タイムスリップ203X年11月2日
豊田有恒先生の往年の名作「タイムスリップ大戦争」を読んだ久しぶりに読んだオッサンの妄想タイムスリップ戦記であります。
タイムスリップ203X年11月2日
西暦203X年、アジアは戦雲に包まれつつあった。
その前年に度重なる海外派兵に疲れ切ったアメリカがモンロー主義(孤立主義)に立ち返り「世界の警察官」の座から退いた。
日米間でも日米安保条約が解消され、在日米軍はグアム及びアメリカ本国に撤退した。
アメリカは「手切れ金代わり」とばかりに日本国内にある在日米軍施設を全て日本に譲渡した。
そして在日米軍の集積してあった全武器弾薬類もそのまま日本に譲渡された。
「武器弾薬はくれてやるから勝手にしろ。」と言わんばかりの態度であった。
韓国も2009年に指揮権を返上し、実情在韓米軍はほとんど撤収していたが、残っていたわずかな部隊も本国に引き揚げてしまった。
アメリカがアジアから撤退したと同時に中国は尖閣諸島および沖縄諸島、そして台湾への侵攻を目論み始めた。
韓国は中国に接近し、そして中韓安保条約締結に向け動き始めた。
そして北朝鮮とも急接近し相互安保を結んだ。
そののち、韓国はいきなり日本との国交を断絶した。
同時に在韓日本資産を凍結してしまった。
さらに中国の動きに呼応して済州島に戦力を集め始めた。
これに対し日本と台湾は同盟を結び中国陣営の侵略に対抗しようとした。
そして緊張が高まりついに中国・北朝鮮は弾道ミサイルを発射。
海上自衛隊のイージス艦群は一斉に弾道ミサイル迎撃用ミサイルSM3を発射。
そのとき空に閃光が走り異変が起きた。
弾道ミサイルの爆発と思われる?閃光の後、日台両国は突然「世界」から切り離された。
全世界とつながるテレックスやインターネット、各国の大使館との連絡も、そしてCNNなどの衛星放送も全て入らなくなった。
連絡がつくのは日本と台湾のみ。
幸いアジア上空にいた情報収集衛星とはコンタクト出来たので、すかさず日本防衛省情報本部は衛星からの画像の解析を始めた。
しかし、情報収集衛星から送られてきた画像は分析官を当惑させるものだった。
まず中国の東風ミサイル基地が消えうせていた。
また、いくつかの海軍基地はみつかったもののそこには恐ろしく旧式の軍艦がうかんでいた。
空軍基地もいくつかは消え、そして確認できた空軍基地も最新鋭のSu―32の姿はなく、レシプロ機と思われる飛行機が並んでいるだけだった。
さらにサイパンにはアメリカ軍の姿は無かった。
そこにいたのは日の丸をつけたレシプロ機の群れと旧式艦艇群だった。
グアムには米軍がいたものの、そこにあるのは80年以上前の航空機だった。
また北方領土からは駐留しているはずのロシア軍が消えていた。
幸い沖縄諸島を含む日本国内・そして台湾本土には異常は無かった。
台湾近海に展開していた海自第一護衛艦隊群とも通信が取れた。
いぶかしむ日本人の前に驚くべきものが出現した。
東京湾に「戦艦長門」を始めとする旧連合艦隊艦艇群が現れたのだ。
それは連合艦隊司令長官山本五十六が座乗する連合艦隊直属艦隊だった。
その編成は…
第一戦隊:戦艦 / 長門・陸奥
第二四戦隊:特設巡洋艦 / 報国丸・愛国丸・清澄丸
第一〇航空戦隊:水上機母艦 / 瑞穂・千歳
水上機母艦 / 千代田
駆逐艦 / 矢風
海保の係官がそれら艦艇と最初に接触し、その後日本政府が「連合艦隊」とコンタクトする。
日本政府と山本五十六大将との会見の結果、日本列島と台湾本島は203X年から1941年11月22日に「タイムスリップ」したことが判明した。
(山本長官はサイパンやトラック島の海軍基地とは連絡が取れたという。)
日台首脳はただちにこれからの対応を検討する。
まず差し迫ってしなければならないのは2日後に真珠湾攻撃に出撃するであろう南雲長官指揮する第1・第2・第5航空戦隊を呼び戻すことであった。
そして目前に迫った「太平洋戦争」を回避しなくてはならない。
