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サマー・カルテット

作者: 雪鐘 ユーリ

※参加表明は行えませんでしたが、面白そうな企画だと思い、自身の文章力向上のため、勝手ながら参加させていただくことにしました※

※(まずいかなあ……)※

 真夏の教室に、豪快なクラッシュ・シンバルの音が響く。

 その音は滑らかな坂を下るように徐々に小さくなっていき――空気に溶けていった。


「……ダメだな」


 自己評価でいえば八十点。他者が聴けば申し分ない音だったかもしれない。

 だけど叩く瞬間に空気がこもっていた。すると二枚のシンバルがぶつかる、ほんの一瞬だが間抜けな音を響かせてしまう。


「バシャーンではなく、シャーン」


 頭の中でイメージをかため、もう一発。シンバルの音が誰もいない教室に響く。

 でもそれは、自分の中では及第点にすら届かない音だった。

 夏休み明け、すぐに開かれる吹奏楽部の地方大会。そこで演奏する課題曲は、“マーチ”――いわば、行進曲である。

 打楽器の奏者の技量によって演奏の質が左右されやすい形態であり、シンバルの音は特に響くので僕の責任は重大である。

 これでも、地区の大会と県の大会は潜り抜けてきた。だが、次の関門である東海大会は厳しいだろう。

 多くの部員がそう思っていると思う。自分達の力量は、自分達が一番よくわかっているのだから。


 しかも、どういうことだろう。時刻は十一時。夏休み中の練習は朝の八時から始まるというのに、打楽器パートのメンバーは僕以外、誰一人来ていない。

 シンバルは何度打っても上手く鳴らないし、打楽器パートのいる教室は現在使っていないのにやたら手入れがされた旧校舎だ。他のパートと違って、部屋にエアコンがない。暑い。


 苛立ちの三連符は、僕を休憩サボらせるのに十分な音色を響かせた。


「暑い……」


 マリンバの前を通りながら鍵盤を適当に叩き、自分の鞄に手を伸ばす。

 鞄の中に入れたペットボトルのふたを開け、中の液体を一気に流し込む。

 ボトルキャップに入れてはいるものの、その飲み物は徐々にぬるくなりつつあった。


 その時、教室の扉を力強く開く音がした。


「あ、あちゅい……」


 僕と一緒に打楽器のパートに入った、静岡ちゃんだ。制服の下から下着が透けて見えている。

 入学した当初はそれだけで、ハイテンションだったが。

 慣れとは恐ろしいもので、今はなんとも思わない。


「あれ、浜松くんだけ……? 先輩は?」


 静岡ちゃんは心底怠そうな眼差しで教室を見渡す。

 壁にもたれかかり、僕と同じように鞄から飲み物を取り出した。僕とは違い可愛らしいピンクの水筒だ。


「きてねえよ。今日は朝からずっと俺だけ」

「え? でも窓から覗いた時、もう一人いたと思うけど? 先輩だと思ったんだけど」


 自転車を駐輪場に止める際、旧校舎の横を通るので簡単に教室内を覗くことは出来るが、この教室には紛れもなく僕だけしかいない。


「暑さで、頭でもやられたんじゃねえの」

「でもマリンバの音聴こえたよ」

「それ俺だから」


 僕はそう答えておいた。というか、僕はマリンバも無許可で叩かせてもらえないのか?

 シンバルというパートでも作ったらどうだろう。あとで先輩に提案してみよう。


 静岡ちゃんは「ふぅん」といいながら、基礎練習を始めた。

 ようやく、“部活動”と言える状態になってきた。二人の先輩が来て、打楽器のパート全員が集まるのは昼過ぎのことだった。




  ***



「ほい、これ」


 パートリーダーである沼津先輩が、一センチほどの紙の束を机の上に置いた。


「なんすか、コレ」


 見たところ楽譜のようだが、大会に向けて忙しい中、また新しい曲でも練習しろというのか、あの顧問は。


「これはねぇ、アンサンブル用の楽譜だよぉ」


 そう答えたのは御殿場先輩だ。吹奏楽部男性陣からは、その麗しい雰囲気から“御殿場様”と呼ばれている。天使のような優しさに包まれ、グロッケンをそのまま擬人化したようなお方である。

