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六章 月 その二

 凍てつく冬の夜。

 老人は、物思いに耽りながら、独り外へ出掛けた。

 降り積もる雪を踏みしめ、空を仰ぐ。

 視界に入るのは、夜闇の向こうにある分厚い灰色の雲だけ。月も星々もその姿を隠している。同時に、昼間に一度は止んだ雪が、再びちらつき始めていた。明朝には、銀世界が、より一層その白色を濃くする事は想像に難くない。

「……世界が凍てつけば、人の心も冷たくなるのか」

 自然と言葉が漏れる。

 老人は、〈鴉の止まり木〉と名付けた孤児院の院長を務めている。……とは言っても、開院して一年は、孤児院の体裁を整える事のみに時間を費やし、まだ一人の孤児も院内には居ない。――いや、居なかった。

 ほんの昨日の事だ。

 今日と同じ、雪の降りしきる夜に、孤児院の前に一人の男の子が置き去りにされていた。およそ一歳にも満たぬ、物心もついていないような幼子だ。

 まともに言葉を交す事もままならぬその子から、唯一知り得た情報は、ゴウタという名だけだった。

 ……どこからきたのか。

 ……親は、一体どうしたのか。

 ……どうして、彼を置いていったのか。

 何一つわからなかった。

 老人は、少年を孤児院で最初の孤児として預かる事を決めた。一応は、親が見つかるまでという形ではあったが、おそらく親が迎えに現れる事も、見つかる事もないだろう――と、そんな確信に近い予感があった。

 まだ子供を愛しているのなら、いつか迎えにくるつもりなのなら……あんな冬の夜に、子供を一人、外に残していくような真似をするはずはないのだから。

 老人は、憂いを含んだ瞳を伏せる。

「いや、関係ないか……。人はときに、どれほど凍てついた世界よりも冷たくなれる。私は、それを知っている……」

 呟き、しばらく歩いた後、不意に足を止めた。

 物思いに耽るまま、何も考えず外に出てきてしまったが、今日は出歩くにはあまりに寒い。何より、今は気持ちも沈痛としている。こんな気分のとき、冬の夜の寒さは、よりその身を刺そう。

「……それに、テナにばかり、あの子の世話は任せられんしな」

 扱い慣れない子供に四苦八苦する少女の姿を思い浮かべ、老人は微笑む。自分も決して手馴れているわけではないが、あの少女に比べれば、幾分ましであろう。

 そんな事を思いつつ、孤児院へと戻るため踵を返して――

 静かに振り返った。

「…………」

 そこに、先ほどまでは居なかった一人の少女が佇んでいた。

 年は、八歳ほどだろうか。

 美しい娘だった。

 まるで銀糸のような長く滑らかな髪と、母性を抱く深い海のような青い瞳。無表情な白い面は、人間というより、作り物の人形染みてもいる。だが、そこには確かに生気が存在していた。

 そして、そんな美しい風貌の少女には、無垢な白の支配する銀世界には似合わない、生臭い赤色もが一緒に彩られている。

 赤色は、人の返り血だった。

 さらに、少女の手には、彼女と同じ色を持つ、男の子とおぼしき幼子が抱かれている。おそらくは、少女の弟か何かだろう。

「親は?」

 その様子から、大体の事情を推測し、老人は無駄を廃した質問をする。

「…………死んだ」

 答えは、端的だった。

 感情のない声は、悲しんでいるのか、怒っているのかもわからない。

「――野盗にでも襲われたか。ここ最近、王都の近辺で暴れている輩が居ると聞いている。だが、それだけの返り血を浴びながら、君達が無傷で生きている事実からすると、君達の親は勇敢に戦ったようだな」

