米軍の反撃1946年5月
米軍の反撃1946年5月
1946年1月
米海軍空母部隊は艦載機部隊のジェット機への機種転換を終了した。
艦載機は全機F-9Fパンサーに変更された。
しかし、F-9Fパンサーは前の歴史と違い、雷撃能力と爆撃能力を付与されていた。
レシプロ攻撃機や爆撃機ではNGFの防空網を突破出来ないと米海軍は判断したためであった。
しかし、突貫作業による量産と無理な改造が祟り前の歴史のF-9Fより若干重量が増え、最高速度も910km/hに低下してしまった。
それでもレシプロ機よりはマシだと米海軍は考えた。
あとは性能差を物量でカバーするしか選択肢が無かった。
また、太平洋艦隊も再建が終了し、また全艦艇には対空砲、対空機銃を増設し防空能力を高めた。
しかし、多くはレーダーと連動しているものではなく、従来型の肉眼照準によるものでNGFの対艦ミサイルにどれだけ効果があるかは判らなかった。
こちらも数で勝負するしか無いという状況だった。
1月26日
米軍統合参謀本部は大西洋・太平洋を巡る両洋作戦の基本方針を策定した。
その中で太平洋方面では
1・米国領土、本土沿岸水域の確保
2・米国西海岸、パナマ間の海上交通路の確保
3・豪州及び付属島嶼とアジア連合との連絡線の遮断。
が織り込まれた。
このうちの日台豪連絡線遮断の予備行動としてサモア諸島を配下に置きフィジー島のスバ、ニューカレドニア島のヌーメアを米軍の拠点とする一方で、トンガ諸島のトンガタブ、ガダルカナル島の南東600浬のニューヘブリディーズ諸島エファテ島に策源地を築き、アジア連合軍への戦略的反攻拠点を構築するという作戦名「ソード・オブ・パシフィック」を立案した。
ツラギ泊地の活用とガダルカナル島の飛行場建設は対日反攻作戦を企図する上で重要なステップになることは明白であり、またガダルカナル島への日台軍の進出を許す様な事になれば連合軍の策源地とされるニューヘブリディース諸島が空襲の脅威にさらされることをも意味した。
そのため、1月27日、アーネスト・キングは太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将とロバート・ゴームリー中将(南太平洋部隊海軍指揮官)に海兵隊によるサンタクルーズ諸島、ツラギ、その周辺島嶼への占領確保のための作戦準備を命じた。
かくして対日反攻作戦の第一段階であるウォッチタワー作戦は2月8日に次のようにして第3段作戦までが発令された。
第1段作戦
サンタクルーズ諸島、ツラギ、その周辺島嶼の攻略を目標とする
統合指揮官はチェスター・ニミッツ大将
D-dayは4月15日
作戦第1段階はフィジー諸島での予行演習、第2段階がガダルカナル島、ツラギ泊地の奪取、第3段階がヌデニ島、サンタクルーズ諸島の占領とする。
支援艦隊は第55任務部隊の護衛空母19 軽巡洋艦2 駆逐艦34
支援航空機は母艦航空部隊174機、海軍基地航空隊320機、陸軍航空部隊124機
使用可能基地(南太平洋方面):エファテ、エスピリトゥサント、ニューカレドニア、フィジー、トンガタブ、サモア
投入兵力(アレクサンダー・ヴァンデグリフト少将) 第1海兵師団第1海兵連隊、同第5連隊、第2海兵師団第2海兵連隊、第1海兵挺身大隊、第3海兵防衛大隊及び付属海兵隊。総兵力19,105
第2段作戦:
ソロモン諸島残部の攻略を目標とする。
統合指揮官はダグラス・マッカーサー大将
支援艦隊は第44任務部隊の大型巡洋艦ハワイ・グアムを基幹とし輸送船20隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦28隻、掃海部隊1個群の両用艦隊。
支援航空機は母艦航空部隊286機
第3段作戦:
ラバウル、ニューブリテン島、ニューアイルランド島の要地を攻略目標とする。