 背はパート内で一番低い。正直、僕の好みだ。

 静岡ちゃんもなかなか可愛いが、御殿場様はもっと可愛い。守ってあげたい何かがある。

 沼津先輩は……まぁ、いいや。ちなみに沼津先輩は“大王”と呼ばれている。


「東海大会の練習もしなくちゃいけないけど、正直これ以上伸びしろがないでしょ。だからアンサンブルコンテストの練習も少しずつ始めていこうと思って」


 沼津先輩が言ったことは、正しい。

 これ以上練習しても、東海大会では結果が良くて銀賞だろう。

 正直、打楽器パートは部内で一番上手なパートだと思う。

 僕と静岡ちゃんが入学する前に、今の三年生がやめたため人数は四人と少ない。大会の自由曲の選曲でも、顧問はその制約に頭を悩まされていたそうだ。

 だが、僕も静岡ちゃんも、そして二人の先輩も、中学時代から打楽器をやっていた経験者だ。これだけ恵まれたパートはない。練習もかなりスムーズに進むし、合奏中は正直、暇である。

 酷い時は、和音をうまく鳴らす練習に一日を費やし、何のために来たんだ俺ら……となってしまう合奏の日もあった。


「なるほどー。……ん?」


 片っ端から四重奏の楽譜を集めたようで、僕はそれをぺらぺらと捲っていたのだが、一曲だけ四重奏じゃないものがあった。間違えたのだろうか?


