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市村の独白は一応の終わりを見せたらしく、彼は黙ったきり煙草の煙をくゆらせることに熱中していた。
しばし泉岳は考え込んでは口を開いた。
「例えば、この女性についてはどう思いますかね」
パラパラと週刊誌の巻頭水着グラビア、千年に1人の美少女との呼び名が高いアイドルの写真を見せる。透き通るような白い肌と、この頃は年頃を迎えてはち切れんばかりのナイスバディだった。
ところが市村は嫌悪も顕に顔を顰めて吐き捨てた。
「なんですか、その下品な白豚は」
どうやらイケナイ煙草のせいで口まで悪くなっているようだ。
泉岳はまたしても、ふむ、と唸ってページを繰り、今度はスレンダーな黒髪の乙女を開いて見せた。
市村の返答はまたしてもそっけない。
「鶏ガラでも抱いた方が幾分マシです」
うんうんと頷くと、今度は自分の隣の少女を指さした。
「ではこちらのお嬢さんはいかがですかね」
急に水を向けられたお嬢は、顔を赤くすると慌てて髪に手ぐしをかけた。
市村は若干焦点のずれた目で一瞬お嬢を見ると、即座に視線を外して身震いしながら言った。
「3日はうなされそうなくらい酷いブスだ」
「なんですって!」
「おいおい、話を聞いていなかったのか、お嬢。褒められてんだよ」
憤然と立ち上がったお嬢を、泉岳は呆れ顔で宥めた。
市村は二人の反応を見て、自分がずれていることを再確認したのか、またも落ち込んだ顔色を浮かべた。
雨足もやや弱まったので、市村は最後に一服すると帰っていった。
よろけた足取りで雨が降りしきる中、傘もささずに去っていく後姿を眺めて、泉岳は満足そうに言った。
「上客だったな」
去り際に高級煙草30本入りケースを1万円売りつけたので上機嫌だ。
「しかし面白い話だったな。そのデリク某やらいうマフィアの男、なかなか洒落が分かる愉快な輩だね。私が一番好きなタイプの悪ふざけだ」
一方のお嬢はとことん野次馬を決め込むことに専念している相方ほどには状況を楽しむ気にはなれず、やや真面目な表情で聞いた。
「女の人の好みを逆転させるなんてできるの?」
泉岳はちょっと考えるしぐさを見せるとうんうんと頷いて言った。
「できるとも。ものすごくざっくりと説明するとだね、人間が美しさを感じるときは、内側前頭前野、眼窩前頭皮質や腹内側前頭皮質あたりの脳領域が活性化するんだ。ここが活性化する基準はニューロンの配列に依存しているから、そこをナノマシンで不活性のパターンに書き換えてしまえばいい」
「もしかして、あんまり難しくないことなの?」
目を白黒させてそう言ったお嬢の言葉を泉岳は笑って否定した。
「いやいや、とんでもない。理論上はできるってだけの話だよ。ニューロンの配列なんて個人個人で違うから、書き換えるにしても事前に詳細なニューラルマップのデータが不可欠なんだ。それが無いとナノマシンをプログラムできない。お嬢はこれがどういう意味か分かるか?」
話を振られたお嬢は目を泳がせた。
「えっとね、私文系だから……」
「同じ薬を用意すれば誰にでも効果があるわけじゃないってことだよ。だから面白い。採算度外視でとんでもなく手が込んでいる癖に、やっていることは嫌がらせのレベルなんだからね」
「なんかすごそうだけど、そんなの壁南地区で作れるの?」
「無理じゃないが現実味は薄いな。あそこの闇医者や技師にちらほら凄腕がいるのは事実だが、これはちょっとばかり専門性が高すぎる。デリク某とやらは統治企業連の嘉島グループあたりに伝手があるんだろう。壁南地区で出回っている違法薬物は嘉島製薬から卸されているからね」
さりげなく言い放たれた耳を疑う情報にお嬢が軽く吹き出した。
「そうなの!?」
「そうだよ。統治企業連と壁南マフィアはがっちり癒着してる。市外から入ってくるわけじゃない以上、作っているのは市内の企業に決まっているじゃないか。嘉島が開発した新薬は市場に流通させる前に、特定の犯罪組織を経由して一旦壁南地区に流されるんだ。そこから闇医者に流通させたりマフィアが自前で持っている実験施設で臨床試験のデータを取る。嘉島にしてみればノークレームで新薬の試験ができるメリットは巨大だ。試験データと引き換えにドラッグを格安で卸すと、ほらこういう流れだ」
何を当たり前のことを聞くんだという表情で語る泉岳だが、市内における正しさの象徴である統治企業連がマフィアと蜜月だなんて、一般人には常識が音を立てて崩壊するような衝撃だ。風邪薬から水虫、不眠症、毛根再生剤まで、嘉島製薬の製品は市民にとってはあまりにも身近だ。それが人の人生を壊す違法薬物を作っているなんて簡単に飲み込める話ではなかった。小学生時代に憧れていた女の先生が風俗店で働いているのを見てしまったような気分だ。
「ねえ、おじさん。市村さん、治るの?」
ショックから覚めたお嬢が怖々と聞くと、泉岳は相も変わらず飄々と答えた。
「『治る』というより正確には『戻す』だね。ナノマシンで書き換えられているわけだから、薬が切れるなんて症状とは根本的に違う。戻すには元の状態に書き換えなきゃいかん。しかしこれは相当ハードルが高いぞ。書き換え前と書き換え後のニューラルマップが必要なのが大前提だし、そのうえで嘉島なりに渡りをつけなきゃならん。残念だが現実的じゃないね」
泉岳の言葉にお嬢は顔を曇らせた。
「かわいそうだね」
「確かに気の毒だが、考えようによってはそう悪いものじゃないかもしれんよ。ほら、競争率の低いフィールドで勝負できるわけだから。あの美形なら無双できるに違いない」
市村を気遣う様子など欠片もなく、あくまで楽しくおちょくるスタンスを崩さない泉岳を見下げ果てたような表情で見た。
「もう帰る」
靴を履いて立ち上がり、鞄を引っ掴んで雨の中に身を翻したお嬢を止めるでもなく、泉岳は茫洋とした笑みを浮かべながら咥え煙草を摘まむと地面に押し付けて火種を潰した。
時刻はいつの間にやら0時を回りかけていた。さすがにもうこれ以上の来客は期待できない。
茣蓙の上から商品を片付けながら、泉岳はぽつりと言った。
「嫌われちまったかな。明日は河岸を変えてみようか」