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低刺激でグロテスク

作者: 八戸宿

 雲と雲の間から、太陽の光が休み時間の教室に差し込んでいた。


クラスメート達の喧騒の中で、しかし僕は一人だった。声は教室の隅から隅まで届くのに、その間には明らかな区切りができていた。


 夢を諦めるのは難しいね。2年前、ある人がそう言った。


 美術部で僕の先輩だったその人は、苦しそうな、悲しそうな顔で小さな唇をもそもそと動かした。


だってそれは、負けなんだ、うん、言い訳できないくらいに、負けなんだ。人生を不完全なものにしてしまうんだ。パーフェクトから遠ざかってしまうんだ。はは……ばかだね、バカだね、馬鹿だね。ばかだから自分がなんでもできるなんて思ってしまうんだろうね。


 そしてその哀れっぽい顔のまま、卒業していった。次の日に、僕は人づてに聞いて、先輩が漫画家を目指していたことを知った。


 窓の外を見れば、通学路に満開の桜が立ち並んでいる。通行人は「桜が咲いているよ」「桜が咲いているね」の言葉を痴呆のように繰り返している。その目つきは、まるで桜が予定通りに咲いているかを監視しているみたいだ。


 喉が渇いた。自販機に炭酸でも買いに行こうか、と扉の方を向くと、一人の女子と目が合った。笑って小さく手を振られた。振り返そうとすると、その子は他の子に話しかけられて、会話を始めてしまった。


 よう、と後ろから声がする。今回の席替えで隣になった男が、ぬっと顔を出してきて、どういう関係? と聞いてきた。別に、と答える。


「☓☓って髪染めてからさ、何ていうか、そう、良くなったよな。前は地味としか思ってなかったからさ、びっくりするよな、うん」


 忙しなく口を動かして、返答を求めているのかさえ分からない。たぶん、彼がやりたいのは、暇つぶし。もしくは口の運動。黙っていればそのうちどこかへ行くだろう。けれども、 


「そうだね、あいつは確かにかわいいと思うよ」


 素直な感想を告げると、男は面食らったようだった。そして、そうか、そうか、と苦笑なのか何だか分からないような表情をして呟くと、他の友達に呼ばれて振り向いた。また話聞かせろよ、と僕の肩を叩いて歩いていく。話、ね。僕は再び、さっきの女の子の方に目を向ける。


 陽の当たらない場所で扉にもたれかかり、退屈そうにネイルを塗った爪を眺めるその姿が、去年の春に見た光景と重なる。


僕に、先輩の夢を聞かせてくれたあの子。

こわばった顔で目を伏せて、唇をもそもそ動かしたあの子。

先輩の絵に憧れて、おんなじ夢を持つようになったあの子。

髪を茶色に染めて、美術室に来なくなった。身だしなみに気を遣うようになった。休み時間は友達と話すようになった。プリントに描いた落書きをその友達に見られて、恥ずかしそうに笑うようになった。


今の僕なら、あの先輩に夢の諦め方を教えてあげられるだろう。


簡単です。楽しいことを見つければいいんです。愉快で、シンプルで、誰とでも共有できる、頭を空っぽにするのにちょうどいいことを。夢から目を逸らすことに、最初は罪悪感を覚えるでしょうが、あははと笑っていれば、気にならなくなります。そうして、自分が何を目指していたのかさえ忘れてしまえばいいんです。自分という人間は、生まれた時から凡庸で、取るに足らないものだったと、堂々と言って、悲しくなったら、また、笑ってごまかせばいいんです。大人になるころにはその悲しささえ忘れてしまえばいいんです。ハッピーエンドを迎えられるんです。あなただって、僕だって、あの子だって。


僕は鉛筆を動かし始める。植物に水をあげるように、義務的に。


傾いた太陽は雲の向こう側に逃げ込んだ。けれども陽は依然として雲を通り抜け、地上に降り注いでいる。人々の意識から、その光の主の存在が消えることは決してない。


これで完成だ。紙上に描かれた生き物は手と足を生やしている。目と唇を持っている。これで完成なのか? 人のかたちを、している。


僕は紙をぐちゃぐちゃにして、床に投げ捨てた。そして、もう一度なにかを描き出そうとした鉛筆の芯が、机に突き立ち、折れた。


この場所では、考えることは罪だ。

自分に足らない物があると考えるのは、もっといけないことだ。

ただ低刺激でグロテスクな毎日が続いていくだけだ。


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