「先輩、これ五重奏じゃん」

「あれ、ホントだ……。ごめんごめん」

「タイトルやたらかっけえな……」


 そう呟きながら、その間違えられた楽譜を開く。

 その楽譜に、僕は目を奪われた。一部分が真っ黒だ。印刷のミスではなく、六連符の連続している部分がある。

 こんな楽譜、打楽器パートではなかなかお目にかかれない。僕はその楽譜に完全に見入っていた。


「ま、今から一曲ずつ流してくから、やりたい順にランキングつけてね」


 先輩はCDプレイヤーにディスクをいれ、再生ボタンを押した。

 順繰りに流れていくアンサンブル曲は、どれもかっこよくて甲乙がつけがたい。

 時間はあっという間に過ぎていった。


「……で、最後の一曲が間違えちゃった奴なんだけど、まあせっかくだしこんな曲もあるってことで、聴いとこう」

「どれもかっこいいから迷っちゃうね」


 御殿場様がにこやかな笑顔で僕にそう言った。

 ――先輩、僕は決めました。あなたを選びます。

 そう心に誓ったところで、最後の曲が始まる。曲の冒頭を飾る楽器は――グラスハープだ。


「え、グラスハープってなんだ」


 微かに聴こえてくる音はピアノと同様にサスペンドペダルの付いた鉄琴、ビブラフォンを伸ばしたような響きがした。

 というか、この曲難しすぎるだろ。テンポも早ければ、マリンバの動きはもはや常軌を逸しているとさえ感じる。

 だが、その曲を聴き終えた後、皆の結果は満場一致それに決していた。


 この日から、東海大会の結果を度外視したアンサンブルの練習が、始まったのである。



 ***



 その曲を演奏するには、解決すべき問題が山積みだった。

 まず、本来五重奏であるのを四人で演奏しなければならない。

 これは、一人当たりの担当楽器量を増やして何とかするか、それも出来ない場合はその楽器そのものをカットしなければならないということだ。

 本来五人で演奏することを想定されて作られた曲なので、音圧や質が低下することは間違いない。これは、技量でカバーするしかない。

 そしてもう一つ、僕の学校には無い楽器がいくつかある。

 グラスハープに、ウインドマシンと呼ばれる風の音を作りだす楽器。

 そして一般的に木琴として親しまれるマリンバも、僕の学校にあるものでは音域が足りない。

 どうしてもやりたいということで担当させてもらったマリンバのパートだが、これでは練習するに出来ない。

 そもそも、どのパートも難易度が高すぎて、皆の士気が下がりつつあるのが、何よりも問題だった。

 実のある練習をしたとはいえない日々が続いた。



「しっつれいしまーす」


 既に日が沈み、部活は終わり皆が帰った後、静岡ちゃんが職員室に寄っていた。


「せんせ、旧校舎の鍵ください! 忘れ物しちって……」

「あぁ? お前こんな時間によく来たな……」


 既に職員室も薄暗く、残っている教員も顧問だけだった。無論、校舎内は真っ暗である。

 静岡ちゃんは体調管理がどうとか、練習はまじめにしてるかとか注意をされながらも、顧問から旧校舎の鍵を受け取り、そこへ向かった。


「うぅ……さすがに怖いなぁ、さっさととって帰ろう」


 一人そう呟きながら、校舎の鍵を開ける。

 幸い、楽器や忘れ物が置いてあるのは入口からすぐの教室だったことに、静岡ちゃんは安堵の息を漏らした。

 廊下を吹き抜ける風がやけに肌寒いと感じながらも、教室を開く。

 そこでおかしいことに気が付いた。

 ネジ巻き式のメトロノームが、なぜか一つ、鳴っていた。

 既に部活が終ってから何時間も経っている。この時間に鳴っているのはどう考えてもおかしい。

 怖くなって、そそくさとそれを止め、机の中に仕舞ったはずの忘れ物を探す。


「おっかしぃな、どの机だっけ……」


 すると、再び鳴りだした。同じメトロノームだ。確かに、止めたはずなのに。

 今度は、他のメトロノームも鳴りだした。それは、既に使い終えてだらしなく真横に振り切っていたはずなのに。

 一つ、また一つとメトロノームが鳴りだした。部屋にある四つのメトロノームが全て鳴るのと同時に、静岡ちゃんは忘れ物を見つけ出し、無我夢中で校舎を駆け出た。

 職員室にはまだ、顧問がいて、彼女は少しだけ安心した。


「せんせえ! 旧校舎なんかいる……! 怖いよ! 助けて!」

「はあ? 大丈夫だろ」


 顧問は聞く耳を持たず、自身の仕事のためかパソコンに向かっていた。


「大丈夫じゃない! 絶対おかしいよねえ聞いてる?」

「はあ? 大丈夫だろ」


 顧問の様子がおかしいことに気が付いたのはその時だった。

 そもそも、なぜ職員室には誰もいないのに、顧問の先生だけは残っているのだろう。


「先生……?」


 恐る恐る、顧問に近づく。顧問の向かっているパソコンの画面は真っ暗で、何も映し出されていなかった。

 静岡ちゃんは振り返らず、家まで全力疾走で帰った。横目に映った職員室に、明かりは灯っていなかった。



 ***



 いつものように旧校舎で練習していると、顧問が教室にやってきた。


「沼津いる?」

「まだ、来てませんけど」


 僕がそう答えると、顧問はため息を吐きながら頭を抱えた。


「はあ……あいつ自分がうまいと思ってるからって……」

「何か伝える事でも?」

「あー、いい。アンサンブルで使いたいって言ってた楽器を買ってやったんだけどなあ」

「マジでっ! やってみてもいいですか?」


 一体先輩はどんな手品を使ったのか、練習場所にウインドマシンとグラスハープ用のワイングラスが二つ、加わった。


「先生、あと五オクターブマリンバが必要なんですけど……」

「あー、それは東海大会が終わった時に、借りられるはず」

「マジっすか。どこの高校?」

海星ひとで高校だよ」


 それを聞いて驚いた。海星ひとで高校は全国大会常連の女子高だ。定期演奏会は常に満席だし、他にも部のコンサートを開いている。

 そんなところから楽器を借りるとは……一体どんな匂いがするんだろう。興奮する。


「アンコンの練習もいいけど、まずは東海大会だかんな。決して手は抜くんじゃないぞ」

「はいっ!」


 部活に対するモチベーションが上がった。あとから遅れて来た先輩達も喜んでいた。

 壊れるんじゃないか、不安になるくらい風の音を作っていた。想像に反して、結構不気味な音が鳴るものだ。

 しかし、珍しく静岡ちゃんが部活に来なかった。


『新しい楽器きたけど、体調でも崩したか』


 と、写真を添付して連絡をすると、すぐに返事がきた。


『その教室、怖い』、『絶対なんかいる』、『メトロノームこわい』――


 何かあったのだろうか、と思いつつも、『昼間はさすがに大丈夫だろ』と適当に返し、練習に励んだ。

 その日から、シンバルの音が少し上達した気がした。

 翌日から、静岡ちゃんも顔を出してくれたので、僕はどこか安心していた気がする。やはり静岡ちゃんも、新しいものには目がないようで、ウインドマシンをぐるぐる回し風の音を作っていた。

 元気になってくれたようで、何よりである。



 ――結局、東海大会では“銀賞”という結果に終わった。悔しくて泣く者が多く、なかなかコンクールの後は気まずい雰囲気になりがちだが、打楽器パートに限っては、案外ケロっとしていた。

