表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/25

ブルネイ・インドネシア解放1943年6月~9月

ブルネイ・インドネシア解放1943年6月~9月

マレーシア・シンガポールの独立によりインドシナ半島各国は欧米列強の植民地支配から脱した。

アジア連合の次の目標は東インド諸島各国の解放・独立である。

NGFは補給整備、そして乗員の休養をしたのち作戦準備に入った。


また、中国戦線より撤退し満州共和国や日本国内の各基地に下がった支那派遣軍も再編成が行われた。

まず、支那派遣軍のうち徴兵で軍隊に入った者も多いので希望除隊も受け付けた。

(インドシナ半島に展開していた第25軍も同様)

その結果全将兵の30%が退役、一般社会に戻った。

やはり産業を支える人材も必須である。

これら退役軍人は平成日本で職業訓練を受け、産業基盤を支える人材となるよう期待された。

残留した兵士で部隊が再編成された。

さすがに全部隊に平成自衛隊の装備を分け与えるのは無理だったが、無反動砲や携帯対空誘導弾、そして重機関銃を要所に配備し戦闘力を向上させた。


また指揮系統も自衛隊統合司令部に組み入れ、かつての「暴走」が起きないよう配慮された。


旧日本軍第25軍、旧支那派遣軍は防衛省直轄の中央即応集団に編入され、日本政府と防衛省が手綱をしっかり締める事となった。


また旧軍の戦車部隊は錬度の高い兵士は日米開戦のため急遽退役はとりやめとなった74式戦車に乗り換えることとなり、それ以外の戦車の半数以上は満州共和国・マレーシア・シンガポール軍に供与されることとなった。


74式戦車を与えられなかった乗員達はやはり退役が取りやめとなった87式警戒車や75式自走155mmりゅう弾砲あるいは台湾陸軍から退役予定だったM-41軽戦車が与えられそれぞれに配置換えとなった。

それでも車両からあぶれる乗員もあったが、彼らはある者はそのまま退役し、あるものは他の兵科へ転属していった。


5月になる頃には再編が終了し、それら部隊は出撃準備が整った。


1943年6月3日

沖縄においてアジア連合合同軍の作戦会議が行われる。

作戦目標はボルネオ・インドネシア解放である。

作戦参加国は日本・台湾・フィリピン・ベトナム・タイ・オーストラリア

作戦名は「ブライト・オブ・スンダランド」(略名はBOS作戦)

基本作戦は

サイゴンよりブルネイを攻略する西方軍。

ミンダナオよりパリックパパンを攻略する中央軍。

同じくミンダナオよりスラウエン島(セレベス島)を攻略する南方軍

それに…パプワニューギニアよりオーストラリア軍がオランダ支配地域であるニューギニア島西部に侵攻する東方軍の4軍による同時攻撃とされた。

その編成は

西方軍

NGF第一艦隊

第1艦隊

直轄艦 DDH-182いせ

第一戦隊:戦艦 / 長門、陸奥

第五航空戦隊 瑞鶴・翔鶴(空母) 〈原忠一少将〉

第1護衛隊(横須賀基地) DD-101 むらさめ DD-102 はるさめ DD-107 いかづち

第5護衛隊(横須賀基地) DD-110 たかなみ DD-131たかつき

第61護衛隊(横須賀基地) DDG-171 はたかぜ DDG-174 きりしま


輸送艦おおすみ

第二四戦隊:特設巡洋艦 / 報国丸、愛国丸、清澄丸

上陸部隊第1陣

中央即応集団旧支那派遣軍第12軍

第110師団 戦車第3師団(74式戦車)

第2陣

ベトナム陸軍第1師団

タイ王国陸軍第3師団


中央軍

NGF第2艦隊

直轄艦 DDH-181ひゅうが

第一航空戦隊 赤城・加賀(空母) 〈南雲忠一中将〉

第二航空戦隊 蒼龍・飛龍(空母) 〈山口多聞少将〉

第三戦隊   比叡・霧島(戦艦) 〈三川軍一少将〉

第4護衛隊(呉基地)  DD-105 いなづま DD-106 さみだれ  DD-108 あけぼの

第8護衛隊(呉基地) DD-113 さざなみ DD-134ながつき

第64護衛隊(佐世保基地)  DDG-178 あしがら  DDG-176 ちょうかい 

輸送艦しれとこ

輸送船聖川丸、金龍丸、金剛丸

上陸部隊第1陣

中央即応集団第25軍(旧印度支那派遣軍)

第5師団・戦車第6連隊(M41)