「4日後」にアメリカ合衆国が提示するであろう「ハルノート」にどう対処するか…
それが検討された。
その問題のハルノートは以下の通り
1.アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する。
2.仏印からの日本の即時撤兵
3.日本の中国及び印度支那から即時の撤兵 - 中国(原文China)が、日本の傀儡国とされる満州国を含むかには議論があり、アメリカ側は満州を除いた中国大陸を考えていたと言う説があるが、満州国は法律上、中国からの租借地であるという歴史があり、日本側も満州を含んだ中国大陸と考えていたようである。
4.日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中華民国以外の全ての政府を認めない
5.日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄
6.通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄
10.本協定内容の両国による推進
その当時の大日本帝国には到底呑めない条件だったが、21世紀の日本国は違う。
まず203X年の日本は自動車のほとんどが電気自動車へと移行したり船舶エンジンが水素エンジンに切り替わったり、また火力発電所の多くは水素タービン発電に切り替わり石油への依存度が大幅に減っている上に尖閣諸島の海底油田の採掘が昨年(タイムスリップ前の年)よりはじまり日本の石油需要のかなりを賄えるようになったということ。
(そのことが中国を刺激し戦争を誘発しそうになったのだが。)
また周辺海域より海底鉱床の採掘も始まり鉄、ニッケルなどもかなりの採掘が見込める事。
さらに203X年初頭には核融合炉の実験炉も稼働しそこからかなりの電力供給成されていること。
太陽発電も一般化し家庭で消費される電力の半分は太陽光発電によるということ。
つまり当時の大日本帝国が抱えていた問題点は海底資源の発見と科学技術の進歩によりある程度は解決されているのである。
何よりも21世紀の日台両国には「海外権益」を得るための「海外領土」も「植民地」も必要は無いということ。
しかし、やはり日本は貿易立国であり通商活動を行わなくては国家の死活にかかわるのも事実。
日本が望むのは諸外国との健全な通商であって領土拡張ではない。
通商さえ認めてくれたら日本としては文句が無いのである。
これらハルノートの要求を呑む事にはほとんど躊躇はなかったのだ。
当時の外交資料を精査し、日台はこれからの対応を決めた。
当時の国際無線電信の無線周波数を調べ上げ名崎通信所より同じく21世紀からタイムスリップしてきた赤道上空の通信衛星N-SAT-114を中継し、ハワイ経由でアメリカにハルノートの機制を制する形で以下の日本政府のメッセージを送った。
1・日本政府は英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する。
2・日本政府は中国及びインドシナ半島より兵を撤退させる。
3・日独伊3国同盟はしばし保留とし同同盟条約を履行する行為は行わない。
4・日本政府は現在日本の信託統治下にある台湾、(台湾はすでに独立国であるが1941年当時は日本領だった。)南洋諸島及び朝鮮半島および進駐中の仏印印度支那の独立を認める。
5・日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄
6・英米蘭はアジアの各植民地の独立を認める。
7・独立したアジア諸国及び英米蘭との通商を認める。
8・かねてより提案されていた日米首脳会談を開催し今後の日米関係を協議する。
この日本政府の宣言にアメリカ政府は驚愕した。
日本がいきなり態度を変えた事でアメリカ政府はいぶかしんだ。
いったい日本に何があったのか?
