危うい新人
赤城烈志が目を覚ましたとき、時計は7時50分を指していた。
「やべぇ、寝坊した!」
慌てて飛び起きる。朝礼は8時からだ。いつもなら6時には起きて、軽く体を動かしてから朝食を取るのに。
昨夜遅くまで、誇と新人の鏡昴の戦闘記録を見ていたせいだった。
シャワーも浴びずに制服に着替えながら、烈志は昨夜の映像を思い返していた。
異常だった。
誇は組織内でも上位の実力者だ。傲慢の半魔として、絶対的な自信と それを裏付ける実力を持っている。いくら本気では無いといえ誇を、新人が一方的に圧倒したのだ。
しかも、欲望解放すらせずに。
バリアの展開タイミング、槍の精度、そして何より——あの冷静さ。まるで誇の動きが全て見えているかのような余裕。
烈志は首を振った。確かに強い。だが、それ以上に危険な匂いがする。
部屋を出てエレベーターに乗りながら、烈志は決意を固めた。この新人には、直々に指導をつける必要がある。
朝礼に滑り込んだ烈志を、根倉局長が苦笑いで迎えた。
「おはよう、烈志。珍しく遅刻だね」
「すいません。昨夜遅くまで新人の戦闘記録を見てまして」
烈志は周りを見回した。そこに鏡昴の姿を見つける。
整った顔立ち、背筋の伸びた立ち姿。一見すると模範的な青年だ。しかし、烈志の目には別のものが見えていた。
表面の下に隠された、計り知れない何か。
朝礼が始まり、昴の紹介が行われる。本人の挨拶は礼儀正しく、謙虚で、好感の持てる内容だった。
だが、烈志は違和感を覚えていた。
昨日の戦闘記録で見た昴と、目の前の昴。あまりにも印象が違いすぎる。
朝礼後、烈志は根倉局長に近づいた。
「局長、新人の指導は俺がやらせてもらいます。良いですね?」
「烈志が? そりゃ願ったり叶ったりだけど。自分から言い出すなんて珍しいね」
「あいつ、早死にしそうなんですよ」
根倉が眉をひそめる。
「どういうこと?」
「昨夜の戦闘記録を見ました。確かに強い。でも、あれは危険です」
烈志は声を低めた。
「あの余裕、あの冷静さ。16歳の新人が見せるものじゃない。きっと何かが欠けてる。そう思うんです」
「欠けてる?」
「はい、恐怖心です。彼にはそれが無い」
烈志は断言した。
「誇の高速移動を、振り返りもせずに防いだ。普通なら、少しは動揺するはずです。でも、あいつは最初から最後まで、まるで散歩でもしてるみたいだった」
根倉が深刻な表情になる。
「そう言われれば、そうとしか思えないねぇ」
「ええ。恐怖心のない戦士は、いずれ致命的なミスを犯します。だから俺が直々に指導します。必要なら、深化も使って」
根倉が驚く。
「深化まで? 新人相手に?」
「それくらいしないと、あいつは危機感を覚えない」
烈志は真剣だった。
「分かった。任せるよ」
基礎体力測定の結果は、予想通り平凡だった。むしろ、平均以下と言ってもいい。
しかし、昴は動揺を見せない。まるで、自分には体力など必要ないと考えているかのようだった。
その姿勢に、烈志の警戒心が増す。
「次は、能力の制御訓練だ」
訓練場の中央に向かいながら、烈志は昴を観察していた。歩き方、姿勢、表情——すべてに無駄がない。
「昨日はバリアと槍を使ったらしいが、他にも何かできるか?」
「えーっと……よくわからないです」
烈志は、その言葉に違和感しか感じなかった。あれほどの制御能力で、まだよくわからないというのだから。
「なら、実戦で確かめるのが一番だな」
烈志は、ニヤリとしながら別のことを考えていた。本当に自分でも能力の底がわからないのか……それとも嘘をついているのか。見極めさせてもらおう。
「実戦って……」
「俺と手合わせだ。手加減はしねえぞ」
昴に欲望解放を促したが、首を振られた。
