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六章 月 その六

 フウガは気づいていなかった。

 彼が孤児院を離れてから、自分をずっと尾ける存在が居る事を。

 だが、それは少年が迂闊なのではない。

 彼を尾行する人物は、単なる素人ではなく、確かな鍛錬を積んだ者だったからだ。

 そうでなければ、後に合流したウズメまでもが、その尾行者に気づかないという不覚は決して取らなかっただろう。

 尾行者は巧みに気配を立ち、人波に紛れ、少年を追い続ける。

 しかし、そこに尾行する相手への悪意も殺気もなかった。

 あくまで、ただ少年の後を尾けるだけ。

 不可解とも思えるその行動は、何かの機会を覗っているようにも見えた。

 そして、やはり尾行者には、フウガやウズメへの害意は何一つ存在せず。

 だが、その双眸には、ある人種特有の隠し切れない闇があったのだ。


 そう。

 復讐者の持つ憎悪の闇が。


 ◇ ◇ ◇


 なんて自分は嫌な女なのだろう――


 フウガと共に、王都を歩きながらウズメは思っていた。

 少年の口から、レナの名前が出た時。

 彼女に冷たく当たってしまった事を後悔していると聞いた時。

 自分は、どうしようもなく嫉妬していたのだ。

 今のフウガは、レナの事だけを考えている。

 もちろんそれは、彼女に謝らなければならない、という義務感にも近いものだ。そこに、レナを特別意識した感情があるわけではないのかもしれない。

 だが、それでも。

 フウガが、自分以外の少女の事を気に掛けているという事実が、どうしようもなく苦しくて、耐えられなくて。

 咄嗟に、彼を引っ張って、強引に歩き出していた。

 おそらくこんな感情は、大切な誰かを想う人間なら、性別に関わらず誰しもが抱くものだ。

 だけど、ウズメは、それに流されて動いてしまった自分自身に嫌悪感を覚え、しかし、そうしてもフウガと共に過ごす時間を手放す事は出来ずにいた。

 隣の少年は、無垢なまでに笑っている。

 あんな半ば無理矢理にウズメが同行を申し出たというのに、まるで嫌な顔など見せない。いや、実際、彼はウズメに対して、悪感情など抱いてさえいないのだ。

(……それに比べて……私は、なんて醜い……)

 でも。

 だけど。

 もう少しだけ。

 一秒でも長く、彼と共に過ごしたい。

 そう願う事もやはり……醜いのだろうか?

「先輩」

「え?」

 名を呼ばれて、ウズメは振り返る。

 フウガが、こちらを見つめていた。

「本当、ありがとうございます」

「……?」

 突然の少年の言葉に、ウズメは目を瞬かせる。

 文句ならまだしも、礼を言われるなど、予想だにしなかったのだ。

「いえ、俺、ずっとどんな顔で、孤児院に戻ってレナに謝れば良いかわからなくて……。でも、こうやって先輩と一緒に歩けたおかげで、大分気持ちが紛れた気がするんです。これで少しはましな顔で、レナと向き合えそうです」

 そう言って、少年は笑う。

「だから、ありがとうございます」

 ちくりと胸が痛む。

 どうして、彼はこうも純粋な笑みを向けられるのか。

 それが憎らしいぐらい、愛しかった。

「……そんな、礼を言われる事じゃないさ。これは単なる私の我侭だ。本当に、ただそれだけで……」

「でも、それで俺は助かったんですから。行動の理由なんて、気にする必要はないんですよ。ほら、さっき先輩の言ってた『本人が迷惑と思わなければ、それは迷惑じゃない』っていうのと似たようなものです」