合衆国大統領セオドア・ルーズベルトは事態を把握するべく野村大使に日米首脳会談の開催に同意すると答えた。
2週間後、当初の提案通りアラスカで日米首脳会談を行う事が決定された。
12月7日、航空自衛隊小牧基地より日本国総理大臣桜木健一郎と台湾国総統李美豊を乗せた第1輸送航空隊のC-130が離陸した。
(ジェット機では現地にジェット燃料が無いため当時の施設で給油が可能なターボプロップ機であるC-130が選ばれた。)
アラスカで待ち受けるアメリカ人たちは日の丸をつけた巨人機が飛来するのを、目を剥いて驚いた。
アメリカが誇る最新鋭の空の要塞B-17フライングフォートレスをも上回る巨人機を日本が持っていた。
アメリカ人たちは大きなショックを受けた。
日本政府は日本列島と台湾が21世紀よりタイムスリップしたことをアメリカ側に理解させるために21世紀科学を代表するものを多くアラスカに持ち込んだ。
タブレットパソコン・液晶TV・DVDプレイヤー、そして本田技研が誇る最新型の人型ロボット「マルチ」と日本の最新式電気自動車等。
また船ではなくC-130で行くことを選んだのもそれが目的であった。
それら21世紀の科学技術の産物にアメリカ側は驚愕した。
持ち込まれたテレビから放送衛星を通じて見せられた21世紀の日本と台湾の光景がとどめだった。
そして1940年代の科学では到底作ることが出来ない物を目の前で見せつけられ「タイムスリップ」という事実を受け入れざる得ない事を悟った。
アメリカとしては日本の21世紀科学の産物がどうしても欲しくなった。
桜木総理も21世紀技術の工業製品を巧みに餌にした。
そして交渉の結果、日米通商再開について認められた。
しかしアジアの植民地独立に関しては、アメリカは難色を示した。
アメリカだけで決められることではない。
その他の欧米各国も了承はしないだろう…と。
桜木総理も李総統もそれについては「継続審議」とすることを提案する。
ただし、日本は信託統治領すべてを独立させると改めて宣言する。
ここで桜木総理と李総統は切り札を切った。
第2次世界大戦の結果と、その後次々と欧米列強の植民地が独立していった戦後の歴史をここで公開したのだ。
同じものが同時刻世界各国のプレスを集めた場で鯨井首相首席補佐官によって全世界に公開されていた。
どのみち後十数年の後には植民地は皆独立する。
なら今独立させたとしても同じであるとルーズベルトを説得した。
ルーズベルト大統領は唸り声をあげるだけだった。
ちなみに、満州国については202X年に中国東北区において分離独立運動が盛んになった事を上げて独立を承認し、貿易に関してはアメリカの参入を自由に認めると持ちかける。
会談の場にはタイプスリップ前に日本に亡命してきた「満州独立委員会」のメンバーまでも同席していたので説得力は満点だった。
ここでも桜木総理はアメリカが欲する「中国大陸での権益」を餌にした。
すでに蒋介石の国民党軍の腐敗ぶりと脆弱ぶりに嫌気がさし始めていたアメリカはそれを呑んだ。
当てにならない蒋介石よりすぐに利益を得られる満州をアメリカは選んだ。
1941年12月8日、日本国総理大臣桜木健一郎と台湾総統李美豊、そしてアメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの間で一定の合意が結ばれ日米開戦は回避された。
桜木総理は帰国後早速日本軍中国撤兵を開始した。
アメリカの仲介で日本軍は無血撤退を行った。
しかし満州はそうはいかなかった。
スターリンに支配されたソビエト連邦という驚異があるからである。
日本の敗戦が無かったとしても対独戦を終えたソ連軍が侵攻してくる可能性は高かった。
満州国軍だけでは恐らくはソ連の侵攻を食い止められない。
それに対する備えは必要だった。
関東軍と支那戦線より撤退してきた日本軍部隊を再編成し、近代兵器を与えソ連軍に対抗できるよう強化する必要があった。
アメリカはそれに難色を示したが21世紀の科学技術という餌に目がくらみ強くは反対出来なかった。
しかし、徴兵された兵士も多いので「希望除隊」も受け付けた。
21世紀の平成日本は自由民主主義国家である。
無理やり兵士を軍務につかせることはできない。
関東軍・支那派遣軍兵士の40%以上が退役し、民間に戻った。
あるものは満州に根を下ろし、またあるものは平成日本で職業訓練を受けたのち社会に参加することになった。