支援艦隊は第11・第22・第33任務部隊。
輸送船240隻、掃海部隊1個群の両用艦隊。
統合指揮官はダグラス・マッカーサー大将
支援航空機は母艦航空部隊1358機
1946年3月8日
艦艇数500隻近くになる大艦隊がハワイを出撃、南太平洋を目指した。
米海軍のそれらの動きは日本の情報収集衛星に察知されていた。
ハワイの太平洋艦隊基地に大量の鉄板とブルドーザーが用意されているのが衛星写真で確認された。
あきらかに飛行場設営のための物資である。
クエゼリンには飛行場が既に存在する。
ゆえにあれほどの資材は必要ない。
補修用にしてはあまりにも物資量が多すぎるからだ。
NGFは米海軍の目的はガタルカナルであると推測した。
日本側は米国艦隊の針路を注意深く見守り南太平洋方面に戦力を集めた。
1946年3月12日
米国艦隊はジョンストン島をさらに南下。
これら艦隊の攻撃目標は南太平洋方面である事が決定的となった。
これら情報からアジア連合は対英米戦争を一気に終決に導くための戦略を策定した。
大陸方面でソビエト、中国の共産党枢軸が侵攻の構えを見せている今、これ以上英米との戦争が続くのは好ましくない。
そのための作戦基本方針は
ガタルカナルをはじめとするソロモン諸島には兵力は一切展開せずそのまま米国陸上部隊を上陸させる。
その後、米太平洋艦隊を壊滅させ、それら上陸部隊を「人質」にして停戦を呼びかける。
という戦略が決定された。
NGF主力と台湾海軍はパプワニューギニア領内ビスマーク海のアドミラルチー諸島沖に展開し米太平洋艦隊の来襲に備えた。
またポートモレスビーにはオーストラリア・フィリピン・マリアナの3カ国合同海軍とマーシャル諸島に陣を張っていたNGFの第3潜水艦群が集結し米軍の後方遮断の任に備えた。
さらに米空母群の規模からその艦載機数は2000機前後と見積もられることからアジア連合軍の航空戦力はパプワニューギニア西部に集められた。
トラック島に前進配備されていた防空戦のである切り札航空自衛隊第201飛行隊(HAKEN、F-3A/B・T-4)と対艦攻撃の主軸である第8飛行隊(ACHILLES、F/A-18E・T-4)そして海上自衛隊の第5飛行隊:P-1(コールサイン "PEGASUS")がラバウルに移動した。
そして那覇の第5高射群がラバウルに、そしてラエには岐阜の第4高射群が展開し米艦載機群の空襲に備えた。
3月25日
米太平洋艦隊は英軍支配下のフィジー諸島に投錨した。
米軍は補給と上陸作戦の予行演習を行った後、4月10日全艦抜錨し、ソロモン諸島に進路を向けた。
1946年4月15日
米太平洋艦隊第5艦隊第55任務部隊の90機からなる護衛空母群の艦載機F-9Fパンサー部隊がガタルカナル島に爆撃を開始した。
米海軍は、日本軍がガタルカナルに進出している可能性が否定できなかったので執拗に爆撃を行った。
次に軽巡洋艦と駆逐艦部隊の艦砲射撃の後、ヴァンデグリフト少将指揮下の米海兵隊第1師団が上陸を開始した。
上陸した米海兵隊は全く抵抗なく上陸出来たことに拍子ぬけした。
彼らは日本軍の激しい抵抗があると思い込んでいたのだ。
上陸後、ヴァンデクリフト少将は偵察部隊を放ち日本軍の姿を探し求めた。
しかしガタルカナル島には日本兵の姿は一人も発見出来なかった。
また、日本軍機も一機も攻撃にこなかった。
不気味に思いながらも米軍は次々に部隊と飛行場建設資材をガタルカナル島に上陸させた。
全部隊を上陸し終えた第55任務部隊は残りの資材上陸のために残った輸送船とその護衛の駆逐艦8隻を残し、他の艦隊と共にヌデニ島、サンタクルーズ諸島占領のため出撃していった。
ヌデニ島、サンタクルーズ諸島もガタルカナルと同様に無血で占領できた。
ここでも一機の日本機も現れていない。
日本軍は米軍の動きを察知していないのではないか?
