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スリランカ解放、そしてインド独立支援1944年8月

スリランカ解放、そしてインド独立支援1944年8月


連合軍の反攻が来年までは無い事が明らかになりアジア連合はインド・スリランカ解放作戦を立案した。


インドが解放されれば東南アジア方面の連合軍の反攻は事実上不可能になる。

積極的防衛策にアジア連合諸国はみなこれに賛同した。


1944年9月。

インド・スリランカ解放作戦、オペレーション・ブラフマーが発動された。


作戦の骨子は


1・スリランカ島コロンボを洋上からの航空攻撃で叩き、ヘリボーン作戦でコロンボ基地を奪取する。


2・その後スリランカを拠点にインドの独立闘争を空と海から支援すると同時に英国軍のインド洋補給路を遮断する。


3・そしてビルマ解放後に本格的に組織されたインド独立義勇軍を南インドから上陸させインド全土に独立の火の手を上げ、

英国軍を崩壊させる。


4・陸戦部隊による支援はヘリボーン作戦を基本とする事。


以上、上記4点である。

作戦参加国は日本・台湾・タイ王国・ビルマ共和国

そしてこれにインド独立義勇軍が加わる。


参加戦力

NGF第4艦隊

直轄艦DDH-144 くらま

第7航空戦隊DCV1002「するが」

第16戦隊‐重巡足柄・軽巡長良・球磨

第3護衛隊(舞鶴基地)  DD-114 すずなみ DD-154 あまぎり 

第7護衛隊(大湊基地) DD-133みなづき DD-155 はまぎり  DD-156 せとぎり 

第63護衛隊(舞鶴基地) DDG-175 みょうこう  DDG-177 あたご 

第11護衛隊 (横須賀)

護衛艦 DD-122「はつゆき」 護衛艦 DD-123「しらゆき」 護衛艦 DD-125「さわゆき」

第5水雷戦隊‐名取、

第5駆逐隊:駆逐艦 / 朝風、春風、松風、旗風、矢風

第1護衛航空戦隊:千歳(軽空母)

第2護衛航空戦隊:千代田(軽空母)(第12護衛隊より編入)


※両軽空母には陸上自衛隊第42普通科連隊と第10飛行隊(UH-1J・OH-6D) 第5対戦車ヘリコプター隊(AH-64D)がそれぞれ搭載される。


タイ王国海軍

第1艦隊

空母クリーアト(常用24機)

(1942~1943年までは艦載機は96式艦戦、1944年より零戦21型改と99式艦爆に変更)

重巡洋艦ワットアルン(旧ノーザンプトン)・アユタヤ(旧チェスター)

軽巡洋艦ワット・パナン・チューン(旧トレイトン)・チャオ・プラヤ(旧リッチモンド)

駆逐艦スパンズリ(旧ハーバート)・クート(旧ラング)

水雷艇スリン(旧鴻)ローイェ(旧鵯)ケラマト(旧隼 )ナン(旧鵲)


台湾海軍

第3機動艦隊(基隆)

康定(Kang Ding)FF-1202 西寧(Si Ning)FF-1203 昆明(Kun Ming)FF-1205

(ラファイエット級)

子儀(Tzu I)PFG-1107 班超(Pan Chao)PFG-1108(ペリー級)

海陽(Hae Yang)FF-936 淮陽(Hwai Yang)FF-937(ノックス級)

