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五章 心欠け、誓いは胸に宿る その一

 しんしん、と。

 しんしん、と。


 世界がその冷酷な顔を覗かせたかのように。

 空気が澄み、そして、張り詰めた冬の日。


 しんしん、と。

 しんしん、と。


 あの人が好きだった無垢な白色の雪が舞い落ちていた。

 忘れない。忘れた事はない。

 世界の色を奪わんと言わんばかりに降る雪も。

 肌を容赦なく刺す冷たい空気も。

 忘れるはずがない。忘れる事が許されるはずがない。


 しんしん、と。

 しんしん、と。


 そして。

 今もその雪は――止んではいなかった。


 * * *


「うっ! ぐああっ!」

 吹っ飛ばされて、受身を取れずに背中から落ちる。

「はっ、はあっ……」

 激痛に呻きながら、それでもフウガは身体を起こした。

 霞む視線の先には、ヒボコを手にし、すでに戦士の顔へと切り替わっているソウゴ。

 以前に皆で作った、簡易の訓練用舞台である。

 あの夢魔との戦いから、すでに六日が過ぎていた。あれからシラユリのものらしき事件も特には起きず、逆に不安を覚えそうなくらいに平穏が続いている。

 ウズメに勝つためにと始めたこのソウゴとの訓練も、すでに三回目を迎えていた。

 しかし、最初の訓練から変化は見られず、フウガが一方的にやられる光景だけを、見守るライ達は目にする事になっている。

「今日は、ここまでだ」

 フウガの様子はしばらく眺めた後、不意にソウゴは告げた。

「――ま、待ってください!」

 膝を突き、荒い息をしながら、フウガは叫ぶ。

「まだ……俺はやれます……っ」

「駄目だ。お前はもう限界だ、スサノ」

「いえっ、まだ……ですっ!」

 フウガは、すでに言う事を利かなくなっている身体を無理矢理に立たせ、剣を両手に構えた。

 だが、剣先は下がり、膝はがくがくと今にも折れんばかりに震えている。誰がどう見ても、訓練を続行出来る状態ではなかった。それでなくても、すでに以前の二回よりもかなり長時間、訓練を続けているのだ。

「ちょっと、スサノ! もうやめなさいよっ」

 さすがに見かねたのか、レナが制止する。

「…………」

 それでもフウガは断固として、舞台を降りなかった。

 ソウゴの目が険しく細まる。

「――馬鹿が」

 途端、彼の放つ威圧感が倍加した。同時に、〈龍脈〉より大量のプラナが汲み上げられていく。急激な力の高まりに、周囲で強く風が巻いた。

「――――っ?!」

 不可視の圧力に押されるように、思わずフウガは後退った。

 ぎしぎしと〈練守結界〉が悲鳴を上げ、見守るライ達も、只ならぬソウゴの様子に息を呑む。

 そこで、

「…………皆、下がって」

 フヨウが、普段とは別人のような鋭い声でそう呟いた。

 両腕が華麗に翻る。

「鋼閃、奔れ」

 次いで、口にされたのは〈具言〉。

 両手の五指、全てに収まっている美麗な銀色の指輪から極細の光が煌いた。それらは訓練を見守る者達の間を瞬く間に駆け巡る。

「え?」

 レナが怪訝な声を洩らしたのと、フヨウを除く舞台の外の全員の身体が舞い上がったのは、ほぼ同時だった。

「え、ええええ!?」

「ちょ、いきなり!」

「わわわっ!」

 いかなる〈言力〉を用いたのか、レナ、ゴウタ、ミヨがそれぞれ驚愕の声を上げ、ライ一人だけが平然とした様子で宙を舞う。四人の身体は、簡易舞台から十メートル以上も離れた位置へと移動すると優しく置かれた。そして、すぐに後を追うように、フヨウも後方に大きく跳躍する。

 そして、その直後。

「頭を冷やせ、スサノ」

 重い響きを持ったソウゴの声。

 次いで、汲み上げたプラナが収束された三つ又の槍が突き出された。

「――三連一牙、穿て!」

 三つの穂先から放たれる、三つの衝撃波。

 それは中空で交じり合い、絡み合い、螺旋を描く。

 足し算ではなく、掛け算的に破壊力を高めた一撃は、一直線にフウガへと突き進み――


 すぐ真横の空間を轟然と貫いた。


 僅かに衝撃が掠めたのか、頬が薄く裂け、鮮血が散る。

「――――っ!」

 破壊の〈言力〉は、少年の背後にあった結界の壁に激突し、せめぎ合い――そして、それすらも突き抜ける!