「…………っ」

 ウズメは、呆然と目を見開く。

 まさか、少女の内心を見抜いたわけでもないだろう。

 だけど、少年の言葉は、己を蔑んでいたウズメの気持ちを癒すには十分過ぎたのだ。

「君は本当に……」

 その先は言葉にしなかった。

 フウガの腕に自分の腕を絡めたまま、ぐいっと身を寄せる。

「わっ、先輩!?」

「ほら、向こう」

「はい?」

「あの露店、何か変わった物を売っているみたいだぞ。見に行こう!」

「せ、先輩、どうしたんですか、急にっ?」

 戸惑う少年を引っ張りながら、ウズメは高鳴る胸の鼓動を意識していた。

 意識せずにはいられなかった。

 少年への恋心の証である、その暖かな音を。


 ……ああ、君は本当に――どれだけ私を惑わせる。


 ◇ ◇ ◇


 ウズメと王都を見回るといっても、何か特別な場所に行くわけではなかった。特に目的もなく、談笑しながらのんびりと歩き、たまに面白そうな露店や店を適当に覗く。

 そんな何でもない行為、平凡な時間。

 でも、不思議とフウガは気持ちが高揚していた。

 一人の少女とただ過ごすという事が、こんなにも楽しいものなのか、と新鮮な気持ちすら覚えていた。

 だから、

(俺は……先輩の事が好きなんだろうか?)

 そんな疑問が浮かんで来る。

 わからない。

 わからなかった。

 ……いや。

 きっと、自分は、少女への想いを自覚する事を無意識に拒否しているのだ。

 近い将来、少女の前から――仲間達の前から消えねばならない自分。

 ならば、結ばれる事を望む想いなど知らぬ方が良い。

 どうせ裏切られる期待など抱かせぬ方が良い。

 傷つく事が、傷つけてしまう事がわかっているのなら、誰かを好きになどならぬ方が良い。

 そして、もう一つ。

 ウズメへの気持ちを自覚出来ぬ理由がある気がした。

 それは、孤児院を離れてから、ずっと頭から離れない一人の――

(――いや、やめよう)

 フウガは、思考を自ら断ち切る。

 こんな事は無意味だ。

 もう自らの選ぶ道は決まっている。

 だったら、誰が好きかなんて考える必要はないのだ。

 そんな風に、フウガが強引に結論づけたときだった。


「この痴れ者が! 恥を知れ!」


 穏やかだった辺りの空気を、鋭い怒号が切り裂く。

 反射的に視線を向けると、大通りの真ん中に人だかりが出来ていた。それは、何かを遠巻きに傍観する野次馬の群れのようだった。

 先程の声からすると、間違っても愉快な集いなどではないだろう。

「……何の騒ぎだ?」

 不穏な空気を感じ取ったのか、ウズメが表情を曇らせる。

 フウガもまた嫌な予感を覚え、少女の方へ表情も険しく振り向いた。

「少し様子を見て来ます。先輩は、ここで……」

「いや、私も行く」

「駄目です」

 予想通りの答えに、すかさずフウガは切り返した。

「その着物、お母さんの形見なんでしょう? もしも何かあったときに、汚したり、破れたりしたら大変じゃないですか。どのみちその格好じゃ、まともに動けませんし……ここは俺に任せてください」

「……むう」

 それでも納得いかないのか、ウズメは逡巡を見せる。

 少しだけ悩んだ後、結局、諦めたように息を吐く。

「わかった。だが、忘れるなよ、フウガ。私達、騎士候補生は、その立場故に、学園の外では、〈言力〉はもちろん、武器を振るう事すら著しく制限される。唯一それが許されるのは、本人、または他者に何らかの害が及びそうになった緊急時のみだ。それを破れば、厳しい処罰――最悪の場合は、退学処分と共に、学園から永久追放される事だってある」

 それは、王国において神聖騎士という存在が持つ重要性と、〈言力〉という力の危険性を考慮した上での厳正なる規則だ。

 神聖騎士を目指す者として、普通の人間にはない力持つ者として、自覚と責任を促す意味もある。

 そして、そのどちらをも、フウガは過去の経験から、よく理解していた。

「ええ、わかってますよ」

 だから、ウズメの忠告に迷わずそう応えると、声のした方へと向かう。

 人の群れを掻き分けていくと、すぐに先程の怒号の主と、その理由が目に入って来た。

 野次馬が囲んでいたのは、三人の人間。

 一人は、男。

 無造作に伸ばした髪に無精髭。服装もだらしなく乱れ、赤い顔に頼りない足取りは、一見して酒に酔っている事が知れた。

 残り二人は、少女。

 色取り取りの花々の入った篭を持つ花売りと思しき幼い娘と、フウガより一つか二つほど下だろうと思われる少女だ。

 花売りの少女の方に特に変わった点はないが、もう片方は違った。

 美しい紫色の髪に、簡素な物ではあるが、明らかに上等な衣装。何より纏う空気に、一般人には決して持ち得ない気品がある。顔立ちだって、ウズメにも劣らない美しさで、その立ち姿だけでも絵になっていた。とにかく、相応の家柄の人間である事だけは間違いなさそうだった。

 状況としては、酔っ払いの男から、花売りの子を護るように貴族らしき少女が対峙している、といった所だ。

 この光景を見ただけで、大体の事情は、すぐに想像出来た。

(質の悪い酔っ払いの男が、花売りの女の子にからんで、それをもう一人の子が助けに入ったって所か……?)

