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六章 月 その七

「アシハマ・ヒルコ。何か申し開きはあるかしら?」

 神聖騎士団、第四師団・師団長――現在は神聖将軍代理であるオオヤマ・クシナは、静謐な双眸を男へと向けていた。

 場所は、つい先程まではフウガが戦いを繰り広げていた大通りの一角。

 クシナの視線の先に居るのは、両腕を縄で縛られ、左右から騎士達に拘束されている、元神聖騎士の戦斧の男だ。

 フウガ達がその場を離れてまもなく、神聖騎士達が到着。崩れ落ちていた男――ヒルコは、そのまま騎士達に捕らえられたのである。

「はん。わざわざ騎士団参謀の御登場とは大層な事だ」

 ヒルコは、クシナを見上げると、意味ありげな嘲笑で口元を歪めた。

「……まあ、そうだよなぁ。元神聖騎士が罪もない民に武器を向けたなんて、そんな恥晒しを見過ごすわけにはいかないもんなぁ。そんな事をすりゃあ、皆の憧れ神聖騎士団様の面子は丸潰れってわけだ。いや、もう潰れてたかな……?」

 それこそが目的だったと言わんばかりの物言い。

 ヒルコは喉の奥で、くっくっと笑った。

「貴様……口を慎め!」

 その不遜な態度に、脇に居た騎士の一人が激昂しかける。

「お止めなさい」

 即座に、クシナの厳しい声が、それを止めた。

「しかし……クシナ様」

「良いのよ」

 彼女は怒りの片鱗すら覗かせない。

 ただ静かにヒルコを見据え、言葉を紡ぐ。

「ヒルコ。貴方は、何か勘違いしているようね」

「んだと……?」

 訝しむように、ヒルコが目を細める。

「私は――いえ、私達は、騎士団の面子などに興味はないわ。神聖騎士団は、陛下とこの王国、そして、陛下の愛する無辜の民を護るためだけに存在している。だから、貴方がかつて神聖騎士であったという過去など問題ではない。私達が許せぬ事があるとすれば、貴方がその民に危害を加えようとした事実のみよ」

「……そうかい。ああ、そうかよ」

 ぎりぎりと音を立てて、ヒルコは歯噛みする。

 嘲笑していた面には、今は、抑え切れぬ怒りが浮かび上がっていた。

「俺みたいな野郎は、神聖騎士だったという過去すら認めないってわけか。クシナさんよ」

「関係ないと言っているだけよ。何より、貴方が騎士団を除隊させられたのは、貴方自身の普段の素行が、あまりに目に余ったせいでしょう。――己の未熟の責任を、他者に押し付ける事でしか許容出来ない。ああ、確かに貴方のような男は、神聖騎士には相応しくなかったかもしれないわね」