第2陣

台湾陸軍第8軍団第109機械化歩兵師団

日本陸上自衛隊中央即応集団第25軍第18師団


南方軍

台湾海軍

第3機動艦隊(基隆)

康定(Kang Ding)FF-1202 西寧(Si Ning)FF-1203 昆明(Kun Ming)FF-1205

(ラファイエット級)

子儀(Tzu I)PFG-1107 班超(Pan Chao)PFG-1108(ペリー級)

海陽(Hae Yang)FF-936 淮陽(Hwai Yang)FF-937(ノックス級)


ドック型揚陸艦旭海

戦車揚陸艦中和・中平


上陸部隊第1陣

フィリピン陸軍第101歩兵師団

第2陣

フィリピン陸軍第81歩兵師団


ダバオ基地

台湾空軍

第5 (401) 戦術戦闘機連隊第5大隊 - F-16×2個中隊。


サイゴン基地

航空自衛隊第3航空団第3飛行隊(F-2A/B)(第7航空団第204飛行隊(F-15J/DJ・T-4)

と交代)

海軍サイゴン基地航空隊


東方軍

オーストラリア陸軍第3師団(パプアニューギニア領ダルより進発)

オーストラリア陸軍第5師団(パプアニューギニア領アイタベより進発)

ウエワク基地

オーストラリア空軍第22飛行隊スピットファイヤー

オーストラリア空軍第5爆撃飛行隊ヴィッカースウエリントン

オーストラリア海軍

第3戦隊

軽巡洋艦リアンダー・アキレス・エイジャックス(リアンダー級)

第4戦隊

駆逐艦ネピア・ナイザム・ノーマン(N型)ヴァンパイア(Q型)


1943年6月30日

オペレーション・ブライト・オブ・スンダランドが発動される。

サイゴンより西方軍が、ミンダナオより中央軍・南方軍がそれぞれ進発する。


上陸部隊到達に先駆け、サイゴン・ダバオ両基地より空爆部隊が出撃した。

サイゴン基地からは3航空団第3飛行隊のF-2A部隊がブルネイを、ダバオ基地からは台湾空軍の第5 (401) 戦術戦闘機連隊第5大隊のF-16部隊がメナドをそれぞれ空爆した。

ブルネイ・メナド両基地からはそれぞれレシプロ機しかなく、しかもすでに先の戦闘で航空部隊が壊滅的損害を受けている英国軍はなすすべもなく、わずかに迎撃に上がってきたホーカー・ハリケーンなどの戦闘機は瞬時に全機撃墜され、対空砲火もジェット戦闘機にはまったく通用しなかった。


一方的にたたかれそれぞれの航空基地は壊滅。

また守備陣地もかなりの被害をうけた。


翌日の7月1日。

NGF第一艦隊はブルネイ沖に到達。

第五航空戦隊 瑞鶴・翔鶴の艦載機群による空爆が開始される。

対空砲陣地が真っ先に破壊され反撃手段のない英国軍ブルネイ守備隊は一方的に叩かれ、沿岸陣地は50%以上壊滅した。


さらにサイゴン基地より飛来した第3飛行隊のF-2部隊の爆撃が追い打ちをかけた。

その日のうちにブルネイの英国軍沿岸陣地はほぼ壊滅した。


続いてNGF第一艦隊第1戦隊の戦艦長門・陸奥による艦砲射撃が開始される。

これによりわずかに残った沿岸砲台も全滅、そして守備隊歩兵部隊も大損害を受け後退を始めた。


それを見計らっておおすみがLCACを発進させ上陸部隊を揚陸する。

第二四戦隊の特設巡洋艦 報国丸、愛国丸、清澄丸 からもボートがおろされ歩兵部隊が続々とブルネイに上陸を果たす。


在ブルネイの英国軍守備隊はMKⅣ軽戦車やヴィッカースM1930軽戦車を押し出し、反撃を試みるも、それらの砲弾は第3戦車師団の74式戦車の装甲に全て弾き返された。

そして74式戦車の105mm砲によって次々と破壊されていった。

機甲兵力を全て失い、歩兵も戦力の半数を失った在ブルネイ英国軍守備隊は4日後の7月5日降伏した。

そして2日後、上陸第2陣であるベトナム陸軍第1師団、タイ王国陸軍第3師団と合流したアジア連合西方軍は南下を開始。

ミリ・ビンツール・シブー・クチンを次々に陥落させブルネイ・サルサラーム国、マレーシアのブルネイ島領土から英国軍を撃退した。


中央軍のNGF第2艦隊も空母赤城・加賀・蒼龍・飛龍らの空母艦載機の空爆と戦艦比叡・霧島の艦砲射撃によってタウラ・タラカン・ダンジョセル・サマリンダの英国軍守備隊を粉砕しながら要衝パリックパパンに進撃。