 あくまで推測だ。

 だが、男の方はお世辞にも良心的な人間には見えない。

 辺りを囲む人間達の会話から判断しても、推測は、さほど的外れではないようだった。

「ああん、何だって……?」

 ろれつの回ってない喋り方で、威圧的に男が言う。

「手前、俺が誰だかわかって言ってんのか、ああ?」

「ああ、わかっておるぞ。汚く無様で、堕ちるに堕ちた酔っ払いじゃ。どこか、間違っておったか?」

「…………餓鬼が。調子に乗るなよ」

「ふん、下種が」

 男の恫喝にもまるで怯まず、貴族らしき少女は、腕を組んだまま頭二つは高い相手を睨み返す。

 明らかにその場の空気は、より険悪なものへと向かっている。

 周囲の人間もさすがに危険を感じたのか、野次馬をやめる者か、それでも好奇心に負けて留まる者か、の二つに大きく分かれ始めていた。

「まずいな……」

 フウガは、焦燥の呟きをこぼす。

 同時に、いざという時に備え、ゆっくりと腰の後ろの剣の柄へと手を伸ばした。

 あの状況であれだけの余裕があるのだから、貴族らしき少女には何かしら腕に覚えがあるのかもしれない。もしも本当に貴族の、しかも軍閥の娘であるのなら、護身用のために簡単な手ほどきぐらいはされている可能性はある。そして、相手が単なる酔っ払いなら、その程度でも、あしらう事は出来なくもないだろう。

 しかし、あの男は違う。

 足元は怪しいし、目の焦点も定まってないような有様だが、目の奥に宿る光や、引き締まった肉体は、紛れもなく戦う者のそれだ。

 しかも、そこらのゴロツキ程度というものではない。

 元は名のある傭兵か、あるいは賞金稼ぎか。

 どちらにせよ、いかにも戦う事に縁遠そうなあの少女では、相手が酔っ払っていても勝てるとは思えなかった。

「……良いだろう。俺に喧嘩を売った事を骨の髄まで後悔させてやるよ……」

 そう言って、男は指を噛み切って、しとどに血を溢れさせる。

「! まさか……!」

 フウガは、戦慄の声を漏らした。

 男が、石畳に〈言紋〉に訳された自らの名を記していく。

 そして、その上に掌を乗せ、紡いだのだ。

「来い!」

 血文字より放たれる白き輝きは、世界の息吹――プラナ。

 そして、その中に召喚されるのは、無骨な戦斧。

 男の〈真名武具〉以外の何物でもなかった。

 いくら、酔っているとはいえ、丸腰の、しかも少女相手にそんな物を持ち出すとは、常軌を逸している。

 これに野次馬からもどよめきが上がった。さすがに好奇心よりも危機感が勝ったのか、逃げるように人が散っていく。

 助けに入るような人間がいないのも無理はなかった。

 普通の人間が〈言力師〉相手に立ち向かうなどいうのは、確実に勇敢ではなく無謀の部類に入る。そんな事をするぐらいなら、一刻も早く神聖騎士を呼んで来る方が、よほど最善だろう。実際、散って行った人間の何人かは、そのために走って行ったようだった。

「今更、泣いて謝っても、許してもらえると思うなよ」

 斧を手にした男が、ゆらりと少女達との間合いを詰める。

 怒りと己の武器を手にした事で、幾分か酔いが醒めたのか、足取りも声も平常さを取り戻し始めていた。だが、それが少女達にとって、良い方向に向かっているとは考え難かった。

