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五章 心欠け、誓いは胸に宿る その二

「先輩……」

「…………」

 互いに、言葉が続かなかった。

 あの夢魔の事件以来、二人の間には、ずっと気まずい空気が流れていた。ひょんな事から習慣となった皆との昼食の際も、空々しい会話を交わすだけ。それこそ二人きりで面と向かって話す機会などなかったのだ。

 フウガが……というよりは、ウズメの方がどう接すれば良いのか迷っているようでもあった。

「…………フウガ」

 しばらくして、意を決したようにウズメが言った。

「……はい。何ですか?」

「その……訓練の方で少し無茶をしたと聞いた。大丈夫なのか?」

(ああ……)

 やはりだ、と、フウガは思う。

 未だ気まずい空気を払拭出来ていなくて、顔を合わせるだけでも辛いはずなのに――それでも彼女は自分の身を案じてやって来てくれたのだ。

 ただ素直に、それがフウガには嬉しかった。

「ええ、平気です。まあ、ちょっとスクナ先生には苛められちゃって、今、独りで反省してた所なんですけどね」

 最後の方は苦笑気味に言う。

 つられるようにウズメは僅かに微笑を見せて――すぐに消えた。

 少女は目を伏せ、夜闇を固めたような瞳に悔恨の光を宿す。

「……君は」

「え?」

「君は、以前と同じように私に笑顔を向けてくれるんだな」

「そんなの……当たり前じゃないですか」

「いいや、違う。あのとき――君が夢魔を倒したとき、私は一瞬とはいえ君に恐れの眼差しを向けてしまった。……君とて気づいていたはずだ」

「…………」

「好きだと――そう言ったのは私の方からだ。

 なのに、その言葉を。想いを。私自身が裏切ってしまった。君を傷つけてしまった。だから、私は君に嫌われたとしても――仕方がないだろう」

 何よりも強いはずの――少なくともフウガはそう思っていたはずの少女は、酷く何かに怯えるようにそう告げた。

 そんな彼女の姿を見たら、とても黙っていられなくて、

「――なりませんよ」

 咄嗟にフウガは否定の言葉を発していた。

「え……」

 ウズメは面食らった表情で、こちらを見た。

「嫌いになんてなりません。あのときの俺はそういう風に見られても仕方なかったと思うし、先輩は……今、俺の所に来てくれたじゃないですか。それで十分です。嫌いになんてなるはずがない」

 自分の出来る精一杯の暖かい笑顔を見せて、フウガは言う。

 これに、ウズメは驚きで見開いていた目を、まるで涙ぐむようにゆっくりと細める。そして、

「……フウガっ」

「へ?」

 いきなり座ったままのフウガの首に両腕を回して抱きついてきたのだ。

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと先輩!?」

 服越しに伝わる温もり。

 何かの柔らかい感触。

 首の辺りにかかる吐息。

 そんな諸々のものが怒涛の如くフウガを狼狽させる

「あの、その、ま、ままままずいですから! 俺の理性とか良識とかなんかそういうものがいろいろまずい! ですから離れて! 至急速やかに離れてくださいっ俺が大ピンチ!」