そういう楽観論が米太平洋艦隊首脳部の脳裏を占め始めた。
ひょっとしたら奇襲でラバウルを奪取できるかもしれない。
その希望を胸に米海軍は艦隊をラバウルに向けた。
しかし、日本側は情報収集衛星で米軍の動きは全てトレースしていた。
米艦隊がサンタクルーズ諸島を離れたと同時にNGFとアジア連合艦隊は行動を開始した。
NGF第1~第4艦隊、そして台湾海軍第2~第4機動艦隊はラバウル沖に前進して米艦隊を待ち受けていた。
そしてポートモレスビーに待機していたオーストラリア・フィリピン・マリアナ合同艦隊とNGF第3潜水艦群は米艦隊の背後を回り込むようにソロモン諸島にむけ出撃した。
南太平洋海戦1946年5月2日
1946年5月2日早朝、米太平洋艦隊はニューアイルランド島沖南方80kmの海域に進出した。
中央に第11任務部隊、右翼に第22任務部隊、左翼に第33任務部隊が展開し、そしてその後方に第44、第55任務部隊がそれぞれ10海里間隔で布陣していた。
夜明け共に米海軍の各戦艦、重巡、軽巡からは日本艦隊索敵のために水偵が発艦していった。
そしてその20分後に全空母群艦載機の発艦を開始した。
第1波攻撃部隊は920機にも上る大編隊となる予定であった。
これで日本軍のニューギニア方面の戦力を粉砕できる…第3艦隊司令ウイリアムズ・ハルゼー中将が確信した瞬間…司令部に衝撃が走った。
右翼に展開していた第22任務部隊が敵の「ロケット弾」の攻撃を受けているという報告が入ったのだ。
ハルゼーの脳裏に4年前のマリアナ沖の悪夢が蘇った。
ハルゼーは思わずつぶやいた。
…レイが言っていた日本軍のロケット兵器か!!
第22任務部隊を襲ったのは海上自衛隊の第1、第2潜水艦群だった。
ミサイルの射程までマスカーを使って忍び寄り、そして深度200mから対艦ミサイルサブハープーンを一斉に米艦隊に向け発射した。
優先目標は空母。
強化された対空砲火を考慮して正規空母には各3発。
軽空母、護衛空母には各2発をそして戦艦には5発をそれぞれに叩き込んだ。
第22任務部隊の必死の対空砲火はかろうじて1発のハープーンを撃墜したが、その他のミサイルは目標の艦艇に突入した。
正規空母フランクリン、レキシントンには3発が、バンカーヒルには2発が飛行甲板を直撃し大破炎上した。
軽空母モントレー・ラングレーにも2発が命中、2隻とも艦載機の爆弾や弾薬、そして燃料に引火して撃沈。
そして護衛空母部隊は全艦が一瞬で轟沈した。
戦艦コロラドとアイオワはそれぞれ5発のミサイルの直撃を受け、コロラドは大破炎上、アイオワは主砲を直撃され主砲弾に引火、撃沈されてしまった。
そして重巡洋艦部隊もさらに忍び寄ってきた海自潜水艦部隊の魚雷攻撃を受けた。
インディアナポリス、ボルティモア、ボストン、キャンベラはそれぞれ右舷に魚雷を3発受けて撃沈された。
軽巡洋艦と駆逐艦部隊は海自潜水艦を必死で探し求めたが、スティルス性に優れた21世紀の潜水艦を捉える事は出来なかった。
それどころか軽巡洋艦部隊の半数が返り討ちにあって撃沈された。
第22任務部隊はほぼ壊滅した。
しかし、不幸中の幸い第22任務部隊の第1次攻撃隊は50%が発艦を終えていた。
そしてもうひとつの幸運がハルゼーにもたらされた。
索敵のためにタラワから出撃した潜水艦が日本艦隊発見の報を送ってきたのだ。
残念ながら位置を報告したところでその潜水艦からの通信は途切れた。
恐らくは日本艦隊に撃沈されたのであろう。
ハルゼーはただちに全艦載機の発艦を命じた。
後方に控えていた第44、第55任務部隊の残ったF9Fには魚雷を搭載し全機出撃するように命じた。
今出さねば艦載機群の半数が戦わずして失われる。