「…………あ、ああ……」

「離れるな。大丈夫じゃ」

 絶望的な表情で座り込む花売り少女へ、貴族らしき少女は、やはり恐怖の片鱗すら見せずに、威厳の乗った声を掛ける。

 しかし、いくら脅威に動じない強心があっても、無慈悲な暴力の前では、蹂躙されるだけだ。

「はっ! 死んじまえよ、糞餓鬼!」

 それをわかっているのだろう、男が嘲笑って、斧を振り下ろす。あろう事か、その叫びには〈具言〉としての意味も持たされ、斧の刃に無色の破壊の力が付加される。

「…………」

 死を目前にしても、貴族らしき少女は揺るがない。

 そんな物は自らに訪れないと一人悟っているかのように、ただ落ちて来る終焉を見据えていた。

 そして。

「烈風、研ぎ澄ませ!!」

 確かに、それは訪れなかった。

 瞬時に、男と少女の間に割って入ったフウガ。

 彼の手にする風纏う二刃が、体重を乗せた斧の一撃を阻み、弾いたのだ。

「何ぃっ!?」

 瞠目した男が、斧を弾かれた勢いのまま後方に跳び、着地する。

 酔いが醒め始めているとはいえ、不意打ちにも体勢すら崩さない。

「……お主は」

 自らを護ってくれた少年の背中を僅かに目を見開いて見つめ、少女は呟く。

 そこには、驚愕と――何かを訝しがる響きがあった。

「そこまでだ。もうすぐ神聖騎士も来る。下手に罪を重くしたくなかったら、大人しく武器を収めろ」

 やはり相手が手錬れである事を確認しつつ、フウガは警告する。

 事ここに至っては、もはやフウガが剣を振るった所で誰も咎める事もない。

 次なる行動に備えて、汲み上げたプラナを全身へと送り、〈龍身〉の効果を確かなものとする。

 男は驚愕から抜け出すと、鼻で笑った。

「はん……舐めてんのか、坊主。お前のその格好、騎士候補生だろう。まともに実戦も知らないような青臭い餓鬼が俺に勝てるとでも?」

「挑発はいい。武器を収めるのか、収めないのか。どっちだ」

「決まってんだろ」

 にぃっと、男の口が醜悪な笑みで歪む。

「知った事かよっ!」

「っ!」

 想像以上の速度で、男が間合いを縮めて来る。

 斧は横薙ぎに、フウガの右の脇腹へと疾った。

 避けるわけにはいかなかった。

 そうすれば、背後の少女達に一撃が及んでしまう。

「ぐっ!」

 咄嗟に脇腹と斧との間に、イザナギを挟んで受け止める。

 目前で金属同士の衝突による火花が散り、右腕から全身に容赦なく衝撃の余波が襲い掛かった。

 それでもその場で踏ん張り、逆の刃を男へと突き入れた。

 しかし、苦し紛れの攻撃は、容易く回避され、お返しに言わんばかりに、跳ね上がった男の膝がフウガの腹部を打ち抜いた。

「か……はっ!」

 咄嗟に後ろに跳び、威力は半減させている。

 しかし、完全に殺し切れない凄まじい衝撃に、少年の身が僅かに浮く。

「くたばれや!」

 無防備になった所に、振り下ろされる斧。

 フウガは苦痛に顔を歪め、戻しそうになった物を無理矢理に飲み込んで、叫んだ。

「旋、風、渦巻け……っ!」

 まともな声量も出せず、ろくにイメージを固める事も出来なかったその〈言力〉によって生まれたのは、ほんの小さな風の渦。

 だが、それによって巻き上がった砂塵が、狙い済ましたように男の目へと飛び込んだのだ。

「なっ! っあ、手前!」

 男が怯んだ隙に、フウガは体勢を整えると、

「少しだけごめん!」

 一言謝って、背後の少女二人を、それぞれ両腕に抱える。

「おおっ」

「きゃあ!?」

 一足で、大きく跳躍。

 それだけで、フウガの危機を見て、こちらに駆け寄っていたウズメの所まで移動する。

「先輩、二人をお願いします」

「ああ、わかっている」

 ウズメに少女達を預けて安全を確保すると、フウガは再び男の方へ歩み寄り、対峙する。

「……やってくれたな」

 視界を取り戻した男は、低い声を吐き出す。

 放たれる殺気は、まるで突き刺さる槍のようだった。

 フウガは何も返さず、無言で剣を構えた。

 いきなり攻撃を仕掛けて来た時点で、話が通じるような相手ではない事はわかり切っている。ならば、神聖騎士が駆けつけるまで粘るか、ここで男を叩き伏せてしまうしか解決の道はないだろう。

 そして、問題があるとすれば。

 目の前の男が、想像以上に手強いという事か。

 男が斧を一振りして、一歩踏み出す。

「後悔させてやる。仮にも、元神聖騎士相手に剣を向けた事を」

「――…………な」

 不意に、男が口にした一言に、フウガは言葉を失う。

 ……神聖騎士?