 同情するわけでもなく、ただ老人は、少女達の親が見せたのであろう勇気を讃えた。

「…………っ」

 少女が、無表情だった顔を僅かに強張らせて俯いた。

 どうやら、老人の想像は、さほど的外れではなかったらしい。

 だが、いかに親が自らの子をその身を挺して守ろうと、今の彼女達が行き場所を失くしてしまったという現実が変わるわけではない。

 そんな冷酷な現実を前にしても、少女が涙一つ見せないのは、彼女の強さ故か、それとも疾うに涙など涸れ果てたか。どちらにしても、哀れな事には違いなかった。

 老人はしばし熟考した後、問い掛けた。

「私の元にくるか?」

「…………」

 老人の言葉の真意を測りかねているのか、少女が不可解そうに顔を上げる。

「一応、私は孤児院をやっている。……とは言っても、昨日ようやく一人目の孤児を引き取った程度の新米だがね。

 君としても、他に行くあてなどあるまい。ただ助けを求めて、王都までその子を抱いたまま、歩いてきたのだろう? 街外れとはいえ、よくここまで辿り着いたものだよ」

 少女は、こんな雪の日にも関わらず、素足だった。しかも、よほど長い道程を歩んできたのか、その足は傷だらけの上、冷え切って青白くになっており、半ば凍傷になりかけている。身体だって、先ほどからずっと寒さで小刻みに震え続けていた。それでも、抱いている子供だけは、決して冷やさぬようにと、巻いた毛布と自らの腕で、必死に暖めているのが健気でさえあった。

「……いってもいいの?」

 少女は目の前の希望に縋って良いのか逡巡するように、問うてきた。

 老人は、ゆっくりと首肯する。

「もちろんだ。むしろ、そのための孤児院だろう。ここで君を拒む事は、自らが選んだ道を否定する事にもなる」

 言って、先ほどと同じように、老人を天を仰いだ。

 相変わらず、月も星々も見えない灰色の曇天だけが広がっている。

「何よりも……もう私達は心を凍てつかせぬと、そう決めたからな」

「……よく、わからない」

「ああ、すまない。これは私の問題だ。君が気にする事でないさ」

 小首を傾げる少女へ謝罪し、老人は身振りで促す。

「……さあ、外は酷く冷える。孤児院へいって、まずは暖まろう。昨日の子は、おそらく君の抱いている子と同年代か。きっと良き友となる事だろう」

「…………」

 少女は、まだ迷いを振り払えないのか、俯くだけで答えない。

 彼女は、親を野盗に殺されたばかりなのだ。出会ったばかり相手の言葉を、すぐに信じろという方が確かに無理があるのだろう。

「これを」

 少女の内心を察して、老人は懐より取り出した物を差し出した。

「え……?」

 少女が目を丸くする。

 差し出したのは、一振りのナイフだった。特別な意匠は何もない、ごく普通の代物。だが、人一人を殺す道具としては十分過ぎる凶器。

「もし、私が信じるに値しない相手だと感じたなら、迷わずこれで私を刺すと良い」

「……どうして……そんな……」

「私がここでどれだけ優しい言葉を並べようと、敵ではないと態度で示そうと――君の中に確かな信用を根付かせる事など不可能だろう。だから、私は、私自身の言葉を裏切ったときの代償をここに提示する。もしものときには、君は躊躇いなくそれを奪えば良い。……君のような幼い子に、手を汚せというのはいささか酷とは思う。だが、親を失った君が、その手に抱く小さな家族を守ろうと思うなら、その程度の覚悟は必要だろう」

「…………」

「さあ、受け取りなさい」

 老人が手にしたナイフを、少女の眼前まで下げる。

 数瞬の間――

 少女は、黙って頭を振った。

「どうした?」

「……いらない」

「何故?」

「……信じるから……」

 凍える寒さで紫色になり、上手く動かない唇で、でも、少女ははっきりと言い切った。

「……おじいさんの事を信じるから……いらない、そんなの……」

「…………」

 老人は、少女を静かに見下ろす。

 こちらを真っ直ぐに見返す少女の双眸には、もはや迷いは見られなかった。

 老人は、目を閉じる。その口元が、淡く微笑みを象った。

「そうか。なら、仕方ないな。……では、いこうか」

 ナイフを再び仕舞った後、老人が歩き出すと、少女も頼りない足取りでついてくる。

 孤児院へこないかと誘いはしても、老人は手を貸す事はしなかった。

(……失い、そして、新たに得る居場所。せめて、自らの足で辿り着かねばな)

