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六章 月 その十三

 回避する隙間など一切許さず、鋼糸がシロガネの身を覆い尽くさんとする。

「――――ふ」

 だが、しかし。

 かつて組織の首領を務めた男は、焦慮一つ見せず、口の端を吊り上げた。

 同時に、瞬時に汲み上げられた大量の息吹が、彼の身体を満たす。

「絶波――!」

 裂帛の気合と共に、咆哮の如き〈具言〉が口腔から迸る。

 刹那、強大な〈言力〉がシロガネの内で極限まで凝縮。

 次いで、限界を迎えたそれは、溢れる力を存分に開放する。

「いけないっ!」

「…………!」

 フヨウとテナが、同時に異変に気づく。

「オモイカネ!」

 咄嗟に攻撃を中止したフヨウは、負傷して動けないテナを傷つけぬよう鋼糸で巻きつけ、彼女と共に後方に全力で退避する。

 破壊の波は、二人を逃さんと、シロガネを中心に半球状に一気に膨れ上がる。余波で周囲の森と傍の孤児院が大きく揺れ、地面が抉り取られていく。

「ぐっう――!?」

「っ……!」

 なんとか〈言力〉の攻撃範囲からは逃れたものの、まともに着地も出来ず、フヨウとテナが地面に身体を打ちつけ、転がる。

 それでもテナと違い、大きな怪我を負ってないフヨウは、素早く立ち上がろうとし――

「やあ」

「――――あ」

 シロガネの姿を目前に見た。

 小柄なフヨウの身体が一つ大きく揺れる。その後には、苦悶の声すら漏らせぬままに倒れ伏した。

「フヨウ――!」

 ようやく膝を立てた所だった、テナが絶叫する。

 そんな彼女を、シロガネがゆっくりと振り返った。

「逃げる隙がないのなら、襲い来るものを根こそぎ排除すれば良い。単純な事だろう? ――まあ、瞬時にあれだけの力を爆発させるのは、さすがの俺も些か疲れたがな」

「シロガネ……」

 ふらつく身体を、頼りない両足で必死に支え、テナは、かつての師であり、今は憎き敵である男を睨めつける。

「まだ抵抗するか。健気だな。だが、無意味だ」

 シロガネが、もはやまともに動く事も出来ないテナの方へと歩き出す。

 骨を鳴らしながら握られる拳は、どうしようもなく、彼女の死を連想させた。

「む――?」

 不意に、その歩みが止まる。

 シロガネが僅かに身体を後方に傾けると、一瞬後に、風を切って何かが通り過ぎて行った。

「あれは……」

 それがよく見慣れた戦輪である事に、テナは気づく。

「どうやら、部下共が失態を演じたようだな」

 怒るでも、驚くでもなく、淡々とシロガネが呟いた。

 その片手が自らの頭上へと持ち上げられ、

「剛拳、打ち砕け!」

 孤児院の屋根から飛び降りて来たゴウタの一撃を、いとも容易く受け止めて見せた。

 静寂に響いたのは、手を叩く様な乾いた音のみ。

「んな……!?」

 全体重を乗せた上、〈言力〉の宿った一撃を、〈龍身〉を用いているとはいえ、素手で受け止められたゴウタが驚愕に目を剥く。

 篭手に覆われた拳を掴み、シロガネが嗤う。

「児戯だな。身の程を弁えろ」

 そのまま無造作に腕が振るわれる。

「――――っ!?」

 拳を掴まれたまま、ゴウタは宙を横に回転し、その勢いのまま投げ飛ばされる。地面を激しく跳ねながら転がって行ったゴウタは、すぐに立ち上がる事は出来ない。

「ゴウタ!」

 その光景を目にしたテナが、悲鳴に似た声を上げた。

 倒れた少年に、シロガネは早くも興味を失い、歩みを再開しようとする。

「雷輪、舞い斬れ!」

 響く、別の少年の声。

 森の奥で、蒼白い閃光が瞬く。

 同時に、今度は雷を纏う戦輪が、シロガネへと襲い掛かった。

 だが、シロガネは、六つの雷の飛来を、最小限かつ、たった一度の動作のみで避け切って見せる。そして、開いた掌を、森の木陰の一点へと迷いなく向けた。

「隼弾」

 一瞬で圧縮された大気が、轟音を伴って撃ち出される。

「うあっ!!」