 クシナの並べる言葉は、どこまでも辛辣で、そうでありながら嘲りは何一つ含まれていない。だからこそ相手は、その言葉の意味を否が応でも、真っ直ぐに受け止める事になる。

「手前っ!」

 図星を突かれ、ついに怒りが臨界点を越えたのか。

 ヒルコが騎士達を強引に振り払って、前に出ようとする。

「そういうおためごかしが! 俺を見下したその態度が!!」

「っ! ヒルコ!」

「大人しくしろ!」

「あんたの部下だった時から、ずっと気に食わないんだよ――!」

 獣のように、吼える。

 ぶちぶちと何かが千切れる音がした。

 腕を封じていた〈言力〉封じの〈言紋〉の刻まれた縄。それを、ヒルコが驚異的な膂力で強引に引き千切ったのだ。

 この異常な行動に、さすがの神聖騎士達も虚を突かれ、咄嗟にヒルコを止められない。

「死ねえっ!」

 ヒルコは、血を溢れさせる手首を無視して、殺意を叫ぶ。

 同時に、全身から強烈な衝撃波が、クシナへ向けて放たれた。

「――だから、貴方は愚かだと言っているのよ、ヒルコ」

 だが、突然の事態にも、クシナは動じない。

 両肩に羽織っていた薄手の羽衣を、横に掲げた腕へと滑らせる。

「カゲロウ――払いなさい」

 囁くような命令は、〈具言〉。

 それに応じて、羽衣が生き物のように優雅に宙を舞う。

 一見すれば、路傍の小石すら防げそうにない薄布。

 だが、それはヒルコの放った一撃を容易く受け止める。さらに、それだけに留まらず、威力もそのままに跳ね返したのである。

「なっ……!」

 軌道を巧みに変化させられた衝撃波は、ヒルコの目の前で弾けた。

 大通りに轟き渡る爆音。

 数秒後、晴れた粉塵の後には、大きく陥没した石畳があった。

 まともに食らっていれば、人間など容易く物言わぬ肉片へと変えられる威力だ。だからこそ、クシナの所業が、どれほど信じ難いものかが知れるというものだった。

 それを為した物が、彼女の〈真名武具〉――カゲロウ。

 見た目こそ、脆そうな羽衣ではあるが、その中には鋼糸が幾重に編み込まれ、そんな印象を裏切る強度を誇っている。だが、あくまで羽衣である以上は、普通に振るっただけでは、武器としてのまともな威力は望めない。その扱いを熟知した彼女の類稀な技術と〈言力〉があってこそ、カゲロウは武器としての真価を発揮出来るのだ。

「……………っ」

 頭上から、舞いあがった石畳の破片がばらばらと落ちる中。

 格の違いを思い知らされたヒルコは、唖然とした表情で、膝から頽れる。

 そんな男に対し、クシナは最初から変わる事のない静かな口調で言った。

「貴方が騎士団を逆恨みし、その威光を堕とそうとした所で無駄な事。貴方一人の行動で揺らぐような神聖騎士団ではないわ。所詮、堕ちるのは貴方だけなのよ。その事を理解なさい」

 弾劾するというよりも、むしろ優しく諭すような口調。

 あるいは、かつての部下へ対する、彼女の最後の慈悲だったのか。

「…………」

 もはやヒルコは、嘲笑も反論もしない。

 ただただ、何かを思い知らされたように、黙って俯いていた。

「貴方の愚行を止めてくれた、騎士候補生に感謝しておきなさい。誰も殺めなかったのなら、生きているうちには、再び日の光の下に出る事も出来るでしょう。――連れて行きなさい」

「……立て、ヒルコ」

 部下の騎士達が、再びヒルコの腕を縄で封じ、彼を罪人用の馬車へと連行して行く。もはやヒルコは、抵抗一つする事はなかった。

「…………」

 それを見届けた後、クシナは無言で踵を返した。

 向かうのは、ヒルコが乗せられたのとは別の、巨大で豪奢な馬車だった。彼女は、それに乗り込むと、内部の席に腰を下ろす。

「……お怪我は?」

 前を見据えたまま、クシナが訊いた。

「問題ない。妾は無傷だ」

 不遜とも思える態度と声で、返事があった。

 応えたのは、つい先程、花売りの少女を庇っていた、貴族らしき少女である。

 少女は足を組んで、逆に問い返した。

「それよりも、あの花売りの娘はどうした?」

「大丈夫です。あちらも怪我一つありませんでした。私の部下に、ちゃんと家まで送らせましたよ」

「そうか。なら良い」

 少女は満足気に頷く。

 クシナは呆れ果てた様子で眉間に皺を寄せ、嘆息した。

「何も良くはありません。何度申し上げたら理解して下さるのですか。よりにもよって、将軍閣下不在の時に、勝手に王城を抜け出すとは……非常識にも程があります、“陛下”」

