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バトル・オブ・ヨーロッパ1946年1月~

アップし忘れてた「ソビエト東欧侵攻・バンクラチオン作戦1946年2月2日」の章を「バトルオブヨーロッパの後に追加させていただきます。

バトル・オブ・ヨーロッパ1946年1月~

1946年の年が明け、米英連合軍は新型ジェット戦闘機F-80シューティングスターを英国の各空軍基地に配備した。

また44年暮れまでの戦いで消耗したB-29ストラトフォートレスも補充された。

欧州大陸への戦略爆撃の再開は秒読み段階に入った。


それに対する欧州同盟軍もジェット戦闘機Ta183「フッケバイン」とMe262「シュワルベF3」を中核とした防空体制を整えていた。

そして欧州同盟軍側もついに反撃に出る事になった。

航続距離と速度を増加させたジェット爆撃機アラド Ar234B-4が実戦配備につき英国本土爆撃の準備が整ったからである。


双方とも気が熟し、ついに2月2日に後の「バトル・オブ・ヨーロッパ」と呼ばれる戦いが開始された。


2月2日06:30

英国のブライズ・ノートン、ハイ・ウイッカム、ベンソンの各空軍基地より1000機に及ぶB-29と300機以上にも及ぶ護衛のF-80が欧州爆撃のために出撃した。

英国空軍もアブロランカスター400機からなる爆撃機部隊を出撃させた。

欧州同盟軍のイギリス海峡、ドーバー海峡、そして北海沿岸の各レーダーサイトはヨーロッパ大陸に向かってくる大編隊を補足。

欧州大陸の各空軍基地から迎撃機が次々と離陸していった。


オランダ、ベルギー、そしてフランス上空において、ヨーロッパで初めてのジェット機同士の空中戦が始まった。

本格的後退翼を持つTa183「フッケバイン」は運動性でF-80シューティングスターを圧倒した。

それは先の歴史のMigショックと同じ衝撃だった。

事実上フッケバインは第2世代ジェット戦闘機にカテゴライズされるべき機体である。

第1世代機であるF-80は次々と撃墜されていった。

また配備されて2年近く経つMe262シュワルベはパイロットの錬度が機種転換から間もないF-80の米軍パイロットよりはるかに高いこともあり有利に空戦を進めた。

ジェット戦闘機部隊が護衛戦闘機部隊の梅雨払いをしている隙を突いてレシプロのBf109とFw190部隊がB-29やアブロランカスターの爆撃機部隊を攻撃した。

それぞれに55mm R4M ロケット弾を搭載した欧州空軍部隊は次々にB-29とアブロランカスターを粉砕していく。

しかし米英連合軍爆撃機部隊は数の力にものを言わせフランスやベルギー、そしてドイツの都市を爆撃していった。

フランス・ルアーブル、ベルギー・ブリュッセル、ドイツ・ジュッセンドルフ、ドルトムント。

これら都市の工場群が爆撃による被害を受けた。

しかしそれ以上に米英連合軍の戦爆連合は被害を被った。

最新鋭ジェット戦闘機F-80は損耗率が30%以上。

爆撃機部隊にいたっては40%以上の損害を被った。


欧州側は撃墜が135機。

全体の15%程度にとどまっていた。

この次は欧州同盟軍の反撃の番だった。

米英戦爆連合が英国本土に引き返していくのに合わせ各基地よりTa183フッケバインを護衛に付けたAr234B-4ブリッツが各基地から飛び立った。


2月2日15:45

英国本土ドーバー海峡側の各レーダーサイトが欧州同盟軍爆撃部隊の攻撃を受けた。

迎撃に上がってきた英国空軍のグロスターミーティアは護衛のTa183フッケバインに行く手を阻まれ爆撃隊に近づけない。

Ar234B-4ブリッツは迎撃機の梅雨払いを受け易々とレーダーサイトを爆撃した。


日本の情報収集衛星より衛星写真で英国のレーダーサイトの位置を全て把握していた欧州同盟軍の攻撃は的確だった。

一連の爆撃により英国のレーダーサイトのほとんどが沈黙してしまった。


レーダーサイトの沈黙と同時に爆撃隊の第二派が英国本土の奥深くに切り込む。

ブライズ・ノートン、ハイ・ウイッカム、ベンソンの各空軍基地は高速で侵入してきたAr234B-4ブリッツの爆撃を受けた。