 不可視かつ高速の一撃に、潜んでいたライは弾き出され、ゴウタと同じく倒れる。

 だが、当のシロガネは、そんな事に目をくれる事さえもしなかった。ただ、自らの右脇の死角に、素早く手を伸ばす。

「――ぐっ……あ……!」

 途端、苦痛の呻き声が漏れる。

 シロガネがゴウタとライに気を取られている隙に、瞬時に間合いを詰めていたフウガだった。シロガネに喉を掴まれ、そのまま軽々と持ち上げられる。

「周囲をちょろちょろと五月蝿い子蝿がいるな」

「ライ……! フウガ君!!」

 少年達の危機にテナが叫び、しかし、傷ついた彼女には何も出来なかった。

「大事な子供達を傷つけられて、悲しいか? 辛いか? それとも俺が憎いか? ……なあ、テナよ」

 フウガの首を締め上げ、シロガネがせせら嗤う。

「だが、それは当然の報い。我らを裏切り、下らぬ温もりを求めた、お前達の選択の結果だ。所詮、闇に身を染めた者は、闇の中で生き続け、朽ち果てるしかない。光の下になど居て良いはずがない。――故に!」

「っ……うあ、あああああっ……あああ……!?」

「こいつらもまた、お前達の巻き添えを食って死ぬのだ!」

「やめてぇっ!」

 泣き叫びながら、テナは駆け出した。

 すぐに躓き、両手を地面に突く。立ち上がって、走り出そうした途端に、また倒れる。

 その歩みはあまりに遅い。遅過ぎた。

 だが、それでも止まらない、止まれない。

 ここで彼らを死なせるわけにはいかなかった。

 もう誰の命を奪わぬと決めたのだ。

 例え、ここで少年達を殺めたのがシロガネだったとしても。

 その原因を作ったのが自分達なら、それは自分達が殺めたのと同じ事。

 そして、何よりも。

 この孤児院で共に笑い合った誰かを、目の前でむざむざと死なせるなど出来ようはずがない。

 そんなテナの想いを踏みにじるように、シロガネは、フウガの首を握り潰さんと、さらなる力を込める。

「……あ、ぐぅ……あああ……お、まえが……!」

 その直前。

 今にも命を奪われんとする少年の口が。

 ゆっくりと、苦痛に喘ぎながら、でも、こう紡いだのだ。


 ――お前が、くたばれ。


 首を締め上げられ、それでもフウガが両手から離さなかった小剣。

 イザナギ。イザナミ。

 その二振りが、突如、閃風を纏った。

 夜暗の中、迸る光は、すぐ傍のシロガネの目を焼き、一時的に視界を奪う。

「つっああああ!? 貴様! 〈言力〉を時間差で……!」

「これは……っ」

 距離もあって目を焼かれる事はなかったものの、あまりの眩さに持ち上げた腕で光を遮るテナが、驚きの声を漏らす。

 シロガネに簡単にあしらわれる事は、フウガ達にとっては計算済みの事だったのだ。本当の狙いは、フウガがシロガネに接近する事。

 その後、予め遅れて発動するようにしておいた〈言力〉で、敵の視界を奪い、決定的な隙を生み出す――

 咄嗟に考えたのだろうこの策は、間違っても巧みな作戦とは言い難い。だが、自らに危険が及ぶ事を厭わぬ少年達の覚悟と、シロガネの自身の力への過信が、これを成功に導いたのだ。

 フウガは、シロガネの手から解放されて、咳き込みながら着地する。そのまま、両目に手をやって苦しみもがくシロガネを、テナの居る方へと思い切り蹴り飛ばした。

「テナさん!」

「っ! フウガ君!」

 フウガの呼び掛けに、突然の出来事に棒立ちだったテナも、すぐに反応した。

 ゆっくりと状況を把握する時間などない。

 ただわかるのは、この好機を逃すわけにいかないという事だけ。

 ここでシロガネを倒せねば、もう機会など訪れないだろう。

 まともに動かない両脚に鞭を打って、再び駆け出す。

 やはり、その速度は、決して速くない。

 だが、不意に目を焼かれ、冷静さと視界を失ったシロガネとの距離を詰めるには十分過ぎた。

 両手を突き出す。

 狙いは、無防備なシロガネの胸部。

 残す力は、一滴としていらない。

 己が全てを込めて、師の〈龍身〉を貫かんとする!

