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願望錯覚



 本は食べ物である。

 読むと心の栄養が摂取できて、気分が良くなるのだから、食べ物だと言っても間違いない。

 身体の栄養を摂取するのなら、カロリーメイトやらの健康栄養食品で充分だ。

 だから私は、今日も購買のパン屋さんに並んだりすることはなく、予め買っておいたカロリーメイト(プレーン味)を食べ終えてから読書に勤しむ。

 綺麗に食事をするのには理由がある。食べかすが、本に付くのが嫌なのだ。

 だけど、周りの目は気にしていないつもりではある。私の恋人は本だけだもの。

「いつも本読んでるよね、木山さん」

 突然声を掛けられて、咽た。口の中に残っていた食べかすが気管に飛び込んだようである。

 男子の声だ。話しかけられたことなんて滅多になかったから、驚きのあまり心臓がはちきれそうになった。

「あ、ごめん。大丈夫?」

 そこそこ大丈夫である。

 兎に角、自分を落ち着かせて相槌を打とう。読書の邪魔をされ続けては叶わない。

「こちらこそごめんなさい。大丈夫です、お気遣い感謝しますね」

 適当に微笑む。

 ――――さて、どうやって離れてもらおうか。昼食は摂ったのか。よし、これで行こう。

 言葉を発しようとして、大切なことに気付いた。

 相手の名前が分からない。

「木山さんはどんな本が好きなの?」

 私が必死に相手の名前を思い出そうとしていると、その相手から仕掛けてきた。

「ほら、ブックカバーしてるからどんな本読んでるか分からないんだよね。……気になってさ」

 気になる理由が分からなかったけど、適当に答えておくことにした。

「……宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』です」

「あ、やっぱりラノベとかじゃないんだ。何か嬉しいな」

「えっ」

 私が読んでいる本がライトノベルでなくて、どうして嬉しくなるのだろう。

 その答えは、訊いてもいないのに直ぐ返ってきた。

「僕、実は作家を目指しててさ。新人賞に応募する前に、作品の推敲を手伝ってくれる人を探してたんだ」

 ――――え?

「ラノベは書けないから、ラノベ読んでる人には頼めなくて……。

 だから良かった。木山さんが、ライトノベラーじゃなくて」

 ……まさかのまさかだ。身近なところに、こんな人間がいたなんて。

 考えたことはなかったけど、願望なら持っていた。自分の身の周りに、まるで小説のような世界が広がっていないか。

 まさにこの状況がそうではないだろうか。

 このままこの人の執筆する作品を推敲する人間になって、もしもこの人が有名な作家にでもなったら……私は一流作家のアシスタントになるわけだ。しかも、一流作家になるまでの道程に私というこの人を支える存在。

 まるで小説の様ではないか。

 幸い、私も色んな作品を読んできたから、悪い作品を売れるような作品にする自信はある。

 考え込んでいる内にチャイムが鳴ったらしく、細かいことは放課後に話し合うよう約束して、彼は自分の席へと戻っていった。

 席に戻った彼の方を呆然と見ていると、五時限目の担当教科の先生が来て、賑やかだった教室が段々と静かになっていった。「起立」の号令に反応して、私は立ち上がってから、あることに気付いた。