欧州大陸の爆撃を終えて戻ってきた所を攻撃されたからたまらない。

地上に駐機されていたB-29とF-80が次々に破壊された。


同時に英国本土のジェット戦闘機製造工場のあるグラスゴーにも欧州同盟軍爆撃機部隊が襲いかかってきた。

迎撃にあがってきたグロスター・ミーティア部隊を護衛機が食い止め、爆撃部隊は工場に殺到し工場施設の40%を破壊した。


その他バーミングハム、マンチェスターの航空機工場が次々と爆撃を受け半壊以上の被害を受けた。


そして英国海軍スカパフロー泊地に空軍の攻撃の混乱をついて空母グラーフ・ツェッペリン、ヴェーザーを基幹としたドイツ海軍機動部隊が忍び寄ってきていた。


その編成は

戦艦シ

レージェン[Schlesien]

シュレスヴィヒホルスタイン[Schleswig Holste

空母

グラーフ・ツェッペリン[Graf Zeppelin] (航空機40機Ta183N))

ヴェーザー[Weser](航空機20機Ta183N)

重巡洋艦

プリンツ・オイゲン[Prinz Eugen]

軽巡洋艦

ニュルンベルグ[Nürnberg]

駆逐艦

Z.4(リヒャルト・バイツェン)Z.4 (Richard Beitzen)

Z.5(パウル・ヤコビ)[Z.5 (Paul Jakobi)]

Z.6(テオドール・リーデル)[Z.6 (Theodor Riedel)]

Z.7(ヘルマン・シェーマン)[Z.7 (Hermann Schoemann)]

Z.16(フリードリッヒ・エッコルト)[Z.16 (Friedrich Eckoldt)]

Z.20(カール・ガルスター)[Z.20 (Karl Galster)]

Z.23 [Z.23]

Z.24 [Z.24]


英国海銀本土艦隊は昨年の戦いで大破した空母インプラカブルをはじめとする艦艇がちょうど修理を終えて、出撃準備を整えているところだった。


そこへドイツ海軍航空部隊が襲いかかってきた。

停泊中の空母インプラカブルはTa183Nゼー・フッケバインの55mm R4M ロケット弾による攻撃を受けて再び大破。

戦艦デューク・オブ・ヨーク、アンソン、ハウも大破の被害を受けた。

さらに護衛空母カンパニア、ライアナ、ヴィンデックスが撃沈されてしまった。


その後の第2次攻撃で空母インプラカブル、戦艦デューク・オブ・ヨーク、アンソン、ハウは撃沈された。


英国本土艦隊の主力艦を撃破したドイツ海軍機動部隊は速やかにオークニー諸島海域より離脱。

ドイツ本土へ進路を向けた。


2月2日17:00

夕刻になり戦闘は終わった。

英国の被害は甚大だった。

各空軍基地の戦闘機及び爆撃機はその50%以上が破壊された。

また航空機工場や石油精製所も被害を被った。

さらには英国海軍本土艦隊も壊滅的被害を受けた。


都市部への被害がほとんどなかったのは不幸中の幸いだった。

しかしこれで英国の戦争遂行能力は大幅に低下してしまった。


特に欧州同盟軍海軍による通商破壊戦で物資が不足し始めている。

燃料も底を尽きかけていた。

それもあって英国国民の間では厭戦ムードがかなり強まっていた。

英国首相ウィストン・チャーチルは追い詰められた。

しかし後には引けない。

このままじり貧のまま敗れる事になったら本当に政権崩壊の危機である。

なんとしてでも勝つしかない。

それはアメリカも同じだった。

英米両国は多大な犠牲を払いつつ欧州爆撃を続行した。


しかしB-29、F-80そして英国空軍爆撃機部隊の損耗は増える一方だった。

空戦による損耗だけでなく空軍基地への欧州同盟軍の爆撃による損失も大きかった。

そして度重なる軍需工場への爆撃で戦闘機の生産力も日に日に低下していった。

大英帝国は坂道を転がり落ちるように弱体化していった。


ソビエト東欧侵攻・バンクラチオン作戦1946年2月2日

スターリンは米英軍の欧州爆撃再開にタイミングを合わせ東欧諸国侵攻作戦「バンクラチオン」を発動した。

投入戦力は第1ベロルシア(ベラルーシのロシア語読み)、第2ベロルシア、第3ベロルシア、第1バルト、第2バルトの各方面軍(合計189個師団)

