状況整理・詰問・そして慟哭②
深夜に差し掛かろうという頃合いのキノカワ・バーテックス市街は、それでも観光都市の表通りにふさわしい賑わいを見せていた。酔客、旅人、客引き、商売人…人という人が流れに流れ、追われる身であるケンウッド・ケンバーとその彼を民警に保護させるべく案内するリンネル・トールをその影の中に見事に隠蔽していた。
「向かいのナントカホテルじゃダメなのか」
「ダメですよ。あくまで系列ですもん」
「それもそうか…」
口先では納得した様子を見せ、民警に向かうリンネルの後に付き従うケンウッド・ケンバーだが、その表情にはどこか後ろ髪を引かれるような様子が有った。
「何です?助かって、帰れるんだからいいじゃないですか」
「いや…だが、奴らへの落とし前がな」
「落とし前って」
「大切だよ。俺をさらって、この街に…わッ、何だコイツ」
己のプライドや報復についての理想論を語るのに忙しかったらしいケンバーは、その腰の高さほどの動く金属製の円柱とぶつかり、よろめく。
『失礼 シマシ タ お気ヲ ツケテ』
円柱は機械的な声で無礼を詫びて、ケンバーを迂回して去っていった。
「掃除ロボットです。気を付けて」
先程まで持ち帰りの業務確認に用いていたタブレットの画面を切り替え、地図アプリで民警詰め所までの道順を見ていたリンネルの手短な説明に、ケンバーは若干の驚き顔。
「そんなのが…あっちにも、その辺にいるな」
「このバーテックスは観光区画ですから」
「そんなもんか」
連れてこられた経緯が経緯だけに街の様子を想像もできていななかったケンバーも、警戒を兼ねて通りを見回しながら、リンネルを追って歩を進めた。
移動も道半ば、通りに並ぶ店が、ホテルやレストランからパブやカジノ、更にいかがわしい看板へと切り替わりつつある頃、観光客や掃除ロボット、巡回の警官からより後ろ暗い層へと人種を移し替えつつも相変わらずにぎやかな雑踏の中から、リンネルに接近するケンウッド・ケンバー以外の影があった。
「おい!トールちゃんじゃん」
まったくの躊躇もなくリンネルとの距離を詰めたその人物は、その肩に無遠慮に拳を叩き込む。
「わっ!」
悲鳴を上げたリンネルば突然のことに足がピタリと止まり、全身に緊張が走る。その視線の先にいた者は、ややくたびれたシャツ一枚に身を包んだ坊主頭の男。大きいばかりで輝きのない瞳がリンネルを捉え、そのにやついた口からは毎日ボクサーに右の頬を殴らせてから寝ているかのような歪んだ歯列が覗いていた。
「…クラコアさん。仕事は?」
「まさに仕事中だよ、わかれよ!そっちは何してんの?飲み?」
クラコアと呼ばれた坊主頭の男。どうやらリンネルの会社の上役らしく、彼を全く下に見ていることは明白だ。すっかり萎縮したリンネルへ遠慮なく距離を詰めてゆく。
「ええ、いや、上がったので食堂で食事をして、その」
「なーんだよ。いいねぇ、メシ。メシか…こっちなんて現場でやらかし起きて大変だったんだぞ?」
「それはどうも…」
「アッそうだ、どうせなら手伝ってちょうだいよ…」
リンネルの都合など全くお構いなしに仕事を言いつけ、ズボンのポケットを探り何かを取り出そうとするクラコアを前に、リンネル・トールはどう言い訳しようか必死だった。明らかにいわくつきの同行者、ケンウッド・ケンバーをこの性悪な上司にどう紹介するか。そもそも紹介したほうがいいのか。紹介しないとしたら、どうこの状況で彼の存在を隠し通すのか。というよりも、むしろそのケンバーは一体全体どこにいるのか、彼の所在を至急確認し、アイコンタクトを送った方がいいのか。そんな器用なことを目の前に立ちふさがる上司のクラコアの目を盗んで行えるのか…?
「んで、こいつがな、ケストンの鎖骨折るわツィッコの鼻潰すわで、俺も顎のココかすられてジャケット盗られてよ…」
そんなリンネルの逡巡を全く無視したクラコアは鋲で縁取った滑革製のケースに包まれた携帯端末をいじりながら自分の顎を突き出して、指で示す。唇の隙間からは、右側だけが平らに潰れた歪んだ歯列が覗いた。
「はぁ」
「その後もまあメトガからヘルプに来た連中が帰ってこないとか色々有って…あのファーブさんも危うく頭割られるとこだぞ!?まあ…ファーブさんは頭打ったせいでかなり変なこと言ってるから、手遅れっぽいけどさ!」
「はあ…」
気の抜けた返事をするしか無いリンネルだが、後方で流通の管理を行う彼の預かり知らぬ所で、何やら負傷者が多数出る大事件が起きたようだった。そんな呑気な風を見て取ったクラコアは呆れ半分で肩をすくめて
「お前いいよなァ。裏方で…こんな苦労もなくてさ!で、追跡隊の信号が途絶えたのは、六区だから…ってことはお前んちの近所じゃん!で、その原因ってのがこいつなんだけど…メシの時、なんか騒ぎ聞いたりしなかった?なあ…おい、どうしたよ?」
好き放題にまくし立てていたクラコアだったが、差し出した携帯端末を見つめたまま硬直するリンネルに気が付くと、その呆然顔を怪訝な顔で見つめる。
「あ…」
クラコアが腕を突き出し掲げる携帯の画面には、雑に開いて床に置かれた財布から出された就労契約証の写真。四角い写真の枠いっぱいに映っているのは太い首、頑強な顎、茨のようなまつ毛にたてがみの如き長髪……その姿は、まさしくケンウッド・ケンバーその人だった。
「トール?え、どうしたよ」
「こ、この人」
「見たのか!」
気色ばむクラコアだったが、
「お前の後ろでな」
不意を衝く声に振り返ったクラコアの先に居たのは、まさしくリンネルに話した「やらかし」の大元凶、貨車の中で手下の鎖骨を叩き折られ、さに顎に一撃を食らって一敗地に塗れた仇敵、意識を取り戻したその時にはすでに奪われており、失くしては恋しいお気に入りの革ジャケットに身を包んだ、あの因縁の大男…
「おッお前」
「会えて嬉しいか!」
言うが早いが振り抜かれたケンバーの右こぶしは再びクラコアの顎に決まり、先刻の一撃以来、衝撃ダメージに弱くなった脳は再び一時停止!
「うーゅ」
溜まらず倒れ込もうとしたクラコアの首は真正面から抱擁するがごとく回されたケンバーの左腕に締め上げられ、更に脇腹の、肋骨と骨盤の間の柔らかな急所へと右拳が追撃!完全に昏倒しては大通りと直角に交わるビルの間の路地へと引きずられていた。
「来い」
酔っ払いを介抱する風を装って昏倒したクラコアを運ぶケンバーはリンネルを一瞥し、人の気配ののまったくないビルとビルの隙間、路地と呼ぶのもおこがましい空間の奥へと引きずって行き、
「え、いや……ちょっと?!」
リンネルは追随するほかなかった。
ご覧いただきありがとうございました。
Q:クラコアって誰?
A:10月9日投稿の『密輸用地下ホームの逃走と闘争①』を御覧ください。