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003 割りといいアルバイト

中学の陸上部時代のひとつ下の後輩のトモナガエミリ(♀)がもちかけた、時給が良いというアルバイトの誘いに、ヤマダユキ(♂)は、高3に入りまだ受験生の途半ばであるにも関わらず、即ノリした。梅雨入り前の日差しが高く降り注ぐ6月のはじめの週のことだった。

 

 中学を卒業してしばらくの時を経ても続いている地元の奴らでの集いに、エミリの噂は出たことがあった。中学でトップクラスの成績だったエミリは、中学二年の秋に日本を離れた後、昭和の頃からのいわゆる女子御三家の一角に海外編入枠で入ったツワモノだった。だいぶ前に行われた令和の入試改革とかいう混乱事イベントを経ても、中高一貫女子校の御三家の威光は健在だ。ユキが通っていた普通の中学ではまずない話だ。

 高校も中堅校はんぱこうに通うことになったユキは、世界レベルが異なる御三家の話にはさしたる興味はなかったが、噂の中で出てきた、若い頃ラリーレーサーをしていたというエミリの母の話には強い興味を覚えた。なんでも、エミリの母、今また現役に復帰してヨーロッパや北アフリカあたりを転戦しているのだという。そもそもが東ヨーロッパの出身の母についていったエミリは、地中海に面した歴史ある城塞都市で中学最後の1年ほどを過ごしたのだという。確かに、部活の頃を思い出すに、エミリの顔立ちとスラリと伸びた手足は、ハーフを思わせる白さがあった。もっとも、ふつうの黒髪のショートカットだったため、遠目には日本人にしか見えなかったけれども。

 1年ほど前にバイクの免許を取って、親にローンして買った中古のバイクを乗り回していたユキは、古びたバイクのエンジンが何度もの不調を重ねる中にもバイク好きは収まることなく、レーサーという仕事にどことなく、というか、かなり惹かれていた。

 噂を聞くに、御三家に入ってからも優等生なのだという。そして、元々が、アカデミアの間ではやんごとなきトモナガ家の家系に属しているのだとか(誰が聞きつけたのか知らないが、エミリの通う高校へは、トモナガ家からかなりの額の寄付金まで寄せられているのだとか)。

 そんな別世界の威光が輝く優等生のエミリの母が、なにやらやんちゃなラリーレーサーであることは、ちょっとした憧れと共にユキの長期記憶になっていた。

 

 思考力重視の入試改革の結果、何を勉強すれば良いのかよくわからなくなっている受験勉強の方は、先生が出願してくれ、5月の最後の週に面接してきた、地方の公立大学の経済学部への推薦合格でカタがついてくれそうだった。定員割れ、バンザイである。それはそれで良かったのだが、どうせ自分の先は見えちゃってるよな、ともユキは思っていた。

 令和の高齢者大量死時代の到来とかいう、どうも聞こえが良くないキャッチフレーズが冠せられてはじまった2030年代において、地方の公立大学の卒業者の無難な就職先は、地方公務員とか教員だとかそのあたり。

 

 まだ、別の道があるはずとはなんとなく思っていたが、現実は甘くない。中学では運動神経が良い一派に属していたユキだったが、高校に入ってすぐにスポーツエリートにはなれないことを悟った。流行りのAI家庭教師をつけて英語を頑張って勉強して道を切り開こうと思ったこともあったが、検定ランキングの結果を見るに外資系企業あたりの下っ端になって苦労でもしそうな残念な実力だった。

 高2の終わり、ユキは、エンジン周りに不調を何パターンもの抱えてしまった愛車バイクと、関係をこじらせた彼女との間でもあるかのように、未練を残して別れを告げた。

 

 そして、遅ればせながら小論文講座などに通い始めた中央線沿いの予備校

で、ユキはエミリと再びに縁ができた。

 

 ☆

 