それらを1000キロにわたる欧州同盟軍の中央軍集団の正面に配置した。

総兵力200万人、戦車5200両、大砲28,000門、航空機6,000機という空前の規模の作戦であった。


ドイツからもぎ取った追加賠償金を元手にソビエト連邦は急ピッチで対独戦の痛手から立ち直り、そしてさらなる軍拡を行っていた。

さらに中国共産党にも大規模な軍事援助を行っていた。

前の歴史よりはるかにソビエト連邦軍は強力になっていたのだ。


2月2日

ソ連軍第1、第2バルト方面軍は一斉にバルト三国の国境線を突破し領土内に侵攻した。

同時に第1ベロシア方面軍がポーランドに、第2ベロシア方面軍がチェコスロバキアとハンガリーに、第3ベロシア方面軍はルーマニアにそれぞれ侵攻を開始した。


欧州同盟軍サイドは後背に英米軍という敵があってか十分な戦力を投入できない。

航空戦力の半数以上が米英の爆撃部隊の迎撃や英国本土爆撃に割かれていたため十分な航空支援ができなかった。

陸上戦力的にはほぼ互角であったがどうしても航空戦力で劣勢な欧州同盟軍の防衛線はソ連軍の隊軍に押し切られた。

バルト3国の欧州同盟軍守備部隊の防衛線はたちまち破られそれぞれ孤立してしまった。

しかしドイツ軍を主体とした防衛部隊は粘り強く踏みとどまりなんとかそれぞれの首都を死守した。


ポーランドは一気にビアリストク・ルブリン・タルタフなどの都市が占領され首都ワルシャワの目前までソ連軍の侵攻を許してしまった。


そしてチェコはコシツェ、ハンガリーはニーレシハザ、ミシュコルツ、デブレツェンの3都市が陥落しルーマニアもポトシャニ、シチャーバ、セシ、テクチが陥落しカルパート山脈東部の地域を制圧されてしまった。


ファルケンファイン欧州同盟軍総司令官は防衛線を南にそれぞれ下げ防衛線を再構築した。

ポーランドは首都ワルシャワを放棄し、ビーラ、ボズナニ、ブロツラフのラインにまで防衛線を下げる。

チェコはスビタビ、ブルノのライン。

ハンガリー、ルーマニアはそれぞれの首都ブタペスト、ブカレストの防衛。

それぞれ守勢に回り持久戦を取るよう命じた。


英国に戦争を断念させるまでなんとか戦線を持たせようと様々な策を練った。

幸い前の歴史と違いドイツ軍の陸上戦力は「西部戦線」に集中できる。

またフランス軍イタリア軍他欧州各国の戦力もこれに加わる。

陸上戦力はかろうじて互角。

戦いようはあった。

ファルケンファインの策が功を奏し、なんとかそのラインで戦線が膠着状態になった。

後はなんとか米英にこれ以上の戦争継続を断念させるまで頑張るしかない。

欧州同盟軍はその後3か月以上必死でソ連軍の侵攻を食い止め忍耐の時を過ごした。


その一方、ソ連の欧州侵攻で欧州連合の攻撃が弱まった隙をついて英国はアジア連合への反抗作戦を行うことにした。

英国にとってアジアの植民地権益は絶対手放せない「核心的利益」であった。

その利益を守るために大英帝国の残り少ない外征戦力の全てをつぎ込む事となった。


チャーチル首相の最後の望みは英国海軍東洋艦隊だった。

彼らが勝利を治め植民地の支配権を再び奪還してくれれば国民の士気も回復するかもしれない。


1946年4月1日

英国海軍東洋艦隊はポーツマスをアラビア海に向け出港。

チャーチルは祈るような思いでそれを見送った。




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