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今日も目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。枕もとに置いてあるここのところ私の健康指数は馬鹿上がりしている。夜は美味しくて健康的な夕食をたべてお風呂にたっぷりと40分浸かる。それからストレッチをしてテレビを観ながら紅茶を飲んで、歯を磨いてベッドに入り、22時半には夢の中。見る夢はいつも同じ。3か月前までの私の日常だ。
ベッドの上で体を起こし、芦原エリアの中でも最低価格を争う地下ソープで日銭を稼いでいた毎日を改めて思い出す。
別にあの時の環境には不満なんて無かった。14の時からから続けていたあの仕事は嫌いじゃなかったし、お客さんは人間博物館みたいで飽きなかった。私を抱くことで頭がいっぱいだったのに、いざコトを終えた途端に小難しいことを語り始めたり、二回りの年上のオジサンが私を「ママ」と呼んだり、見ていてすごく面白い。
「あんたは器量が良くないのに客が絶えないのが不思議だね」
店長はそうやって私のことを褒めてくれた。別に私だって元からあんな顔をしていたわけじゃない。昔、住んでいた家が火事になったのだ。出火元は隣の家。火の勢いが強くてたちまち私たちのアパートを飲み込んだ。お母さんは背中と頭が火に包まれながらも私を抱えて外に転がり出た。お母さんはそのまま上半身が丸焦げになって死んでしまって、私は顔を含めた身体の右半分が焼けただれた7歳の孤児になった。
半年前、あの人は突然私の前に現れた。
服装からして、普段この店に出入りするお客さんたちの平均からかけ離れていた。たぶん、いや確実にどこかの組のお偉いさんだ。でもどうしてだろうと純粋に疑問を覚えた。こういう人たちが遊ぶのは芦原の中心街の超高級店と相場が決まっているのに。こんなにはずれの店で、顔に火傷をこしらえた嬢を指名するなんて。
「ねえ、お客さんってすごく物好きな人?」
ベッドに腰かけたその人の隣に座り、胸元に手を伸ばした。びっくりするくらい硬い筋肉の盛り上がりでうまくボタンが外せていない私の手を、その人は大きな右手で掴んだ。
「そうだな。人間、なんでも経験しておくべきというのが信条の一つではある」
その人はしげしげと私を見つめた。日に焼けた端正な顔立ちと見つめ合うと、自分の顔が恥ずかしくなって私は顔を伏せた。でもすぐに顎を優しく掴まれて戻された。
「その火傷、ずいぶんと古いな」
火傷を左手でなぞりながらその人は言った。薬指以外の指にはまった指輪がひんやりとして気持ちが良かった。
「分かるの? もう20年近く前になるかな。家が火事になってね」
「焼けたのは顔だけか?」
あんまりにもデリカシーが無くて、思わずすこしだけ笑ってしまった。
「ううん。顔以外にも身体の右半分。あとお母さん」
私の返事を聞くと、その人はすごく悲しそうな顔をして小さくつぶやいた。
「死人も怪我人もいないもんだと思ってたよ」
「どういうこと?」
「いや、何でもないよ。分からないならいいさ」
「ふうん……? ねえ、それよりさ。そろそろする?」
私の問いかけに、その人は首を振った。
「いや、今日のところはよしておく。時間までゆっくりしいてくれていい」
それはどちらかと言えば気づかいの言葉だったと思うのだけど、私はなぜだか気が立ってしまって、言わずにはいられなかった。
「あのね、こちとら底辺の売女でも一応相応の職業意識があって仕事をしてるんだけど。あなたから見ればはした金かもしれないけど、お金を払ってもらっている以上やることをやらないと気持ちが悪いの。それとも身体中に火傷のある女は抱けない? そういうことなら仕方が無いけど」
思わず一気にまくし立ててしまって、私は一体何を口走ったのだろうと後悔した。いままでそんなに情熱をもって仕事をしていた覚えは無いのに。拒絶されたことが不可解なくらい悲しくて言わずにはいられなかった。
その人は一瞬ぽかんと驚いたような表情を浮かべた後に、うっすらと口に笑いを浮かべて赤面している私に言った。
「悪い。恥をかかせるつもりは無かったんだが。じゃあそうだな。せっかくだから頼むよ」