 ゴールデンウィークを返上して予備校に通ったその日、2階にある自販機前の休憩コーナーで、ユキは、夕飯のオニギリやら何やらをかけ、高校の同級生とその悪友たちとのポーカー勝負を繰り広げていた。それは、夕1の授業と夕2の授業の間にあるちょっと長めの休憩時間のいつもの彼らの儀式だった。ちょっと前に流行ったポーカー・カジノ漫画の受け売りなのかもしれないが、自腹でのコンビニダッシュの刑を避けるためがための、真剣真剣だった。負けたらオニギリを全員におごるというその儀式仲間5人たちの中で、ユキの勝率はまんなかだった。序列四位の同級生タクと、序列五位にしてラクビー部出身のタケダの2人ほど哀れではないにしても、ユキは、序列一位を争うモコミチとひろっちにしばしばカモられていた。

 

 そんな中、その日のユキは、ストレートフラッシュを引きあて、モコミチとヒロっちをスカッと打ち破ることができていた。

 本来は勝ち組の二人も負け組の二人も、ユキにまさかという視線を送る中、ユキは、

 「カモネギいただき~。」

 してやったりの口調で勝利宣言を行った。そう、今日の勝負ポーカーは、一階のコンビニで売り出された、新シリーズのオニギリ(特大)を掛けてのものだった。「マル得謎肉」とか「牛馬の集い」とか謎の具が盛り込まれたシリーズの中でも、カモりカモられのポーカー勝負の戦利品ごちそうにふさわしそうに思えたのが、「熟成鴨ねぎオニギリ」なのだった。

 

 さーて、誰を一階コンビニに送り出そうかと視線を巡らせたユキだったが、仲間の視線が自分の頭を超えた方に集まっていることに気がついた。熟成カモネギを戦利品ごちそうに指定した自分の言葉がどうやら皆に届いていないようだと悟ったユキは、自分の後ろに何があるのか、と振り返った。

 

 そこには、御三家女子校の一角の制服姿の、肩を超えた黒髪の少女がいた。

 ユキは、受験予備校界隈では相変わらず神々しさを帯びている、その制服姿の美少女を前に、3秒間ほど固まった。その子が、中学の陸上部の後輩にして噂の秀才ロードを歩むエミリらしいと気づけたのは、中学時代のショートカット姿のエミリと今の黒髪が同じ艶やかさを讃えていることに思い至ってからだった。

 その後、ユキはエミリから後輩としての挨拶を受け、ユキもなにかを話したのだが、動転していたユキは良く覚えてはいない。ただ、エミリが去り際に浮かべた、中学の頃は見たことがない、社交辞令を感じさせる微笑みは、ユキにしびれるような印象を残した。

 エミリが去った後すぐに始まった4人の質問攻めは、結局皆で向かうことになった一階のコンビニでも続いた。既に人目を惹く美少女エミリの姿をひそかに見出していたモコミチとひろっちがから騒ぎを繰り広げる中、次の授業時間を告げる予鈴が鳴り出し、ユキは、勝者の特大勲章かもねぎおにぎりを、大忙しで口に詰め込むことになった。

 

 その後、ユキは、近しい学力カーストに属するポーカー仲間たちに、学力カースト的に文句なしの勝ち組に属する美少女のエミリの中学でのことや、トモナガ家の噂などあれこれを話すことにはなった。だいぶ細かいことまで知っていると見て取った仲間たちは、男の割りには線が細く日焼けもしていないユキが、実はエミリの遠い親戚か何かじゃないかと紹介しろとか囃す中、ユキは、エミリの母がホンチャンのレーサーであるといった、自分のエミリの家への関心事は、口にすることがなかった。

 

 ☆

 

 その後ユキは、予備校でエミリの制服姿を何度か目にすることになった。

 

 そして6月に入ったその日、予備校の休憩コーナーの自販機でドリンクを選んでいたユキは、涼んだ眼差しのエミリにカジノイベントのアルバイトの話を切り出された。

 お嬢様進学校に通うエミリが、アルバイトの話を切り出したことを、ユキは意外なことと驚いていたが、カジノイベント・バイトは、割がいい上に数学力の向上にも効くの、と言うエミリの言葉に惹かれた。

 おそらくは経済学部に進むことになるユキは、残念ながら既に数学の類には苦手意識を持ってしまっていた。ただ、もし、数値計算の地力パワーを経済学部で発揮できたならば、トレーダーなど地方公務員よりは華やかそうな仕事につける可能性があることを知ってはいた。一年後輩ながら数学・英語をはじめすべてが自分の上位互換であろうエミリが発した、数学力の向上という言を、ユキは預言オラクルのように感じられたのだ。そして、カジノイベントという,普通の学生には縁がなさそうなところでのアルバイトだったら、何かと楽しめそうだ。

 

休憩室を出て聞くエミリの後ろ姿を拝みながら、ユキはふと思う。

 (でも、そんな場所カジノでエミリは何をしているんだろうか?)

