自分を高める。
自分の心が知りたくなった。
先延ばしにしない方法が知りたい。
僕には、考える時間が必要なんだろう。
愛されたくて、泣いて叫んでも放っておかれ、私にはどうしたらこっちを見てくれるのかわからなかった。
自分が、自分ではなくなる瞬間を見てみたい。
鏡の自分と自分の思っている自分を一緒にしたい。
そうすれば、自信があればいくらでも輝けると思うから。
理由なんて、よくよく深いところまで考えれば呆然としたものしかなくて、何もないところにそこだけ色を付けたみたいに見えるんだ。
ここは、想像なのではないのか。
なんで、死にたいと思う。
何故、死ぬことがいけないことなのか。
選択の自由というのはとのような意味なのだろう。
私には、疑問がいっぱいあるみたいだ。
人より考えすぎてしまうからなのか。
それではまるで、まるで他の人をけなすように感じてしまう。
自由になりたい。
誰にもとらわれたくない。
でも、自由になったらしたいことがない。
何度世界に絶望したことか。
何度、死にたいと思ったか。
何故、自分が生きててもいいと思ったのか。
分からない。
きっと、答えのない質問だとしたら、今、私が考えていることは、無駄なことなのだろうか。
自由になりたい。
水蒸気みたいに存在なんてめったにきずかれず、何でも思いが伝わってしまえばいいのに。
私の言葉は、自分にとったらとても軽いもので、とても重い。
他の人にとったらとっても重く、もっとも軽いものになるのだろう。
なれるのだろうか。
好きの反対は嫌いじゃなくて無関心とはよく言ったものだ。
じゃあ、こんな世界大っ嫌いだっていったら、好きの反対ではないから世界には嫌われないのだろうか。
わからない。
この世界には、いろいろな世界があるのだろうか。
他の人の言葉を素直に聞けて驚いて、悲しんで喜んで呆然とした行動で、表して、きれいな自分になれるのだろうか。
一番になれない。
一番と認められない。
一番を、追い抜いてはいけない。
一体、どういうことなのだろう。
自分は、こんなものではない。
そう、表したいのだろうか。
自分の力を証明したいのだろうか。
凄いねと言えばそれで満足なのだろうか。
承認欲求が満たされたとして、他の欲求も満たされたとして、私たちは次のレベルの欲求を求めるのだろうか。
そうしたら、どうなるのだろうか。
生きて、死ぬまでをそうやって過ごすしか、自分を高める方法はないのだろうか。
そもそも、高めるとはなんだ。
結局、私は何のために生きているのだろうか。
何のために生きるのだろうか。