 自分でも何を言っているか理解出来ないままに、慌てふためいて叫ぶ。

 しかし、ウズメは一向に離れようとせず、むしろ強く抱きついてくる。

 そして。

「……良かった。ずっと不安で……良かった……」

「…………あ」

 ――ああ、そうか。

 あんなに強くて、凛々しくて。

 軍閥の名門貴族の一人娘で。

 学園の候補生の中で最強と言われて。

 それでも――

 今、ここに居るのは、ただ普通に恋する少女だった。

 だから、好きな男の子に嫌われてるんじゃないかと不安になって。

 でも、そうじゃなかったとわかって泣きそうなほど安堵してしまう。

 そんな……当たり前の女の子。

 だと言うのに、彼女は普通の人間とはどこか違うのだと、そんな目で知らず知らず見てしまっていた。

「先輩、俺は……」

 応えられない。

 少女の想いを理解してなお、それでも応じられなかった。

 彼女が嫌いなわけじゃない。むしろ好意を抱いているだろう。

 だけど、自分みたいな人間にそんな資格はないと、応じたとしてもきっとこの少女を幸せには出来ないと――そうわかってしまっているから。

 そっと。

 もしかすると泣いてさえいるかもしれない少女の背中を撫でる。

 これが今のフウガに出来る精一杯の答えだった。

 そして、互いに無言の時間が一分ほど――フウガにとってはその数十倍に思えたが――続いて。

「……先輩、あの……そろそろ……」

 はっきり離れて欲しいとは言い辛くて、濁して言ってみる。

「……あ、ああ、そうだな。だが……」

「だが?」

「いや、せっかくの機会だし、もう少しこのまま……」

「だ、駄目です! あれですよっ、いつ人が来るとも知れないわけですし!」

「むう……」

 あからさまに名残惜しそうに唸ると、ウズメはようやく離れてくれる。

 立ち上がった後、そっと目元を指で拭っていた。やはり本当に泣いていたのかもしれない。

 取り乱した自分を落ちつけるように、しばし目を閉じた後、ウズメは静かに口を開いた。

「突然、抱きついたりしてすまなかった。……思わず、な」

「い、いえ、構いませんよ。俺は平気ですから。ええもう本当に」

 むしろ自分に言い聞かせるようにフウガは言い募るが、誰がどう見ても動揺は明らかだった。

 ウズメは少しだけ申し訳なさそうに笑って、ふと真剣な声音で言った。

「本音を――言えばな。君に訊きたい事がたくさんあるんだ」

「……でしょうね」

 フウガもまた表情を引き締めて頷いた。

 あの夢魔の戦いの際の自身の変貌。

 そして、以前にも触れた過去の出来事。

 疑問など、いくらでもあるはずだろう。

「だが、今は訊く事はしない。君が話したいと、話せると、そう思ったときに君自身の口から聞きたいと思うから……それまで待つよ」

「ツクヨミ先輩……」

 その気遣いが嬉しく、そして申し訳なくて、頭を下げる。

「ありがとう、ございます。それと……すみません」

「良いんだ。私だって出来れば、君に辛い話を口にさせたくはないからな……。それに、礼を言いたいのはこっちも同じだよ」

 不意に彼女の見せた、安堵交じりの喜色満面の笑顔は。

 夕暮れの赤に照らされて、まるで一枚の絵画のように綺麗だった。

「――――」

 思わずフウガが見惚れてしまう中、ウズメは踵を返すと、顔だけ振り向いて苦笑いを浮かべる。

「これ以上ここに居ると、必要以上に君に甘えてしまいそうだからな。今日の所は、もう引き上げるよ」

「……え? あ……わかりました」

 そして、最後に。

「……フウガ」

 少女は、こう告げたのだ。

「私は君が好きだ。それだけは何があっても変わらない真実ほんとうだから――信じて欲しい」

「――……はい」

 一つ、強く。

 フウガは頷いて応えた。

 それに、再び心から嬉しそうな笑顔を残して、ウズメは夕暮れの屋上を後にした。


 ◇ ◇ ◇


 フウガと別れた後。

 階段を独り降りながら、ウズメは思い返す。


 多くの命が深い眠りにつく、冬の森。

 しんしんと雪の舞い降る、灰色の空。

 そんな冷たい世界の中で、彼女は“彼”に出会った。


 孤高すら感じさせる、無感情な瞳。

 他者との繋がりをことごとく拒絶する空気。

 その手に握る、妖魔の命を狩り、血を滴らせる刃。


 まるで一匹の誇り高き獣のように“彼”は立っていた。

 もしも。

 自分と“彼”との物語に始まりを定めるならば。

 それは間違いなく、あの日、あのときに他ならぬ。

「今も君は…………あの孤独な世界に居るのか……?」

 呟く。

 “彼”に届かないと知りつつも、口に出さずにはいられなかった。

「もしそうだと言うならば、私は……」

 と。

 言葉の途中で、ウズメの視線が横に流れた。

 ちょうど三階まで降りた所である。

 物陰に潜む気配を感じたのだ。

「…………」

 僅か視界に入った特徴的な髪の色で、すぐに誰かはわかった。

 ウズメの紅い唇が微笑みを象る。

「――レナ」

 びくりと気配が動揺するのが伝わってくる。

 それに今度は苦笑を浮かべつつ、言った。

「フウガなら屋上に居るぞ」

「……え、あ……はい……ありがとうございます……」

 もう黙っていても無駄だと思ったのか、返事があった。ただ、見つかった事が気恥ずかしかったのか、隠れたままである。

「では、また明日」

 告げて、ウズメは階段を降りる作業を再開する。

 そして。

 微笑ましい気持ちと――少しばかりの嫉妬心と共に思ったのだ。

(……なるほど……恋敵、登場かな……)


 ◇ ◇ ◇


 ウズメの残した笑顔の余韻で、フウガが独り惚けていると、再び訪問者があった。

 なんとなく――いや、明らかに荒々しく扉が開けられ、一人の少女が屋上に姿を見せる。

「…………タマヨリ」

 名を呼ばれたレナは、座ったままのフウガの前まで歩いてくると、元より鋭いつり目を、さらに険しくして見下ろしてくる。

「……どうか、したのか……?」

「別に」

 一言で切り捨て、そっぽを向く。

 明らかに機嫌の悪い様子で現れたと思ったら、あんな形相で睨んできて、別にも何もないだろう、とフウガは思う。だが、それを指摘するといろいろと怖そうなので、それ以上は突っ込まない……というか、突っ込めない。