 全力を出し切っての結果だったし、悔いはない。

 そもそも、悔やむ暇などなかった。アンサンブルコンテストの学内予選が、そう遠くないうちに始まるのだ。

 まぁ、予選なんかじゃ負ける気はしないが。

 狙うは、全国だ。今の僕達なら、行ける気がした。不思議と真夏の練習が、苦ではなくなっていた。



 ***



 東海大会を終えて、一週間。

 他のパートもアンサンブルコンテストの練習を始め出した頃、既に僕達は曲を通して合わせられるまでになっていた。

 他のパートの部員からは「早すぎだ」と苦笑混じりに言われたが、僕達の熱心な練習に感化されてか、部内の雰囲気はかなり良い物になったと思う。

 

 まだ僕が名付けた、“恐怖の六連符エリア”は楽譜の指定されたテンポでの演奏が出来ない。しかし他の部分のテンポを上げることで、演奏時間に余裕を持たせ、六連符エリアは確実に演奏する――という方針は正解だったようだ。

 傍から見れば、もうその演奏は、完成に近い状態にあった。まさか沼津先輩に、ここまで編曲の才能があるとも思わなかった。楽器の配分、配置もかなり工夫されている。

 そして僕達は今、一つのビデオカメラを中心に座り、あらかじめ撮影した自分達の演奏を見直そうとするところだった。


「なんかもう……お互いに注意したほうがいい点とかも見当たらないよね……」


 沼津先輩は呟いた。

 確かにそうだ。今は序盤の御殿場先輩のグロッケンソロだが、正直めちゃくちゃかっこいい。

 天使のようなお方が演奏するそれは、さながら天使の歌声のようで、僕の心を魅了する。

 そしてそれを受け止めて、僕の“キチガイマリンバエリア”の演奏が始まる。

 正直、六連符エリアよりもここが難しいと感じた。

 だが、それだけ必死に練習した甲斐もあってか、我ながら完璧だった。この演奏が本番でも出来ればいいのだが。



「え……何いまの」


 突然、御殿場様が怖じ気づいた声色で言った。

 沼津先輩は、その言葉を聞いて動画を一時停止する。


「どうかした?」

「ちょ、ちょっと戻して……?」


 言われた通り、十秒ほど戻って再生。慎重な鐘の音を要求される、静かな場面の演奏である。他と比べて簡単ではあるが、些細なミスが大きな減点へと繋がるともいえる。



「ほら! 今! うそ……てぃんぱにの下……」


 もう一度戻し、再生をする。ティンパニの下を注視していると、足元から覗く、黒い顔があった。

 僕達は絶句する。背筋に嫌な寒気がした。見方によっては奏者の足のように見えなくもないが……。

 この角度で、足が映るのはどう考えてもおかしかった。

 ティンパニを担当していた静岡ちゃんは……今にも泣きだしそうだ。


「ま、待って! 落ち着いて。腹式呼吸だ。ひっひっふー」


 僕は大慌てで静岡ちゃんを落ち着かせようとした。

 誰も、“ひっひっふー”はラマーズ法と呼ばれる胸式呼吸だと突っ込まないところから、皆がパニックになっていることは間違いない。御殿場様はラマーズ法で呼吸をしだした。

 なんとか場は治まった。しかし、誰も口を開こうとしない。停止されたビデオを、茫然と見ているだけだった。


「と、とりあえず……先生に言ってきます」


 僕はそう告げ、恐る恐るビデオカメラを持ちながら、職員室へ向かった。

 あとから、静岡ちゃんもついてきたので、少し安心した。



「失礼します」


 そう言って僕は職員室に入る。顧問はいつもの席にいた。


「先生、これを見てほしいんですが……」

「んん? 演奏か。よくできてるじゃん」

「いえ。ティンパニの下を見ててください……」


 例の場面になる時、静岡ちゃんは僕の背中に張り付いて顔を伏せる。正直、ドキドキしてしまう。

 先ほどのように、足元には黒くて丸い顔のような影が映った。

 それだけではない。なぜかチャイムの部分の映像は欠け、少しだけ乱れている。

 顧問もその映像を見て、驚いていたようだ。


「……せ、せんせ」


 静岡ちゃんが恐る恐る顧問に話しかけた。


「いつだったか忘れましたけど……私夜遅くに鍵借りましたよね。その時――」

「はあ? 待て、そんな記憶ないぞ? 鍵の管理は大体浜松がしてたじゃないか」

「じゃあ! 私が見たのは……なんだっていうの……!」


 その声は、職員室に響く。顧問が「静かに!」と少し声色を強めて言った。