第2次攻撃隊を出す余裕などない。
二の矢を放つ暇など日本軍が与えるとは思えなかった。
そのハルゼーの予感を裏付けるように第11任務部隊の上空に1機の日本軍のものと思われるジェット機が現れた。
それはラバウルを飛び立った航空自衛隊第501飛行隊の戦術偵察機RF-2Bだった。
同時刻、第33任務部隊の上空にはラエから出撃した台湾空軍のRF-16戦術偵察機が飛来していた。
一方、ラバウルに最も近い位置に布陣していたNGF第4艦隊は侵入してきた米潜水艦を発見、これを撃沈していた。
しかし、潜水艦は撃沈される寸前に通信を送っていた。
米空母群の艦載機が第4艦隊に押し寄せてくるのは間違いない。
第4艦隊司令の鈴木辰夫海将補は最も近い位置にいる台湾艦隊第4機動艦隊に支援を要請。
全艦に対空戦闘準備を下命した。
そしてウエワクより離陸した航空自衛隊のAWACS・E-767はラバウルに飛来する1000機以上の大編隊の接近を告げた。
あらかじめラバウル上空には航空自衛隊第201飛行隊のF-3Aと台湾空軍第1戦術戦闘機連隊のIDF雄鷹がスクリーンCAPを張っていたがやはり数が多すぎる。
ラバウル、ラエ、ポートモレスビーから次々と迎撃機が離陸していった。
さらにラバウル沖に展開するNGF空母群からも雷鳴改が次々に発艦していった。
迎撃機発進の中、米艦隊発見の報が届いた。
それは米太平洋艦隊第5艦隊の第11任務部隊と第33任務部隊だった。
ラバウル基地の耐爆シェルターの中でコクピットスタンバイの状態にあった対艦ミサイル装備の航空自衛隊第8飛行隊のF/A-18Jが緊急発進した。
同時にポートモレスビーからは同じように対艦ミサイル装備で待機していた航空自衛隊第301飛行隊のF/A-18Jが発進。
さらもう一個艦隊が発見という続報が入った。
それは第55任務部隊だった。
それを攻撃するために、ラエからはオーストラリア空軍の第101飛行隊の雷鳴改と第3攻撃飛行隊のブリストルブレニエムが米艦隊攻撃のため出撃した。
1,946年5月2日午前10時3分
太平洋戦争最大の空中戦が始まった。
口火を切ったのはラバウル上空でスクリーンCAPを張っていた航空自衛隊第201飛行隊のF-3Aと台湾空軍第1戦術戦闘機連隊のIDF雄鷹だった。
空自のF-3AはAAM3中距離対空ミサイルを、台湾空軍の雄鷹は中距離対空ミサイル天剣1をインレンジに入り次第全弾を発射。
36機の戦闘機から放たれた144発の中距離対空ミサイルは全弾が米艦載機に命中。
一瞬に144機のF-9Fが空中で爆散した。
さらに日台戦闘機部隊は距離を詰めそれぞれAAM4.天剣2の短距離対空ミサイルを発射。
さらに144機が撃墜された。
そしてミサイルを撃ち尽くしたF-3Aと雄鷹はバルカン砲で米艦載機群を引き裂いた。
同じジェット機といえ、第1世代のジェット戦闘機であるF-9Fと第5世代・第4世代の戦闘機であるF-3Aと雄鷹とでは運動性の次元が違いすぎた。
まったく相手に詰め寄ることもできずF-9Fは一方的に叩かれ、たった36機の日台戦闘機部隊に320機以上が撃墜された。
それでも米空母艦載機群は数の力に任せて日台戦闘機部隊のスクリーンCAPを突破。
ラバウルに殺到するが、そこへラバウルから上がってきた迎撃機が立ちはだかった。
航空自衛隊の航空自衛隊第6飛行隊のF-2Aと旧海軍航空隊である海上自衛隊第112飛行隊のF-5E空虎、そしてオーストラリア空軍第101飛行隊の雷鳴改であった。
対空装備で上がってきたF-2Aには4発の中距離対空ミサイルAAM3と短距離誘導弾AAM4が搭載されていた。
F-2AはF-9FのアウトレンジからAAM3を全弾発射。