「まだ変身の仕方がよくわからなくて」
その瞬間、烈志の中で何かが弾けた。
「欲望解放もしない舐めた態度で、俺の扱きに耐えられると思ってるのか!?」
それは怒りというより、危機感だった。この新人は、自分の力を過信している。そして、それは死に直結する。
「欲望解放」
烈志の全身が炎に包まれる。訓練とはいえ、本気だった。
「行くぞ!」
炎を纏った拳を振るう。しかし、透明なバリアに阻まれる。
昴は、微動だにしない。
それでも、烈志は連続で攻撃を入れた。炎弾、連続拳、足技——しかし、すべてバリアで防がれる。
そして、昴の反撃が始まった。
槍が虚空に現れる。それも一本ではない。氷、炎、雷——様々な属性の槍が次々と生み出される。
烈志は炎の壁で防いだが、内心では驚愕していた。これほどの多彩な能力を、初心者が使いこなせるはずがない。いや、目の前で魅せられているのだが、信じられなかった。
さらに驚いたのは次の瞬間だった。
椅子とテーブルが現れ、昴がそこに座り込んだのだ。まるで観客席から戦いを眺めるかのように。
そして、極めつけは——
もう一人の烈志が現れた。
欲望解放した状態の、完璧なコピー。それが本物の烈志に攻撃を仕掛けてくる。
「なんだこりゃあああ!?」
烈志は混乱した。自分と戦うという奇妙な状況に、戦術も何もあったものではない。
しかし、戦ってみるとハリボテも良いとこだった。自動操作なのだろう、動きが単調で、読みやすい。槍との連携は確かに脅威だが、致命的では無い。
烈志が、本当に驚いたのは別のことだった。
昴の表情である。
椅子に座って高みの見物を決め込む昴の顔には、わずかな緊張感もない。むしろ、退屈そうですらある。
これは危険だ。
烈志は確信した。この新人は、戦いを舐めている。自分の力を過信しすぎている。
「参った参った! 今の状態じゃ、手も足も出ないわ」
烈志は一度戦いを止めた。そして、根倉局長に視線を送る。
「良いよな? 局長」
局長も同じことを考えていたようで、小さく頷いた。
「まぁ、ちょっと調子乗り過ぎかなぁ。お灸据えちゃって良いよ」
許可が出た。
烈志は昴に向き直る。ニヤリと笑って宣言した。
「深化」
その瞬間、烈志を包む炎が変質した。赤から青へ。温度は数倍に跳ね上がる。
これが深化——憤怒の感情をより深く、より強く発現させる技術。
烈志の本気だった。
「気張れよ、さっきの俺の数倍強いぞ」
烈志は突進した。
昴が慌ててバリアを展開するが、青い炎の前では紙同然。バリアは一瞬で融解した。
そして——
昴が素手で、烈志の拳を受け止めた。
ジュウジュウと肉の焼ける音。焦げる匂いがあたりに立ち込める。
烈志は愕然とした。
なぜ素手で受け止めた? バリアの展開はどうした。避けろよ!? 転がってでも逃げろよ!
だが、昴の表情は変わらない。痛みに顔を歪めることもなく、ただ静かに烈志を見つめている。
異常だった。
普通の人間なら、悲鳴を上げるレベルの火傷だ。しかし、昴は眉一つ動かさない。その上で、炭化しかけた右手で、烈志の拳を離さないとばかりに握り込んでくる。
それとほぼ同時に、昴の左手に槍が現れ始める。その槍を生成しながら、左手で烈志を殴り飛ばす。
至近距離からの一撃。堪らず、烈志は吹き飛ばされた。
これ以上は危険だと判断して、変身を解いて駆け寄る。昴の右手は確かに、炭化寸前まで焼けていた。だが、駆け寄ってみた時には、ギリギリ元に戻りそうな火傷で済んでいた。
当の昴は、立って微笑んでいた。
「お前、すげぇな!」
烈志は素直に賞賛した。しかし、内心では複雑だった。
この根性は本物だ。だが、同時に危険すぎる。
痛みを感じないのか? それとも、感じていても我慢しているのか?
