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新市街の南に位置する第3商業地区は、一般に壁南地区と呼ばれている。ここでいう壁というのはもちろん市庁舎を中心とした美観地区とを隔てる高い有刺のフェンスこと。市民IDを提示してゲートを抜け、狭い川に架かった橋を渡ればそこはもう悪名高い壁南地区だ。
週末になれば、お行儀よく潔癖な5日間にうんざりした美観地区のサラリーマンやら公務員たちが、ちょっぴり不道徳な刺激を求めておっかなびっくり橋を渡っていく姿がちらほら見られる。
週末の目抜き通りのあたりは、比較的カジュアルに非日常的な遊びを楽しむ「観光客」で賑わっている。観光客向けに売られた成分の薄いぼったくり価格のドラッグをキメて、立ちんぼを冷やかしながら軽く酒の1杯でもやれば、ちょっとした週末の武勇伝が出来上がる。遊びは「金払いよく上品に」が鉄則。それさえ守っていれば、壁南地区は大概優しく彼らを迎えてくれる。
とはいえ、あんまりはめを外し過ぎた観光客に優しく接してくれるほど寛容な訳でもない。
壁南地区で最も発達したインフラ設備はゴミの焼却施設だ。色々な関係者一同にとって幸運なことに、市街地のど真ん中にあって、大変にアクセスがよく、それこそなんでもお手軽に処理できるうえに24/365でフル稼働。
焼却施設で働く職員と街路を巡回する清掃員は壁南地区の数少ない市の公務員で、大変な敬意をもって遇されている。彼らのおかげでこの地区はその治安の劣悪さにも関わらず、犬や猫、そしてその他諸々の死骸や生ゴミが転がったまま放置されることは稀で、ある意味非常に衛生的なエリアなのだ。
朝も夜もなく壁南地区から煙はもくもくと立ち上る。市の上空で掻き消えていくその煙の中に、果たしてどれだけのはしゃぎ過ぎた観光客がいるのかは誰も知らない。
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おれは焼却場から立ち上る煙を眺めていた。真夜中だというのに、不夜城めいた街の明かりに照らされて、白い煙は夜空に映えている。
「なあ、ケン。あの焼却場は半年前に最新式の焼却設備にリニューアルされたのを知ってるか。1300度以上の高温で一切合切なんでも焼き尽くしてくれる。お陰でダイオキシンの発生も抑えられるし、ゴミの容積は燃やす前の40分の1以下。なんともクリーンで環境に優しいだろう。壁南地区の誇りってやつだな」
日に焼けた端正な顔に嫌らしい笑いを浮かべたデリクは、そんなセリフを吐きながらぽんぽんと馴れ馴れしくおれの肩を叩いた。
「しかもこの施設の素晴らしいところはそれだけじゃないんだ。商売っ気のいい市長様、なんと高温高圧加工法ってのを導入していてな。人体からオーダーメイドのダイヤモンドアクセサリーを作るサービスなんてものを始めやがった。死体遺棄で金を稼ごうってんだから、そんな輩を行政の長に立ててる壁の向こうの連中も大概いかれているよな」
げらげらと笑いながら左手を広げて指にはまった指輪を見せた。
「俺はここの上客でな。サービス開始直後からのユーザーだ。人差し指のこいつは売り上げをちょろまかした挙句、2人殺して逃げようとしたハキムだ。見下げ果てたクズ野郎だったが、見ろよ。こんなに見事なブルーダイヤに化けちまった。反対に俺に隠れて鮫島のところの若造と逢い引きを繰り返していたあのヴァージニアはどうだ。あれだけ見てくれは良かったのに、なんでかくすんじまって安っぽいガラス玉みたいだろ」
人差し指と中指。右手の人差し指で一本一本指し示しながら、語りかける。そしてその人差し指は左手の薬指を指した。何もはまっていない、妙に綺麗な指だった。
「薬指は特別だ。お袋はいつも言っていた。『デリク、軽い気持ちでそこに指輪をはめるんじゃないよ』ってな。お袋はどうしようもない淫売だったが、そういうところは妙に潔癖だった。だから俺もガキの頃からそれだけは守ってきた。いいか、薬指の指輪は特別なんだ。一生付き合ってやろうって覚悟無しに付けるべきじゃない」