インドシナ半島に駐留する第25軍も一部部隊を残し随時撤退を開始した。
(ベトナム国軍設立に協力するため。)
装備も一部をこれから独立するベトナム国軍のために譲渡することとなった。
撤退した部隊は沖縄の元米軍基地に駐留することとなった。
そこでやはり希望者は退役することを許された。
第25軍も兵士の30%が除隊し民間に戻った。
旧日本軍の沖縄駐留に沖縄県は最初かなり難色を示したがそれが戦争を防ぐため、回避するためと最後は納得した。
(旧日本軍が彼らの予想に反して非常に礼儀正しかったのも幸いした。)
連合艦隊も海上自衛隊の指揮下に入り再編が進められた。
連合艦隊の半数以上がタイムスリップによりこの時代より消えてしまったが連合艦隊直轄艦隊、南雲機動部隊、南遣艦隊が護衛艦隊群、各護衛隊に統合されNGF(新連合艦隊)が編成されることになった。
これら旧日本海軍艦艇は急ピッチで近代化改装されることになった。
なぜならば、とりあえず日米開戦は回避されたものの事態は非常に流動的だったからだ。
日本の海外領土独立承認宣言以後、アジア・アフリカ各国の欧米植民地で独立運動が盛り上がってきたからだ。
彼らは未来の子孫たちが独立を勝ち取った事を知ってしまった。
独立は夢じゃない。
しかも自分たちと同じ有色人種の日本人が未来の科学技術を手にやってきた。
その事が植民地支配されているアジアとアフリカの人々に勇気を与えてしまった。
その事が欧米列強の態度を硬化させた。
英米蘭各国は植民地独立運動を抑え込むため戦力をアジアに増派し始めていた。
まだまだ事態は予断を許さない。
21世紀の科学力を以てこれら艦艇の戦闘力を上げる必要があった。
その一方で日本の信託統治領が次々と独立していった。
ベトナム共和国・パラオ共和国・ミクロネシア連邦・マーシャル諸島共和国はそれぞれの21世紀の各国駐日大使が国家主席に就任し政府を立ち上げ日本との友好条約を結んでいった。(これらの国々は元々親日国家であったこともある。)
大韓民国についてはタイムスリップ寸前に国交が断絶し大使館も閉鎖されたため日本総督府の支援の元、朝鮮人議員を中心に議会を作り日韓共存国家ともいえる国として独立した。
(当時の韓国人はあの狂気ともいえる反日教育を受けてないので、その「共存国家」はスムースに成立した。)
さらに満州国は21世紀の「満州独立委員会」が政府首班に就き、新政府を樹立。
皇帝溥儀を「象徴」とする「立憲君主国家」となった。
日本軍撤退により後ろだてを失った汪精鋭は満州に移り政党を樹立し政権参加していった。
その結果南京政府軍も満州国軍に合流することになった。
日本軍撤退は国共合作崩壊という副作用をもたらし、再び中国は国共内戦へと発展していった。
日本側はこれに対し中国内戦が終了し統一政府樹立後に賠償を行いたいと持ちかける。
賠償は総額1000万ドルの賠償金と無償インフラ整備。
つまり勝った方に賠償金の支払いと技術援助を行うというのである。
裏をかえせば「後は勝手にどうぞ!!」と言わんばかりの態度だが、賠償を約束したのち日本政府は中国に対し徹底的な不干渉の態度を取ったのである。
そして日本政府は北方領土をユダヤ人に譲り渡すと宣言した。
彼の地を、世界中をさまようユダヤ人の新国家の領土にしてほしいと。
前の歴史の通りに中東に「イスラエル」が建国されれば後に中東戦争の火種になるのは明らかである。
日台両国としても中東の火種は一つでも少ない方がいい。
ユダヤ人に同情的な日本人も政府のこの決定を歓迎した。
ただ、先住している日本人はそのまま住み続けて日本ユダヤの共存国家とするのが条件であった。
ユダヤ人達はその日本の提案を快諾。
ロシアや中東各地に住むユダヤ人たちが続々と入植してきた。
1941年12月24日
東方イスラエル共和国成立
首都は豊原に決定し、イスラエル政府は日本・台湾との友好条約を締結した。
言語は基本的に現代ヘブライ語であるがユダヤ人たちは新しい新天地を与えてくれた日本への感謝の気持ちから積極的に日本語を学んだ。
また先住していた日本人たちも新たな隣人との共存のためにヘブライ語を習得するよう努力した。
その後、日本に世界各国から訪問団が相次いでやってきた。
タイムスリップという事実が信じられず確かめに来た国。
21世紀の科学技術に興味を持った国。
目的は様々だった。
