言い訳
自殺を考える人なんて、適当な理由がないと死を拒絶する人で自分の命を誰よりも崇高だと思っているひと。
死にたいと言っているひとにこの言葉を言ったとする。
この言葉は、受け入れられるだろうか。
私だったら、無理だと思う。
私自身、死にたいと思ったことがあるときに自分の事、どれだけ偉いと思ってんの。
と、言われたとき、偉いでしょ。と、おもって、しまったからだ。
崇高な人。
崇高な命。
誰しも持っているもの。
神様が、思考というものを私たちが考えることができるようにしてくださったのだから。
でも、神様がいなかったら物質とか、なんだかんだ名前をつけたこれらは一体何から生まれ、なんで生かされているのだろう。
ちなみに、適当な理由がないと死を拒絶するというのは何なのだろうか。
私は、死にたいと思ったとき特に何もない時に何にも感じずに死んでいくたいと思った。
それが、適当だといえるのだろうか。
それで、死にたくないと思ったら、適当であるのだろうか。
目の前で、死んでくださいと言われて死んだらそれが理由になってしまうのだろうか。
このようなことを考えると妄想が激しいとか。
考えすぎだとか。言い訳、してるだけ。とか。
こんなところで終わらなくていい。終わってもいい。
理由つけなきゃ、考えれなくて、弱い自分がこうして見えてくる。
弱い自分に、強い自分って言い続けたら私は、思っている私になれるのだろうか。
言い訳なんてしたくない。
でも、自分を無意識に守ってしまっていて、分からない。
考えたい。
言い訳ってものがしてはいいのかいけないかなんて勝手に言ってるだけとか思っちゃったらどうしたらいいの。
自分の力なんて、分からない。
分からないという力はすごいのかもしれない。