 舞台の端で力の余波が限界を越えて爆裂し、巻き上がる土塊と共に轟音を学園の敷地内に響き渡らせた。音が収まり、視界が開けたときには、舞台のすぐ脇の地面が冗談のように大きく抉れ飛んでいた。

「……む、無茶苦茶や……〈錬守結界〉を……」

 ゴウタが唖然とこぼす。

 その反応は、当然といえた。

 〈錬守結界〉は、複雑かつ大量の〈言紋〉によって構築された非常に強固な結界だ。注がれたプラナの量と発動した術者の力量によってその精度は大きく変わるとはいえ、今回、結界を展開したのは教官のフヨウである。その質の高さは疑うまでもない。

「――――」

 事が収まったと気づくと、急に全身が脱力し、フウガはその場に膝を折ってしまう。

 あの一撃。

 〈錬守結界〉すらも越えていく破壊力。

 まともに喰らっていれば間違いなく致命傷――下手すれば即死だったかもしれない。ソウゴには当てるつもりなどはなかったと理解出来ていても、噴き出す冷や汗と背筋を凍らせる悪寒はどうしようもなかった。

 淀んだ空気を払うようにソウゴは一度、大きく槍を振ると、身を翻す。

「己の限界も悟れぬ奴が、あのツクヨミに勝てると思うのか。下らない強がりを吼えるな」

「…………」

 ソウゴの辛辣な指摘に、返す言葉などない。

 それは事実であり、現実。

 結局は、焦りが己を見失わせていたのだ。

「くそ……っ!」

 舞台の床に拳を打ちつける。

 怒りは他の誰へでもなく、不甲斐ない自分自身へのものだった。


 ◇ ◇ ◇


「こんっの……馬鹿がっ! あれほど無茶はするなと言ったろうがあああああ!」

「いででででででででででで!?」

 凄絶かつ壮絶な関節技を、ヒナコに完璧に決められたフウガは、医務室で絶叫を上げる。すでに治療は終えた後だが、彼女自身がそれを台無しにしている感があった。

 フウガは、涙目になって何度も床を叩く。

「もう限界! 駄目! なんかもれなく駄目! スクナ先せ……うぎゃああああああああああああっ???!! …………ごふっ」

 ついに限界を迎えて、かくりと首の落ちたフウガをベッドの上へと放り出すと、ヒナコは次に医務室の端でびくびくと立っていたソウゴへと怒りの矛先を向けた。

「ソ・ウ・ゴォ……」

「……あ、あのスクナ先生……目が、目が尋常でなく怖い……」

 すでに分厚い眼鏡を掛け、普段の気弱な状態に戻っているソウゴは後退りながら、突き出した両手をわたわたと振る。

「アンタも! 少しは! 考えて行動しろおおおお!」

「いやあああああああああああああああああああっ!」

 再度、医務室を埋め尽くす叫び声。

「……鬼だわ」

 ぶるりと蜜色のポニーテールと身体を震わせて、レナが呟いた。

 他の者達はヒナコを止める事など出来るはずもなく、ただただ内心で合掌しながら地獄絵図を傍観しているしかなかった。ちなみにフヨウは例の如く、気づけばどこかへ逃げ去っていた。

