表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/25

アジア1946年5月

ソ連軍の満州侵攻の部分を追加させていただきます。

アジア1946年5月

英米の太平洋アラビヤ海での反撃と時を同じくして、ソ連・中国の共産党枢軸は満州侵略と同時にアジア各地に侵攻を開始した。


極東アジアではウラジオストックからソ連太平洋艦隊が100以上の輸送船を従えて択捉へ向けて出撃した。

目的は明らかに東方イスラエル共和国への侵略である。

その陣容は

重巡洋艦

カガノヴィッチ

カリーニン


駆逐艦

キエフ ・トビリシ・レティボイ・リヤニイ

グロジャシュチー・ラストロヌイ・レズボイ

ラジアシュチー


護衛艦

アルバトロス・ヴィューガ・メテル・グロム

ブールン・モルニヤー・ザーニツァー


兵員及び物資輸送船100隻


択捉方面ではそれらをイスラエル海軍のミサイル艇隊と海上自衛隊の第17護衛隊が待ち構えていた。

迎撃部隊の陣容は

海上自衛隊第17護衛隊

第17護衛隊(大湊)

護衛艦「ゆうばり」 「ゆうべつ」 「じんつう」 「ちくま」

駆逐艦不知火・霞・霰・陽炎・秋雲(第十八駆逐艇)


第一ミサイル艇隊(大湊)

ミサイル艇「うみわし」「わかわし」「おおわし」

イスラエル海軍

第1ミサイル艇隊:ヨアヒム型ミサイル艇3隻

第2ミサイル艇隊:ヨアヒム型ミサイル艇3隻

見た目には日本・イスラエル側が圧倒的に不利に見えるが、それらには全て21世紀の未来技術で作られた対艦ミサイルが装備されていた。


第17護衛隊司令網野一等海佐はソ連艦隊がミサイルの射程に入ったところで対艦攻撃を下命した。

旗艦ゆうばりをはじめとする海自護衛隊とミサイル艇隊から一斉に対艦ミサイルが発射された。

日本艦隊からデーターリンクと目標指示を受けたイスラエル海軍ミサイル艇隊もそれに続いて攻撃を開始した。


ソ連海軍重巡洋艦カガノヴィッチ・カリーニンには各3発のミサイルが飛来した。

ソ連太平洋艦隊司令のイワノビッチ少将は慌てて対空弾幕を展開するよう命じたが米英に比べても貧弱な対空砲火では音速で突入してくる対艦ミサイルを撃墜する事など不可能だった。

全弾が着弾し、カガノヴィッチは大破炎上。

カリーニンは主砲を直撃され轟沈した。

そして駆逐艦と護衛艦には各一発ずつ着弾し、全艦が撃沈された。


護衛の戦闘艦艇を失ってもソ連艦隊は転進しようとはしなかった。

輸送船団はなおも択捉にむかって進んでくる。

網野一佐はソ連艦隊に撤退を呼びかけたが、ソ連側はそれを無視した。


「正気とは思えない…狂っている…」

思わず網野一佐はつぶやいた。

スターリンは撤退を決して許さないとは聞いていたが、ここまで酷いとは思わなかった。

丸腰の輸送船だけで戦闘艦艇が待ち構えている海域に突入してくるなんて正気の沙汰ではない。

改めて共産主義独裁体制の恐ろしさを思い知った網野一佐であった。


しかし…このままにはしておけない。

彼らを択捉島に上陸させるわけにはいかない。

網野一佐はやむなく全艦に主砲による攻撃を下命した。


結局ソ連輸送船団は護衛艦の速射砲攻撃と魚雷攻撃で全滅した。

「対艦戦闘用具収め…それから…生存者の救出急げ。」

苦々しい思いを呑みこんで網野一佐は命令した。


ベトナムでは中国共産軍の侵攻が始まっていた。

トンキン湾の沿岸都市東興とその西側100kmにある憑称からは広州軍管区第42軍が、そして雲南省蒙自からは成都軍管区の第14軍がベトナム北部のホンガイ、ランソン・そしてラオカイにそれぞれ航空部隊の支援を受けて侵攻を開始した。