「何か、あったのですか?」


 その時声を掛けてきたのは、校長だった。しかられるのかと、僕は身構えてしまった。


「旧校舎に、幽霊いるんです! 怪現象がいっぱい起きてる……怖すぎる」


 そんなこと言っても、信じてもらえるわけがないだろう。

 僕も顧問もそう思っていたのだが、結果はそうではなかった。


「……ちょっと、待ってなさい」


 校長先生は、そう言って校長室に入っていった。しばらくして持ってきたのは、卒業アルバムだった。


「……それは?」

「今から十年ほど前の卒業生の、卒業アルバムですよ。

 当時吹奏楽部に、天竜ちゃんという女の子がいたんだ。たしか、太鼓を一生懸命叩いていたのを覚えています。

 でもね、彼女は不幸なことに、大会を前にして事故で亡くなってしまった。彼女はパートでも重要な立場にいたようだし、責任を感じていたのかもしれないね――」


 過去にそんな事があったなんて、知らなかった。顧問の先生もこの学校に赴任したのは三年ほど前だと聞くし、おそらく彼も知らないだろう。



 ――天竜ちゃんは、打楽器パートのリーダーを務めていたらしい。

 あと数日で最後の大会――そんな時に、悲惨な事故は起きた。通学中の天竜ちゃんのもとに、一台のトラックが突っ込んだのだ。

 天竜ちゃんは即死だった。

 トラックの運転手は軽傷で済み、後の捜査で運転手の酒気帯び運転が発覚した。

 県大会通過は固いと思われていた学校が、突如の参加辞退。

 未練を残したまま、旧校舎に縛りつけられるのも、無理はないかもしれない。


「きっと彼女は彼女なりに、君たちにもっと頑張って、と伝えたかったのかもしれないよ」


 校長先生の話を、僕達は静かに聞いていた。

 静岡ちゃんは、泣いていた。

 僕は彼女にそっと、さりげなく、ハンカチを差し出す。気持ち悪がられるかと思ったが、彼女は素直にそれを受け取った。



 その後、先輩達にその話をそのまま告げた。


「そうなんだ……」


 沼津先輩は言った。まるで、根拠のない話ではあるが、二人ともどこか納得した面持ちでいた。


「じゃあ、その子の分も、頑張らないとね」


 御殿場先輩が言った。

 それ以来、不可解な現象が起きることはなく、僕達の練習はさらに過酷さを増していった。

 それでも、僕達はめげなかった。完璧な演奏――その更に上を目指し、練習に励む。

 百回演奏をして、百回完璧でなければ、それは完璧ではないのだ。

 とにかく、練習をした。あやうく数学と理科で赤点を取りかけたが、何とか凌いで、練習をした。

 大会でどこまで進めるかはわからない。でもきっと、この行いに後悔はないだろう。そんな確信があった。



 ***



 僕達は今、東京都にある大きなホールの舞台袖にいる。

 これから、僕の高校生活で初のアンサンブルコンテスト、その最後の演奏が始まろうとしていた。


「いい? 全国まで来れたこと自体、死ぬまで誇れることなんだから、例え私らの演奏が全国的に見てボロクソでも、私達は私達のやってきたことを観客にぶつけるだけ。

 もはや演奏面で気を付けることなんて一ミリもないよ。

 とにかく、頑張ろう!」

「オー……!」


 僕達は他に迷惑がかからぬよう、静かに互いを鼓舞し合う。

 舞台では僕達の一つ前の団体が演奏をしていた。高校生の演奏とは思えない、プロレベルの音がホールに響く。

 正直、僕達が全国にまで上り詰めるなんて、夢にも思わなかった。

 きっと、天竜ちゃんが天国から後押しをしてくれたのかもしれない。

 そうだとしたら、感謝してもしきれない。

 それでも、先輩の言った通り、僕達はやることをやって、ここにいる。

 ボロクソの演奏になんて、するものか。

 ホールに盛大な拍手が響く。前の団体の演奏が終わったのだ。

 

『続いて、静岡県立、東稜とうりょう高校の演奏です。曲目は――』


 とうとう、僕達の番が来た。

 僕達はお互い、目を合わせ、手にもったマレット、ないしはスティックを構えた。

 ――天国にいる天竜ちゃん、見ていてほしい。

 僕達の奏でた曲は、ホールを響かせ、きっと天まで届くだろう。

 僕達はそう信じ、魂を込めた演奏うたを奏でる。

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