インターミッション1943年9月~12月 空母改装、そして艦載機のジェット機への換装。
インターミッション1943年9月~12月
空母改装、そして艦載機のジェット機への換装。
1943年9月末
オペレーション・ブライト・オブ・スンダランドを終えたNGF第一艦隊の第五航空戦隊の空母瑞鶴・翔鶴は予てより計画があったジェット機運用のための改装を受ける事となった。
両空母は横須賀の海自ドックと佐世保のIHIマリンユナイテッドのドックに入り飛行甲板の強化等の改装を施される事となった。
同時に艦載機のパイロットはジェットへの機種転換訓練を行った。
艦載機は台湾のAT-3雷鳴を艦載機に改造したAF-3雷鳴改である。
AF-3A雷鳴改
重量 3,860kg
全長 12.90m
全幅 10.46m
全高 4.36m
エンジン石川島播磨重工製 F3-IHI-30B ターボファンエンジン, 約16.38 kN (約161 lbf)1,670 kgf × 2
最大速度 マッハ 0.91 (約560 kt) 高度約10,000mでの水平飛行/クリーン時
巡航速度: マッハ 0.75
航続距離 2,080km
上昇限度 14,630m
武装 M61A1 20mmバルカン砲×1
AAM3近距離対空誘導弾×2
ASM2対艦ミサイル×2or2,700kgまでの爆弾等
乗員 1名
ベースとなったのは台湾空軍のAT-3自強ジェット練習機である。
胴体下面に機関砲収納ベイを持ち、また胴体センターラインに1箇所、主翼下面に4箇所、翼端ミサイルランチャー2箇所、計7箇所のハードポイントを備え、この時代なら十分戦闘攻撃機として使用可能と判断されアビオニクス、主脚の強化等が施され1943年初頭より日台両国で開始されていた。
艦載機がジェット化されたことにより艦載機数は両空母とも81機に減ったが最高速度マッハ0・91の雷鳴改の搭載により戦闘力は大幅にアップした。
1943年12月15日
改装を終え、両空母は訓練を開始。
翌年の1944年1月8日に戦列に復帰した。
それと入れ替わりにNGF第2艦隊の第一航空戦隊空母赤城・加賀そして第二航空戦隊 蒼龍・飛龍が改装を施すためドック入りした。
赤城・加賀は搭載機数が81機
蒼龍・飛龍は艦載機数45機となった。
空母より降ろされた零戦21型改や99艦爆、97艦攻は空母を保有するタイ海軍とその他アジア連合各国に供与される事となった。
そして、1944年2月14日。
マリアナ沖海戦で大破した戦艦ワシントン・ウエストヴァージニアを空母に改装したDCV1001「おうみ」・DCV1002「するが」が就役した。
両空母共に艦載機数は80機
両空母はNGF第3艦隊・第4艦隊に編入された。