大攻勢開始1946年7月20日
久々に更新します
満州国での航空優勢を確立した日満台韓連合軍はソ連軍に占領された諸都市の奪回を目指し、攻勢を開始した。
7月20日早朝。
吉林防衛線より日本国陸上自衛隊の第一戦車大隊と第二二即応機動連隊を中核とした日満合同部隊はソ連軍に占領された満州国領土奪還を目指し航空自衛隊と満州国空軍の近接航空支援を受けつつ前進を開始した。
既にソ連軍地上部隊は日満台航空部隊から熾烈な空爆で戦車や重砲の殆どを破壊され、極東ソ連空軍も航空基地の殆どが壊滅的損害を受けていたために航空支援も満足に出来ず、生き残った戦闘機も日台のジェット戦闘機部隊に次々と撃墜されほぼ無力化されていた。
そこへ陸上自衛隊部隊が機動力にモノを言わせた電撃作戦で切り込んだ。
最高速度70km/h超を誇る10式戦車がソ連軍の防御線を突き破り、そこへさらに最高速度100km/h以上の快足を誇る16式機動戦闘車が96式装輪装甲車を引き連れて突入し、防御線を瓦解させ、その後方から続いて進撃して来た満州国陸軍部隊が次々にソ連軍陣地を制圧していく。
ロンメル軍団を遥かに凌ぐ進撃速度で防御拠点を制圧されソ連軍部隊は次々と敗退していった。
7月23日日台満連合軍は要衝ハルピンを奪回。
そして7月末には烏魯木斉、斉々哈爾、呼和浩特などの主要都市を奪還。
要衝の全てを奪還されソ連軍は各所で孤立し政治将校が徹底抗戦を叫ぶもそれを拒否する一般兵に射殺され降伏する部隊が続出した。
8月に入る頃になると満州国領内に侵攻して来たソ連軍部隊の9割が壊滅、もしくは降伏し満州国はその領土の全てを回復した。
日台満連合軍はソ連軍の極東侵略の意図を完全に挫くべくシベリア鉄道を破壊し、極東方面をモスクワとソ連工業地帯ら完全に切り離す作戦に出た。
イルクーツク、ウラジオストク間の線路は随所で破壊されアムール川にかかる鉄橋は完膚なきまでに破壊された。
ソ連中央からの増援と補給が完全に立たれたウラジオストク駐留のソ連軍には日台満に対抗出来るだけの兵力は既に無く投降望む兵士達を抑える力も無かった。
やがて極東ソ連軍は降伏し、ウラジオストクも無防備都市宣言を発して日台満に下った。
中国満州国国境では沿岸部からはNGF戦艦部隊の艦砲射撃、そして空母艦載機による空爆で再編集結していた人民解放軍部隊は再び壊滅的損害を被り後退し始めた。
ソ連軍敗退により元々高くない士気が更に低下し、降伏する部隊も続出した。
ベトナムではアジア連合軍の全面攻勢が始まりタイ海軍空母機動部隊の空爆と艦砲射撃による支援を受けながらベトナムタイフィリピン合同部隊は中国軍を国境まで追い詰め、最後はフィリピン海軍重巡部隊の艦砲射撃によって中国軍は壊滅した。
チベット方面では日本国陸上自衛隊第一ヘリコプター団による電撃的なヘリボーン作戦によって要衝が次々に陥落。
侵攻部隊の7割以上が壊滅的損害を被り中国軍全部隊はチベット領内から撤退していった。
東トルキスタン共和国ではチベットの特設飛行場から飛び立ったタイ空軍機と陸自戦闘ヘリコプター部隊による攻撃で部隊は壊滅的損害を受けた。
そこへウイグル人等によるレジスタンス部隊が襲いかかり侵攻部隊は更に壊滅的損害を受け東トルキスタン共和国領内から敗退していった。
東欧でも欧州同盟軍の大攻勢が始まった。
英米との戦いが終わり航空戦力の全てが対ソ連戦に投入されドイツ国内の各基地並びにポーランド、チェコの航空機の離発着可能な直線道路に特設された航空拠点から次々と戦闘機、そして爆撃機がソ連軍侵攻部隊攻撃のために飛び立っていった。
東欧諸国に進出していたソ連空軍戦闘機部隊も迎撃に上がったがジェット戦闘機Me262シュワルベの機動力にレシプロ機が対抗できるはずもなく次々と撃墜され1日で欧州同盟軍に東欧での航空優勢を奪われてしまった。
上空支援を失った陸上部隊にジェット爆撃機ブリッツが襲い掛かる。
更にはスツーカなどのレシプロ急降下爆撃機も空爆に加わりソ連軍の戦力は壊滅的打撃を受けた。
とどめを刺すようにドイツ陸軍機甲師団がソ連軍部隊を蹂躙した。
ドイツの陸空連携の電撃戦によりソ連軍は敗走を続け結局ソ連領内に逃げ延びたのは侵攻部隊の10%だった。
1946年9月2日
侵攻して来たソ連軍と中国人民解放軍部隊の完全撃退を確認し、アジア連合軍と欧州同盟軍は戦闘終結を宣言。
中国とソ連に対し休戦を呼びかけた。
しかし、中国ソ連両共産党はこれを無視。
改めて徹底抗戦を宣言し、再び再侵攻の為に部隊の再編成を始めた。
アジア連合軍は防衛体制を整えて再侵攻に備えた。
しかし、両国の再侵攻は始まる事は無かった。