海南島からも中国人民空軍の戦爆連合がベトナムに来襲した。


海南島から襲来した戦爆連合はトンキン湾上空でタイ王国海軍第一艦隊の空母クリーアトの艦載機部隊の迎撃を受けた。

中国側120機、タイ海軍航空部隊12機。

戦力比は10:1

数の上では圧倒的不利であるがタイ王国海軍側は亜音速ジェット戦闘機雷鳴改である。

対空ミサイルと圧倒的機動力の差で中国空軍のLaGG-3戦闘機やR-10軽爆撃機を次々に撃墜していった。

部隊の三分の一を失いながらもタイ王国海軍航空部隊の迎撃をすり抜けた中国空軍部隊を今度はタイ王国海軍第一艦隊が待ち受けていた。

タイ王国海軍艦艇のミサイル駆逐艦は一斉にシースパロー対空ミサイルを発射。

10機が一瞬に撃墜され、さらにそのあとレーダー管制の対空砲火が浴びせられた。

日本海上自衛隊や台湾海軍のような速射砲はないかわりにタイ王国海軍艦艇にはCIWSが装備されていた。

レーダー管制された20mm機関砲弾の濃密な弾幕に突っ込んだ中国空軍部隊はたちまち壊滅的損害を被った。

半数を撃墜されたところでたまらず中国空軍部隊は海南島に撤退していった。


南寧、湛江そして崑崙から飛来した中国空軍部隊もアジア連合航空部隊の迎撃を受け大損害を被り地上部隊の支援も満足に行うことは出来なかった。


逆にアジア連合ベトナム防衛部隊は台湾陸軍の近代兵器と近接航空支援により中国軍の浸透を阻止した。

しかしながらやはり圧倒的兵員数の差でベトナム領土の一部の占領をゆるしてしまった。

同様にラオス、ビルマ、チベットにも中国軍が侵攻し防衛線の維持は成功したものの一部地域の占領を許す結果となった。

特にチベットは首都ラサの防衛は成功したものの国土の60%を中国に占領されてしまった。


満州防衛戦1946年5月2日

米英連合軍の太平洋アラビア海での反攻作戦に呼応しソ連軍と中国共産軍も満州共和国領内に侵攻を開始した。

ザバイカル方面からはロジオン・マリノフスキーソ連邦元帥指揮下の第17・36・39・53軍と第6親衛戦車軍1500両が満州里に侵攻。

グラゴベチェンスク方面からはキリル・メレツコフソ連邦元帥指揮下の第1・第5・第25・第35軍と第10機械化軍団 (戦車1500両)が黒河へ。

そしてハバロスクからはM.プルカエフ上級大将指揮下の第15・第16軍、第2赤旗動章軍 そして第5独立狙撃軍団 が虎頭に侵攻してきた。

中国軍も北京軍管区第24軍団が泰皇島より関海山に、そして同第27軍が北京より承徳に、第38軍がモンゴルより索倫と3方向から侵攻してきた。


装備こそ圧倒的に優位にある日本台湾満州連合軍であるがやはり数では圧倒的に劣勢である事は否めない。

ゆえに前の歴史の朝鮮戦争における洛東河防衛線に倣い防衛線を韓国領南陽から牡丹江、ハルピン、新京、新民、営口のラインに下げ防衛戦力の集中を図った。

その防衛線は吉林遼寧防衛線と名付けられた。


さらに先の歴史を繰り返さないよう防衛線の外の満州国国民はソ連軍と中国共産党軍の動きが明らかになった段階で韓国国境にある避難所に避難させた。


ソ連中国軍は全く抵抗を受けずに満州国領内を進軍し満州北部地域を無血で占領した。

途中プトハを始めとする満州国北部の飛行場を占領していったが、ご丁寧に日本・満州連合軍は撤退時に滑走路を爆破したらしく使用不能になっていた。

ソ連軍はそれら飛行場を突貫工事で補修し、補修が終わった飛行場には Il-2シュトルモビク、Il-10地上攻撃機、Yak-2/Yak-4爆撃機そしてLa9、Yak-7、Yak-9戦闘機が前進配備された。