72発のミサイルは狙いたがわずに米艦載機を粉砕した。
さらにF-2AのAAM4、そして空虎と雷鳴改のAIM9サイドワインダーが米艦載機群に襲いかかった。
そこでさらに108機が撃墜された。
それでもまだ米艦載機群は600機以上の大編隊である。
54機の日豪戦闘機部隊では分が悪すぎた。
そこへ230機のNGF空母艦載機群が援軍として現れた。
230機のNGF艦載機部隊は一斉にAIM9サイドワインダーを発射。
460機のF-9Fが瞬く間に撃墜された。
これで数は日台豪の戦闘機部隊が優勢になった。
F-2AとF-5E空虎を有する日台豪の戦闘機部隊は圧倒的有利に空中戦を展開した。
結局残り100機を切った米艦載機群はラバウル攻撃をあきらめ撤退していった。
その同時刻
NGF第4艦隊に米第5艦隊の第44・第55任務部隊の460機からなる大編隊が迫っていた。
AWACSからの通報で上空CAPを張っていた第7航空戦隊DCV1002「するが」
の40機の艦載機群は迎撃に向かった。
護衛のF-9Fも日本空母艦載機部隊を迎え撃つべく立ち向かってきた。
その数約150機
NGF艦載機雷鳴改は対空戦闘装備で出撃してきたのでAIM9を各機4発ずつ搭載していた。
40機の雷鳴改は一斉にAIM9を全弾発射。
150機のF-9Fは瞬時に爆散した。
護衛機を片付けた雷鳴改部隊は310機からなるF-9F攻撃隊に襲いかかった。
魚雷やロケット弾を搭載したF-9Fは動きが鈍く、次々と雷鳴のM-61バルカン砲に引き裂かれていった。
それでもなんとか200機以上が雷鳴の迎撃をくぐりぬけNGF第4艦隊に迫った。
それに対し、NGF第4艦隊第63護衛隊のDDG-175 みょうこう DDG-177 あたご、そして第7護衛隊のDD-133みなづきがSM2で攻撃を開始した。
SM2の3連射で36機が爆散。
さらにNGF護衛艦群と台湾海軍第4機動艦隊のミサイル駆逐艦のシースパローが迎撃。
これで18機が撃墜された。
その後シースパローの第2波攻撃でさらに12機撃墜。
残った150機のF-9Fがミサイルの迎撃をくぐりぬけ艦隊に肉薄してきた。
しかしそれらはNGF、台湾海軍の護衛艦・駆逐艦の速射砲の槍衾に迎えられた。
毎分60発以上のレーダー管制された速射砲は次々とF-9Fを叩き落していった。
それでも十数機が弾幕をくぐりぬけたが護衛艦群のCIWSに引き裂かれていった。
CIWSに引き裂かれる寸前に5機のF9Fが魚雷を投下。
そしてCIWSの弾幕をくぐりぬけたロケット弾を装備したF-9F1機が第16戦隊の軽巡洋艦長良にロケット弾を発射した。
ロケット弾の直撃を受けた軽巡洋艦長良は大破してしまった。
ロケット弾を発射したF-9Fは近くにいた第3護衛隊のDD-114 すずなみのCIWSによって結局は撃墜された。
投下された魚雷は機動性の高いNGFの護衛艦と台湾海軍駆逐艦は回避できたが動きが若干鈍い重巡足柄に1本が命中。
足柄は中破の被害を被った。
戦争が始まって以来、NGFが受けた初めての被害だった。
艦載機を送り出した米海軍第3艦隊第11任務部隊の旗艦ヨークタウンではウイリアムズ・ハルゼーが次々と入る報告に蒼ざめていた。
戦闘機部隊からの通信が次々と途絶していく。
相当な被害を被っているのは間違いない。
しかし日本軍もそれなりの被害を被っているはずだ。
そうであってほしい。
祈るような思いでハルゼーは艦載機の帰りを待ちわびていた。
そんなハルゼーの耳にウイングに立っていたワッチの報告が飛び込んできた。
「敵ロケット弾接近!!」
ハルゼーは矢のようなスピードで艦隊に突入してくる飛翔体をみた。
これが…日本軍のロケット兵器か?!