「シロガネ――――っ!」

「っ!? テナか!」

「羅掌!」

 二つの掌底の衝撃が合わさり、シロガネの身体を激しく叩く。

「……がっ、ぶ……!!」

 砕け、舞い散るのは、彼の身体と一体化していたはずの龍輝石の破片。

 確かな一撃。

 〈龍身〉の防御も抜け、その力は間違いなく敵を打った。

 さらに追い討ちが続く。

 フウガは後方からシロガネへ迫り、ゴウタはテナの脇を駆け抜け、少し離れてライが戦輪を投擲する。

 紡がれる三人の〈具言〉が重なった。

「烈風、研ぎ澄ませ!」「剛拳、打ち砕け!」「雷輪、切り裂け!」

 ――研ぎ澄まされた風が。

 ――愚直な強拳が。

 ――鮮烈な蒼雷が。

 全くの時間差なしにシロガネへと叩き込まれる。

 本来なら、それぞれの少年達が個々に攻撃を打ち込んだ所で、シロガネには通じはしないだろう。

 しかし、直前のテナの攻撃により龍輝石が欠けた事と、紛れもなく心通じ合った親友である彼らの一撃が見事に合わさる事で、彼を容赦なく打ち据えたのだ。

 相次ぐ攻撃にシロガネは、そのまま後方へ、ゆっくりと倒れ――

「……ぬぐ、おあああああぁっ!!!」

 踏み止まり、倒れそうになった身体がぐんっと持ち直す。

 そのまま鬼気迫る形相で伸ばした両手が、テナへと迫る。

「テナァ!!」

「っ、そんな!」

 まさかあれだけの傷を負って、まだ動けるなどと誰も思わない。

 故に少年達も反応出来ず、狙われたテナも、目を見開くだけしか出来なかった。

「貴様だけで、もぉ……っ!?!」


 ――止まる。


 瞬間、その場に居る者達、全員の動きが停止した。

 テナもシロガネも、そして、フウガ達も。

 唯一点に視線を奪われる。

 そこに……シロガネのすぐ脇に、誰にも気づかれる事なく立っていた男は、ナヅチ。

 両手の五指には、倒れたフヨウより借り受けたオモイカネが嵌っている。

「――許せとは言わぬ。私達に道理がない事も承知している」

 銀の指輪から、幾本もの鋼糸が音もなく伸びる。

「だが、それでも」

 穏やかだった老人の双眸に、冷たく、力強い光が灯る。

「今の私には、護らなければならぬものがあるのだ」

 皺だらけで、節くれ立った指が軽やかに踊った。

 合わせて、闇夜の中で、鋼糸がシロガネを覆い尽くし、

「紅・細雪」

「――――――――」

 鮮血の雪を降らせながら、今度こそ彼は敗北を喫した。


 ◇ ◇ ◇


「ごぶっ……!」

 シロガネが倒れた直後。

 唐突にナヅチは吐血すると、その場に膝を着く。

「ナヅチ様!」

「「じーじ!!」」

 自らの怪我の事など忘れて、皆が駆け寄る。

「……さすがに、この老体では、あの技は堪えるな」

 口の端から血を垂らしながら、ナヅチが気丈に微笑む。

 あの技というのは、彼が“紅・細雪”と口にしたものだろう。無数の鋼糸が月光を照り返す光景は、確かに細雪の如く――しかし、それはシロガネの体躯から噴き出す鮮血により、すぐさま紅に染まったのだ。

 まさしく、紅き細雪。

 だが、強力であるが故に、病と老いによって衰えたナヅチには、反動が強すぎたのだろう。あの吐血も、それが理由なのは明らかだった。

 そして、そんな技を受けたシロガネは、仰向けに倒れたまま、ぴくりとも動かない。

 尋常ではない実力と生命力の持ち主だ。ナヅチが彼を殺すはずもなく、微かな呼吸音からして生きている事は確かのようだった。しかし、当分、意識を取り戻す様子もない。

「じーじ、無茶し過ぎや!」

「どうしてこんな事を……!」

 ゴウタとライが、口々にナヅチへ向けて言う。

 ナヅチは、少しだけ申し訳なさそうに淡く笑んだ。

「この事態を招いたのは私達だ。なのに、私だけ何もせず守られているわけにもいかんよ。……なに、もはやオモイカネに刻まれた真名はフヨウになっている。シロガネの命を奪わぬように手加減もしておいた故、私も死ぬ事はあるまいさ」