 今、この場にフウガ達がいれば、このクシナの発言に、間違いなく驚愕していた事だろう。

 ――そう。

 この少女こそが、アマテラス神聖王国、第七代国王、スメラギ・ミコト。

 ヤマト最強最大の王国を治める唯一無二の王、その人だったのだ。

 ミコトは、クシナの非難の言葉に、不満そうに美麗な顔をしかめた。

「何を言っておる。ヒヤギが居ないからこその機会ではないか。それに、ちゃんと影も置いておいたじゃろう?」

「そういう問題ではありません。仮にも今年、齢四十になられるお方が、そんな子供染みた行動を取られるものではないでしょう」

「こら。年の事を言うな。この通り、妾は麗しい乙女なのじゃぞ? そんな無体な事を言われては、妾の繊細な心が傷つくではないか、ああ、酷いわ!」

 芝居じみた仕草で、ミコトが嘆いた声を上げる。

 クシナは、再び溜息を漏らした。

「軽く二百年は生きられる王族の方が何を……。私達の感覚に当てはめれば、まだ二十程度ではないですか。――というか、話題を摺り替えようとなさらないで下さい」

「むう……」

 ミコトは嘆きの体勢を解いて座り直すと、腕を組んで唸った。

「まあ、良いではないか。我が国の民は、着飾って厚化粧した王の姿しか知らん。すっぴんで簡素な格好をしておれば、バレはせんよ」

「バレる、バレないの話ではないのです。一国の王が、こうも好き勝手に行動されては、その下に従う者達に混乱をきたします。あるいは、忠誠心にも影響するかもしれません」

 クシナの苦言を、ミコトは鼻を鳴らして一蹴する。

「ふん、その程度で揺らぐ忠誠なぞ、最初からいらんよ。それとも、クシナ。お主は、王城に引き篭もって、世間も知らず、ただ偉そうに王座でふんぞり返っている王が望みか」

「貴女は、外でも中でもふんぞり返っているではないですか」

「…………お主、さりげなく酷いな」

 少し凹んだ様子のミコトは、恨みがましくクシナを横目にする。

 しかし、当のクシナは、まるで意に介さず話を続けた。

「別に私は、陛下が外の世界を見ようとする行為自体を咎めているのでありません。ただ、無断で行動されたせいで護衛もつけられず、陛下の身に危険が及んだ際に、護る事が出来ない事を憂慮しているのです。まさに、今回の件がそれでしょう」

「この妾が、あの程度の男に屈するとでも?」

「屈しはしないでしょう。ですが、私達には私達の立場があります。一体何のために、国王直属の近衛騎士である第八師団の皆が、日々腕を磨いているか御理解頂けていますか?」

「…………」

 痛い所を突かれたのか、ミコトは口の端を引きつらせて、反論を止める。

「……わかった。わかった。妾の負けじゃ。今後は出来る限りは、お主達に声を掛けてから、外に出よう」

 結局、ミコトは観念した様子で、顔の横でぞんざいに手を振った。

 しかし、クシナはそれでは納得せず、

「出来る限りではありません。か・な・ら・ず・です」

 と、一部分を強調して言ったのだ。

 表情こそ穏やかなのに、その異様な迫力たるは、煉獄の鬼を連想させた。

「そ、そうじゃなっ。必ずじゃ」

 そんなクシナの圧力に、さすがのミコトも気圧されたのか。

 仰け反りながら、どもった答えを返した。

 ミコトの返事を聞いた途端、クシナは矛を納め、にっこりと笑う。

「陛下の寛大な御心に感謝します。ええ、本当に」

「…………それは良かったの」

 敗北者の哀愁を漂わせながら、ミコトはぽつりとこぼした。その後、こほんと気を取り直すように咳払いをする。

「まあ、それはともかく。王城へ戻るぞ、クシナ」

「御意に。馬車を出して」

 クシナの命に従って、御者が馬車を走らせる。

 しばし馬車が揺れるに任せてから、改めてミコトが口を開いた。

「……それでじゃ」

「何でしょうか」

「しらばっくれるな。妾を助けに入った、あの騎士候補生の少年――あれは、最近、オロチに憑かれたというラシンの息子じゃろう?」

 途端、クシナが瞠目する。

 彼女は、あの時、ミコトとフウガが、まともな会話すら交わしていない事を目撃者から聞いた話より知っていたのだ。

「……よく、おわかりになられましたね」

「舐めるでない。あの二振りの剣に、独特の髪と瞳の色。何より纏う空気が、あの男の息子だと妾に告げておったよ。……して、後から駆けつけたお主は、どうして、そうだとわかった?」

「わかりますよ」

 クシナが、初めて厳しい表情を崩して、暖かな微笑を見せた。

 彼女にとって、その少年は、特別な意味を持つ存在だったからだ。

「目撃者から、立ち去った騎士候補生の容姿については聞き出せましたし、第一王立ヒノカワカミ学園が創立記念日を迎える今の時期を考えても、彼が王都を訪れていても不思議ではありません。さらにもう一つ付け加えれば……」

「付け加えれば……何じゃ?」

「ああいう無茶でお人好しのお馬鹿な子は、そうそう居るものではないです」

 一瞬、ミコトはきょとんとなる。

 だが、次の瞬間。

「くっ……はははははははははははっ」

 御者がぎょっと振り返るほどの大声で、腹を抱えて大笑したのである。

「くくっ……なるほど。納得の答えじゃな」

 指で涙を拭いつつ、ミコトは何度も頷く。

 よほど、つぼに入ったのか、まだ笑いで声が上擦っていた。

 しかし、その後、不意にその表情が引き締められる。

「だが、気のせいかの」

「? 何か気になる事でも……?」

「ふむ。上手い表現が見つからんのだが……そう、あやつの背に不吉な影が見えたのじゃ。いや、存在が不安定で、揺らいでおったと言うべきか。そういえば、あの男に斬りかかった際にも、一瞬、妙な痣が出ていたな」

