃどうも、そういうことなら俺は―」
「スキ有りだ!」
ケンウッド・ケンバーが名乗る間もなく、無粋極まる絶叫と共に黄金の旋風が迫る!
恐るべき変化を遂げた両手を構え、黄金流体の装者は深紅の流体をまとうケンウッド・ケンバーへ突撃!
「なッ!」
不意を突かれてはバックステップで後ずさるほかないケンバーだが、流体表面に展開した拡張神経が、背後の壁が遠からぬことをその脳へと伝達していた。
(流体は両腕だけだが、侮ってられない!)
実際問題、頑丈な革ズボンを薄手のゴムのように内側から盛り上げる脚の筋肉によるゴールドラッシュの跳躍力は、ケンバーを狼狽させるには充分。そして、続く黄金の両腕の攻撃はそれ以上の脅威だった。
鋭いスパイクを伴って迫る右拳を完全硬化させた左半身でなんとか受け止めていなし、丸太のようなリーチと質量で振り出される左腕の第二撃は大きな跳躍で回避!背後に迫った壁を蹴って側面に飛び、獣のような四つん這いの着地で距離をとっては、
「オラーッ!」
隙を見せまいと先程のチンピラ相手には必殺の決め手となった会食用の椅子を投げつけるが、ゴールドラッシュはその合成木材の投射を拳の一撃で粉々に破壊してしまった。
(金の流体……噂以上にヤバいじゃねえか)
凶悪な面相を崩さない流体製の仮面に隠れた下で、ケンバーは焦りの色を隠せなかった。
この街で会った流体好きの勤め人、今や別れた恩人でもあるリンネル・トールとは違った経路からではあるが、ケンウッド・ケンバーも流体に関する実地的な知識はあったし、その半分は、リンネルが憧れるような流体騎士の伝説とも密接であり、相対した敵が両腕だけとはいえ黄金のVETS流体で武装したことを警戒するのも、そんな経験則からの事だった。
それは、ケンウッド・ケンバーが過去に業務のための防護服として装着したオレンジの作業流体や、現在装着して戦っているような深紅の流体のように、絵の具のような決まった色の『単色流体』とは別の流体、鏡のように研がれた白銀や黄金の色、あるいは宝石のように麗しい反射光を放つ『燦然流体』のうわさ話である。
休憩時間や流体への伸縮リソースの水分充填の際に、元兵士や事情通、好事家の労働者仲間は、単色流体とは桁違いの性能や価格、希少さを誇る燦然流体を、まるで高級車や宝石・時計の類のように語ったものだった。
その一種かもしれない黄金の流体が、文字通りに敵の手に渡ってこちらへ猛威を振るわんとしているのだ。
(一発打ち込まれたら終わり、ってワケじゃないんだろうけど…!)
VETS流体の圧倒的な力でもて先程まで猛威を奮ってきたケンバーだからこそ、その数倍の力とも噂される存在を前には二の足を踏まざるを得なかった。しかし
(とは言えこっちは全身装甲!)
短気の虫にあてられたこともあり、ケンウッド・ケンバーは距離を取り合う膠着状況を打破すべく打って出る!常人ならば数歩の距離をVETS流体で強化された膂力で一飛びし、狙うはゴールドラッシュの懐。なんとかして両腕の猛攻をかいくぐり、生身の胴体か、あるいは流体操作用の調整神経節が集中する腕の付け根へ痛撃を与える算段だったが…
「甘々だぜ!」
「アーーッ!」
ゴールドラッシュは強かった。黄金の両腕は避ける間もなく打ち込まれ、見事な跳躍を見せた脚は装甲越しの命中でもバランスを崩すには充分な威力の蹴りを放ち、狙うべき胴体はしなやかな体幹で舞う……喧嘩好きの労働者でしか無いケンウッド・ケンバーと、犯罪組織の腕利き用心棒であるゴールドラッシュがただ単に戦っては、それぞれの身にまとう単色流体と燦然流体の性能差にとどまらない格闘者としての実力の差が如実であった。
突撃から一分と経たず、完全に優位を奪われたケンウッド・ケンバーは、ついにその胴体のど真ん中にゴールドラッシュの右の拳の直撃を受け、深紅の装甲の細かな破片をちらしながら吹き飛び、突入して北側と真反対のパーテーション、かつて捕虜が幽閉されていた区画に派手に突っ込み、ボンベや送気装置を大いに揺らし、突き倒した。
「オッ、おいバカ…やめろ!」
しかし、襲撃者を叩き伏せるという自分の用心棒のお手柄にも関わらず、D・タークの口から飛び出したのは開催ではなく叱責だった。
「ボンベと噴射機は傷つけるな!借りもんで…高っかいんだぞ!」
「へえ、高い…」
追撃の姿勢を解き、心底面倒くさそうにD・タークに一瞥をくれるゴールドラッシュ。
「これがか?」
その手には、恫喝の隙を突いたケンウッド・ケンバーによって、たった今ゴールドラッシュの頭めがけて投げつけられた、まさに話題のボンベが握られていた。
「ヒッ…そ、そうだ。だからその…ヤツに壊させないでくれ。」
少年の脚一本ほどもある中型ボンベの接近を視界の端に捉えただけで反応し、腕一本で受け止めるその実力を前にしては、雇い主のD・タークも語調を和らげざるを得なかった。
「分かったよ!おら行くぞ!」
握り止めたボンベを軽く床に放り置き、ゴールドラッシュは大跳躍!凶悪なスパイクに満ちた腕を振りかぶり、ケンバーへと迫る!二本目のボンベを、あるいはその近隣の機材類を投じるくらいではこの勢いは殺せないと悟ったケンバーは転げるように距離を取ろうとするが、時すでに遅く黄金の残像を伴う剛拳が一閃する!
ご覧いただきありがとうございました。