日本はそれらの国々を精一杯もてなし、日本がいかに平和を愛する国かアピールを続けた。
平和国家日本というアピール。
世界に向けて漫画やアニメを発信する文化国家日本というアピール。
さらには21世紀の科学技術を持った国日本。
(日本は21世紀世界でも技術先進国だった事もさりげなくアピールした。)
さすがに80年の技術ギャップがあるからすべての技術を公開しても意味はないから現状で実現可能な技術は順次公開するとも確約した。
しかし、軍事技術関係の公開は欧米諸国がアジア・アフリカ諸国の独立を認める事が絶対条件であることは繰り返し念を押された。
桜木総理と李総統はアジア・アフリカの解放を武力によらず、このような外交戦略で成し遂げようとしていたのだ。
この一点が欧米諸国には面白くない。
「黄色いジャップが生意気な。」という感情が表情にありありと浮かんでいた。
桜木総理と李総統としてもこの一点だけは絶対譲れなかった。
やはり植民地支配というものは間違っている。
それが未来にどれだけの影を落としたか…この二人はよく知っていた。
そして問題の枢軸国側の代表が来日した。
そう、ドイツ第3帝国掃討アドルフ・ヒットラーとイタリアファシスト党党首にして国家元首ムッソリーニである。
この2カ国は日本の変節を非難した。
ヒットラーは日本のユダヤ人擁護を特に批判した。
さらにドイツやイタリアが敗れるなどというデマを流すのは止めろ!!と声を荒げた。
そして日独伊三国同盟遵守を強く要求した。
桜木総理はこの2カ国にだけは「平和国家日本」はアピールしなかった。
東富士演習場に彼らを招き陸上自衛隊の総合火力演習を見学させた。
最新鋭の国産戦車10式戦車にその脇を固める国産重戦車90式戦車の戦闘力。
そして高度に機械化された普通科部隊に戦闘ヘリコプターAH-64Dロングボウアパッチの凄まじい攻撃力を見せつけた。
さらには海上自衛隊の護衛艦隊群の対空対水上対潜戦闘力の高さ、そして航空自衛隊の最新鋭戦闘機F-3Aの別次元の機動性。
どれをとってもドイツ軍など及びもつかない代物だった。
桜木総理はこれら21世紀日本の軍事力を見せつけたのちに、ドイツイタリア両国にヨーロッパでの戦闘を即座に中止し、他のヨーロッパ諸国との共存を考えるよう勧告した。
勧告が受け入れられない場合は21世紀の日本台湾両国はドイツ第三帝国とイタリア帝国に対し武力行使も厭わないとすら言い放った。
(このTV中継を見ていたNGFの山本五十六大将は「見事なハッタリだ。」とほめたたえていた。ギャンブル好きの山本大将はとても痛快だったと大喜びだったという。)
さすがにヒトラーもムッソリーニも顔色を変えた。
そこですかさず桜木総理は21世紀ドイツ連邦共和国とイタリア共和国大使をその場に呼び入れた。
21世紀のドイツ連邦共和国大使は切々とナチスドイツの代表団に訴えた。
ドイツは生存権拡大などという侵略行為をしなくても十分繁栄できる。
21世紀ドイツはその優れた技術力で世界でも指折りの先進国となり国家は多いに栄えている…と。
それこそがドイツ民族の優秀さの何よりの証しではないか…と。
イタリア大使も21世紀イタリアの文化国家としての高い地位と国民の幸せな生活を語った。
ローマ帝国の再来など意味はない。
イタリアはそんなものがなくても幸せになれる…と。
ヒットラーとムッソリーニは青筋を立てて怒りを露わにしていたが、ドイツ側代表として傍らにいたあの「砂漠の狐」の異名を持つ、名将の誉れ高いエルゥイン・ロンメルは感慨深げに21世紀のドイツ大使の話に聞き入っていた。
しかしドイツとイタリアは戦争を中止しなかった。
それどころか日本との国交を断絶すると通告してきた。
桜木総理の目論みは潰えたかに見えた。
年が明けて1942年となった。
日本はとりあえず欧米諸国と通商を再開した。
台湾も日本と共に通商関係を各国と結んでいった。
太平洋は平穏をとり戻り静かな年明けとなった。
しかし年明けの静寂は驚くべきニュースによって打ち破られた。
「ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒットラー失脚」
この驚くべきニュースは凄まじい速さで全世界に伝わった。
スターリングラードでのドイツ軍敗北が決定的になった事で、「未来からの歴史」がヒトラーの戦争指導や国家運営を疑問視していた人々を遂に動かしたのだ。