 

 制服姿の高校生にはあまりふさわしくない気もするが、数学力を活かしてのカジノのレート計算だろうか? ふと、ポーカー仲間のヒロっちが、ふざけ半分に、「しかし、エミリちゃん、コスプレヤーなんかになっても、優等生エリートになりそうだな。」と言っていたことを思い起こす。それは否定できないと思っていたユキは、ふと、賭場カジノで、エミリがバニーガール姿でいるところを想像した。

 

 ただの高校生であるユキは、ルーレット、ブラックジャック、そして、バニーガールといった、中学の頃に見たアニメ受け売りの知識しか持っていなかったのだった。



 アルバイトの紹介の日がやって来た。予備校では、今回の推薦がすべって一般受験になった際には役立つかもしれない漢文の地味な講義があった。それを当然にパスすることにしたユキは、予備校へのいつもの道に通じる地下鉄の改札口でエミリを待つ。

 

 時間通りにやってきたエミリは、後輩らしい挨拶をした。正統派のセーラー服のエミリを前に、先日の妄想バニーガールを少し恥じつつも、そんなエミリが紹介してくれるというアルバイトがどんなものか、ユキはやはり気になっている

 

 地下鉄に乗ってから、ユキは今回のバイト話の内容を聞き始める。電車の中ということもあり、差し支えなく、時給あたりから。

 「紹介してもらう時給いくらくらいになりそうなの?」

 「たぶん、2000円くらい。あとは、インセンティブがあるよ。」

 「インセンティブっていうと...」


 円滑運営オペレーションが重視されるカジノでは、割り当てられた役割で段取り通りに進められたバイトにはインセンティブが出る、といったあたりをエミリが話してくれたところで、地下鉄を降りることになった。

 

 エミリに従い、新宿御苑駅の改札を出た。

 

 インセンティブというのが、まぁバイト君として真面目にやっている時に支給されるボーナスのようなものということは理解した。もう少し何か聞いておこうと思うユキだったが、カジノについてネットでチラ見した以上の知識がないこともあって、言葉にならない。

 時給2000円というのは、ユキが高2の冬までいていたファミレスでのバイトよりちょっとだけ良い時給だった。ユキが最近詰め込んだ小論文入試対策ネタのひとつに、『年金制度の制度改革という名の、背に腹は代えられずだという支給抑制策が最終的に日本に高度なインフレをもたらした』、というのがある。要は年金財政がかな~り苦しくなったので、いろいろ支給をケチろうとしたら物価が2倍以上になっちゃいました、ということ。かつてはあこがれだった年収1000万円というラインに、ファミレスで深夜バイト入れまくっているくらいで届くんだけれど、全然生活楽にならないんです、的なとインタビュー集をユキは学術系まとめサイトで見ていた。

 

 そんなことを思いおこし歩みを緩めたユキの前を歩むエミリは、交差点で新宿へと向かう通りへと曲がる。後に続くユキは、「花園通り」と書かれた小さな看板と公園らしき広場を目にした。その時、薄雲がかかった夕暮れ時の光がユキの目に刺さった。夕陽から目をそらしつつ、ユキは歩みを早め、エミリの横に並ぼうとした。細身な制服姿の彼女の後ろ髪から横顔までを5秒ほどで見つめる形となる。広場からの風を受け、夕陽にゆらめく髪のひとつひとつがあでやかさにユキは見惚みとれてだった。

 

 エミリは躊躇ちゅうちょなく通りを歩いていく。その横顔は、なんというか、アルバイト先に向かっているというよりは、ひとり修行の旅に向かっている姿のようにユキは感じた。

 

 ふと、

 (エミリ《こいつ》は、なんだってカジノバイトなんてのに関わってるんだろうか?)