 それは、小さな事のようで、きっととても大切な事。

 無闇な優しさで手を差し出す事は、決して少女のためにはならない。

 ――少女は親を目の前で失い、それでも弟を守るために、自らの足で歩き続け、孤児院という新たな居場所まで辿り着く。

 この記憶は、きっとこの先の人生の財産となる。困難に挫けぬ彼女の強さになる。

 だから、老人は助けない。

 ほんの僅かな距離。でも、痛みかじかむ足では、酷く長い道。

「――歩け。悲しみに飲まれぬように。冷たき世界に抗えるように」

 老人は呟き、少女が見失わぬような速度で、ただ歩き続ける。

 少女も不満一つ口にせず、ただ夢中で後を追う。

 ……そして。

 孤児院の扉は、確かに少女達へと開かれたのだった。


 この日。

 新たに加わった孤児二人の名は、ミカヅチの姓を持つ、フヨウとライという名の子供達だった。


 ◇ ◇ ◇


「では、すまんが、後は頼む」

 幾分の申し訳なさを含めつつも、その声には確かな重みがあった。

 声の主は、初老の男だ。

 髪や瞳は、夜闇を塗り固めたような黒。

 人の上に立つ者に相応しい、威厳溢れる風貌。

 男の大柄な身体を包むのは、王国の象徴であるアマテラスの化身――白狼を象った紋章の刺繍された制服だった。その派手過ぎず、だが、揺るがぬ権威を感じさせる意匠は、アマテラス神聖騎士団を総括する者の身に着ける物だ。

 ツクヨミ・ヒヤギ。

 彼こそが、ウズメの父であり、その制服が示すように、神聖将軍を務める男であった。

「謝る事など何もありません。閣下は、日頃から働き過ぎなのです。一年に一度の大切な日ぐらい、将軍としての責務をお忘れになったとしても、陛下も――そして、大神アマテラス様もお責めにはならないでしょう」

 執務机の向こうから、将軍であるヒヤギに対して忌憚のない意見が述べられる。

 しなやかに鍛え上げられた細身の体躯に、ヒヤギの物とは僅かに意匠の異なる、師団長用の制服を纏う一人の女――アマテラス神聖騎士団、第四師団・師団長、オオヤマ・クシナである。

 青空を連想する蒼色の髪を背中で束ね、同じく蒼の瞳を、ヒヤギに対する尊敬の念と共に、どこか咎めるように細めていた。誠実の文字を体現するような整った顔つきは、彼女の生来の真面目さを表すようでもある。

 現在、騎士団宿舎内にある神聖将軍用の執務室には、ヒヤギとクシナの二人の姿だけがあった。

 ヒヤギは、信を置く自らの部下の言葉に苦笑を浮かべる。

「これは耳が痛いな。だが、将軍である私が、あまり怠ける姿を見せるわけにもいくまい」

「もちろん、程度は考えて頂かねば困ります。しかし、閣下は、間違いなく自らを大切になさっていません。正直、今回の休暇も二日ではなく、一週間は取って頂いて良いぐらいです。その程度の期間ならば、私が将軍代理を務めても、問題なく騎士団は動くでしょう」

「……うむ。まあ、君ならばそのまま将軍をやっても問題ないかもしれんな」

 クシナの剣幕に押されるように出たヒヤギの言葉は、ほとんど本音に近かった。

 実際、三十一歳という若さにして、一師団の師団長と騎士団参謀を任せられるだけの才を、確実に彼女は持ち合わせている。

 しかし、クシナは迷わず首を横に振った。

「まさか。一時の代理ならともかく、私のような若輩者が、将軍となり騎士団を束ねる事など出来るはずがありません。そもそも師団長や参謀の立場とて、本来なら今の私では、まだ身に余るものです」

「いや、そんな事はないだろう。陛下も私も……それに君に従う騎士達も、皆、君の事を高く評価している。謙遜も大事だが、自らの成果をしっかりと受け止める事も必要な事だ」

