001 You Are Just A Way on a Gravity's Rainbow.
大町の路地裏のカフェで、牧野葵は、夕方からの片平ブランチで行われる研究進捗会向けの報告レジュメの作成をひとり進めていた。前世紀の名曲のネオテクノ風にアレンジした「Just A Way You Are」がBGMだった。書き終えた前半部分の推敲を終えたところで、彼女は、斜め前のボックス席に陣取った年下男子たちが、BGMにノイズの差し込むかのように進めていく会話に、苦笑してしまう。
「ウィンドブレーカーにだぶだぶのジャージ姿だよ。普通、そんなんで歩いてる女子高生になんか色気なんか感じないだろう。でもさ、牛越橋んとこで、チャリでその子達を追い抜いた時、俺はほんとに感じちゃったんだよ。な~んていうか、その子たちの一番すごいところを。」
「タカやん、なんつーか幸せだよな。」
「あぁ、高専行ったおかげで新たな境地にたどり着いてるというか。やべぇ妄想力だよな。」
「レンさぁ。高専組って、タカと俺を一括りにすんなっちゃ。そんなことよりさ、ショウかレンはさ、大学の方て、彼女作成済してないのかよ?」
牛越橋ではなく、もっと部活女子が多く通るらしいヨドミ橋の方だとどうなの、などと、それなりに盛り上がって続く会話のテーマは、寒風防着を上に羽織った女子高生のだぶだぶジャージ姿に、色気を感じられるかどうかということだった。アオイに背を向けつつ、元同級生らしい3人に向け、どうやら僕は、身につけた衣服がどのようなものであろうとも、女子の内に秘められた色気を感じ取れる超能力を身にしまったようなのだと語っているメガネ男子が、タカと呼ばれる子。横に座り、タカと距離を取りたがっている子は同じ高専に通う男性らしい。そして、聞こえてくる会話からすると、タカたちとアオイの方に向かっているショウとレンと呼ばれた子は、2人の元同級生らしいが大学の一年生であるらしい。
どうやら、彼女生成済には縁がなかったらしい方のレンは、会話を続ける傍ら、先程、やばい妄想力と笑った自称超能力が自分にも発現しないものかと試すように、カフェの机の下から見える、アオイのタイツ姿の膝小僧の方を何度かちらりちらりと見ていた。
そんな年下男子たちの会話をアオイは軽く笑ってしまいながら、続きを書くのは研究室に戻ってからにしよゔと、レジュメが表示されたタブレットノートを閉じ、ワイヤレスイヤホンも外した。
タブレットを、少しだけ大きめのショルダーバッグにしまうと、席を立ったアオイは、カフェオレのカップを返却台に戻すと、出口に向かう。
タブレットを収納したばかりのショルダーバックの、ミュウミュウをリスペクトしたらしいピンクのフリルのあたりに、先程の大学1年生の子の物欲しげの視線が腰が引け気味ながらも刺さっていた。
(講義をするのは半期に一日だけだけれど、私は、一応、あなた方の大学の先生でもあるんだけどね。)と思いつつも、年下男子たちのテーブルを横切る時に、アオイはタカと呼ばれる子の方を一瞬見据え、一言をかけた。
「ねぇ。私からも、性的挑発力を感じられるのかな?」
見知らぬ、しかし明らかに魅力に富んだ年長の女性から急に今まさに話題としているようなことについて話しかけられ、4人は固まった。その後は、何事もなかったようににカフェを出たアオイは、苦笑しつつ思う。
(君のその超能力は、たぶん本物だよ。どう役立ていけるのかは分からないけれども。)
通りには雪がちらついていた。
(外の天気を知るような透視じみたことは君や私や、たぶん他の誰にもできないのだけれど。未来を感じ取れるようになることは、どうやら、人の普遍的な力のようなんだよ。)
葵は、まだ自身の仮説にすぎないそのことを自身に言い聞かせるように思う。今の彼女は、人が五感により未来を何らかの形で感知できることがあることを少なくとも否定はできない。なぜならば、たった今、レジュメ作成のための聞いていたBGMに重なって彼女に聴こえてきた彼らの声は、少し先の彼らが話しているであろうこと、だったからだ。イヤーフォンを身につけていた彼女のBGMは、それなりの音量であった。ヒソヒソ声よりはもう少し大きかったとは言え、彼らの声色はそのBGMを越えて葵の耳に直接届くほどのものではなかった。彼女は彼らが少し先にそのように言うであろうことを直接に感じ取っていた。そして、その中のレンが、その能力を備えたというタカに向かって小さな声で、「そういうならば、さぁ。後ろの女のさ。シャワー姿とか、あと、あの時の喘ぎとか、も見えるかどうか、俺らん前で試してみろよ。」というであろうことを感じ取っていた。
別に、どの程度のものかは分からないそのタカという子の能力によって、未来自身のシャワー姿を覗きみられるくらいは構わないとも、思わないでもなかったが、3時間後には始まる会議の前のレジュメ作成中に、そんなお遊びに付き合ってあげる義理はない。そうカフェを出ることにした葵は、カップを返却台に戻しながら、(ここで彼らの声がけすると、少しだけ、未来予知の力に干渉してあげたということになるわけね。)と思い、興がのった。そして、つい、内輪話に興じていた年下男子たちに先手を打って、少しばかり挑発的な言葉をかけてしまったのであった。
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(改定中)