復讐者 ケンウッド・ケンバーの突入と乱闘①
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◆ 前回までのスカーレット・リベンジャー ◆
ケンウッド・ケンバーがシティで出会ったはじめての味方、会社員リンネル・トール。しかし彼の務めるターク興産は、ケンバーがシティ送りとなる切っ掛けである誘拐事件の首謀たる犯罪組織だった。リンネルの上司を叩きのめし、彼の中で眠る反抗心と事なかれ主義の葛藤に寄り添って何とか協力を取り付けたケンバーは、自身を含む数十名を誘拐した犯罪組織に復讐を果たすべく、放棄されたイベントホール『テアトル・モ』へと駆けるのだった。
曲がり角をいくつか間違えてかなりの大回りになってしまったが、ケンウッド・ケンバーはリンネルからの餞別としてもたらされた情報に従い、ついに目的地『テアトル・モ』に到着した。改装中の幕に包まれた姿に加えて闇夜ときては、先刻リンネルに見せられた写真の壮麗さは見る影もないが、確かにここで間違いなかった。
(警備システムは皆無か、あるいはザルだな)
会場設営など、過去の肉体労働の経験から安全・防犯のための施策の度合いを素早く確認し、低脅威と看破したケンバーは、全身を装甲はせずとも顔、手足など身体の要所へVETS流体を展開、最低限のパワーアシストと感覚強化だけを作動させ、より詳細を偵察する。
(建物越しにエンジン音、話し声…見回りの足音は、まだこっちに来ない!)
進行方向に人の気配がないのをいい事にケンウッド・ケンバーは建物正面から堂々と進撃。埃を吸って膨らんだカーペットを踏みしめて歩を進める。
宴会、講演、発表など人手を集める催しに特化した建造物であったらしいテアトル・モの内部はといえば廃テナントらしく電力が遮断され、ほぼ暗黒の室内だったが
(ホールA『フノキュルの間』があそこ…なら、裏動線のドアはここだな。)
集積サイトで働く前には、設営・内装の現場作業に駆り出された経験が何度もあるケンウッド・ケンバーの感覚神経が紅い流体の力で増幅され、暗視などの力を得れば、安全な潜入の道筋は明白だった。
素早く取り付いた扉をこじ開け、ホールスタッフや搬入作業員が用いる建材むき出しの味気ない廊下をケンウッド・ケンバーは進む。その足底には、展開されたVETS流体による多層スポンジ構造が形成され、スピードを殺すことなく、足音だけを全く効果的に遮断していた。
「だいぶ進んだし、そろそろ嫌な予感がする…」
入り口からも十分離れたケンウッド・ケンバーは、ここが頃合いとばかりに壁に手をつけ、VETS流体の神経刺激を用いて聴覚を増幅、音伝導を利用した索敵を行う。直後、まさしくケンバーが手をつく壁の角向こうから足音の反応!
(一人、見張りか?!)
その反響から人数までも把握したケンウッド・ケンバーはすぐさま神経を昂ぶらせ、腕輪の中でうごめくVETS流体もその激情を感知して追加の流体を噴射!たちまちケンバーの屈強な巨体は深紅の流体に包まれて装甲化、甲殻類と炎とが混じり合ったが如き有機的装甲で全身を覆われる。
「まったく、便所は左…か」
待ち構える深紅の猛敵に気づくことのない呑気な独り言とともに、のっそりと現れたのは腫れ上がった薄毛の額に止血パッドを貼り付けた、貫禄にあふれる中年男。暗い裏廊下を懐中灯で照らすでもなく、両目を暗視インプラントで青白く輝かせるその姿はまさしく、数時間前にパーシモン中央駅の地下ホームにてケンウッド・ケンバーがその場を仕切るリーダーと狙って不意打ちを仕掛け、一敗地に塗れたあの男に間違いなかった!
「野郎ッ」
出会い頭の隙を逃さずケンバーは突撃!暗視の力は互角とはいえ、増幅された聴覚というアドバンテージで、今度こそ不意打ちが成功した。ケンバーの左拳が中年男の頬を捉えて食い込み、右腕がバランスが崩れた首に巻き付いて締め上げる!