 父と母と同じ、王に忠誠を誓い、国を民を護るべき者?

 元とはいえ、この男が、そうだというのか?

「せいぜい候補生如きと本物の神聖騎士の格の違いってやつを思い知るんだなっ」

「…………」

 男の声など、もう少年の耳には届いていない。

 無言で俯き、ただ佇んでいる。

「ああん? 聞いてんのか、餓鬼」

 元神聖騎士だという男は気づかない。

 少年の空気が、存在が、決定的に変貌している事を。

 真っ先にそれを気づいたウズメが息を呑んだ。

「まさか、これが……」

 少年の左顔面から、亀裂の痣がゆっくりと浮かび上がる。

 彼の存在が少しずつ、ひび割れ、砕け、崩壊する。

 その代償の果てに、少年は欠落の騎士へと回帰する。

「な……んだ、そりゃあ……?」

 痣を目にした男が、戸惑いの声を漏らす。

「神聖騎士だと……?」

 少年が言った。

 声が剣を握る手が、怒りに打ち震えていた。

「お前が、親父と母さんと同じ、騎士だと……? 無力な者に刃を向け、堕落した姿を晒すお前が……?」

 顔を上げる。

 咆哮する。

「認めるものか、そんな事を――――っ!」

「!」

 刹那。

 ウズメは、次の瞬間には、目の前に広がるだろう惨劇を悟る。

 それを止めようと、声の限りに叫んだ。

「駄目だ! フウガ!!」

 ――遅過ぎた。

「疾く、駆けよ」

 〈具言〉の詠唱と共に地を蹴り、フウガはその姿を消失させる。

 一瞬で、男の眼前。

「――――っ!?」

 あまりに突然な少年の速力の上昇に、男はまるで反応出来ず、棒立ち。

 フウガは躊躇う事なく、右の刃を振り抜く。

 狙いは、首。

 刎ね切るに十分過ぎる速力と角度。

 もはや血と死の惨劇は、誰にも避けられないように思えた。

 だが。

 刃は、別の何かに阻まれたのだ。

「…………!」

 甲高い衝撃音と共に、フウガが目を剥く。

 自身の剣を止めたのは、薄汚れた外套を纏う一人の青年と彼の手にする鞘に収まったままの刀。

 謎の青年の姿がぶれる。

「がっ!?」

 転瞬、元神聖騎士の男が膝を折って、崩れ落ちた。

 男の腹部に、青年の肘による強烈な一撃がめり込んでいたのである。

 不意を突いたとはいえ、ただの一発であの手強かった男を倒してしまうのは、青年が只者ではない証明でもあった。

「君」

 唖然と固まって動けないフウガの腕を、青年が掴む。

「え……?」

 予想外の展開に怒りも忘れ、痣も消えたフウガが、青年を見返す。

「逃げるよ。もうすぐ神聖騎士が来る。状況的に仕方なかったとはいえ、君だって立場を考えたら、このまま捕まるのは避けたいんじゃないのかい?」

「――――」

 青年の正体は知れない。

 だが、確かに彼の言う事は正論だった。

 このまま神聖騎士に捕まれば、しばらくは解放されないだろうし、ウズメにも迷惑を掛けてしまう。彼女本人は気になどしないかもしれないが、フウガはそれを望まない。

 フウガは青年に対して頷きだけで返答すると、

「先輩!」

 と、少女の名を呼んだ。

 ウズメの方も、それだけで事情を察したのだろう。傍に居る少女二人に何か声を掛けてから、こちらに向けて駆け寄って来る。

「よし、行こう」

 先導するように青年が駆け出す。

 それと入れ替わるように、ウズメがフウガの傍に近づく。

「……フウガ。彼は?」

「わかりません。……とにかく後は神聖騎士に任せて、今は、この場を離れましょう」

 少女の問いに短くそう返して。

 フウガもまたウズメと共に、青年の後を追って走り出したのだった。

お読み頂きありがとうございました。

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