航空機部隊の展開が終了を待って各地上部隊は再び前進を開始。

5月15日には吉林遼寧防衛線に迫った。


ソ連軍は偵察機を飛ばし朝鮮半島の南陽から牡丹江、ハルピン、新京、新民、営口のラインに強固な防衛線が構築されていることを察知する。

それら防衛陣地を粉砕するために満州国境近くの空軍基地に集結させてあったIL-4爆撃機部隊を前進配備した攻撃機、軽爆そして戦闘機部隊と共に出撃させた。


5月17日

満州上空で日台満航空部隊とソ連航空部隊の大空中戦が展開された。

後にバトルオブ満州と呼ばれる防空戦である。

ハルピン飛行場に展開した航空自衛隊第303・304飛行隊のF-15J、そして旧陸軍航空隊第411飛行隊の空虎(F-5E)がハルピン新京方面に爆撃のため飛来した300機からなる戦爆連合を。

丹東飛行場に展開した航空自衛隊第204飛行隊のF-15Jと旧陸軍航空隊の第411飛行隊の空虎(F-5E) が牡丹高上空に侵入した350機の戦爆連合を。

そして南陽方面に侵入してきたソ連空軍戦爆連合200機は元山基地に展開していた台湾空軍の第455戦術戦闘機連隊第4大隊のF-16Cと旧陸軍航空隊第412飛行隊の空虎(F-5E)そして韓国空軍の雷鳴改がそれぞれ迎撃した。

同時に南から中国空軍のLaGG-3戦闘機の護衛の元DB-3爆撃機、ネーマンR-10軽爆撃、Su-2地上攻撃機らの戦爆連合140機が奉天・営口方面に飛来した。

これらは奉天飛行場に展開する満州国空軍の雷鳴改が迎撃した。


これら防空戦闘はジェット戦闘機を有する日台満そして韓国の航空部隊の圧倒的優位な状況で進んだ。

中距離・短距離対空ミサイルとバルカン砲により瞬く間にソ連・中国戦爆連合は半数以上が撃墜され、そして辛うじて防衛線への爆撃コースにのった爆撃機や地上部隊に迫った攻撃機部隊は改ホーク地対空ミサイル、89式短距離誘導弾、93式短距離誘導弾そして87式対空自走砲により迎撃されそれぞれ数発の爆弾を投下しただけでほとんどが撃墜された。

結局基地に戻る事が出来たのは全部隊の20%以下だった。


同日午前8時

ザバイカル方面軍が戦爆連合の空襲に呼応してぺトナに侵入した。

ソ連中国戦爆連合の惨状を彼らはまだこの時は知らない。

味方空軍の攻撃で日台満連合軍は大被害を被ったとマリノフスキー元帥は信じ切っていた。

そんなソ連ザバイカル方面軍に対し日台満連合軍が迎撃を開始した。

新京飛行場に展開する台湾空軍第5 (401) 戦術戦闘機連隊第5大隊のF16Cの援護の元満州空軍の99式双軽爆改と雷鳴改がソ連軍部隊を空爆した。

満州空軍の99式双軽爆改は日本の技術支援を受け爆弾倉に20mmチェーンガンが装備され胴体両側にはスタブウイングが装着され、そのハードポイントにはハイドラ70 2.75inロケット弾が搭載され対地攻撃能力が強化されていた。

21世紀世界にあったAC130スペクターと同様の「ガンシップ」に生まれ変わっていたのである。

満州国空軍第2攻撃飛行隊の99式双軽爆改20機と同じく70mmロケット弾を搭載下第2戦闘飛行隊の雷鳴改はソ連軍対空機銃の射程外から、まずスタブウイングに装備されたハイドラ70 2.75inロケット弾で戦車群を攻撃した。

