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異世界の人生はミルクから…。  作者: 翠ケ丘 なり平
第五章 大樹の祭
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72 祝福


『──やっぱり、あなたも、転生者』


 穏やかで爽やかで柔らかく…懐かしい言葉。

 ぼんやりと聞いていても、何年も聞いていなくても、スッと頭で理解できる言語。


「な、何で?」


 日本語で返すことは出来なかった。あまりにも唐突で、脳が追い付かなかった。この世界のエイゲニア王国の言語を返す。

 そもそもオレの疑問も何に対してなのか自分でも解らない。


『─ごめんなさい、日本語はわからない、か。立ち止まってくれたのは偶然なのね。じゃあ wait… please? でいいのかしら』


 ボソボソと曲げたひとさし指を唇に当てながら思考するように話す。未だに目の焦点はあっていないようだが。

 そしてオレも未だに呆然としたまま、動くことも出来ない。


 けれどオレもリテラに日本語を返さなければ。英語は無理だ。


『あ、えっと悪い。反応できなかった』


『──…良かった。日本人よね? いえ、日本人“だった”のよね?』


 オレが日本語をどもりながらも返すと、少し驚きながらリテラが顔を上げて返してくる。


『あぁ。あなたもか? この世界の言語は使えないのか? そもそも何で…』


『ごめんなさい、少し待って。能力の反動で理解速度が低くくなってるみたいなの』


 幾つもの質問を重ねるオレにリテラは頭痛が起こったような苦い顔でオレの言葉を遮った。

 能力の反動で理解することに手間取る…? どういう代償なんだ。しかもそんな代償能力があるのか? その代償ってのがこの世界の言語が使えない理由?

 まぁいい、それはおいおい解るだろう。


『…すまん。じゃあ、まず一つ答えてくれないか?』


『えぇ、どうぞ』


『なら。 あなたは───敵か? 味方か?』


 少し威圧感を出すように一拍置いて問いかける。

 これが今は納得するために必要な質問。最大限警戒したままだと会話しずらいからな。


 さて、リテラの答えは…?


『それを……その答えを言うのは私じゃない』


『は? どういうことだ』


『あなたも祝福を受けたでしょう?』


 祝福…? 受けたような受けてないような……、ってそれが何の関係があるんだ?


『答えを知りたいのならこの世界の言語で樹の祝福を呟くことね』


『こっちの言語でか。樹の祝福でいいんだな?』


 ゆっくりと頷くリテラ。それを見て薄く口を開けて彼の言葉を呟く。


「……樹の祝福」


 ─,──,──,─


「うぐぁ……!」


 唐突に荘厳な木々のさざめきが直接脳内に浸透する。

 と、同時に激しい頭痛。



 と、胸踊る高揚。

 高揚? 痛みに対してか?