第11任務部隊に襲いかかったのは航空自衛隊第8飛行隊のF/A-18J18機だった。
18機のF/A18Jはそれぞれ4発のASM3空対艦ミサイルを発射。
72発のASM3が米海軍第11任務部隊に襲いかかってきた。
第11任務部隊の護衛部隊は一斉に対空射撃を開始。
濃密な対空弾幕を形成した。
しかし音速で向かってくるASM3を捉える事は出来ない。
3発の対艦ミサイルが、ハルゼーが座乗する正規空母ヨークタウンに着弾した。
飛行甲板で火の玉が弾け、甲板が砕け散る。
着弾の衝撃でハルゼーは艦橋の壁に叩きつけられた。
部下に助け起こされたハルゼーが目にしたのは火の海と化したヨークタウンの飛行甲板であった。
他の空母に目をやると同じように空母イントレピット、そしてホーネットが炎を吹き上げていた。
戦艦も同様であった。
ミシシッピもアイダホも炎に包まれ苦悶にのたうっていた。
部下の報告では軽空母プリンストン・ベローウッド、そして護衛空母群が全て撃沈されたという。
重巡洋艦部隊も半数が大破した事がそのあと報告された。
そして第33任務部隊も同様の被害を被ったという報告も届いた。
ハルゼーは底なしの闇の中に放り込まれたような気分になった。
そして追い打ちをかけるように第55任務部隊も敵航空部隊の攻撃を受けているという報告が入った。
オーストラリア空軍の攻撃部隊の雷鳴改部隊は対艦ミサイルペンギンⅡ2発を搭載していた。
それらは米海軍護衛空母群にむけて一斉にペンギンⅡを発射した。
その攻撃で19隻の護衛空母が撃沈された。
さらにブリストルブレニエム隊の雷撃により軽巡洋艦2隻と駆逐艦5隻が沈められた。
わずか半日余りの戦いで米海軍第3艦隊は空母戦力のほとんどを失った。
ラバウル方面で米海軍主力部隊が辛惨を舐めている頃、ガタルカナルとサンタクルーズに残った部隊にも災厄が襲いかかった。
ガタルカナル島に残った輸送船と護衛の駆逐艦部隊にNGF第3潜水艦群が襲いかかった。
まず伊号潜が駆逐艦部隊に対艦ミサイルを発射。
8隻の駆逐艦部隊は瞬時に壊滅した。
そして残された輸送船団は第3潜水艦群の魚雷攻撃に晒された。
護衛の駆逐艦を失った輸送船団は成す術もなく全て沈められていった。
炎を吹き上げながら沈んでいく船団を見つめながら海兵隊司令官ヴァンデクリフト少将は自分たちがこの島に取り残された事を知った。
サンタクルーズ諸島の残留部隊は夜の闇にまぎれて接近してきたオーストラリア・フィリピン・マリアナ合同艦隊の攻撃を受けた。
3カ国合同艦隊は対艦ミサイルを護衛の駆逐艦部隊に向け発射。
駆逐艦部隊を壊滅させた後、砲撃により輸送船団を次々に沈めていった。
その後、NGF第3潜水艦群とオーストラリア・フィリピン・マリアナ合同艦隊はソロモン、サンタクルーズ諸島を海上封鎖した。
度重なる悲報に打ちひしがれていたハルゼーだったが、持ち前の炎のような敢闘精神で立ち直った。
幸い第44任務部隊は健在である。
そして辛うじて生き残った艦載機群が90機いる。
旗艦を大型巡洋艦ハワイに移し、彼はNGFに対し艦隊決戦を挑む決意を固めた。
ラバウル攻略は失敗したが、ガタルカナル・サンタクルーズを攻撃した敵艦隊を撃破し両諸島の連絡線を守りきる。
まずはガタルカナル・サンタクルーズを封鎖している敵艦隊を撃破する。
後方の敵は少ない。
これらならまず勝てるであろう。
その後追撃してきたNGFをサンタクルーズ諸島で迎え撃つ。
サンタクルーズ方面ならばフィジー・サモアの味方航空部隊の航空支援も受けられる。
そして、艦艇数は圧倒的にこちらが上。
砲雷撃戦になれば勝ち目はまだある。
そう決断したハルゼーは、大破した空母、戦艦、巡洋艦と共に搭載する艦載機を失った護衛空母を護衛の駆逐艦をつけてタラワに退避させ、そして残存する艦隊を集結させた。
その戦力は
大型巡洋艦2 軽空母2 護衛空母1
重巡洋艦5 軽巡洋艦23 駆逐艦98隻
米海軍第3艦隊の残存艦隊は進路をガタルカナルに向け進発した。
ソロモン海戦1946年5月3日
「ハルゼー率いる米海軍第3艦隊が艦隊を再編成してガタルカナル方面に向かう。」
その報告がNGF艦隊首脳部に届いたのは5月2日の午後12時を回ったところだった。
通信を傍受し暗号を解読したところハルゼーはまた戦うつもりのようだ。
あくまでもガタルカナル・サンタクルース両諸島の連絡線を確保するつもりらしい。
さらに東京の防衛省情報本部からハワイにおいて増援部隊が出撃準備を開始したという報告が届いた。
情報収集衛星がハワイ真珠湾で出港準備を始めている米空母群の姿を捉えたのだ。
しかしそれら増援部隊の出撃は微妙だった。
一応出撃準備はさせるが、出すかどうかは未定。
これが今の太平洋艦隊のハワイでの状況だった。
アメリカ国内では戦争継続に疑問視する声が大きい。
さらにはアメリカ各地で反戦運動が盛り上がってきている。
米国議会でも増援派遣は賛否が分かれていた。
このまま海軍が対日戦争ですり潰されたら米国本土の守りが怪しくなる。
特にソビエトのスターリンと中国の毛沢東が征服欲を剥き出しにして他国を侵略する構えを見せている今、それは極めて危険であった。
病死したルーズベルトに変わり大統領に就任したトルーマンもこれ以上戦争継続するべきかどうか迷い始めていた。
間近に大統領選が迫っている。
反戦の気運が国内世論に高まっているこの状況で選挙を戦えるのか?