ドック型揚陸艦旭海( Hsuhai )LSD-193

※インド独立義勇軍が乗船。

インド独立義勇軍には旧日本帝国陸軍の97式中戦車が10両、94式軽装甲車が20両、日産80トラックが30両供与された。


1944年9月14日、スリランカ解放部隊がバンコクを出撃した。

翌日の9月15日、スリランカ沖に艦隊が到達。

偵察機によって艦隊の接近を知った英国軍は出撃可能な全航空勢力を挙げて迎撃を開始した。


ホーカーハリケーン30機

ブリストルブレニエム60機

ソードフィッシュ60機

フェアリーフルマー80機からなる総勢230機の大部隊だった。

そしてマドラスからもソードフィッシュ、フェアリーフルマー合わせて40機がアジア連合艦隊攻撃のため出撃した。


また2年前の南シナ海海戦で大破した重巡洋艦コーンウォール・ロンドン・エゼクターもアジア連合艦隊迎撃のため出撃した。


9月15日午前10時

NGFの空母「するが」の直援機雷鳴改10機とタイ海軍空母クリーアトの直援機零戦21型改6機が英国軍攻撃部隊に襲いかかる。

32発のAA3とAIM9が一瞬に護衛のホーカーハリケーンを爆散させた。

さらに雷鳴改のM61A1 20mmバルカン砲がわずかに生き残ったハリケーン隊を引き裂く。

そのすきに6機のタイ王国海軍零戦改が爆撃隊に襲いかかった。

ソードフィッシュが12機撃墜されたが、英国軍部隊は数の力で戦闘機のスクリーンCAPを突破する。


戦闘機部隊の迎撃を突破した英国軍攻撃部隊に対し、第7護衛隊DD-133みなづき、第63護衛隊DDG-175 みょうこう  DDG-177 あたごが英国軍航空部部隊に対しSM2で迎撃を開始する。


同時に前衛の台湾海軍第3機動艦隊も一斉に艦対空ミサイルを発射した。


まずブリストルブレニエム12機が一瞬で爆散。

その後台湾艦隊からの対空ミサイルが8発飛来しさらに8機が撃墜された。


NGFのイージス艦2隻と先進型DDみなづきのSM2の2連射でブリストルブレニエム部隊は一気に半数にまで撃ち減らされた。


さらにNGFとタイ海軍のシースパロー攻撃が加わりブリストルブレニエム部隊は全機が撃墜され100機のフェアリーフルマーも数秒のうちに44機が撃墜され、第2派のミサイル攻撃によってさらに30機が撃墜された。


対空ミサイルをやり過ごしたソードフィッシュ隊が台湾第3機動艦隊に迫るも康定型フリゲートのRIM-72艦対空ミサイル「シーチャパレル」の一斉攻撃で12機が一瞬で粉砕され、さらに台湾艦隊全艦の速射砲の槍衾に捉えられ瞬く間に全機が撃墜された。

何機かは魚雷を投下出来たが機動性の高い台湾海軍フリゲートには命中させることが出来なかった。


生き残ったフェアリーフルマー隊は何とか一矢報いようと台湾海軍艦隊に爆撃を試みたがNGF護衛艦群の速射砲と台湾海軍フリゲートのCIWSによって空しく全機が撃墜された。


