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話はそこで途切れた。
市村は茫洋とした表情で煙草をふかしながら雨をの打ち付ける路面を眺めていた。
煙草屋の二人はいまひとつ要領を得ないといった表情で顔を見合わせた。
「えっと、お酒に酔って気持ち悪くなったの?」
少女の言葉に、市村は雨から目を離さずに答えた。
「僕は酒は結構強いんですよ。あの日飲んだのはカクテルが3杯くらい。とても酔う量じゃ無い」
「医者には掛かったのですか?」
「行けませんよ、医者なんて」
「それはそのデリク・ナントカやらいう壁南のマフィアに薬でも盛られたからですかね?」
泉岳のその言葉に、市村は忌々しそうに吐き捨てた。
「まあ、そうなんでしょうね。それしか考えられない。あの日、僕はあのマフィア野郎から受け取ったものしか口に入れていない。今思えばなんて無用心だったんだ」
足を踏み鳴らして悔しがる市村を、二人はぼけっと眺めた。
まったく合点がいっていない様子の二人を見て、市村は仕方がないといった様子で首を振った。
「今更ですけど、僕の恋人の世良響を知っていますか?」
「まあ少しばかりは」
泉岳は手元の週刊誌をめくった。
人気俳優市村光彦の恋人をスクープした記事に載せられた件の恋人の簡単なプロフィールが載せられている。
世良響。22歳。女優。市内の有力企業、嘉島グループ本体の役員令嬢。昨年公開された女優デビュー作の『裸のロメオ』では助演女優を務めた。製作が嘉島グループ傘下の芸能プロダクションだったため、公開前は散々テコ入れキャストだの七光りだのと批判を浴びたが、いざ公開されてみると彼女の演技は有象無象の批判の一切を封殺した。
泉岳はそのプロフィールを軽く目でなぞると、同じページに載せられた写真を指先でつついた。モノクロのバストショットだが、顔の特徴はよく出ている。
「さきほどもチラリと見ましたが大変な美人だ。同じ女性の立場なら嫉妬するにも思い上がりの素質が必要でしょう」
その言葉を聞いて市村は乾いた笑いを漏らした。
「美人。そう思いますか。まあ、そうですよね」
市村はしばらく苦しそうに言葉を探し、諦めの表情で言葉を継いだ。
「僕がパーティから帰った後あんな醜態を晒したのはですね。どうしてか響の顔が気持ち悪く見えて仕方がなかったんですよ。綺麗な響に一目惚れして、ずっと夢中だったのに、彼女の顔を見るくらいなら、下水道を遊泳する浮浪者を眺めた方がマシだって思ったからですよ」
あんまりな喩え方に二人は反応を決めかねて、結局曖昧に笑顔を浮かべることにした。
市村は続きを話した。
あの後、急な病気にかかったかもしれないと言って自分を心配する恋人をなんとかマンションから追い出した。幸い緊急の仕事は入っていなかったため、事務所には体調不良と連絡してマンションに籠ることに支障は無かった。一人でいるときの体調はどこも悪くないものの、何度も訪ねてくる世良響を見るたびに気分は急降下。しかし流石にこれ以上はごまかしきれず、今日は強引に連れ出されて、一緒に医者に行くことになった。
土砂降りの雨の中、恋人に腕を引かれながら、最悪の顔色を浮かべてマンションを出て新市街の道を行った。はじめこそ自分を気遣っていた響だったが、次第に何かがおかしいこに気がついたようだった。そして市村自身も外に出ることで自分のどこがおかしくなったかに考えが及ぶようになった。
「あいつは僕の顔色が悪いのは、自分を見ている時だけだってようやく察しました。僕は僕で自分がいかにいかれているか段々分かってきました。ねえ、煙草屋さん。新市街のこの辺りは、市内でもなにかとひどい方だと思いませんか。そりゃあ壁の南よりはマシでしょうけど、街並みはみすぼらしいし、飲食店は不潔だし、街娼の見た目ひとつとっても酷いものだって思ってましたよ。職業意識の欠片も無いたるんだ身体に派手で下品な服を着て、汚い肌に厚化粧して」
市村は片手で髪を掻き毟ると、端正な顔に泣き笑いのような表情を浮かべた。
「でもね、今はなんでか響なんかより全然綺麗に見えちまうんですよ。困ったなあ、これは」