景気よく得意げに語っていたデリクはそこでふうとため息をついて、じっとおれの目を覗き込んでにっかりと笑った。
「うん。やっぱりお前だ。お前なら一生付き合ってやっていい。ああ、でもこう言っちまうと俺がまるでそっちの気があるみたいだな」
そう言うって笑ったので、おれはとりあえずこう答えることにした。
「おれもあんたとは仲良くやっていきたいと思ってるよ」
まあ、もう手遅れのようなのだけど。
デリク・ノイマンは壁南地区の顔役の一人だ。賭場の経営や娼婦の斡旋、高利貸しといった真っ当なビジネスから、ドラッグ流通量の調整までを担う多角的な実業家だ。早い話が壁南地区に無数に存在する犯罪組織の中でも、かなり上等なポジションに位置するボス猿の一人で、その猿山の一匹であるおれはいま土壇場に立たされている。デリクの利益を損ねたことは無かったし、むしろおれのおかげで上手くいった仕事の方が多いのに、諸事情でヘタこいた結果がこのザマだ。
そういえば土壇場というのは大昔の処刑台のことだそうだが、元の意味を考えるなら、この状況は土壇場に向けて歩いているというのが正解か。
上半身に拘束具を掛けられ、両足には枷。四方を武装したデリクの護衛で固められながらゆったりと焼却場への道を歩かされている。
違う立場で何度か見た。自分の足で処刑場まで歩かせて、道すがら延々と親しげに語りかけるというのはデリク流の処刑の作法だ。泣き叫んで取り乱す者には優しく、心を閉ざす者には、持ち前のウィットに富んだトークで魔法のように心を解きほぐす。この奇妙なルーティンの肝は、お前はこれから死ぬのだということをじっくりと味わわせること。
交番の前を通り過ぎた。拘束具と足枷といういかにもな出で立ちだというのに、デスクに漫画の雑誌を広げた警官はおれにちょっと視線を投げると、何事もなかったかのように平然と漫画に戻った。まったく、この肥溜めにいると警官まで腐るらしい。真面目に働く公務員は清掃員と焼却施設の職員くらいだ。まあ、こちとらまともに税金なんて払ってないからそれも仕方がないのかもしれない。
市警は最低限の人員配置を行なっている。5番街までは交番があるが、それは以降の中心市街にノータッチなあたり、連中の関心の無さを表している。壁から離れて警察のいないエリアに行けば行くほど、街の治安は悪化するというわけでもない。ここはどこに居たって変わらない。ここの住人にとって、連中はそこにいるけど目に映らない幽霊と同じだ。お互いに関わらないから関わるなよというスタンスはとても賢明だ。
それとも、おれたちがもっと真面目に納税していれば、職質のひとつでもしてくれたのかなんて益体もないことが頭を巡った。
ついに8番街の繁華街に差し掛かった。焼却施設はもう目と鼻の先。通りの気だるい賑わいはピークに達していて、連行されていくおれに野次と冷やかしが投げつけられる。デリクが手を振って応えると黄色い歓声が返ってくる。あいつはここでは人気者だ。
ここから先の道は目をつぶっていてもわかる。通りを挟んで焼却施設の向かいに建つ雑居ビルはデリクの持ち物で、そこに連れ込まれて工夫を凝らした遊びをされた挙句、燃えるゴミに変わったおれは、お隣に運び込まれて煙になるのだ。いや、となりで上機嫌でペラ回すゲス野郎の左手の薬指にはまるんだったか。
ああ、喉が渇いて仕方がない。
雑居ビルの前にたどり着いた。おれを囲んでいた取り巻きの一人がガラス扉を開いた。開いた先はエレベーターホールを兼ねたエントランスだ。
「ケン。夜空を見上げてみないか」
言外に最後のという意味を含ませてデリクがおれに言ったので、その厚意に甘えて夜空を見上げた。
ちくしょう。ギラギラしたネオンと焼却場の煙のせいで、星もなんも見えやしなかった。
デリクが背中を軽く叩いて促したので、おれはビルに踏み込み薄暗いエレベーターホールに立つ。後ろで扉が閉まった。