 ちらりと、レナが顔を背けたまま、覗うようにこちらを見た。

「ツクヨミ先輩……来てたの?」

「え? ……あ、ああ。途中で会ったのか?」

「あ、会ってないわよ!」

「いや、なんでそんなにムキになって否定を……」

「うるさい! とにかく会ってないの!!」

「わかった! わかったって! 俺が悪かった」

 フウガは、慌てて両手を振った。

 なんだか知らずに、触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。

「……でも、そうなのね。どうせからかってるか、何かの冗談だと思ってたのに――先輩、結構本気なんだ……」

 さっきまで怒鳴っていたと思ったら、急にレナはぼそぼそと呟く。

 内容は聞き取れなかったが、その顔は、何故か少し思い詰めているようにも見えた。

「タマヨリ……?」

「別に何でもないって言ってるでしょっ。それより…………平気なの?」

「は? 何が……?」

「〜〜〜〜っ!」

 思わず怪訝な顔になると、一気にレナの顔に朱が差す。

(うわ……まずい……)

 ぶわっと額に冷や汗が浮かぶ。

 どうやら、またもや何か失言をしたらしい。

「いいから、平気がどうか聞いてるんだからとっとと答えなさいよ! ほら、早く! 馬鹿! あほ! のろま!」

「だ、大丈夫です! なんかわかんないけど、とにかく大丈夫!」

「だったら良し!」

 何故か命令形で言われて、「はあ……」とフウガは間抜けな返事をする。

 そして、ようやく気づく。

「あ、そうか。もしかしてタマヨリ、また心配をしてくれ……」

「っ! し、してない……!」

 と、途中まで否定しかけて、レナは言葉を飲み込む。

 その不自然な様子にフウガは眉根を寄せて、少女の顔を見上げた。

「ど、どうした?」

 すると彼女は、いきなり鼻先に指を突きつけてくる。

「――そうよ! 心配してあげたの!! …………だから」

 最後の方には勢いを失い、それでもレナは最後まで言ったのだ。

「一人で抱え込んで、無茶するんじゃないわよ……。呪いが解けるまでの仮かもしれないけど……私達、一応は仲間なんでしょ?」

「…………」

 決まりが悪そうに目を泳がせるレナを、フウガは驚きと共に見つめた。

 それは酷く胸を突く、何よりも痛い一言のように思えたのだ。

 自省の念と共に目を閉じる。

「ごめん。そうだな……俺達は……仲間なんだよな」

 改めて、その大切な……でも、妖魔への憎しみに駆られるあまりに忘れかけていた事実を呟く。

「――タマヨリ」

「な、何よ」

「もう特訓で、あんな無茶はしない。約束するよ。それで――許してくれるか?」

「べ、別に私は許すかと許さないとかそういうのはなくて……えっと、でも、まあ……い、良いわ、許してあげるわよ」

 レナはもじもじと俯いて言う。

 それに、フウガは安堵の微笑を浮かべた。

「ありがとう」

「れ、れれれ、礼なんか言わないでよ! なんか恥ずかしいでしょ!」

 顔を耳まで真っ赤にして、レナは慌てて背を向ける。

「そ、それに謝るなら私だけじゃなくて、ミカヅチ達とかスクナ先生にもでしょ! ほら、医務室に戻るわよ!」

「ああ、そうだな」

 頷いて、フウガは立ち上がる。

 そして、ふと――頭上を見上げた。

 鮮やかな赤色だった空は、夕闇へと色を変え始めている。

 あの日の……灰色の空とは似ても似つかなかった。

 だけど、少年は今も変わらず白の世界に居る。きっと、死ぬまではそれが変わる事はないだろう。

 しんしん、しんしん、と。

 あの残酷なまでに無垢な色の雪は降り続けるのだ。

 そして、フウガは誓う。

 例え、そんな世界に居ても、胸に宿るこの暖かい想いだけは守り抜こう――

 否。それは今、始まった誓いではない。

 九年前のあの日から在り続ける決意と覚悟だ。

 決して折れず、砕けず、消えず、頑ななまでに在るモノだ。

 何故なら、それこそがスサノ・フウガの――

「ほら、何をぼーっとしてるのよ! さっさと行くわよ、スサノ!」

「――ああ、悪い」

 レナの声に、己の内から意識を戻して、少年は歩き出す。

 決して遠くはないだろう、自身の終わりの訪れを、今もその背に感じながら――

お読み頂きありがとうございました。

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