どちらにしても、普通ではない。もはや根性でどうにかなるレベルを超えている。
「こんな根性あるやつ、見たことねぇ!」
烈志は昴の肩に手を回した。医務室まで連れて行く。
何かがある。この新人には、何か深い問題がある。
医務室に昴を預けると、烈志は局長の元へ向かっていた。
「局長、すみませんでした。あれはやりすぎでしたね」
「いや、何な行動するとは思ってなかったからしょうがないよ。結果的にそこまでの怪我じゃなかったし。で、どうだった?」
「正直言ってよくわかりません。ですが、危なかっかしくてほっとけないやつってことはわかりました」
「確かにあの反応は異常だよね」
根倉が深刻な表情で言う。
「素手で受け止めるなんて、普通は思いもしない。それに、顔色ひとつ変えないなんて」
「ええ。おかしいです」
烈志も同感だった。
「心に何か深い傷を負ってるのかもしれない」
根倉が推測する。
「母親を失ったばかりだからな。感情が麻痺してるのかも」
「だとしたら、しっかりサポートしないといけませんね」
烈志は決意を新たにした。
「ああ。頼むよ、烈志」
医務室から帰ってきた昴を烈志は、会議室へ案内する。
昴は怪我で訓練を行えない為、烈志は半魔の基礎知識を教えることにした。
「まず、半魔の能力について説明する」
ホワイトボードに図を描きながら、烈志は話し始めた。
「半魔になると、基本的な身体能力や回復力が上がる。お前の身体能力はまぁ……アレだが。戦闘状態としては、欲望解放が有る。そしてその先の深化、昇化だ」
昴が真剣に聞いている。しかし、メモを取ろうとして、手が使えないことに気がつく。
烈志は、完璧じゃなくて天然なところもあるんだなと、父性をくすぐられてしまう。
「欲望解放をすると、枢要罪に応じた姿に変化して、回復力と身体能力、そして固有の能力をより強化される」
昴が、欲望解放を支えていれば怪我をさせることもなかったのに。指導するものとしては失格物の思考が、烈志の頭をよぎってしまう。
「深化と昇化……それは、欲望解放と何が違うんですか?」
「そうだなぁ。深化は、枢要罪の感情をより深く、より強く発現させること。俺がさっき使ったのがそれだ」
烈志は自分の手に小さな青い炎を灯して見せる。
「憤怒をより深く感じることで、炎の温度が上がる。破壊力も格段に増す」
「すごいですね」
昴が感心したように言う。その表情に、嘘はないように見えた。
「一方、昇化は枢要罪の感情を昇華することだ」
「昇華……」
「例えば、根倉局長は怠惰の半魔だ。よりだらける為には、効率よく仕事をすればダラダラする時間が増える。みたいな感じだ」
昴が驚いたような表情を見せる。
「局長って怠惰の半魔だったんですか?」
「そうだ。あの人は本来、何もしたくない人間なんだ。でも、あの人がいないと大勢が死ぬからなぁ」
烈志は他の例も説明した。
「高城誇は深化。より傲慢になることで、絶対的な自信と戦闘力を得る」
「じゃあ、俺との模擬戦も手加減してたってことですか?」
「まぁそうだな。でも、通常解放でやれる範囲のことはしていたから、誇って良いぞ。誇だけにな。悔しいか?」
「はい、少し」
昴は、少しだけ顔を歪ませて答える。
人間らしい感情は、しっかりある。それゆえに、戦闘時の異常さが際立つ。しっかり見極めないといけない、烈志はそう思った。
「じゃあ強くならなきゃな」
烈志は、昴の頭を優しくポンポンと撫でながら言った。
「続けるぞ? そして重要なことなんだが——深化と昇化は、どちらか一つしか使えない」
昴が顔を上げる。
「選ぶことはできないのですか?」
「選ぶんじゃない。その人の性格、経験、価値観によって決まるんだ。すでに決まっていると言ってもいい」
烈志は昴を見つめた。
「お前も自分自身と向き合って、ゆっくり答えを見つけていけば良いさ」
烈志は時計を見て言う。
「今日の座学はここまでだ。明日からは、もう少し実践的な訓練をしよう」
昴が立ち上がる。包帯を巻いた手が痛々しい。
「昴」
「はい」
「今日はやりすぎて悪かった。だが、それでお前の根性は分かった」
烈志は真剣な顔で続けた。
「ただし、無謀と勇敢は違う。次からは、もう少し頭を使え」
「分かりました」
昴が素直に答える。
しかし、烈志には確信があった。
この新人は、また同じことをする。
痛みを感じないのか、それとも感じていても表に出さないのか——どちらにしても、危険すぎる。
母親を失ったばかりの16歳の少年。心に深い傷を負っているに違いない。
だからこそ、しっかりとサポートしなければならない。
烈志は決意を新たにした。この新人を、一人前の半魔に育て上げる。そして、その心の傷も癒やしてやる。
それが、指導者としての責任だった。
昴が教室を出て行くのを見送りながら、烈志は考えていた。
虚飾の半魔——前例のない存在。
どんな未来が待っているのか、予想もつかない。
だが、少なくとも今は、この少年を支えることが自分の役目だ。
明日もまた、厳しい訓練が待っている。
烈志は拳を握った。炎が小さく燃え上がる。
この新人を、必ず一人前にしてみせる。
そう心に誓いながら、烈志もまた教室を後にした。
アニキィ