 ――――彼の名前訊くの、忘れてた。


 ※ ※ ※


 放課後になって、私は帰り支度を始めた。『銀河鉄道の夜』を鞄の中にしまいこむ。

 昼休み話しかけてきた彼が、また私の元にやって来た。

「どうせなら家来ない? 学校で話すだけよりは、作品も一緒に見てもらいたいからさ」

 五時限目の授業で考え至った通り、私はイエスの返答をした。


 学校から歩いて三十分ぐらいのところに、彼の家はあった。表札に「佐倉」と書いてあるのを、私は見逃さなかった。

 家に上がっても「おかえり」の言葉は聞こえてこなかった。どうやら両親不在みたいだ。

 そのまま佐倉君に連れられて、階段を上って彼の部屋まで進む。

「適当に寛いどいて。お茶、用意するから」

 彼は、自分の荷物と私を自室に置いて、直ぐに部屋から出て行った。

 普通のベッドに普通の勉強机。中央には、これもまた普通な折りたたみ式の木製机が広げられていた。

 ただひとつ普通でない感じがするのは、勉強机とは逆に位置した大きな本棚。ただ大きいだけじゃなくて、開閉式になっているガラス張りの物だ。

 文学的作品はあまりなくて、図鑑などの専門書がぎっしりと詰まっている。きっと、小説を書き上げるのに必要な資料だろう。

「お待たせ」

 急に後ろのドアが開いた。

 背中越しに振り向くと、お茶の入った二つのコップとチョコレート菓子でいっぱいのお皿をのせた茶盆を片手に、ドアを開けている佐倉君がいた。

「……ホントに待たせちゃったみたいだね、ごめん。気にせず座ってよ」

 苦笑いをして、彼は部屋の中央にある机に茶盆を置いた。そして、私に座るよう催促する。

 私は大きな本棚を背にして、正座した。

 佐倉君は、勉強机の上に置いてあった紙の束を私に渡してから、私と向かい合えるように勉強机の近くで胡坐をかいた。

「あ、楽にしていいよ。それ、僕が今度応募しようと思って書き上げた作品。

 読んでくれないかな。君の感想が欲しいんだ」

 右上がホッチキスで留められているその紙束の一枚目には、大きく縦字で「嘘というなの素顔 本当というなの仮面」とワープロで打たれている。

 そのタイトルから、最近の若者が購読しそうな印象を与えられた。

 昔の有名な作品を好む私は、今風の感じがするこの作品を、どうにも読む気になれなくなった。

「……今風のタイトルですね」

 伝わりにくい形で嫌味を言ってみた。

「まぁね。作家っていうのは、売れる物を書かないと成功しなからさ。

 僕なりに、人を惹きつけられそうなタイトルにしてみたんだけど……どうかな?」

「それにしては長すぎますね。読者が覚えやすいように、タイトルは短くした方が良いと思いますよ」

 ――例えば、「嘘の素顔 本当の仮面」。これならまだ覚えやすいだろう。

「なるほど……。ありがとう、参考になったよ。

 時間、掛かってもいいからさ、とりあえず全部読んでみて」

 この、如何にも好きになれそうにない作品を私が読んで、どうしろというのだろうか。「面白くない」の一言を感想に出来そうな気がする。

 だけど、これを読まないと作品の推敲は出来ない。ということは、佐倉君のアシスタントにはなれない。

 仕方がないという思いで、私は紙束の一枚目を捲った。


 一息ついて、気分を落ち着かせようとする。

 あれからどれぐらいの時間が経っただろう。窓を見てみると、外はもう暗くなっていた。

 読み終えた作品の表紙を、もう一度見直す。

 いつの間にかズレていたメガネを、人差し指で押し戻して、私は感想を一言でまとめた。

「……とても良かった」

「本当かい! ありがとう、嬉しいよ」

 満面の笑みで彼は言った。

 ――――直さないといけないようなところが数箇所はあったけど。

 ……まさかのまさかだ。身近なところに、こんな良い作品を書ける人間がいたなんて。

 これは将来が期待できる作品だ。私に言わせてみれば、直木賞レベルである。きっと、新人賞は大賞で通れる。

 でも、そうする為には必要不可欠なものがある――――

「……佐倉君?」

「ん」

 基本、推敲という作業は、書き手だけでは行えないものだ。だから書き手ではない、読者としてだけの感想が必要になる。そしてその読者が、本に詳しければ詳しいほど、作品が感想の影響を受ける場合、それが大きくなる。

「この作品の推敲、私にも手伝わせてくれない?」

 佐倉君は驚いたような表情をする。

「――――いえ、この作品だけじゃないわ……。

 これから君が行っていくことになる作品の執筆……全部、私にも手伝わせて欲しい」

 少しの間、沈黙が続いた。

 よく考えてみると、今の私の台詞はプロポーズにも取れないだろうか。そんなつもりは全くないけど、勘違いとかされたらどうしよう。なんだか不安になってきてしまった。

「……ありがとう。僕からも、是非お願いするよ」

 微笑みが返ってきた。妙に輝いている感じがした。

 そんな彼を見て、私はなぜか――安堵することができた。


 その日を境に、私は佐倉裕也と一緒にいるのが日常になった。

 朝の登校も。昼休みの食事も。放課後の読書にも。

 当たり前である。私は、この男の支えになる人間なのだから。

 最高傑作を完成させようと、二人で努力しながら、高校生活を送る。正に、小説のような毎日だ。

 どんな時でも、隣に彼がいる。

 佐倉君と関係をもってから、いつもひとりだった私の世界から、なぜか暖かみを感じるようになっていた。

 今までとは違う。自分の周りの空気が、ドンドンと良い方向に向かってる。そんな気がするのである。

 しばらくして、お互いに自分のことを深く話し合うようになった。

 その時に初めて知ったのだけど、どうやら佐倉君も私と同じで、いつもひとりっきりで読書をしていたそうだ。それを聞いて、私も自分の過去を話した。それからまた、より一層関係が深くなった気がする。

