サンタクルズ海戦1946年5月4日
サンタクルズ海戦1946年5月4日
1946年5月3日07:00
ラバウル沖での戦闘後、損傷した重巡洋艦足柄、軽巡洋艦長良を台湾海軍フリゲートの護衛の下、後方のトラック基地に戻し、そして補給整備を終えたNGFは米第3艦隊追撃のためサンタクルズ諸島を目指した。
攻撃目標は米第3艦隊の他にフィジー、ニューヘブリーズ諸島、ニューカレドニアの米英軍航空機基地破壊も加えられた。
フィジー、ニューヘブリーズ両諸島には米英軍の攻撃機が合わせて444機存在する。
サンタクルズ封鎖作戦にはこれらは脅威となる。
また第3艦隊との戦いではこれら航空機が支援のため来援するのは明白であった。
どの道戦うしかない。
そしてこれら戦力を撃滅すれば米国の戦意を挫くことができ、そして講和への道が開けるかも知れない。
NGFはこれを太平洋での最後の戦いとするため断固たる決意を固めた。
5月5日06:30
NGFはサンタクルズ諸島に到達した。
NGF第1艦隊第61護衛隊のイージス艦きりしまのレーダーが接近する航空機を捉えた。
南から500機、東から200機。
ニューヘブリーズ、フィジー両諸島からの英米の攻撃部隊であった。
そして南東方向から艦隊が接近してきた。
米第3艦隊の生き残りである。
NGF山本五十六大将は対空対水上戦闘を全艦隊に下命した。
各空母より次々と艦載機部隊が発艦する。
NGFは進路を米第3艦隊に指向した。
米海軍第3艦隊司令ウイリアム・ハルゼーは悲壮な覚悟で戦いに臨んでいた。
航空機部隊による日本艦隊攻撃に呼応して一気に懐に飛び込み砲雷撃戦に持ち込む。
しかし劣勢は否めない。
勝てる見込みはほとんどなかった。
せめて一太刀でもとハルゼーは覚悟を決めていた。
米英の攻撃機部隊はB-26マローダー、B-25ミッチェル、B-24リベレーター、らの爆撃機とA-26インベーダー攻撃機、そしてソードフィッシュ雷撃機の混成部隊だった。
そして護衛の戦闘機部隊はいない。
全てがレシプロ機。
ジェット戦闘機に敵うはずもない。
数だけを頼みの絶望的な攻撃だった。
540機の雷鳴改からなるNGF空母艦載機群は射程距離に入った段階でそれぞれAIM9サイドワインダーを発射した。
1080発のミサイルが米英攻撃部隊に襲いかかる。
南国の空に爆炎が無数に生まれた。
そして炎が多くの命を燃やし尽くした後、700機の米英攻撃部隊は空から消え失せていた。
攻撃機部隊の全滅を知ったハルゼーは深い絶望にとらわれた。
航空支援部隊が一瞬に消えてしまった。
日本艦隊に一太刀すら与える間もなく。
そして第3艦隊も未だ日本艦隊を射程にとらえていない。
せめて1発でもいい。
敵艦に砲弾を喰らわせてやりたい。
ハルゼーは全艦突撃を命じた。
全速で突撃してくる米第3艦隊に対しNGFは全艦が対艦ミサイルを発射した。
128発の対艦ミサイルが突撃する米第3艦隊を迎え撃った。
ハルゼーの座乗する旗艦大型巡洋艦ハワイにも3発の対艦ミサイルが突入してきた。
必死の対空射撃もむなしくそれらは全弾ハワイに着弾した。
ハルゼーの視界が光に包まれた。
第2主砲を直撃したミサイルは砲弾の誘爆と共にハワイの艦首を艦橋もろとも粉砕した。
第3艦隊旗艦ハワイは猛将ウイリアム・ハルゼーの命と共に爆炎に包まれ南太平洋のわだつみに飲み込まれていった。
NGF総旗艦長門の艦橋は沈痛な空気に包まれた。