「ナヅチ様……良かった」

 とりあえずナヅチの無事を知って、テナが安堵の吐息をつく。

 ――と。

「…………だからって、人から勝手に物を借りていくのは駄目よ、じーじ」

 そんな風にナヅチを非難にする声が、少し離れた場所で上がる。

 目を覚ましていたらしいフヨウが、気づけば傍に立っていたのだ。

「ミ、ミカヅチ教官!? いつの間に目を覚ましたんですか!」

 ぎょっと振り返ったフウガが目を瞬かせる。

「…………ついさっき。フウガ君達も無茶し過ぎよ。今回は私の失態でもあるからお仕置きは勘弁しておくけれど……」

「――お、お仕置きしようとか考えていたんですか」

 ほんの数日前に、それを受けたばかりのフウガは、うんざりしたような、ほっとしたような複雑な表情を浮かべる。それはゴウタやライも同じだった。

(…………あ)

 だが、平気なようにしているフヨウも、僅かに目元を歪めている事にフウガは気づく。

 シロガネは、紛れもない強者だった。その男に不意を突かれ、一撃を受けたのだ。命こそ奪われずとも、ただでは済んではいなかったのだろう。あばら骨の一つや二つは砕かれているのかもしれない。

「何にせよ、皆、無事……というのは正しくはないだろうが、生きていてくれて何よりだ。フウガ君は、今更だが、こちらの事情に巻き込んでしまい申し訳ない」

 ナヅチの謝罪に、フウガを頭を振る。

「俺にとっても、この孤児院や、ここで暮らす人達は大切な存在ですから。それを守るためなら、この程度の事、なんて事ないですよ」

「さすがフウちゃん、まさに真性のお人好し。つける薬はないってやつやな!」

 ゴウタが笑いながら、軽くフウガの背中を叩いた。

 フウガは半眼で、振り返る。

「それは褒めてるのか?」

「けなしている!」

「けなすなよ!?」

『よーし、もっとけなせ! 私が面白いから!』

「お前は黙ってろっ!!」

「フウガ」

 フウガが自分の中に居る居候に怒鳴っていると、ライが肩に手を置いて声を掛けてくる。

「? どうした、ライ?」

 ライは、何故か必要以上ににっこりと笑って、

「なんかこの中で一番元気そうだから、レナ達に、こっちの件が無事に終わった事を伝えてくる役、頼むよ」

「…………。いや、うん、断る理由はないんだけど、何だろう、この釈然としない感じ」

「お人好しも程々にって事でしょ」

「ああ、耳が痛い。なんか王都に来てすぐの時、先輩にも言われたばかりなような……」

 なんてフウガが頭を抱えていると、ゴウタが思い出したように言った。

「そういや、ツクヨミ先輩、結局、来うへんかったなぁ」

 ライも言われて気づいたように、頷く。

「そういえば。あの人の性格からして、見てみぬ振りとか出来なさそうだけど……まあ、巻き込まないで済むなら、それに越した事はないんだけどね」

「先輩も立場上、こんな時間にあんまり不用意に外をうろついたりは出来ないだろ。あのスズって人、なかなかに生真面目そうだったし、足止めでも食らっているんじゃないのか?」

「ああ、なるほどなー。それは凄いありそうや」

 フウガの意見に手を打って、ゴウタが得心する。

「じゃあ、もしかしたら、今頃こっちに向かっているかもしれへんな」

「だったら、レナちゃん達の所に向かう途中に、彼女に出会ったら、もう事が片付いた事を教えておいてあげてくれるかな。一応は、お客であるフウガ君にいろいろと押しつける様で悪いんだけど……」

 テナが心からすまなそうに目尻を下げる。

 この中では、特に見るに痛々しい状態の彼女に頼まれては、フウガも断る言葉は口に出せない。何より、まともに動けない程にナヅチやテナが傷ついている以上、ゴウタ達が残っていなければならない理由は確かにあるのだ。

「構いませんよ。確かに今、この場で一番動けるのは俺でしょう」

「……大丈夫とは思うが、まだ残党が居る可能性もある。念のため、気をつけておくようにな」

「わかりました。それじゃあ、行って来ます」

 ナヅチの言葉に頷くと。

 皆に見送られながら、フウガは王都への道を歩み始めた。


 ――戦いの夜が。

 未だ終わらぬ事を知らぬまま。

酷く間が空いてしまい申し訳ありません。今後、ペースがどこまで改善出来るか不明ですが、出来る限り頑張ってみます。

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