 という、ある意味浮かんで当然の疑問がユキに浮かぶ。バイトの話を聞く前に、口に出すようなことではないけれども。

 

 エミリが「もう少しよ。」と言い、左に曲がる。

 

 細い通りだった。ユキは、公園と通りを隔てる左手のブロック塀に、消しそこねたようなマーキングの落書きが書き殴られていることが気になった。

 右手には、白い壁面を持つビルがある。花園通りにちなんでかわからないが、白壁にはいくつもの鉢植えが埋め込まれていて、薄紅色や薄紫の花のつぼみをたたえている。

 そのマンションの少し時代ががったタイル風のエントランスに、エミリは向かい、扉に左手をかざした。薄紫のジュエリーのような腕時計がユキの目に入った瞬間、扉が開いた。

 

 中に入り扉が閉じると、黒い帽子に首元にひげを蓄えた男が静やかに浮かびあがる。その背後に先程目にした鉢植えの花が浮かぶ。ユキはギクリとした。ホログラム、なのだろうが。

 

 一礼したホログラムの男が、

 「エミリ、ユキ君。いらっしゃい。」と言うと、奥の黒い扉が開いた。

 

 控えめな照明の廊下が左右に広がっていた。右と左、どちらに向かうのか、視線を泳がさたユキの目に、右手のチェスのナイトのコマのような馬頭の像が写った。頭は馬だが、ヘラクレスのような胸筋があって黒と白の縞がなびいている。かなり手の込んだ造形のようだが、何の趣味、なのだろうか。

 エミリがナイトの方に向かった。

 その姿を追うユキの目は、像の下の方にあるプラチナ色のオブジェにくぎ付けとなった。そこには、生物学上、ナイトのアレとしか言いようのないものがそそり立っていた。ユキの目が釘付けになる中、エミリの右手が躊躇なくソレを握った。小さめの彼女の右手はそれの一部を覆ったにすぎないが、それを合図にナイトの右手の自動ドアが開く。ホログラムであってほしいところだが、ソレはそうは思えなかった。

 

 エミリはユキの視線を感じてか、

 「てのひらのセキュリティ認証よ。」

 と、振り返りはせずに言う。

 

 ユキは、その時、はじめて自分の心臓が高鳴っていることに気づいた。

 カジノという、ちょっと高校生離れした場所でのアルバイト話。とはいえ、お嬢様進学校に通う後輩が持ちかけてきた話だけあって、ユキは軽く考えていた。

 (なんか、黒執事とボスキャラとかが待ってそうな展開、とか?)

 

 俺には難易度高すぎなんでは、とはいったことをユキはひしひしと思う。

 

 エレベーターの前で、エミリが足止まった。

 ユキは、エレベーターに乗る前に、これから待ち受けているものを聞こうとしたが、口に出たのは、

 「あれは...?」

 と言う、問いかけだけだった。

 エミリは振り返り、

 「あれ、ね? アレは、パートナーの趣味というか、思い出らしいのよ。」

 

 パートナーという聞き慣れない大人過アドルトぎな言葉がユキの脳を揺さぶる。

 (こいつ《エミリ》は、中学の陸上部時代から想像つかない人生みちを高2にして既に歩んでいる...とか?)

 

 下を向いたユキは、思わずにアレに触れたエミリの右手に視線を寄せる。

その視線を知ってか知らずか、エミリは 

 「私のビジネスパートナー、ケイママのね。」

 と淡々と続けた。


 ビジネス? この数ヶ月で早々に理系コースに見切りをつけ経済学部を落としどころでほぼ決まりのユキは、経済・経営学部向けの小論文コースの講義などを通じてビジネスという言葉の意味は知った気になってはいる。ただ、高校生がビジネスという言葉の意味を知ることと、女子高生がパートナーとビジネスすることは全く別のこと。

  ケイママ? 先程のチェスのナイト像の影響か、将棋の桂馬がユキの頭をよぎる。

 (そういや、たしか、ケイマンというギャンブル場が海外にあったな。)

 

 何かの正解にたどり着いたように感じたユキだった。割の良いバイトってのは、まぁ冒険的ギャンブルな要素は必要なんだしなと、ユキは覚悟を決めて少し落ち着いた。事実としては、租税回避地タックスヘイブン賭場カジノを思い違えていただけなのだったが。

 

 エレベーターのドアが開き、エミリとユキは乗り込んだ。

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