 ───否、朗らかな太陽と風による葉の旋律 に対して。


『祝福の木々……』

『そう、その祝福が伝えてくれたでしょう?』


 ──絶望に対する希望──続く─臆病に対する勇気──更に──



 ここからは解らない。処理しきれない情報があの数音に込められている。

 アンの…【解答解説】の特殊スキルの能力の演算でさえ割りきれない隔絶した情報量。

 現時点で理解できたのは…



『ふゥ。要するに、あなたはその能力を使い絶望に対する耐性をオレにつけさせた。この耐性はステータス外に属するもの。そして称号…何故なのかは情報にないが。

 全ては絶大なる権限を持つものからの指示によるもの…か』


 リテラに伝わるようになるべくゆっくりとオレの方でも整理しながら理解できたことをまとめる。

 リテラの反応を待つ。


『……大まかに言うなれば…そうかしらね』


『細かいところまでは伝わらなかった。というより理解できなかった』


『そりゃね。何千、何万も前から生きてる大樹の情報だから』


 そう、だな。だが…


『その情報も横流しだろ? より上位存在の…』


『あら? そうなの?』


『…神とか言う下らない存在がいるんだろうよ』


 それしか考えられない。伝言ゲーム的に少し変わって伝わっている部分がありそうだ。

 神…か。あの声なのかもな。


『…へぇ…あなたも下らないと思うのね』


『ハハッ、そりゃな? 奴か奴等か知らんが自分勝手過ぎるんだよ』


 オレが言った下らないの部分に何か思うことがあったのか少しだけ口の端を吊り上げてわらう。

 どこまで奴等が設定しているか知らんが、色々とメンドクセんだよな。


『…一つ教えといてあげるわ』


『ん? なんだ?』


『神は多数いるわ。八百万とまでいうかどうかは知らないけれどね』


『ほぉーん…』


 いると断定された神。それも多くの神がいる。

 そんな重要なことを聞かされたのに…そんなことよりもと思った。

 …リテラの表情からは窺い知れないものがある気がする。苦虫を噛み潰したかのような苦味のある顔と話始めてから変わらない虹彩の光らない虚ろな瞳。



『どうしてそんなに苦い顔をする? 何か嫌なことでもあったって言うのか?』


 こう、思わず訊いてしまっていた。お節介をかけようとしているのかもしれない。

 なにか嫌なことというのが感情に触れたのかリテラは、震える唇をゆっくりと動かした。


『……なんでだろ…? わたし、神に…なにか…されたの?』


『な…っ!?』


 涙。

 虚ろな瞳から溢れ落ちたのは透明な滴。

 薄く震える肩を両手で抱くようにリテラは涙の川をを幾筋も作り出す。

 未だに上半身裸なリテラはボッティチェッリの描いたヴィーナスのように絵になる美しさであった。

 感情の発露がリテラの口調を幼く変える。


『ひぐっ…わ、わたしは…こんなにも、愛おしい家族をもらえて…』


『……』


 そうか。リテラは運命を司る神に“暖かな家族”という贈り物をもらったみたいだ。

 それで涙が溢れてしまうほど彼女の前世は壮絶だったのだろう。






 どれくらい彼女は泣いていただろう。

 慰めるにも、かける言葉が見つからなかった。

 これまでで、こんな状態にオレは立ったことはなかったから。



『…ねぇ………アリガト』


『あ、あぁ』


 泣き腫らした黒き目は少しだけ焦点を取り戻したようだった。特に何もしていない、ただ立っていただけのオレにお礼を言うのか。

 静かにしてくれたことに対してのお礼か。


 それにしても…何か違和感が…


『お前…もしかして足が動かないのか?』


『……えぇ、そしてこっちの言葉も喋られないし、あなたがどこにいるのかは雰囲気でしか掴めてない』


 そう、リテラはオレが部屋に入った時の状態のままおそらく一歩たりとも動いていないようだった。

 そして、リテラ自身が言うにはこちらの言語を話すことも、空間を認識することもとてもしづらくなっているようだ。


『…そうか。セーベたちは知っているのか?』


『いいえ、もうあの子たちとは会話出来ないの。あなたにお願いがあるのだけれど…あの子たちと私を会わせないで旅に出して…感謝だけあなたの口から伝えてくれたらいいわ…』


 リテラはオレにそんな過酷な事をしろと言うのか。そんなに悲しげな顔でそんなことを頼むのか。

 断固としてオレは──


『いいや! オレはあんたをセーベたちと話せるようにしてやる! 親が子に何の挨拶もなく旅立たせる訳にはいかない。

 例え今は話せなくても…あいつらなら旅であんたを治す術を見つけるだろう。オレはその手伝いをすることにした。

 だから諦めることは許さない。短い付き合いだがあんたの性格嫌いじゃないからな』


『…フッ…フフフッ…分かったわ。あなたに絶望はもう通じないっていうのが分かってるから言えるけど、あなたのお陰で私も絶望せずにすみそう。………ありがとう』


 リテラは僅かに微笑んで瞼を閉じた。

 そのまま体の筋肉が弛緩する。倒れこむように床に落ちるのをオレは静かに受け止めた。

 ゆっくりとベッドにリテラを寝かせる。

 後でセーベたちに会わせてやろう。


 どれくらい時間がかかるか判らないが必ず健康にさせる。


 絶望はもうオレには通じない。ならオレが認めたやつに絶望なんてさせてやるかっ!

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