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愛煙譚  作者: 麓城結社
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2

「ねえ、おじさん。もう今日は切り上げない?」

「まあ、もう少し待ってくれないか。いまいいところなんだ」

その返答に少女は不満そうに眉根を寄せて、丸椅子の下で裸足の足をばたつかせた。靴下が詰まった靴は学生鞄と一緒に椅子の下に転がっている。

男は少女を見ようともせずにぷかぷかと煙草をふかし、週刊誌を熱心にめくっている。


ちぐはぐな2人組だった。

男は30代の後半あたり。手入れの行き届いていないぼさぼさの髪と無精髭、擦り切れたコートに咥え煙草とくれば「くたびれた」という言葉の代名詞じみている風体だった。

一方の少女は10代の半ば。とても整った可愛らしい顔立ちでおかっぱ頭のセーラー服姿。薄汚れてくたびれた男とは対照的に、こざっぱりとしていていかにも快活そうな雰囲気をまとっている。

年齢的に親子とも思えない2人がいるのは、新市街の中でも繁華な第一商業地区の一隅、シャッターを下ろした中華屋のひさしの下だった。男は中華屋の壁に背中を預け、地べたに腰を下ろして、目の前にござの上に商品を並べている。ござの横に置かれた木板の粗末な立て看板には、そこだけ格調高く墨痕あざやかに「煙草屋 泉岳」とある。

煙草の露天商だ。

ござの上に並ぶのは、そこいらの商店や自動販売機で買えるお馴染みの銘柄もあれば、毒々しいカラーリングにどこの言語かも分からないような文字がプリントされたもの、そもそもパッケージにすら入っていない裸の紙巻煙草が缶ケースに入れられて1本30円でのバラ売りまである。

見る人が見れば食指の動くラインナップだが、本日はあいにくの雨。しかも都合が悪いことに酸性度合いが危険水準より30%増しとのアナウンスが役所の定時放送で流れたおかけで人の姿もまばらだ。金曜夜の10時となれば、普段はごった返す新市街のこの地区だというのに、かれこれ2時間近く店を広げていても、売上は雨宿りに寄ったサラリーマンがバラ売りを3本買ったきりだった。


「そんなに芸能人の恋愛事情が気になるの? おじさん、いい歳してみっともないよ」

表紙のあおり文を読んだのか、呆れた様子の少女の声に男は首を振った。

「いや、違う。そっちの方は確かにどうでもいいが、私が気にしているのはこっちの方だ」

男は少女に向けて週刊誌を開いて見せた。

「夜回り首斬り魔再び、ついに犠牲者は20人の大台を突破、って。なんなのその間抜けなあだ名は」

少女は見出しを読み上げると呆れたように言った。

「壁南地区のあたりでここんところ夜毎に連続殺人が起きているらいしい。犠牲者は全員がマフィアの構成員だそうだ」

「あんな寝ても覚めても抗争ばっかりやってるようなところで、今さら殺人事件がどうだっていうの」

「いや、実は殺人事件は珍しいんだ。死体をお手軽に処理できる壁南じゃ現場に死体が残らないからなあ。知ってるか、市警はあそこの治安維持なんてはなから考えてないから壁南の交番勤めは市内じゃ一番の閑職って話だよ。でも死体が残った以上はさすがに重い腰あげなきゃいかんだろう。警察の発表によると、犠牲者は全員頭を落とされて、胴体の上にちょこんと几帳面に置かれているとのことだ。他に目立った外傷は無くて一刀のもとに切り捨てられているらしい。どうだ、なかなかキャッチーな属性のシリアルキラーじゃないかな」

少女は心底どうでもよさそうに「ふうん」と言った。

「なんだなんだ、同じ市内だってのにずいぶんな無関心ぶりじゃないか」

せっかく気合を入れて解説をしたのにすげない態度を取られて不満げな顔を見せるも、少女の方は特に忖度する気はないようだった。

「だって壁南の中の話なんて私たちに関係ないじゃん。マフィアがどうなろうと知ったことじゃないし、暇してるお巡りさんは働けばいいよ。そんなのより、新市街に出没する美少女幽霊とかの特集の方がよっぽど気になるよ」

週刊誌の表紙には少女の言う美少女幽霊や、旧市街の神社で新月の夜に営まれるという怪しげな儀式の真相だのといった節操の無い特集が組まれている。

「こんな眉唾の方が気になるなんて、お嬢はお子様だなあ」

男はそちらの方には関心がないのか、特に話を続ける気は無いようだった。少女はふて腐れて、「夜回り首斬り魔だって大概じゃん」と愚痴をこぼすと、退屈しのぎに軒先から滴り落ちる水滴を数えることにした。

15を数えたところで痺れを切らした。

「絶対今日はもう誰も来ないよ。帰ろうよ」

何度目か分からない不満をぶつけた少女に、男はフィルターぎりぎりまで吸った吸殻を雨で濡れた街路に指で弾き飛ばして言った。

「あと1本吸い終わったらな」

身を屈めて商品から1本摘もうと手を伸ばしたところで、男は動きを止めた。

「どうしたの?」

怪訝そうな少女に、男は無言で路地の反対側を視線で示した。客入りに見切りをつけてシャッターを下ろした居酒屋の前に、いつの間にか2人の男女がいた。

「あんまり穏やかじゃないな」

男の言う通り、2人の様子は穏やかからは程遠い。雨に掻き消されて声は判別出来ないが、女の方は実に激している様子だ。殺気立ってすらいる。一方の男はその迫力に押されてたじたじの模様。

突如女が右手を振りかぶって思い切り男の頬を引っぱたいた。鋭い破裂音は通りを越して2人の野次馬にも届いた。

「ひゃー、修羅場ってるね」

目を輝かせる少女。

「こらこら、そう面白がるもんじゃない」

たしなめつつも、男も顔をにやけさせつつ顎の無精髭を撫でた。

通りの向こう側では、女がヒステリックに悪態を吐き、踵を返して去って行った。取り残された男は悄然と立ち尽くしている。傘もささずに濡れ鼠だ。

「事情は分からんがあんまり惨めだな。心が痛むんでちょっくら慰めてやろう」

男は週刊誌を脇に置くと、おもむろにコートのポケットから毒々しい紫色のパッケージを取り出すと煙草を1本抜いて口に咥えた。

少女は顔を顰めた。

「わたし、それ嫌い。臭いもん」

少女を無視して煙草に火をつけると深く吸い込み、ふぅと吐いた。

煙草の煙を指して紫煙と呼ぶが、一般的には紫色という訳では無い。ところが男の口から吐き出された紫煙は文字通りの紫色。それがどういう理屈か蛇のように中空をのたくって、雨のふりしきる通りの向こう側まで届き、一人うなだれる男の頭を包むとふっと消えた。

通りの向こうの男は顔を上げると、数瞬呆けた様子で周囲を見渡し、通りの反対に煙草屋を認めて一瞬迷ったように視線を泳がせると、雨の中を小走りにして駆け寄った。

時刻は22時15分。

日の入りから振り続けた雨は、いよいよ土砂降りの様相を呈していた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ここで主人公ペアー登場ですね。 二人はどういう関係なのか? 気になります。 あと、なんとなく両人とも秘めた力がありそうな予感。 どうやって事件に巻き込まれていくのかな?
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