英国軍航空機部隊全滅の直後、台湾海軍の康定のレーダーが接近する3隻の重巡洋艦を探知した。

台湾海軍第3機動艦隊は対艦攻撃を下命。

雄風II型対艦ミサイルを一斉に発射した。

10発のミサイルはそれぞれの目標に命中し、英国海軍東洋艦隊に残された最後の艦艇を海の藻屑に変えた。


スリランカ島に接近したアジア連合艦隊は艦載機を発艦させコロンボ基地を空爆した。

ホーカーハリケーン30機、スピットファイヤー20機が迎撃に上がってきたが、25機の雷鳴改によって全機が撃墜された。

迎撃機が全滅したのを確認して空母千歳より発艦した第5対戦車ヘリコプター隊のAH-64Dが急襲をかける。

ロケット砲によって対空陣地を沈黙させ、さらに30mmチェーンガンが英国軍守備隊の装甲車両を引き裂く。

さらに空母クリーアトの艦爆隊12機がコロンボ基地に突撃する。

クリーアト艦爆隊は砲兵陣地を次々に70mmロケット弾で破壊していく。

そのあと雷鳴改、零戦改隊が機銃掃射で地上の歩兵部隊を攻撃した。

基地が大混乱に陥ったところで空母千代田から発艦した第42普通科連隊を乗せた第10飛行隊のUH-1Jがヘリボーンを敢行する。


空爆により戦力のほとんどを失ったコロンボ基地英国軍守備隊は基地を放棄して敗走した。

コロンボ基地制圧の後、台湾海軍ドック型揚陸艦旭海よりLCACが発進。

インド独立義勇軍部隊が揚陸する。


自動車化されたインド独立義勇軍と陸自のAH-64Dに追い立てられた英国軍守備隊はたちまち降伏。

スリランカはわずか3日で解放された。


9月20日、スリランカ民主社会主義共和国独立。

翌21日、スリランカはアジア連合に加盟した。

10月1日

コロンボ基地にアジア連合の航空機部隊が進出する。

日本海上自衛隊航空隊

第114飛行隊:雷鳴改30機

第115飛行隊:雷鳴改30機

タイ王国空軍

第2戦闘飛行隊:零戦21型改:20機

第1爆撃飛行隊:1式陸攻:20機

ベトナム空軍

第2戦闘飛行隊:零戦21型改30機

第3爆撃飛行隊:96式陸攻50機

第2爆撃飛行隊:1式陸攻:45機


これら航空戦力がインド独立闘争を空から支援することになる。


10月5日

コロンボ基地のアジア連合航空部隊が南インドの英国軍守備隊に対し空爆を開始。

マドラスの英国軍基地は徹底的な空爆を受け守備陣地は壊滅的損害を被った。

翌日の6日にはバンガロールの英国陸軍基地も空爆を受け、部隊の25%が損耗した。


アジア連合軍来訪を知ったインド国民は各地で決起し、特に英国軍が大ダメージを被った南インドではマドライ、タルミナド、セーラム・コーチンなどで市民が一斉蜂起した。

インド国民蜂起に呼応してアジア連合艦隊はマドラスに上陸作戦を敢行する。


NGFとタイ海軍空母の艦載機による空爆でマドラス守備隊をさらに叩き、そしてヘリボーン作戦でとどめを刺した。

10月10日

インド独立義勇軍がマドラスに上陸。

決起した市民と合流した。


インド独立義勇軍は一気に膨れ上がり5倍以上の兵員になった。

さらにそれに離反した英国インド植民地軍も合流した。

彼らも宗主国イギリスに叛旗を翻したのだ。

その後、インド植民地軍から独立義勇軍にM3戦車を含む英国軍制式武器が渡り、何万人にも膨れ上がったインド独立義勇軍はバンガロール基地内になだれ込み英国軍はなすすべもなく基地を放棄しカルナタカ方面に敗走した。


マドラスの安全が確保されたことによりアジア連合航空部隊はマドラスに前進。

ビジャンバーダ、ハイデラバード、ボンベイの英国軍守備部隊に空爆を加えた。


それをきっかけにインド各地で英国軍武器庫がインド国民に襲撃されたり植民地軍が独立義勇軍に合流したりで次々に武器が奪われ、基地が占領されたりする事態が頻発するようになった。


ダッカやチッタゴン、そしてインパールの英国軍防衛陣地でも植民地軍の反乱が起きた。

それに乗じてインド・ビルマ国境に待機していたアジア連合陸戦部隊が進軍し、反乱を起こした植民地軍に加勢して在バングラディッシュの英国軍を降伏させた。


英国軍の弱体化によって市民の一斉蜂起はインド全土に広がった。


インド独立義勇軍はNGF空母群の航空支援を受けつつ北上を開始。

11月中旬にはビジャンバーダ、ハイデラバード、ボンベイを英国軍より解放し、さらに各地で蜂起した市民と合流しながら勢力を拡大しながらインド北部へ進軍した。


英国軍はアラビヤ半島から増援を送ろうとするが、アラビア海に展開し、洋上を封鎖していたタイ王国海軍第1艦隊に阻まれ輸送船団は撃沈、あるいは拿捕されていった。


補給も増援も届かない英国軍は各地で敗退し撤退を繰り返していた。


そして12月上旬に入る頃にはインド独立義勇軍はカルカッタ・ジャバルプール・アーメダバードを解放した。


年が明けた1945年1月。

インド独立義勇軍はついに首都ニューデリーの指呼の距離に迫った。

英国軍インド守備部隊は陣地に立て籠もり徹底抗戦の構えを取った。

ナグプール飛行場に展開したアジア連合航空部隊はニューデリー英国軍守備陣地に空爆を開始。

砲兵陣地や戦車がたちどころに壊滅的損害を被った。

そこへインド独立義勇軍がなだれ込み英国軍陣地は次々に陥落。

生き残った英国軍兵士は全員降伏した。


1945年1月30日インドは独立した。

同時にパキスタン・バングラディッシュも独立を果たした。

かくして欧米列強はアラビア海以西と中央アジアに追いやられた。


1945年2月14日。

インドとパキスタンイスラム共和国、そしてバングラディッシュ人民共和国はアジア連合に加盟した。


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