太平洋艦隊は再び大被害を被った。
特に1700機にも及ぶ空母艦載機部隊が日本軍によって撃墜された。
この大損失を国民にどう説明してよいのか?
そしてこのような損失を受けてもなお戦争継続を国民に納得させる術はあるのか?
その答を出すことがトルーマンをはじめとするホワイトハウススタッフには出来なかった。
確かなことはこれ以上の増援は出せない。
増援派遣を議会に納得させることが出来ない。
出したくても出せないというのが実情であった。
今はただ、「現有戦力でガタルカナル、サンタクルーズ両諸島の連絡線を死守せよ。」と命じる事が精一杯だった。
日本側もアメリカ国内の事情をスイス経由の情報でつかんでいた。
アメリカの戦意を完全に挫くにはもう一息だと政府首脳、そしてNGF艦隊首脳部と感じていた。
そのためには米第3艦隊を壊滅に追い込む。
さらにはガタルカナル、サンタクルーズの封鎖を完璧なものにする。
NGFは第3艦隊追撃と南太平洋方面の米英戦力の完全撃滅を決意した。
その手始めに、NGF司令部は敗走する大破した米空母群と戦艦群にとどめを刺すようナウル沖に待機していたNGF第1・第2潜水艦群に命じた。
5月3日03:15
米第3艦隊はガタルカナル島沖に到達した。
ハルゼー中将はただちに敵艦隊の索敵を命じた。
昔ならいざ知らず、今は米海軍艦艇の全てが水上レーダーを持っている。
夜の闇は索敵の妨げにはならなかった。
しかも夜ならば日本機の攻撃も無い。
夜明け前までにはガタルカナルを封鎖している敵艦隊を撃滅するつもりだった。
ハルゼーは自らにも気合を入れるために上陸部隊には「決して見捨てない。」というメッセージを送った。
しかしハルゼーは失念していた。
NGF艦艇もレーダーを持ち、そしてそれは21世紀の技術で作られた遥かに優れたものであるということを。
米第3艦隊から東に40km。
そこに水上レーダーを露頂させたNGF第3潜水艦群の伊号潜が第3艦隊にハープーンミサイルの狙いを定めていた。
そしてそこから南西方向、米第3艦隊の後方10kmの位置で呂号潜が搭載していた有線操縦の無人潜水艇を発進させていた。
無人潜水艇は母艦から5km以上離れた位置から米第3艦隊に搭載する2発の魚雷の照準を合わせた。
無人潜水艇は最終位置確認のためのアクティブピンガーを米海軍艦艇に向けて放った。
米海軍駆逐艦アレン・M・サムナーのソナーマンがソナー音を探知したと同時に艦隊に向かってくる魚雷の推進音を捉えた。
その数18本。
ソナーマンはあわててブリッジに報告。
アレン・M・サムナーの艦長ギルバート中佐は警報を鳴らし、回避運動を操舵手に命じた。
雷跡は全く見えない。
頼りになるのはソナーだけだった。
そしてソナーマンの悲鳴に似た報告がブリッジに上げられた。
魚雷が追尾してくる!!