「もったいないお言葉です」

 クシナは美麗な動作で頭を下げる。

 しかし、次に口にされた言葉は、やはり手厳しい。

「ですが、それはそれとして、やはり閣下は御自愛されるべきです」

「…………。そうだな。今後は、善処しよう」

 それとなく話を逸らすという目論見が見事に失敗したヒヤギは、結局、そんな妥協を含んだ答えを苦い顔で返した。

 クシナは決して柔軟な考えの出来ない頭の固いだけの人物ではないし、今も自身の事を慮って言ってくれている事はわかっている。しかし、普段から、どうにも説教臭い発言が多い事だけが、玉に傷であった。

(まあ、これに関しては私にも非があるか……)

 ヒヤギが内心で独り自省していると、クシナが不意に語気を優しくして言った。

「そういえば、ウズメ様とお会いになられるのも、随分と久しぶりなのではないですか?」

「ん? ……ああ、そうだな。もともと会う機会も少ないのに、学園に入ってからはなおさらだ。今回は……四ヶ月ぶりか」

「――奥様もお喜びでしょう。毎年、命日にはかかさずお二人が顔を見せてくれるのですから」

「…………。だと良いがな」

 ふと複雑な表情を見せて、ヒヤギは視線を落とす。

 過ぎる残影には、今は亡き妻と――もう一人。

 未だ忘れ得ぬ過去の過ちは、実の娘とも、どこか壁を作ってしまっているように思えた。事実、ここ数年は、ウズメと心からの談笑などした事はない。

 ヒヤギの暗い反応を見て、しかし、クシナは迷わず続けた。

「いえ、お喜びですよ。例え、過去にどんな事があったとしても、奥様にとって閣下とウズメ様が、愛すべき夫と娘である事は違いありません。だから、そんな顔をなさらないでください」

「――すまんな。気を使わせる」

「お気になさらず。この程度は、淑女の嗜みです」

 クシナは胸に手を当て微笑むと、冗談交じりに言ってみせる。

「……そうか」

 これに、ヒヤギは思わず声を出して笑っていた。

「では、まあ、二日ほどだが……騎士団を頼んだぞ」

「はい。――どうぞ、ごゆっくり英気を養われてください」

 クシナは右腕を胸の前に水平に掲げる敬礼の体勢を取ると、丁寧に頭を下げた。


 ◇ ◇ ◇


 アマテラス神聖王国の王都アシハラは、王立第一ヒノカワカミ学園から、馬車で街道を進んで、約三時間程の位置にある。学園が王都より独立しているのは、候補生達の自立性を養うためと、有事に際して、民の避難場所や騎士達の駐留基地などに用いるなどの理由かららしかった。

 フウガ達や他の候補生を乗せた乗り合い馬車は、南門を抜け、王都の中へと進んでいく。王都は、アマテラス神聖王国の繁栄を表すように、多くの人々とそれに伴う活気に溢れていた。

 都の中心には、威風堂々たる王城が据えられ、そこに近づくほど、より身分の高い者が屋敷を構えている。そのため、中央部に近づくほどに都は煌びやかさを増していた。だが、もっとも活気に満ちているのは、やはり商店や露店が立ち並ぶ商業区画である。フウガ達が辿り着いた南門の周辺も、行き交う人の多さから、特に露店などに溢れる区画の一つであった。