頭上から降り注ぐ5インチロケット砲弾は戦車の弱点である上面装甲をたやすく突き破り車内で炸薬を炸裂させた。

ソ連陸軍隊列の先頭部のあちこちで爆発が起こり、主力戦車T-34は次々に破壊されていった。

次々と爆破炎上する戦車部隊を驚愕の目でみていたソ連兵の頭上にさらなる災厄が降り注いできた。

99式双軽爆改の爆弾倉に装備された2門の20mmチェーンガンが掃射を開始したのである。

1分間に1000発の発射速度を持つチェーンガンは20mm機関砲弾の雨をソ連軍に浴びせかけた。

数秒で分隊単位の歩兵がなぎ倒され、そして装甲車やトラックが粉砕されていく。

マリノフスキー元帥はすかさずプトハに進出していた戦闘機部隊に援護を要請。

第2波空襲に備えていたソ連空軍La9戦闘機120機が緊急発進し、ペトナ上空に来援した。

La9戦闘機は地上を掃射している99式双軽爆改に上空から襲いかかろうとダイブした。

しかし、その瞬間先頭を飛ぶ36機が瞬時に爆散した。

台湾空軍のF-16Cの天剣2短距離ミサイルの攻撃だった。

散開するソ連空軍戦闘機部隊にさらにミサイルが襲いかかった。

さらに36機が撃墜された。

わずか2分の間に部隊の半数以上を失ったソ連空軍戦闘機部隊はパニックに陥った。

そこへとどめを刺すように台湾空軍のF-16と共に満州空軍の雷鳴改が襲いかかってきた。

最高速度690km/hを誇る高速機と言えど、所詮はレシプロ機。

超音速ジェット機のF-16Cと亜音速ジェット機の雷鳴改に敵うはずもない。

次々とそれらのM-60バルカン砲に引き裂かれていった。


上空援護をするはずの戦闘機部隊が瞬く間に全滅してしまったソ連軍ザバイカル方面軍は満州空軍攻撃部隊に蹂躙され、そして部隊の30%以上を空爆により失った。

特に戦車部隊と砲兵部隊が集中的に狙われ、それらは戦わずして40%以上が破壊されてしまった。

軍事の原則として「30%の損害で戦力半減。50%で壊滅」となっている。

つまりザバイカル方面軍はこの段階で「戦力半減」となった事になる。

しかし、兵員数ではソ連側が圧倒的に優位。

何より半数近くを失ったとはいえ戦車の数ではまだまだソ連軍が圧倒していた。

しかし「戦力半減」はやはり痛い。

本来ならばペトナの先で部隊を分け新京、吉林に同時侵攻する予定だったが、マリノフスキー元帥はやむなく部隊を再編成し、全部隊を新京方面に向かわせることにした。


不屈の闘志で進軍を続けたソ連軍ザバイカル方面軍であったが数度にわたる空爆で戦力をすり潰されていった。

翌日18日に満州国防衛線の最前部である農安に到達した頃にはさらに部隊の20%を失っていた。

すなわち全兵力の50%を損失したことになりザバイカル方面軍は軍事的には「壊滅」したに等しかった。

それでもまだザバイカル方面軍の方が兵員数と戦車の数で優勢である。

しかし砲兵部隊が壊滅したことは大きな痛手だった。

進退を再考し始めたマリノフスキー元帥に「敵の砲撃」という悲鳴のような報告が届いた。


その砲撃は陸上自衛隊第11師団第11特科連隊の99式155mm自走りゅう弾砲の攻撃だった。

デジタルコンピュータに射撃管制された99式155mm自走りゅう弾砲の砲撃は正確無比で、次々にソ連軍戦車部隊と歩兵部隊を粉砕していった。


マリノフスキー元帥はただちにわずかに残ったJSU-152自走砲部隊に反撃を命じたが、機動性の高い99式155mm自走りゅう弾砲を捉える事は出来なかった。

逆に対砲撃レーダーで位置を補足されたJSU-152自走砲部隊は99式155mm自走りゅう弾砲の反撃で全滅させられてしまった。


浮足立ったソ連軍ザバイカル方面軍にとどめを刺すように陸上自衛隊第11戦車大隊の90式戦車部隊が、満州陸軍第4戦車大隊と陸上自衛隊中央即応集団第25軍(旧印度支那派遣軍)の第5師団・戦車第6連隊のM41D軽戦車を従えて突入してきた。