 そして、ミコトは思案するように形の良い顎に手を当て、

「おそらくだが……あやつは“本来のスサノ・フウガ”ではあるまい?」

「…………っ」

 と、隣に座るクシナが、先程以上の驚嘆を見せる事を言ったのである。

 それは、彼女の言葉が、紛れもない核心をついていたからに他ならない。

「……一見しただけで、お見抜きになられましたか」

「妾を誰だと思っておる。当然じゃろう」

 ミコトは、「そんなもの褒め言葉にもならんよ」と笑った。

 逆にクシナは、蒼の双眸に憂いを過ぎらせると、辛そうな顔で俯く。

「彼には……フウガ君には、そうならざるを得なかった過去があるのです」

「――九年前、ヒスイが逝き、ラシンが騎士を引退した件じゃな」

 すぐに察して、ミコトが言った。

 その顔は、何かに耐えるように引き歪んでいた。

 王である彼女もまた、九年前の悲劇を嘆き、胸を痛めた一人だった。

 ラシンとヒスイ、そして、ミコト。

 三人の関係は、王とそれに仕える騎士というよりは、心許し、共に笑い合う親友と呼ぶ方が近かった。だからこそ、その悲嘆は、より深いものがあったのだろう。

 クシナは小さく頷き、さらに続けた。

「私は、その事件の直後から、彼の事を知っています。まるで取り憑かれたように妖魔を狩り続け、その存在を自ら傷つけ続ける彼を。出来るならば救ってあげたいと思いました。しかし、彼が背負う傷の前では、私達はおよそ無力でしかありません。あれは、彼自身が乗り越えねばならない。そして、乗り越えたとしても、本当の彼が戻るかどうかは……」

 最後まで言葉を続けられず、クシナは下唇を噛んだ。

 孤児院に居るレナと同じく、彼女もまた自身の無力を嘆いていた。

 しかし、

「じゃろうな。だが、問題はない」

 そんなクシナへ向けて返ってきた応えは、その場の重い空気をぶち壊さんばかりに、ことさら明るかった。

「…………え?」

 クシナが、珍しくぽかんとした顔で、自身の仕える主へと振り向く。

「あやつは、そう容易く終わるような男ではないよ」

 王国の頂点に立つ少女は、それにふさわしい不敵な笑みを浮かべていた。

「ああ、もちろん、ラシンの息子だから、などという下らん理由ではないぞ? あの男も大概にしぶとかったが、父は父、息子は息子じゃ。あのスサノ・フウガという少年だからこそ、妾は断言する」

「…………」

 無言のクシナに、ミコトが不満を隠さず、半眼になる。

「なんじゃ。王の言葉を信じられぬか?」

「陛下。それは、単なる直感と確信――どちらですか」

 クシナは、真っ直ぐにミコトの目を見据えて、逆に問い返した。

 対し、何を言うかとミコトは、口の端を吊り上げる。

「確信じゃ。王たるもの、例え目の前に広がる可能性が限りなく細いと知っていても、己が是と思えば、必ず確信を持って是とする。それを貫き通し、現実のものとする。迷う事も、戻る事も許されん。それが、王の器と責務というものよ。故に、妾が信じる限り、あの少年は終わらんのだ。決してな」

 言葉通り、ミコトの言葉には、確信以外は微塵も存在しなかった。

 それは己が王であるという誇りと――その麗しい容姿にはまるでそぐわぬ、偉大なる彼女の器故か。

 それを理解してか、クシナは、思わずといった風に苦笑を浮かべていた。

「なるほど。陛下らしいお答えです」

 そして、ゆっくりと背後を振り返る。

 小さな窓の向こうのどこか。

 そこに、あの少年が居る事を知っているかのように。

「では、私も信じましょう。……いえ、これまで通り、信じ続けましょう。彼の、強さを」


 ◇ ◇ ◇


「さて、もう平気かな」

 五分程して、前を走っていた青年が足を止めた。

 フウガとウズメも合わせて走るのを止める。

 あれだけ走っても息一つ切らしていない青年は、笑顔で振り返った。

「怪我とかはないかい?」

「え、ええ。俺は大丈夫です。少し蹴られただけですし」

 友好的な態度に戸惑いつつも、フウガは肯定した。そして、改めて青年の風貌を確認してみる。

(旅人……か?)

