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春の光に煌めく雪

 まだ陽の昇らない空には、明けの明星や他にも星が輝いている。星が見える程には暗く、空の藍色が淡くなる程には明るい。時間の移ろう頃だ。

 

 充分に準備もできないまま、大蜘蛛と交戦したのが昨夜のこと。星影が相手をして、大蜘蛛は一度退いた。相手に与えた損害も大きかったが、こちらも痛手を受けた。

 星影はまだ目を覚まさない。朝にもなっていないことを思えば当然かもしれないが、それでも春雪には気がかりだ。その寝顔が、起きている時よりも幼く見えるからだろうか。

 

 今でこそ穏やかな寝息をたてているものの、昨日の星影は見ていられなかった。

 傷だらけになっていて、春雪が手当をしている間もうなされていた。その原因が傷の痛みだけでないことは、春雪にもわかった。意識を失う間際、星影が呟いた言葉がひっかかっている。

 

『負けたら……駄目だ。おれは、もっと強く……』

 

 続く言葉はわからない。だが、勝ち続けることなど誰にもできないのだ。

 それなのに、星影にそこまで思わせるものは何なのだろう。強くなったその先に、何があるのだろう。

 

「ん……」

 

 かすかに身じろぎをした星影が、眉をひそめる。今動いた際、どこかに傷の一つが擦れたらしい。

 

 布団から投げ出された右手は、マメが出来ている。長年刀を握ってきた証だ。こんな手になるまで、彼は努力を重ねてきたのだろう。

 まだ成長しきっていない手に、春雪は触れる。ほとんど無意識なのだろうが、星影の手が握り返してきた。思いの外強い力で、まるですがるように。

 つながれた手からは、わずかとはいえ暖かさが伝わってくる。夜通し星影に付き添っていたということもあってか、その暖かさに導かれるように春雪は眠りに落ちた。

 

 太陽が中天にさしかかる頃。右手に重みを感じて、星影は目を覚ました。顔を向けると、春雪が星影の手を握ったまま眠っていた。

 昨日と同じ着物姿。空色の紐で束ねた銀の髪は、ほどけかけている。

 

「子供み――」

 

 「子供みてえだな」と呟きかけて、違うということに気づいた。

 それなりの数あったはずの傷が、どれも丁寧に手当されている。汚れた服は持ってきていた着替えになっていた。元から部屋に置かれていたらしい灯りは、まだうっすらと光を放っていた。まだ暗いうちから使っていた証拠だ。

 

「…………」

 

 右手が、暖かい。どれだけの間つながれていたのだろうか。短くないことだけがわかる。

 

 依頼というだけの関係なのに、ここまでするだろうか。

 好意や信頼はよくわからない。依頼や金の方がまだ楽だ。損得勘定だけなら、必要以上にいちいち相手のことを考えずに済む。

 だからこの手を乱暴に振りほどけないのは、きっとまだ傷が傷むせいだ。

 

「おい。おい、あんた」

「む……?」

 

 雪の下から覗く、芽吹いたばかりの葉のような色の瞳が、ゆっくりと開かれる。何度かまばたきをした後、星影を見て柔らかくその目は細められる。

 

「気がついたか、ユウシ。うむ、これで一安心だな」

「怒んねえのかよ」

何故なにゆえ私が怒らなければならぬのだ?」

 

 思ってもみなかったことを聞かれたと、春雪は心底不思議そうな表情になった。相手の言ったのが意外なことだったのは、星影も同様だ。

 

「独断で動いて、あげくにこのざまだ」

 

 本来星影は、あの場では依頼主である春雪の指示に従わなければならなかったはずだ。それに逆らい、怪我まで負った。星影の立場なら、すぐさま解雇され捨て置かれても文句は言えない。

 それは、同じく依頼を受ける仕事の春雪とて知っているはずだ。

 だが春雪は、また解せないとばかりに首をかしげただけだった。

 

「……? 君は全力で戦っていただろう。だから村の者も私も、家屋でさえ傷を負っておらぬ。その上、大蜘蛛まで退けた。感謝こそすれども、怒ることなど何もないではないか」

「……あっそ」

 

 掛け布団を顔よりも引き上げる。これで星影の表情も見えなくなって、声もくぐもればいい。

 どんな顔をすればいいかわからない。依頼をこなそうとも依頼人にはそれが当然のことで何も言ってこないし、たまに管理人に褒められたところで不敵に笑ってみせるくらいだ。

 だから、春雪のような距離で真正面からまっすぐに褒められることはなかった。

 

「ユウシ?」

 

 むしろ今子供っぽいのは星影の方だ。自覚しているから、せめて隠すしかない。

 