誘導魚雷!!
そうギルバート中佐が悟った瞬間、アレン・M・サムナーを恐ろしい衝撃が襲った。
呂号潜の無人潜水艇が放った18式誘導魚雷が左舷船腹に命中したのだ。
船体に弾頭が食い込んだ瞬間、魚雷の炸薬が爆発。
アレン・M・サムナーの船体は引き裂かれた。
アレン・M・サムナーが炎を噴き上げ沈み始めたのと時を同じくして索敵活動中の駆逐艦部隊が次々と雷撃を受けた。
全魚雷は狙いたがわず目標に食らいつき、18隻の獲物を海の底に引きずり込んでいった。
駆逐艦部隊が雷撃を受けたという報告は第3艦隊旗艦ハワイに即座に伝えられた。
潜水艦が潜んでいる。
ハルゼーは駆逐艦部隊に対潜戦闘を命じた。
その時、対空レーダー員が物凄いスピードで艦隊に接近してくる飛行物体をキャッチした。
ハルゼーがその報告を受けた瞬間、軽空母サン・ジャシント、コパヒーが爆炎に包まれた。
そして護衛空母ビスマーク・シーも大爆発を起こした。
日本海軍のロケット弾攻撃であると悟ったハルゼーは対空弾幕を張るよう命じた。
第3艦隊全艦の対空砲が火を噴いた。
未明の空に曳航弾の光のシャワーがまばゆく光った。
しかし、その弾幕をもろともせず伊号から発射された対艦ミサイルは次々と突入してくる。
重巡洋艦コロンバス、ヘレナが2発の対艦ミサイルの直撃を受け大破。
そして大型巡洋艦グアムにいたっては5発の対艦ミサイルが命中し轟沈してしまった。
さらに6隻の軽巡洋艦も撃沈された。
駆逐艦部隊は必死に日本海軍潜水艦を探し求めたが発見することは出来なかった。
呂号潜部隊は無人潜水艇を回収し、速やかにマスカーを張り戦闘海域を離脱していた。
伊号潜部隊も同様だった。
彼ら第3潜水艦群の本当の任務はガタルカナルの封鎖であるため第3艦隊との戦闘は一撃離脱を徹底せよとNGF司令部から厳命されていた。
それはオーストラリア・フィリピン・マリアナ3カ国合同艦隊も同様だった。
夜の闇にまぎれ対艦ミサイルの射程まで接近した3カ国合同艦隊は各艦1発ずつミサイルを発射。
発射後、ただちにその場を離れた。
さら24発の対艦ミサイルの攻撃を受けた米第3艦隊は大混乱に陥った。
大破した重巡洋艦コロンバスとヘレナはさらに2発の直撃弾を受け撃沈。
そして重巡洋艦オーガスタ、ヒューストンも3発の命中弾を受け撃沈された。
その他軽巡洋艦3隻、駆逐艦7隻が撃沈または轟沈した。
あまりの被害の大きさにさしものハルゼーも恐れをなし、生存者の救出を速やかに行い、その後、サンタクルーズ方面へ撤退していった。
第三艦隊の戦力は大幅に減少し、大型巡洋艦1、重巡洋艦1軽巡洋艦14 駆逐艦75にまで落ち込んでしまった。
サンタクルーズ諸島にやっとの思いで落ち延びたハルゼーにさらに追い打ちをかけるような知らせが飛び込んできた。
後方に退避させた空母と戦艦群が日本海軍潜水艦の攻撃を受け全艦が撃沈されたというのだ。
不幸中の幸い、第22任務部隊の空母レキシントンは結局消火不能で自沈処分となったが、空母フランクリンとバンカーヒル、そして戦艦コロラドは無事タラワに逃げ延びた。
しかし第11、第33任務部隊の空母と戦艦は途中で日本海軍潜水艦につかまった。
それぞれがとどめの雷撃を受け瞬く間に沈没。
さらに艦載機を失った護衛空母群も雷撃を受け全滅した。
攻撃した日本海軍潜水艦は米海軍駆逐艦部隊の追撃を振り切り、姿を消したという。
しかし艦隊司令部の命令は現有戦力でガタルカナル、サンタクルーズの連絡線を死守せよ…である。
ハルゼーは思わず苦悶の表情を浮かべた。