 雨風を凌ぐための薄汚れた外套に、軽く日に焼けた肌。腰には、ついさっきフウガの剣を止めた刀が、鞘に納まって下がっている。ウズメのカグヅチとは違って、標準的な長さの物だ。

 顔つきは、非常に温和で、どちらかと言えば童顔だった。しかし、言葉の端々から感じ取れる落ち着きからして、確実に自分達より七、八歳以上は年上だろうと判断する。

「僕は、ハヤザキ・ムソウ。見ての通り旅の者だ。よろしく」

 ムソウと名乗った青年は、フウガの印象通りの答えを口にして、手を差し出してくる。

 その手をフウガとウズメは、それぞれ握り返した。

「俺はスサノ・フウガです」

「ツクヨミ・ウズメです」

 握った手は、思った以上に無骨だった。

 父親であるラシンを思い出すその感触は、紛れもない剣を握る者の手だ。しかも、並大抵の修練によるものではない。

 互いに自己紹介を終えた後、フウガは青年へと疑問を投げる。

「あの、ハヤザキさん……」

「ああ。ムソウで良いよ。僕もフウガ君とウズメさんと呼ぶから」

「……それじゃ、ムソウさん。どうして、あの時、俺を止めてくれたんですか?」

 未だに青年の真意は知れなかった。

 とても悪人には見えないが、万が一という事もある。

 問う声には、自然と厳しいものが混じってしまっていた。

 それに気づいたのか、ムソウが困った顔をして、少し首を傾げた。

「迷惑だったかな」

「いえ、そうではないんです」

 フウガは頭を振って、否定する。

「むしろ、礼を言いたいぐらいで。ムソウさんが止めてくれなかったら、俺は街中で、人を一人殺めてしまっていたかもしれない。そうなれば、どんな事情があったにしろ、ただでは済まなかったでしょう」

 今では、あの時の激情も収まり、逆に軽率な自身の行動への後悔だけが残っている。

 例え、神聖騎士といえども、全ての人間が清廉潔白なわけではない。そう在るべきなのは確かなのだろうが、人という生き物は、そんな理想を完璧には体現出来ないのだ。

 頭ではその現実を理解していながら、感情に流されてしまったのは、ただ未熟であったというしかないだろう。

 自責の念に駆られるフウガに対し、ムソウの答えは酷くあっさりしていた。

「うん、そうだね。つまり、僕の理由もそういう事だよ」

「え?」

「君みたいな人が――そう、危機に陥っている女の子を迷わず助けに行けるような人が、あんな男の血で、手を汚すのは見たくなかった。それだけさ」

「…………」

 気持ち良い程に真摯な響きを持つムソウの言葉からは、まるで嘘は感じ取れなかった。

 真実、口にした通りの理由で、彼は行動したのだと――そう聞く者を確信させる程に。

 だから、気づけばフウガも、内に残る重い気持ちも忘れて、破顔していた。

「……理由は、わかりました。だから、改めてお礼を言わせて下さい。……ムソウさん、俺を止めてくれて、ありがとうございました」

「うん、どういたしまして」

 ムソウは首肯し、優しい微笑を浮かべた。まだ会ったばかりだというのに、不思議な親しみを感じさせる笑顔だった。

 その後、ムソウは、何故か視線をウズメの方へと移動させる。

「……何か?」

 自身の行動を気に病んでいた様子のフウガが、笑顔を見せた事に安堵していたのか。

 ひっそり微笑していたウズメは、青年の視線を不快に感じた様子もなく見返した。

 際立った容姿を持つ彼女からすれば、人の視線に晒される事など日常茶飯事なのだろう。

 しかし、それでもムソウは申し訳なさそうに、頭を掻いた。

「いや、ごめん。もしかして、ツクヨミっていうのは、あのツクヨミかなぁ、と思ってね」

 それを聞いたウズメは、納得したように苦笑した。

「ああ、それならたぶん、ムソウさんの思ったツクヨミで間違いないと思います。他にそんな姓の家は、この王都には在りませんしね」

「やっぱり、そうか。いや、驚いたな。あの軍閥の名門、ツクヨミ家の御令嬢とこんな場所で会えるなんて」

「大袈裟ですよ。どれだけ立派な家で生まれようと、それで人の価値が全て決まるわけではありません。私は、まだまだ未熟者です」

 むしろ、自分を戒めるようにウズメは言った。

 家名に溺れず、決して慢心しない。

 そんな決意を感じさせる台詞。

(先輩らしいな……)