「……何かしてほしいことはあるか?」

「ねえよ。別に」

「ならば、ここにいてもよいか?」

「なんでだよ」

 

 それは、その問いに対してだけの答えではなかった。春雪に聞きたいことはたくさんある。星影と春雪では、何もかもが違い過ぎるのだ。

 これまで、誰に対してもその価値観の違いを埋めようと思ったことはない星影だが、これほどまでに近づかれたら気にはなる。春雪の行動が星影に関わるものならなおさらだ。

 

「私がそうしたいと、考えたからだ」

「……好きにしろよ」

 

 星影は布団の中で身体を丸める。先程から傷が熱を持ち、痛み出していた。大蜘蛛の爪があたった左の二の腕あたりだ。

 

「……っ」

 

 服が触れただけで傷む。かなりの深手らしい。思わず上げそうになるうめき声を抑える。

 たかが怪我ごときで動けなくなって、見捨てられるのが一番困る。強ければそんなことはない。だから星影は、強くならなければならないのだ。

 

「ユウシ、君の名だが……。夕暮れの夕に詩人の詩と書いて、夕詩と呼んでもよいか?」

 

 唐突に、春雪が言った。

 

「……理由は。なんでそこまでおれに関わろうとすんだよ」

「まず理由の方の問いに答えるが、それはえにしだ。そして二つ目の答えにもなるが、私は君との出会いを、これきりのものにしたくなくなったのでな」

 

 その言葉に、星影は黒の目を見開いた。

 幼い頃より依頼を受ける仕事をしてきたため、星影の中には出会いとはすぐに終わるだけの関係という図式が成り立っていたのだ。何をしようとも相手とのつながりは一過性のもので、だから深く関わることもなかった。

 それを春雪は、出会って一日と経たないうちに一部とはいえ書き換えてみせた。

 

「だから、名は私なりの約束だ。これからも君との縁が続くようにと」

 

 そろりと星影は布団の中から顔を出す。話している間もこちらを見ていたらしい春雪が、ふわりとした微笑を浮かべた。

 

「わかんねぇんだよ……。おれには、他人あんたをどうやって信用すればいいのか……」

「ふむ、確かにそれでは難しいな。しかし君は、刀と自分の腕前は信用しているではないか。ならば共闘でもすれば、わかるやもしれぬな」

 

 「まずは、早く傷を治さねばな」と立ち上がった春雪は、どうやら厨に向かったらしい。いつのまにか着替えていて、藍色の紬姿でたすき掛けをしていた。銀の長髪は高い位置で括っている。料理でも作るのだろう。

 しばらくして戻ってきた足音に、星影が視線を上げると盆に二人分の昼食を載せて持っていた。

 

「まあ、昼餉には少々遅くなってしまったがな」

 

 紬の裾をまとめきっちり正座をした春雪は、何故だか星影に粥を掬った匙を差し出してきた。

 

「な、何だよ……?」

「その怪我では動くのも辛いだろう? 遠慮するな」

「してねえよ! 自分で食える……っ!」

「夕詩」

 

 たった一言名を呼ばれただけで、星影には場の空気がひやりと冷めた気がした。

 これには覚えがある。管理人の言葉などに対し、星影が何か間違えた時に怒るのと同じ温度だ。それには逆らうなと経験が言っていた。

 

「人の好意はできる限りでも、受け入れるようにした方が良いぞ。いつでも助けてくれる誰かがいるわけではないからな。しかし受け入れた好意は形を変え、何かしら君の助けになるだろう」

 

 少し前までの星影なら「うるせえよ」と切り捨てただろう。だが今の、春雪と出会った星影は多少は違う。そうなのかもしれないと思うようにする。

 信用するという一歩が踏み出せないだけで、知ってはいたのだ。誰かが自分を想って語ってくれる言葉は、大切な何かに成り得るのだと。

 

「だからって、おれそんなガキじゃねえし」

「ならば、怪我で弱っていて子供に戻っているのだとでも思えばどうだ? そしてその特権を存分に活用すると良い。うむ。君はもっと大人に甘えても良いはずだ」

 

 なおも匙を近づけてくる春雪に降参して、星影はおとなしく口を開ける。

 満足げに見てくる春雪から目を逸らした。頬が熱をもっているのがわかる。悪い意味でなく、こんなふうな子供扱いをされたことはない。誰かが自分のためだけに作った料理を食べたのは、もしかすると初めてだ。

 

「あのさ」

 

 自分も食事を終え、皿を片付けるためにまた厨に往こうとする春雪に声をかける。

 

「どうした? 夕詩」

「……あんたの飯、うまかった」

「ならば良かった」

 

 今までにないほど嬉しそうな笑顔の春雪の視線から隠れるため、星影はまた布団の中にもぐった。

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