 門を抜けた馬車は、しばらく進むと動きを止めた。

 一拍置いて、車両の扉が開くと、中に乗っていた候補生達が思い思いの会話を交しながら、久々の王都の石畳へと次々と降り立つ。

 その中に居たゴウタが、ようやくぎゅうぎゅう詰めの馬車内から解放されて、思いっきり背筋を伸ばした。

「ぐはー。息苦しくて死ぬかと思ったわー」

 隣のライも、少し安堵したように息を吐く。

「うん。創立記念日の前後は、帰郷する候補生が多いから、乗り合い馬車の数を普段より増やしてあるのに、それでも狭苦しかったからね」

 続いて降りてきたレナは、げんなり顔で愚痴をこぼす。

「正直、男衆とは別にして欲しかったわ……。あんなに密着して気持ち悪いとまでは言わないけど、辛かった……。絶対に、女性専用馬車が必要だと私は思う……」

「気持ちはわかるけど、そこまで望むのは贅沢じゃないかなぁ……」

 ミヨが困った顔で相槌を打った。

「はー、気持ちええ……って、あれ、フウちゃんは?」

 思いっきり外の新鮮の空気を吸った後、少年の不在に気づいて、ゴウタが周囲をきょろきょろと見回す。

「そういや、ツクヨミ先輩にミカヅチ教官もおらんけど……」

「お・ま・え・ら……!」

 と、そこに、怒りに震えた声が馬車の車両の中から響いてきた。

「面倒事を全部、俺に押し付けてとっとと降りるんじゃないっ」

 そう不満をぶちまけながら馬車から降り立ったフウガは、人を一人を背負っていた。背負われているのは、フウガ達の付き添いである教官のフヨウである。

「……教官っ。もう着きましたよっ。起きてくださいっ」

 さらに、フウガに追随して馬車を降りたウズメは、完璧に熟睡するフヨウを何とか起こそうと必死に耳元で声を張っている。だが、フヨウの眠りは相当に深いのか、穏やかな寝顔のまま、ぴくりとも反応しない。

 ライが今思い出したように、わざとらしく手を叩いた。

「あー、ごめんね、フウガ。姉さんは馬車に乗ると、何故か爆睡するという変わった体質の持ち主なんだ」

「あ、そうやったそうやった。すっかり忘れとったなー」

 物凄い棒読みでゴウタが頷く。

「確実に確信犯だろ!? っと言うか、何だ、その迷惑千万な体質はっ! 子供か! 子供なのか、この人は!」

「……ある意味、単なる乗り物酔いより質が悪いわね……」

「あははは、確かに……」

 レナとミヨが呆れ顔で、呟く。

 この後、フヨウが目覚めたのは、王都到着より三十分も経ってからの事であった。


 * * *


「…………んー、眠、い……」

 ようやく目覚めたものの、フヨウの足取りは未だに頼りなかった。

 不安で仕方ないフウガは、気が気でなくて声を掛ける。

「ミカヅチ教官、大丈夫ですか? なんかまだフラフラしてますよ」

「…………大丈夫。大丈夫だから、後五分だけ……」

「いや、何が!?  頼むから、もう寝ないでくださいよ! お願い!」

 相変わらずの苦労性を発揮しながら、フウガは涙目で絶叫する。

 その光景を眺めながら、ゴウタはやれやれと、頭を掻いた。

「……こりゃー、駄目やなぁ。久々の王都を見回る前に、孤児院の方へいって、フヨウ姉……もとい、ミカヅチ教官を寝かせた方がいいやろ」

「そうだね。姉さんなら、立ったまま寝るなんて事、朝飯前だし」

 ライが頷き、その視線を、この休日に実家の方へ用事があるという事で、同行していたウズメへと向ける。

「先輩は、どうしますか? 一緒に孤児院へいきますか?」

「いや、私は……」

 そう、ウズメが否定の言葉を発しかけて、

「――ウズメ様、お迎えに上がりました」

 と、そんな丁寧な台詞が脇から掛かった。

「な……何だ?」

 思わずフウガが声を上げる。

 集まった皆の視線の先には、先ほどの乗り合い馬車などお呼びもつかないほどの豪奢な馬車が一台と、その前に佇む一人の侍女の姿があった。貴族の乗る馬車としても、一際目を引くその存在感に、近くの通行人も足を止めて、振り返っていた。

 ウズメもまた、そちらへ顔を向けて、苦い顔をする。

「スズ。迎えはいらないと、予め連絡をしたはずだが……」

「そうは参りません」

 スズと呼ばれた二十代前半程と思われる侍女は、断固とした口調で否定を口にした。

「遠路はるばる、ウズメ様が学園からお帰りになられたのです。だと言うのに、お屋敷で何もせず待機しているなどという愚行を、ツクヨミ家に仕える者として、どうして出来ましょうか」