ヒットラーはソ連侵攻作戦失敗の責任を取らされ逮捕された。
新しいドイツ首相にはエルゥイン・ロンメルが就任した。
彼は首相就任の際、21世紀のドイツ連邦共和国駐日大使の言葉を引用した。
「ドイツは生存権拡大などという侵略行為をしなくても十分繁栄できる。
21世紀ドイツはその優れた技術力で世界でも指折りの先進国となり国家は多いに栄えているという。
我々はそういうドイツを作ろう。
それこそが我がドイツ人の優秀性を世界に知らしめる唯一にして最も優れた方法である。」
ドイツ新首相ロンメルはただちにヨーロッパ各地で戦闘を停止。
ドイツ軍は本国に次々を撤退していった。
バルト三国らは独立を宣言しソ連邦への復帰を拒否した。
元々これら3カ国はソ連に侵略され併合されていたという経緯からソ連からの分離独立の志向が強かった。
バルト3国はドイツ軍に撤退を思いとどまるよう懇願した。
彼らにとってドイツ軍は「解放軍」であり、またソ連から自分たちを守ってくれる守護神のような存在だったからである。
ロンメルはスターリンと根気強く交渉し、多額の追加賠償金を見返りにバルト3国の独立を認めさせた。
また欧州各国にナチスドイツの侵攻による戦後賠償も行うと宣言した。
同時に、ドイツ連邦共和国首相エルィン・ロンメルの名で日本との国交再開を求める親書が日本政府に届けられた。
日本政府は喜んでこれに応じた。
ヒトラー失脚後間もなくイタリアのムッソリーニも逮捕され失脚した。
新首相パドリオも日本との国交を再開した。
パドリオ首相も21世紀イタリア共和国駐日大使の言葉を首相就任の際に語った。
「文化国家イタリアとして国民の幸せを第一に考える国にしよう。
それこそが我々のイタリアである。」…と。
そして彼は最後にこう締めくくった。
「未来からのメッセージが世界に平和をもたらした。
さぁ、皆でその未来へ一緒に進もう。」
「未来からのメッセージによる平和」という言葉が全世界を駆け巡った。
そのメッセージが世界に本当に平和をもたらしたのだ。
世界各国の国民達は21世紀からの使者である日本と台湾を絶賛した。
その「未来からのメッセージ」によって自分たちが欧米列強から独立した未来を知ったアジア・アフリカの人々も湧きかえった。
各地で独立を求めるデモが頻発した。
欧米列強の植民地支配体制は大きく揺らぎ始めた。
欧米列強指導層は困惑と共に日台両国にたいする憎しみを燃やし始めた。
日本と台湾が自分たちの権益を脅かしている…と。
1942年5月6日
アメリカ合衆国と大英帝国、そしてオランダ王国は日本に対し経済制裁を行うと宣言した。
そしてこの3カ国は21世紀技術、特に軍事技術の全面公開を日台両国に要求してきた。
ルーズベルト曰く
「21世紀の進んだ軍事技術が日本・台湾両国に独占されているこの状況は世界平和への重大な脅威である。
日台両国は速やかにそれらを全面公開するべきである。
また、植民地放棄の要求は日台両国による内政干渉である。
断じて認められない。」
特に英米は「核」に関する技術情報の全面公開を強く要求してきた。
日台両国は驚いた。
しかも桜木総理や李総統としては到底呑めない条件だった。
このままではアジア・アフリカが独立のために多くの血を流すことになる。
しかも核の拡散を日本が行う事などできる筈が無い。
確かにこの時点では核拡散防止条約(NPT)は存在しないが、核不拡散は日本の安全保障の上で、いや世界の平和のために絶対固持しなければならないのだ。
日台としては譲歩できる点が全くない。
戦後の歴史を踏まえ、日本と台湾は欧米諸国を懸命に説得しようとした。
しかし、欧米諸国は聞く耳を持たない。
逆に日台が要求を受け入れなければ我々はあらゆる手段を行使しても国家の安全を守る…と最後通告に等しい答えが返ってきただけだった。
1942年6月
米英蘭はアジア太平洋地域に戦力を集結し始めた。
米英蘭の強引なやり方はその他の諸国の当惑と反発を招いた。
オーストラリア・ニュージーランドのANZAC諸国は米英蘭との同盟を破棄し中立を宣言した。
フランス・ドイツ・イタリアは公然と米英蘭の理不尽な要求を非難した。
アジアでもタイ王国・東方イスラエル共和国が日台擁護の姿勢を明確に打ち出した。
ただ1国だけ米英蘭を支持した国家があった。
独裁者ヨシフ・スターリンが支配するソビエト連邦だった。
世界は再び「対立」という冷たい空気に包まれ始めた。