「グォッ…な、何だ…」
「これだけ締めてまだ喋れるとは大したオヤジだ。まあ声が出るなら答えろ、お前、大物みたいだが…ひょっとしてタークか?!」
腕の力を強めながら問うケンバー。暴力を伴う尋問も、今夜二度目ともなればスムーズだった。
「タークッ…だったら何だよッ!」
「ちょっと用があってな!」
腕に回す力をさらに増しながら、ケンバーは眼前のこの男が噂のD・タークか否かを判じかねていた。中年の衰えた肉体と相反する精悍さ、目下ケンバーの腕中でもがくこの男が偽装企業で働くリンネルを酷使し、クラコアが畏れていた誘拐組織の首魁、D・タークなのだとしたら、まさしく降って湧いた幸運、ここで煮るなり焼くなりすれば実に簡単にケンバーの復讐は完了する。しかし
(なんとなく、こいつはタークじゃない気がする…)
ケンウッド・ケンバーの直感は、この男は古強者でこそあれど、組織の首魁ではないと告げていた。あの突然の暗闇の中で、ケンバーの奇襲に見事に対応し、撃退せしめたあの技量、あれはまさしく絶技ではあったが、頭領の器のなせる技というよりも、現場の第一線で練り上げられた熟練の手管。すなわち、副官側近の類の最高階級と見るほうが妥当とも言えた。
(だとすると、こいつは…)
逡巡するケンバーの脳裏に、つい先程、市民食堂前の通りで後ろから忍び寄ったクラコアが吐いていた世迷い言がひらめいて弾ける!あの男が語った、自分の攻撃で負傷した者の中で、頭にダメージを負っており、クラコアよりも偉そうな者…
「つまりお前、タークじゃなくてファーブだ!」
「手前ぇッどうして」
ケンバーの看破に驚愕の中年男はファーブという本名を言い当てられてあからさまに狼狽!
「やっぱりか!適当にはぐらかして時間稼ぎを…」
「この畜生が!」
ケンバーの腕と首の間に差し込まれ、拘束を必死で和らげていたファーブの手が差し抜かれ、己の懐へと移動する。すなわち、決死の反撃!
「させるかよ!」
遅滞戦術を見破られ、積極攻撃へと移ったファーブの拘束を解いたケンバーは、その後頭部を掴んで前方へと突き飛ばし距離を作る!喧嘩の熟練者ではあるが、殺しのプロではないケンウッド・ケンバーには、首を絞めて苦しめることはできても、抵抗した相手の頚椎をすぐさまへし折る技量も訓練経験もないのだから、対処のためには一旦有利な拘束状況を解かねばならないのは、残念とはいえ妥当ではあった。
「デァーッ!」
押し飛ばされて迫る壁を左手一本で突いて身を翻したファーブはケンバーへ向け右手を突き出す!しかし、そこに握られた電撃警棒は、VETS流体の神経増幅で超常の力を得た反射神経の前に受け止められ、いとも簡単に握りつぶされた。
「二度も食らうか!」
この一連の武器破壊の隙に、ファーブの抜け目ない左拳の一撃がケンバーの顎を狙って振り抜かれていたが、それを察知した流体装甲は瞬時に硬化し、拳撃のインパクトはすべてファーブの拳へのダメージとして跳ね返っていた
「グォっ…」
「無駄だァ!」
全く意識していなかったところで炸裂したカウンターに気を良くしたケンウッド・ケンバーの追撃が炸裂!左脇腹、みぞおち、激痛でガードが下がり無防備になった顎、こめかみに次々と拳の連打が叩き込まれ、ついに老練のファーブも失神しては床に崩れ落ちた。
「さて、こいつがタークでなかったとすると…」
短絡的な報復にこそ成功したケンバーだが、D・タークの所在については結局聞き出せずじまいだった。しかし、便所を探しに廊下の向こうから来たということは、敵の本拠が廊下の向こうに待ち構えていることは想像に難くなかった。
(しかし、予想以上に頭のいい流体だ…)
ファーブの来た方向に歩みを進めるケンウッド・ケンバーは、己を覆うVETS流体に秘められた性能に、舌を巻いていた。
装着者と神経的に接続した上で駆動するVETS流体は、全身を覆って感覚を増幅させ、装甲を展開し、膂力を補助する他にも、地下ホームから水路へと脱出する際行ったように浮き袋を作ったり、あるいはいま現在ケンバーがしているように足の裏に軟質成形をし、足音を消すような芸当もできる。
こういった処理は、装着者の神経から発される漠然とした指示を、VETS流体を構成する極小粒子が集合して形成した分子頭脳が認識・判定して出力することで行われるが、高級な分子頭脳を形成できるVETS流体は、そういった装着者からの指示だけでなく、装着者の神経を通して独自に環境を察知して自律動作する事も可能だった。電撃棒を握り潰している最中にファーブの奇襲を防御した自動硬化などは、そういった流体側からの自律稼働のなかでも、かなり高度なものだった。
(戦闘用に比べりゃ今の現場のはオモチャか。ゴド爺さんの話は本当だな…)
ケンバーは労務者として駆け出しの時分に一度だけ会ったことのある、戦闘用流体の装着者だった老人の愚痴を思い出していた。収入の増加目当てに適応年齢になったその日に流体装着用の神経調整処置を受けたケンバーを孫のように気遣って色々と世話をしてくれた、優しい老人だった。
過去や現在のあれそれに思いを馳せながらも廊下を前進するケンバーは、冷え切った厨房を通過し、物置の戸を突き破って崩れ出た折りたたみ椅子の小山をまたぎ越し、ついに目的地、両開きの大きなドアの前へと到達した。
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