 ――そして、数分後。

 二人の屍がそれぞれのベッドに転がってから。

 ヒナコは片方の屍に向けて、至極真面目な声を落とした。

「どうして、アタシの忠告を無視して無理をしようとした、スサノ」

 声には中途半端な答えを許さない強い響きがあった。

「…………それは」

 残る関節技の痛みで顔をしかめつつ、身体を起こしたフウガは唇を噛みしめた。未だ昏倒しているソウゴを見る限り、この事を問うために先ほどは手加減をしたらしい。

 数秒、逡巡した後。

「特別な事は何もありません。ただ少し……焦っていただけです」

「その焦った理由を、アタシは訊いている」

「…………」

「先日の夢魔の件か?」

「………俺は……呪い云々以前にオロチは受け入れられないんです」

 それだけ言うと、フウガは端に掛けていた上着を掴み、ベッドを降りる。

「ちょ、ちょっと。どこに行くのよ」

「……治療は終わっただろ」

 レナの問いに、簡潔に一言だけ返すと、フウガは足早に医務室を出て行く。ヒナコはそれを止めようとはせず、煙草を咥えたまま嘆息をもらしていた。

 そんな中、レナは何かを迷うように閉まった扉を見つめて――

「レナちゃん。行ってあげたら?」

 脇に居たミヨが、そんな風に促した。

「え、ええ? なんで私が? それならミカヅチ達に……」

「いいから、ね。行ってあげよう」

「あ、ミヨ! 待ちなさいって――」

 彼女に珍しく強引に背中を押して、ミヨはレナを医務室から追い立てる。そうして、再び扉が閉まった後、

「で……」

 ヒナコの赤瞳が、ライとゴウタへと向いた。

「アンタらなら、少しは理由がわかるんじゃないのか?」

 彼らは、先日の夢魔の事件でフウガと一緒に〈異界〉に巻き込まれている。この展開は、当然と言えた。

 二人もそれはわかっていたのか、困った顔で互いに視線を交わす。

「ええと、いや、まあ、それはそうなんやけど」

「親友としては、そう気軽には話せないというか……」

「そうか。じゃあ、君達にも楽しい関節技講座が待っているわけだが――」

 ぽきぽきと拳を鳴らしながら、ヒナコは満面の笑顔を浮かべた。

 天使のような悪魔の笑みである。

「「話します! 知ってる事全部話します!」」

 二人は、すぐさま異口同音で声を上げた。いっそ清々しいくらいの変わり身だった。

 それを見るなり、ヒナコは拳を下ろして腕を組むと、顎をしゃくる。

「そうか。じゃ、話せ」

「き、切り替え早ー……」

 ゴウタがぼそりと呆れたように言う。

 隣でライは銀の眉尻を下げながら、仕方なさそうに口を開いた。

「僕達もそんなに話せる事はないんですけど――どうやらフウガ、夢魔の幻術で過去を見せられたみたいなんです」

 ヒナコが眉根を寄せる。

「過去、を……?」

「もちろん現実のものではなく悪い形に改変されたものだと思います。幻術なんて……特に夢魔の扱うものに関してはそういうものでしょう」

 納得のいった様に、ヒナコは形の良い顎を撫でた。

「なるほどな……。あいつが焦る理由には十分か」

「あの……先生はフウガの昔の事……知ってるんですか?」

 あまりに理解の早いヒナコに疑問を覚えたのか、おずおずとゴウタが訊いた。

「ん? ああ、大体は知ってるぞ。そこでまだ死んでるソウゴもそうだろ。あいつは昔、ラシンの副官だったんだし。もちろん、スサノ本人から聞いたらしいアンタ達ほど詳しくじゃないけどな」

 ヒナコは、学園の騎士候補生達の健康を管理をしている。それは肉体面だけの事ではなく、精神面も含めてだ。ならば、そこに関わる情報を学園長などから知らされていたとしても何も不思議ではないだろう。

 だから、ライとゴウタも得心いったように頷き、そこにミヨが遠慮気味に声を挟んだ。

「あの……スサノ君の過去って……もしかして父親のラシンさんが引退する原因になったっていう……」

「……ああ、それだ。まあ、世間で流布している話以上に、いろいろと込み入った事情があってな。アタシからはそれぐらいしか言えないんだ。すまない」

「いえ。……なんとなくわかりますから」

 ヒナコの言葉の響きから何か察したものか、ミヨは深くは突っ込んで来ようとはしなかった。

 咥えた煙草を指で挟むと、ヒナコは紫煙をゆっくりと吐き出す。

「まあ、アンタやタマヨリ次第で、スサノの方からアンタ達に話してくれる事もあるだろう。それまでは、そっとしといてやってくれ」

 ミヨは、素直に首を縦に振った。

 それを見て、ゴウタが、ちょっとからかうように笑う。

「スクナ先生って、実は意外に優しいですよね」

「ほほう……しばかれたいか?」

「い、いえ、遠慮しますっ」

 盛大に笑顔を引きつらせ、ゴウタは顔の前でぶんぶんと手を振る。

「ったく。――まあ、スサノがオロチに対して、複雑な感情を抱くのはわからんでもないが……」

 一つ間を取って、ヒナコは、少年の前途を憂うように呟いた。

「押し潰されなければ……良いんだがな」


 ◇ ◇ ◇


「…………ふう」

 フウガは、屋上に居た。

 すでに山の向こうでは陽が沈み始め、赤色が世界を包んでいる。

 端に腰を下ろして、鮮やかな色で染まった天を仰ぐ。

 身体だけでなく、心も重かった。

「何をやってるんだか……俺は……」

 無意識に焦って、周りに迷惑や心配を掛けて……大馬鹿だ。

 身体の各所に未だ残る痛みが、そんな自分を責め立てている様で辛かった。

 ふと、右の手の甲に視線を落とす。

 そこに浮かぶ蛇の紋様は、オロチの呪いの証。

 あの日以来、フウガはオロチに声を掛ける事はなく、向こうも一言も喋る事はなかった。

 でも。

 間違いなくオロチは自分の中に居る。それがどうしようもなく苛立ちと憎しみを湧き上がらせた。

 その感情が自身の抑制を利かなくさせる。

 あんな無茶をさせようとしてしまう。

「シンラン教官の言う通りだ……頭を冷やせ、スサノ・フウガ」

 握った拳に掌を重ね、さらに強く握った。

 目を閉じる。

 精神鍛錬の授業で習った、心を落ち着けるための独特のリズムでの深呼吸。

 無心に、無心に、無心になれ。

 ずっとは無理でも、せめて今だけ。

 そうすれば、あの胸に蟠る暗い想いも少しは薄まってくれるだろう。

「…………はあ」

 ようやく落ち着いたかと思った所で。

 ぎぃっと僅かに錆びついた音を立てて屋上の扉が開いた。

「……………………あ」

 姿を見せたのは。

 ある意味、予想外で。

 ある意味、いつも通りに姿を見せた人物だった。

 そう。

 彼女はいつだって少年が傷ついたとき、追い詰められたときにやって来てくれる。手を差し伸べてくれる。だから、あっという間にフウガの中でその少女の存在は大きくなってしまうのだ。本当……卑怯なぐらいに。

「…………フウガ」

 少しだけ気まずそうに。

 でも、それでも、真っ直ぐに澄んだ黒瞳をこちらに向けて。

 ツクヨミ・ウズメは、夕暮れの風に黒く長い髪を靡かせていた。

お読み頂きありがとうございました。

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