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愛煙譚  作者: 麓城結社
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 翌日、天気が回復したおかげか、煙草の露天商泉岳の売れ行きは昨日とは打って変わって上々だった。


「せっかく晴れたっていうのに、こうネオンがギラギラしていちゃ星の一つも見えんのは寂しいもんだね」


 問いかけるように言った泉岳だったが、いつもと違って彼がお嬢と呼ぶ少女が隣にいないので、きまり悪そうに頭をかいた。


 泉岳が商品を並べているのは昨日までいた新市街とは桁違いの猥雑さと活気に満ち満ちた路地の一角だった。


 ここは市内全域を見渡してもとりわけ異様な賑わいを見せる壁南地区の芦原エリア。妓楼が立ち並ぶ遊郭を模した区画もあれば、赤色灯を掲げた飾り窓から愛想を振りまく娼婦のいる洋館区画、ゴーゴーバーやカラオケ型の施設等、ありとあらゆるニーズを満たす、バラエティ豊かな性産業の坩堝となっている。


 泉岳が店を構えているのは、その手の箱ものが集まる中心街から少し外れた街路だった。道を行く男の腕を強引に引いて交渉を吹っ掛ける街娼の立ち並ぶこの通りは、正式名称を芦原町第二通りと呼ぶが、地区に明るいものには阿多野通りと呼ばれている。




「毎度、お仕事お疲れさん」


 二箱購入した街娼に愛想よく礼を言った泉岳は、通りの突き当りに視線を投げた。猥雑さと退廃の粋を凝らした地区にあって、一際異常な建造物がそこにはあった。


 高い塀が張り巡らされた厳めしい武家屋敷の門が開いた。中から男が一人街路に足を踏み出すと、通りの街娼たちが色めきだって男に群がった。武家屋敷の男、阿多野はそんな有象無象に一切注意を払わず、街路の先に座り込む露天商を見つけると薄い笑顔を浮かべて歩を進めた。




 阿多野が歩くと女たちも動く。必然、泉岳の前にたどり着く頃には女の群れが出来上がった。


 泉岳はいつも通りの胡散臭い笑顔を浮かべて阿多野を見上げた。阿多野は痩せぎすの体躯を丸めて立ち、小さな目を神経質に動かしている。優れた美貌を持つ女たちに囲まれていながら、彼の醜さはひどく目立った。


「どうも、お久しぶりです、阿多野先生。相変わらず景気がいいようで」


 阿多野の周りを固める美女たちを見て、泉岳は冷やかすように言った。阿多野は取り合わない。


「お前が煙草をくわえていないのはめずらしいな。この数年で宗旨替えか」


問われた泉岳は肩を竦めてへらへらと笑った。


「そりゃあ煙草嫌いの先生に会いに来たんですから。泣く泣く禁煙し始めましたよ。3時間ほどですがね」


「俺が嫌いなのは副流煙だ。他人の吐く臭い煙は耐えられん。煙草は好きだぞ。何年ぶりだ畜生、待たせやがる。そら、一番いいやつを寄越せ」


 そういうと阿多野はポケットから無造作に紙幣を十数枚抜いて泉岳に放った。


泉岳は毎度と言って、茣蓙とは別に小脇に避けていた小箱から二ケース取り出すと阿多野に渡す。阿多野は目を輝かせて包紙を破った。




「ところで先生、デリク・ノイマンという男をご存知ありませんかね」


目の前で紫煙をくゆらせる阿多野の虫の居所がいいことを悟った泉岳が聞いた。


阿多野は途端に顔色を不機嫌そうに変えた。


「あの下品な若造がどうした」


「おや、ご存知で」


「ここのところ、8番街のあたりでやたらと景気の良かったチンピラだ」


「へえ、景気が良かったと?」


「死んだよ。やつが根城にしていた拷問部屋でな。手下もまとめて首を切り落とされていた」


思わぬ回答に泉岳はめずらしく純粋な驚きを顔に浮かべた。


「へえ、それは…。あれ、それは噂の夜回り首切り魔というやつでは」


「ああ、そっち側じゃそんな間抜けな名前で呼ばれているんだな。なんにせよ、ご同業の連中の間じゃ、武闘派で鳴らしたノイマンが殺られたのはかなり衝撃的だろう。今までは笑っていたやつらも戦々恐々としているんじゃないか」


 ざまあない、と阿多野は笑った。


「先生は気にしておられない様子ですが」


泉岳の問いに阿多野は心外だという表情で答えた。


「なぜ俺が? 俺は真っ当な医者だぞ? 件の首斬り野郎が相手をしているのは選り抜きの外道ばかりだよ。この肥溜めの中じゃめずらしく健全で前向きで善良な俺が首を切られる理由は無いね」


 自称するとおり阿多野は医師だ。専門は美容整形。主な顧客は娼婦である。神憑った凄腕で、金次第で文字通りすべての要望に応える。どんな醜女も目を見張る美女に変えてしまうのは当然として、見た目の年齢や身長、性別すらも顧客の要望に従うことが出来る。


だというのに、彼自身はその容姿を変えるつもりは無いらしい。美を司る神のような腕を持ちながら、彼の醜さはある種偶像的ですらあった。事実彼はアイドルと言える。彼の周りには更なる美を求める女たちが後を絶たない。施術に伴う特殊な条件を飲んでさえ、確実に手に入る美に手を伸ばさざるを得ない。


「それで、どうしてお前のような人間がノイマンに関心を持つんだ?」


 泉岳は昨日の珍事を話した。

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