もう動いている米海軍艦艇は1隻もいない。
浮かんでいる艦は全て炎上し、沈黙している。
それ以外の全ては煙をたなびかせながら波間に没しようとしていた。
NGF山本五十六大将は散っていった米海軍将兵に弔いの敬礼をした。
幕僚スタッフもそれに倣った。
山本大将は短く指示を下した。
「米海軍将兵及び英米軍パイロットの生存者を救助せよ。」
翌5月6日
米海軍太平洋艦隊第3艦隊全滅す。
このニュースはオーストラリアの新聞社から全世界に発信された。
アメリカ合衆国もこのニュースに衝撃を受けた。
オーストラリアの配信したニュースを受け、ホワイトハウスでは大統領報道官の緊急記者会見が行われた。
しかし、報道官は「現在情報を確認中」とくりかえすだけで満足な回答が出来ない。
記者達の質問に答えに窮した報道官は「時間ですので」と言って記者会見を打ち切ってしまった。
記者会見場は記者達の怒声の渦に包まれた。
そのころ、ホワイトハウスのオーバルルームではトルーマン大統領がアーネスト・キング海軍作戦部長からの報告を受けていた。
なんとか帰還出来たのは、大破した空母フランクリンとバンカーヒル、そして戦艦コロラド、そして重巡洋艦タスカルーザ、ペンサコラ、クインシー、ピッツバーグ、セント・ポールらと18隻の駆逐艦のみ。
それ以外の艦艇は全て撃沈された。
さらに1818機の空母艦載機群とフィジー、ニューヘブリーズ両諸島に展開していた陸海の基地航空部隊700機も損失した。
以上の事をキング作戦部長は沈痛な表情で告げた。
そしてこう付け加えた。
事実上太平洋方面の米軍戦力は壊滅した。
これ以上の作戦継続は不可能である…と。
キング作戦部長の報告を聞き、あまりの被害の大きさにトルーマン大統領は呆然とした。
そこへさらなる追い打ちをかけるような報告が飛び込んできた。
ニューヘブリーズ諸島の航空基地が日本海軍の攻撃を受け壊滅した…と。
トルーマン大統領は思わず「神よ…」とつぶやいた。
ホワイトハウス正門前では大規模な反戦デモが行われていた。
そのデモはどんどん膨れ上がり最終的には3万人以上の規模となった。
5月7日
NGFは太平洋で最後になるであろう戦いに臨んだ。
目標はフィジー島の米英軍航空基地。
NGF第1艦隊第五航空戦隊の空母 瑞鶴・翔鶴、そして第2艦隊の第一航空戦隊 赤城・加賀、第二航空戦隊 蒼龍・飛龍、第3、第4艦隊の第6航空戦隊DCV1001「おうみ」、第7航空戦隊DCV1002「するが」からそれぞれ爆装した雷鳴改が発艦した。
30機のホーカーハリケーンが迎撃機として上がってきたが、護衛の雷鳴改隊に一瞬で蹴散らされた。
そして爆装した雷鳴改部隊450機が英米連合軍のフィジー基地に襲いかかった。
管制塔に格納庫、そして燃料タンク。
基地施設の全てが徹底的に爆撃により破壊された。
地上に駐機していた15機あまりの戦闘機も機銃掃射により破壊された。
攻撃目標を破壊し終えた雷鳴改部隊が引き揚げた後、フィジー島沖に戦艦を全面に押し出したNGFが現れた。
戦艦長門、陸奥そして比叡、霧島らの主砲が火を噴いた。
それらの砲弾はフィジー基地の滑走路に降り注いだ。
滑走路のいたる所で日本海軍戦艦群の主砲弾が炸裂した。
砲撃が終わった時、フィジー基地は跡形も無く消え去っていた。
そこにあるのはいくつもの巨大なクレーターだけだった。
山本五十六大将は全艦隊に「戦闘用具収め。」の命令を下した。