ブルネイと同じように陸海空の連携攻撃で英国軍守備隊を粉砕しパリックパパンを占領した。

そして上陸部隊第2陣の台湾陸軍第8軍団第109機械化歩兵師団陸自中央即応集団第25軍第18師団と合流し、一気にバンジェルマシンを陥落させインドネシア領の一部を回復した。


7月30日、在ボルネオの英国軍は全て降伏。

ボルネオ島全土が欧米列強から解放された。


南方軍もダバオの台湾空軍の援護によってメナドを陥落させ、上陸第2陣を直接ウジュンバンタンに上陸させセレベス全島を解放した。


領土の全てが解放されたブルネイ・サルサラーム国、そして領土の一部を回復したインドネシア共和国はすかさず独立を宣言。

インドネシア臨時政府はバンジェルマイシンを臨時首都とした。


ボルネオ島・セレベス島陥落の報を受け、ジャワ島スラバヤに駐留していた連合軍残存艦隊とオランダ軍は迎撃態勢を取った。

現在アメリカ太平洋艦隊は急ピッチで再建中である。

彼らはあくまでも来援を信じ徹底抗戦の道を選んだ。


また彼らは未だに「白人絶対優位」という神話を信じていた。

白人が有色人種に敗れる筈がない…と。


連合軍艦隊は航空機、水上艦艇と潜水艦の連携攻撃ならば勝ち目があると踏んでいた。


まず航空機部隊と潜水艦部隊に奇襲攻撃をかけさせ、その混乱に乗じて巡洋艦駆逐艦部隊が水雷攻撃を敢行する。

これが連合軍艦隊の作戦であった。

連合軍艦隊の陣容は以下の通り。


第1戦隊

軽巡洋艦ダナエ・ドラゴン・ターパン(ダナエ級)

駆逐艦JDエドワース・エドソール・ホイッブル・オールテン(ウィックス級)

第2戦隊

駆逐艦エレクトラ・エクスプレス・テネドス(E型)

第3戦隊

駆逐艦コノテール・ビートパイン・ヴィッテデヴィット・ヴァンネス


第6艦隊

第一戦隊

潜水艦サーモン・シール・スキップジャック・スナッパー・サーゴ・ソーリー

スタージョン・スティングレイ(S級)

第2戦隊

潜水艦スピアフィッシュ・スカルピン・セイルフィッシュ・ソードフィッシュ

シーウルフ・シーレイヴン・シーライオン・シー・ドラゴン(S級)

第3戦隊

潜水艦ボイス・パイク・サーモン・シャーク(P級)

   S-38・S-40(S-1級)


しかし連合軍艦隊の作戦は無謀ともいえるものだった。

21世紀の護衛艦の戦闘能力を彼らは未だ理解していなかったのだ。

それらは対水上、対空、対潜攻撃をほぼ同時に行うことができる火器管制能力をもっているのだ。特に、日本海上自衛隊は21世紀世界でもASW(対潜水艦戦)は世界最高水準であることを彼らは全く知らなかった。

1940年代のスティルス能力が皆無の潜水艦など海自護衛艦隊にとっては標的艦でしかない。


さらに連合軍艦隊にとっての不幸は、その動きが衛星軌道上の情報収集衛星によって逐一アジア連合軍側にキャッチアップされていた事であった。


連合軍艦隊スラバヤ出撃の報はただちにジャワ海に展開していたNGF第2艦隊に通報された。

NGF第2艦隊はただちに迎撃態勢を取り連合軍艦隊を待ち受けた。


8月3日06・00

NGF第2艦隊第4護衛隊DD-105「いなずま」が潜水艦を探知。

旗艦DDH181「ひゅうが」はASW(対潜水艦戦闘)を下命。


前衛に展開していた第4護衛隊のDD-105 いなづま DD-106 さみだれ  DD-108 あけぼの

はローカライズされた目標に対し最終測定のためのアクティブソナーを放つ。


強力な指向性音波の直撃を受け、連合軍潜水艦部隊のソナーマンの耳が破壊される。

目標を補足した第4護衛隊各艦の前部VSLよりそれぞれ探知された目標にむかってアスロックが発射される。


爆雷の射程より遠く離れていて攻撃はまだないと信じ切っていた潜水艦乗員達はいきなり海面より向かってくる魚雷に驚いた。

あわててタンクに注水し、潜航して回避しようとするが水中速力8ノットがせいぜいの潜水艦が40ノット以上の高速で航走する誘導魚雷から逃れられるわけがない。

まず潜水艦サーモン・シール・スキップジャックがアスロックの餌食となった。

そしてアスロック第2波攻撃によってさらにスナッパー・サーゴ・ソーリーが撃沈。


その後、第8護衛隊のDD-113 さざなみ DD-134ながつきも攻撃に加わり潜水艦スタージョン・スティングレイ・ピアフィッシュ・スカルピン・セイルフィッシュ・ソードフィッシュ