エレベーターが到着したので乗り込んだ。大きめのエレベーターだが、大の男が6人も乗れば狭苦しい。この雑居ビルは3階建で、1階と2階にはショーパブと箱ヘル。3階には金融事務所、すべてデリクが経営している。向かう先は地下1階、拷問部屋と精肉加工所を兼ねた、世にも悪趣味な秘密の部屋。操作パネルにはボタンが無いが、1階から3階までのボタンをとある順番で押すと地下1階降りる仕組みになっている。正直ガバガバのセキュリティなので、たまに運の悪い客が迷い込んでしまうこともあるのだが、そんなときは当番で地下一階に詰めているデリクの部下に速やかに臓器を抜かれてお向かいさんに運び込まれ、不幸な迷子は煙に変えられるのがお決まりのパターンだ。
「今日の当番は誰だったかな?」
閉まるドアを見ながらデリクが放った言葉に、取り巻きの一人が答えた。
「戸田です」
「戸田か」
とデリクは満足そうに頷いた。
戸田か。おれのうんざりとした気分に拍車が掛かった。よりにもよってあの拷問狂いの変態とは、おれもとことんツイていない。なんで死ぬ前にあんな野郎の顔を見なきゃならんのだ。
チンと、小さな音が鳴って、エレベーターのドアが開いた。
「お、なんだ。今日は迷子でもいたのか?」
ホールの先のドアの向こうから、むせ返るような血の臭いが漂ってくる。
「まだ報告は受けていませんが。まあ、基本的にいつも燃やしたあとの報告ですからね」
「となると、戸田の野郎、現在進行形でお楽しみかな。おい、ケン。運がいいな。前座がいるみたいだせ」
デリクが顎で示すと、取り巻きがドアを押し開けた。
「戸田くん、 お仕事ご苦労さまだ!」
陽気な調子のデリクとともに部屋に足を踏み入れると、途端に鉄臭い血の臭いが鼻を突き、がらんとした静寂がおれたちを出迎えた。
怪訝そうにデリクが眉根を寄せた。
デリクが来ればいつでも大騒ぎで尻尾を振って駆け寄ってくるはずの戸田だ。
「なんだ戸田の野郎。仕事の途中に便所にでも行ったんでしょうかね」
部屋の真ん中の台を見た取り巻きのひとりがそう言った。
その台、拷問台の上には仰向けに横たわる身体が一つ。首があるべき場所からはたらたらと赤い血がとめどなく流れ出て、コンクリートの床に赤い海を作っている。
どこかで人体の血液量は5リットルやそこらだと聞いたことがあるけどあれは絶対に嘘だ。トマトジュースのパックを5本床にぶちまけたところで、こうも地獄的な光景が生まれるものだろうか。思わずそんな感想が生まれるくらいこの部屋ではありふれていて退屈な光景だ。強いて言うなら後片付けが面倒くさい。
「遊ばずに刎ねるのは戸田にしてはめずらしいですね」
「いや……」
デリクはつかつかと台に歩み寄ると、それの腹の上に置かれた丸いモノを片手で掴み上げ、しげしげと眺めるとこちらに見せた。取り巻きが揃いも揃って声を震わせてその名前を呼んだ。
なるほど、果たして戸田はここにいたようだった。
不意に部屋の隅から物置がした。一同はそちらに視線を向けたが、拘束具のせいでワンテンポ動きが遅れたおれは、そちらに向き直る最中、流れる視界に入ったデリクを見て一瞬瞠目した。
非常に珍しいこととに、デリクの顔面が驚愕いっぱいに染まり、続いてそれを塗り替えたその表情は。
おれはデリクの横顔に浮かんだその表情を、それこそ死んでも忘れてやらないと誓った。
そしてデリクが視線を投げているその先にあるそれを見つけて、おれは「ああ」と納得した。
これは完璧に詰みだ。脚がひとりでにガクガクと震えて身体中の毛穴が開く。何をどうしようがこれはもう完全に完璧に終わっている。
それでもおれの気分は鼻歌でも歌ってやりたいくらいに爽快だった。
ざまあみろデリク。おれは死ぬけど、こんなものを視界に入れてしまった以上、もお前の末路も知れている。
かつて無いくらいに晴れやかな心持ちで、おれは自分の終わりを受け入れた。
私信
同志へ
1年間頑張りましょう。