T-34を中核とした戦車部隊がこれを迎え撃ったが、T-34の76.2mm戦車砲は90式の複合装甲にいとも簡単に弾き返された。

そして90式の120mm滑空砲が火を噴いた。

T-34の装甲は段ボール紙のように簡単に貫通され車内で炸薬が炸裂した。

次々とソ連軍戦車は爆発炎上していく。

さらに左右側面に回り込んだM41Dの76.2mmライフル砲も砲撃を開始した。

発射速度が高められた砲弾はやはりT-34の側面装甲を貫通。

次々とソ連軍戦車を撃破していった。

ソ連軍前衛の戦車部隊を全滅させた日満合同の戦車部隊は歩兵の肉弾攻撃を警戒して砲撃で牽制しつつ後退していった。


ソ連軍ザバイカル方面軍は前衛の戦車隊を失ったことでその戦力の70%以上を失った事になる。

これでザバイカル方面軍戦車隊は軍事上消滅したに等しい。

しかしここで後退は出来ない。

まだまともに戦ってもいないのに後退したとあっては「敢闘精神欠如」を問われ指揮官の銃殺は避けられない。

スターリン支配下のソビエト軍は苛烈の一言だった。


マリノフスキー元帥は全部隊に突撃を命じた。


5月18日15:45

ソ連ザバイカル方面10万が吉林遼寧防衛線の一角農安に突撃を開始した。

日本満州連合軍陣地から陸上自衛隊第11旅団11特科連隊の99式155mm自走りゅう弾砲の砲撃がふりそそぐ。

155mm榴弾でソ連兵は毎分小隊単位で吹き飛ばされていく。

その犠牲ももろともせず突撃を続けるソ連軍ザバイカル方面軍部隊に対し、射程内にそれを捉えた陸自普通科の84mm無反動砲 、81mm迫撃砲 、107mm迫撃砲が攻撃を開始する。

それらの無反動砲のHE弾が装甲車やトラックを粉砕し、迫撃砲弾が歩兵を吹き飛ばす。

さらに後方に下がり普通科と合流した戦車部隊も砲撃に加わる。

すでに10万人いたザバイカル方面も機関銃の射程に入る頃には5万人程度まで撃ち減らされていた。


それでもソ連兵たちはマンドリン銃を乱射しながら「ウラァァァァ!!」という叫び声を浴びせながら突撃してくる。


90式戦車や96式装輪装甲車の車載の12.7mm機銃、そして普通科の7.62mm機関銃、89式5.56mm小銃が一斉射撃を開始した。

銃弾の嵐がソ連軍部隊に襲いかかった。

ある者は機関銃砲弾で引き裂かれ、そしてある者小銃弾で撃ち倒されそれぞれ血の海に沈んでいった。

ザバイカル方面軍の兵力の損耗が80%を越えたとき、さしものマリノフスキー元帥もここまでとあきらめ全軍に撤退を命じた。


ハルピン、牡丹江、そして南陽に侵攻してきたソ連軍部隊も同様の損害を受け撤退していった。

平均損耗率は75%。

航空機部隊も70%以上喪失した。

奉天方面に侵攻してきた中国共産軍に至っては実に90%以上の損耗率であった。

中国共産軍は航空戦力が貧弱であり、また戦車もT-34の1世代前と旧式のものしかなく、また歩兵の士気も低かった。

それが予想以上の大損害の原因でもあった。

元々中国共産軍は陸自よりはるかに戦力が劣る旧帝国陸軍にすら敵わなかった貧弱な軍隊だったのである。

旧陸軍よりはるかに強力な陸自に敵うはずもなかった。

しかし中国共産軍十八番の人海戦術によりいくつかの防衛線は危機的状況に陥った。

それを救ったのはヘリコプターによる機動作戦と的確な近接航空支援だった。


とにもかくにも5月25日、第一次満州防衛戦は終了した。


日台満韓連合軍の被害は

戦死者150名

負傷者1200名

車両損失:戦車10両(M41D)装甲車・トラック40両

航空機損失

99式双軽爆改10機

雷鳴改2機


ソ連側の損害

戦死者32万人

負傷者10万人

車両損失

戦車・自走砲1500両

装甲車・輸送トラック1000台

航空機損失1200機


中国人民解放軍の損害

戦死者20万人

負傷者15万人

車両損失

戦車・自走砲500両

装甲車・トラック2000両

航空機損失210機




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