 そう思って、フウガは微笑した。

 だが、次の瞬間。

 ムソウが何気なく口にした言葉に、少年は酷く狼狽する事になる。

「確かにそうだね。それで、二人は恋人同士か何かなのかな?」

「…………へ?」

 あまりに想定外の質問に、フウガは呆気に取られる。

 その反応に、ムソウが目を瞬かせた。

「あれ、違った?」

 すると、すかさず。

「いえ、間違っていませんよ」

 と、ウズメが恥らうように頬を染めて、そんな事を言ったのである。

「え…………えええっ!?」

 だから当然、フウガは、全身全霊を込めて驚愕した。

 みっともないぐらい慌てて、少女の真意を問い質そうとする。

「いやいやいや! 何を言ってっ!」

「と、そんな関係になれたら良いな、と常々思っているんです」

「…………って、せんぱい?!」

 思わぬすかしに、フウガは振り返った勢いのままずっこけそうになって、その場に両手を突いた。その後には、ほんの一瞬のやり取りだったというのに、一時間は全力疾走したような疲労感が襲ってくる。

 冗談にしては、あまりに心臓に悪い。

 特にフウガにとっては、なおさらである。

「ははははっ、なるほど、そういう関係か。よくわかったよ」

 ムソウが耐えられなかった様に、声を出して笑う。

 傍で、ウズメも笑いを必死に噛み殺していた。

「二人共、酷過ぎる……」

『全くだな』

 と、そこで聞こえたのはオロチの念話だった。

 フウガは、意外そうに目を瞬かせる。

「え? オロチ……?」

『もう一押しすれば、さらなるフウガの醜態を見る事が出来たというのに、詰めが甘い!』

「埋められたいんか、お前は!」

 珍しくまともな反応をしたかと思えば、結局はいつも通りだったオロチに、フウガは半ば殺意混じりに突っ込む。もちろん、ムソウに気づかれぬように小声で、である。

「いや、ごめん。思わずね。怒っちゃったかな」

 なんとか笑いを収めたムソウが心配そうに訊いてくる。

 本気で気遣っているとわかる声に、

「いえ、平気です……。いつもの事ですから」

 と、なんとか笑顔を見せて、フウガは応える。

 途端、ムソウは、同情した表情を浮かべた。

「……そうか。大変だね、それは……」

「…………はい」

 こういう反応も、それはそれでなんだか切なくて、複雑な表情でフウガは頷く。

 そんなフウガの様子を見て、ムソウは良い事を思いついたように掌を打った。

「そうだ。せっかくだし、お詫びも兼ねて食事でも奢るよ。ちょうどもう、お昼だしね。」

「え? いや、そんなっ。むしろ、こちらがそうしなきゃいけないぐらいなのに……」

 フウガは咄嗟に辞退の言葉を口にしようとする。

 それと同時であった。

 どこか間の抜けた音が、少年の腹部から鳴り響いたのだ。

 すなわち、空腹を訴える腹の虫が。

「あ……」

 そういえば、孤児院からは朝食も食べずに出て来たのだ、と思い出す。

 ウズメに連れ回されてる時や、先程の騒ぎの時は、そんな事へ気を回す余裕はなかったが、今になって緊張の糸が切れたらしい。

「どうやら、君のお腹の方は諸手を上げて、喜んでくれてるみたいだね?」

 ムソウは、フウガのお腹を指して、悪戯っぽく言った。

「……申し訳ないです」

 続く恥の上塗りに、フウガは顔を赤くして俯いた。

 もちろん、さっきから念話でオロチの含み笑いが聞こえてくる件に関しては、後でじっくりと文句を言ってやろうと心の中で固く誓う。

「良いんだよ。これは僕が勝手にそうしたいだけなんだから、遠慮なんていらないさ。――ウズメさんも、それで良いかな?」

「ええ。御馳走になります」

 好意に対しては遠慮しないのが、彼女の人と接する際の姿勢なのか、ウズメの方は、意外にも躊躇いなく承諾する。

(ああ……今日は失態ばっかりだな、俺……)

 フウガが一人項垂れる中、こうして三人での食事が決まったのであった。

お読み頂きありがとうございました。

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