シーウルフ・シーレイヴン・シーライオン・シー・ドラゴンら10隻が次々に撃沈されていった。


側面に回り込もうとした連合軍潜水艦部隊第3戦隊も第4・第8護衛隊の追撃を受け次々に撃沈されていった。

辛うじて生き残ったのは潜水艦ボイス・パイク・サーモンの3隻のみであった。

彼らは攻撃を断念しスラバヤに撤退していった。


その一方でスラバヤ基地からオランダ空軍のブリストル・ブレニエムとフォッカーDXXの45機からなる空撃部隊が来襲してきた。

しかし、それらはNGFのSM-2、シースパローによって迎撃され、なすすべもなく空中で爆散していった。


潜水艦と航空機の攻撃の間に全速で戦艦・空母に肉薄しようとした巡洋艦・駆逐艦部隊であったが、第64護衛隊 DDG-178「 あしがら」 DDG-176 「ちょうかい」、第三戦隊の戦艦比叡・霧島らの対艦ミサイル攻撃の洗礼を受ける事になった。

軽巡洋艦ダナエ・ドラゴン・ターパンはそれぞれ2発ずつ命中弾を受け撃沈。

駆逐艦部隊に至っては1発のミサイルで轟沈または撃沈。

生き残ったのは駆逐艦ヴァンネス1隻のみという惨状となった。

ヴァンネス艦長はNGFに降伏した。


艦隊と航空部隊の壊滅を知りオランダ軍は大混乱となった。

制空権も制海権も無い。

もはや残るのは陸上部隊のみ。

しかもジャワ島各地で日本軍襲来を知ったインドネシア人たちが「インドネシア万歳」を叫び騒乱を起こし始めた。

ボルネオ島で成立したインドネシア独立政府の存在が彼らを奮い立たせたのだ。

騒乱の鎮圧しようと軍を差し向けたオランダ軍であったが、そこへNGFの空母艦載機群が襲いかかってきた。

NGF第2艦隊の空母赤城・加賀・ 蒼龍・飛龍の攻撃隊だった。


オランダ軍部隊は成す術もなく空からの攻撃に蹴散らかされ戦力を失っていく。

NGFの空撃に呼応してインドネシア人たちが襲いかかる。

鎮圧部隊は次々に後退していくが、本陣であるスラバヤにはNGF第2艦隊第3戦隊の戦艦比叡・霧島の艦砲射撃が行われていた。

戦艦の主砲弾によりオランダ軍陣地は次々に粉砕されていく。


NGF来襲に勇気づけられたインドネシア人たちによってスラバヤ市街地でも騒乱が広がりオランダ軍は大混乱に陥った。


そこへとどめを刺すように輸送艦「しれとこ」よりLCACが発進。

第5師団・戦車第6連隊を上陸させた。


インドネシア人達と戦車隊が合流し、一気に市内は制圧されオランダ軍は降伏した。

スラバヤ軍港に逃げ帰っていた潜水艦ボイス・パイク・サーモンも鹵獲された。


スマトラ島パレンバンもインドネシア人の騒乱で混乱しているところに、NGF第1艦隊空母の艦載機群が襲いかかった。

航空基地、オランダ軍基地は大ダメージを被る。

その後シンガポールより出撃してきた台湾陸軍ヘリコプター部隊によるヘリボーンが行われほどなく陥落。

スマトラ島もオランダ軍より解放された。


ニューギニア島西部のオランダ軍もオーストラリア軍によって次々に撃破された。

8月10日には在ニューギニアのオランダ軍は全て降伏した。


これによりオペレーションブライト・オブ・スンダランドは成功のうちに終了した。


その後、独立を果たしたインドネシアにも鹵獲艦艇が供与された。

軽巡洋艦スラムト(旧サンファン)

駆逐艦カンバル(旧クレイヴン)・ハリ(旧ヴァンネス)

潜水艦バンガ(旧ボイス)・ビリトン(旧パイク)・マズラ(旧サーモン)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