「……遠路はるばるは、いくら何でも言い過ぎだ。馬車で、ほんの数時間程だぞ。気持ちは嬉しいが、なんでそう融通が利かないかな……」

 ウズメは呆れ顔になって、眉根を指で押さえる。

 しかし、スズは涼しい顔で、深々と頭を下げた。

「全ては、ウズメ様の事を想うが故でございます。……さあ、馬車へ。ヒヤギ様も、城より、もうお戻りになられる頃です」

「…………」

 ウズメは、もうお手上げといった様子で嘆息する。その後、申し訳なさそうな顔で、フウガ達を振り返った。

「まあ、こういう事なんだ。申し訳ないんだが、孤児院の方へは後日、顔を出すよ」

「わかりました。まあ、せっかくですし、御家族に顔を見せてあげてください……って、ミカヅチ教官! 寄り掛かってこないで!」

 未だにフヨウの世話を押し付けられっぱなしのフウガに、慣れた様子で馬車へと乗り込んだウズメは、窓からくすりと笑顔を見せた。

「人の事は言えないが、あまりお人好しが過ぎると、苦労ばかりを背負い込むぞ、フウガ」

「もう身に染みてますよ。それでも治せないから困ってるんです」

 諦念に満ちた顔で、それでもフウガは苦笑気味に微笑んだ。

 ウズメもまた、可笑しそうに笑い返した。

「確かに、それでこそ君なのかもしれないがな」

「……ウズメ様、そろそろ」

 馬車の中で、隣に腰を降ろしたスズが、控えめに口を開く。

「ああ、わかっている。……では、皆、また」

 ウズメは別れの言葉と共に、手を振った。

 同時に、隣に座るスズの指示を受けて、御者が馬車が出発をさせる。

 その姿が人波の向こうへ消えた後、レナが感嘆の息を吐いた。

「本当に今更だけど……先輩ってツクヨミ家のご令嬢だったのよね」

「うん……なんか凄かった」

 ミヨの方も、改めてそれを思い知ったように惚けている。

「…………」

 その反応には、正直、フウガも同意だった。

 ここ最近は、当然のように単なる学園の先輩として接する事も多かったが、本来ならウズメは、ただの騎士候補生であるフウガ達が、そんな風に気軽に声を掛けられるような相手ではないのだ。もしも、彼女が神聖騎士を目指して学園に入学していなかったら、自分達は顔を合わせる事すらなかったかもしれない。

(……でも、俺達は先輩と出会った。そして、仲間になった)

 ――だから。

 きっと、そんな考えには何の意味もない。何より、ウズメ自身がそんな態度で接される事は望んでいないはずだ。それは、いつかの屋上での彼女自身の言葉が証明している。

「さて……」

 軽く頭を振り、余計な考えを振り払うと、フウガは口を開いた。

「いつまでもこんな場所に居ても仕方がない。とりあえず、ミカヅチ教官を寝かせるためにも、孤児院の方へいこう」

 それに、皆が頷き、

「よっしゃ! じゃあ、俺に付いてきてや!」

 何故か、こういうときはやけに張り切るゴウタの先導で、王都の郊外にある孤児院へと移動し始める。

 フウガは、今も半ば睡眠状態のフヨウをライと共に支えながら、その後を追った。

 その途中、ふと王都の中心に聳え立つ王城の方へと振り返った。

 あの中には、アマテラス神聖王国の頂点に立つ国王が居り、同時に神聖騎士団の騎士達も控えている。

(……そうだ。あの人も……居る……)


 ――……フウガ君。貴方は、月のように在りなさい。


 ……それは、学園に入る前。

 二年以上の昔、別れ際に、とある人物に言われた台詞だ。

 その意味を、フウガは未だに掴みかねている。

(……元気にしてるのかな)

 ぼんやりと、その言葉を残した相手を想う。

 だが、一年前に王都へ訪れたときもそうだったように、今回もまず顔を合わせる機会はないだろう。もう今の彼女は、そんな気軽に会いにいけるような立場にはない。

「……フウガ?」

「――え?」

「急に立ち止まって、どうしたの?」

 一緒にフヨウを支えるライが不思議そうに、こちらを見ていた。

 我に返ったフウガは、頭を振り、

「いや、悪い。ちょっと考え事してた。……さ、いこうか」

 誤魔化すように笑うと、再び孤児院への道を歩み始める。

 そんな少年達を、去年と何も変わらぬ威容で在り続ける城が、遥か高みから見下ろしていたのだった。

お読み頂きありがとうございます。

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