 孤独だった読書家。似た者同士の私たち。

 昔とは違う日々を繰り返していく内に、そんな二人が”付き合う”ようになるまで、そう時間はかからなかった。


 ※ ※ ※


 完成した裕也の作品は、見事大賞に選ばれた。

 テレビやCMで話題に取り上げられ、一躍有名になった。売れた部数も凄いらしい。

 受賞作である『嘘は素顔 真実は仮面』は、彼が高校一年生の時に考えた物だ。私と裕也で完成させた、最高傑作である。

 二人で歩んできた今までの時間を思い返してみると、懐かしく感じる。まだそんな歳ではない筈だけど。

 受賞の通知が来た時は、二人で歓喜した。その夜は二人っきりで過ごしたのを、よく覚えている。私にとって、良い記憶だ。

 佐倉裕也がこうして作家デビューを果たしたのは、私と彼が高校三年の頃。寒い冬だった。


 卒業して、私たちは直ぐに結婚した。

 親の反対も覚悟していたけど、裕也の名声が、それをなくした。賞を得た上に、その小説が大いに売れたのだから、当たり前ではあるだろう。彼は、安定した収入を期待されているわけだ。

 そんな夫に、私も実は期待していた。期待に胸膨らませていた。

 ――次は、どんな作品を見せてくれるのだろうか。どんな世界を私に見せてくれるのだろうか、と。

 本が売れたお金で式を上げて、二人でマンションの一室を買った。

 子宝には恵まれなかったけど、パソコンのワープロで執筆を行っている裕也をサポートする毎日は、幸せな気分だ。

 また凄い小説が作られようとしていて、その過程に自分という人間の存在。そのことを感じることができる毎日が、私にとっての至福だ。周りからは「良いお嫁さん」と言われて、夫は「天才作家」と謳われている。

 デビューした裕也の初仕事は、長編の連載だった。

 二人でテーマを立てて、プロットを構成していく。大体は彼が考えて、私はそれにアドバイスなどを付け加えていくだけだ。夜遅くまで続いていた企画会議は、とても楽しく進んでいたのだが――――

 しかし、大きなトラブルが発生する。

 

 ――――裕也が突然、プロットや文章を考えられなくなってしまったのだ。

 予想外のスランプだった。

 私はすぐに彼を精神科に連れて行った。だけど、原因は分からなかった。

 作家にとって長期のスランプは致命的だ。作品が執筆できなくなった以上、収入も入らない。入ってくれるのは既存品の印税だけだ。

 私は、焦りと絶望で、頭の中が一杯になった。

 何とかスランプを打開しようと、気分転換に裕也を連れて色んなところへ出かけた。山や海、新婚旅行で訪れた旅館。そうしている内にお金もなくなって、借金をしてでも旅行を繰り返した。

 だけど、何の変化もなかった。

 裕也もスランプから脱出しようと必死になっていた。永遠とパソコンのディスプレイを前に、悩む日が続いた。

 そのまま私たちの結婚生活は二年目に突入した。

 スランプとの闘いに疲れ果てた裕也は作家を辞めて、趣味での執筆をし始めた。私は、そんな彼を見守りながら支えることにした。

 一ヶ月ぐらい経ってから、裕也の執筆してるものがどんな作品か気になって、彼が出掛けてるときにこっそりと確認してみた。

 ――――遺書だった。


「拝啓、愛する麻由華へ。

 僕はもう駄目です。きっと、もう君を幸せにすることはできません。

 申し訳ないとは思っています。ですが、生きることに疲れました。

 さようなら。」


 次の日、「佐倉裕也は自殺した」と知らされた。


 ※ ※ ※


 風当たりが良い。今日の風は冷たいけど、気持ち良い気がする。

 遠いところから喧騒が聞こえる。でも、私には関係のないことだ。

 空をバックに、一冊の本を読み終えた。閉じて、裏表紙をしばらく眺める。

 借金取りがそろそろ帰る頃なんだろう。野太い男の声が、微かに鼓膜をくすぐって、耳障りだ。

 ――――どうして私は、彼を好きになってしまったのだろう……?

 佐倉裕也のいいところを、頭の中で箇条書きにしてみた。その数、三つ。優しい、顔つきが綺麗、愛撫が上手だった。

 ……分からない。私はどうして彼に惚れてしまったのだろう。彼のいいところなんか、数えるぐらいしかないのに。

 いや、そもそも。私は本当に彼のことが好きだったのだろうか。彼との思い出を振り返っても、私が今ときめくものはない――――

「あ」

 大切なことに気が付いた。だけど、風が私を押し出した。

 街が、逆さに見えてきた。風圧で、メガネが飛んでいってしまった。

 急に寒くなって、あの男の作品を強く抱いてみた。とても暖かかった。

 今から死ぬことを、やっと身体が実感してきた。

 私は……佐倉裕也を愛していたんじゃなくて、きっと――――


 ――――彼の作品を愛していたんだ。



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― 新着の感想 ―
[一言] 読みやすくて一気に読ませていただきました。これからも頑張ってください!
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