今度は祝福されて
竜司は、傭兵として世界中の戦場を転々としていた。
アフリカ、中東、東欧。紛争地域には必ず彼の名前が上がる。
「不死身の竜司」
そう呼ばれていた。
実際、彼は何度も死にかけたが、その度に生き延びてきた。運がいいのか、それとも単に強いだけなのか。自分でもわからなかった。
ただ、戦うことしか知らなかった。
それが、彼の生き方だった。
二十八歳の夏、竜司は日本に戻ってきた。
次の仕事まで少し時間があったからだ。
東京の安いホテルで、一人ビールを飲んでいると、誰かがドアをノックする。
「誰だ」
竜司は、警戒する。
誰も、自分の居場所を知らないはずだった。
「鏡昴と申します。少し、お話をと思いまして」
女の声だ。それに若い。
竜司は、ドアを開ける。
そこには、20にも満たない女性が立っていた。
長い黒髪で整った顔立ちをしている。スーツ姿で、笑顔を浮かべていた。
「何の用だ」
「お仕事の話です」
「仕事?」
「はい。松元竜司さん、私達にはあなたの力が必要なんです」
女性――昴が、名刺を差し出す。
竜司は、それを受け取る。
「八罪管理局……?」
「はい。表には出てこない組織です」
「表に出せない?」
竜司は、眉をひそめる。
「何の冗談だ」
「ああ、非合法組織ではありませんよ」
昴が、真剣な顔をする。
「むしろその逆。差し迫った脅威から人類を救うべく、発足された政府直轄組織です」
「……」
竜司は、黙り込む。
正直、信じられなかった。
でも、昴の目は本気だった。
「お願いします。あなたのような戦闘能力の高い人材が必要なんです」
「断る」
「どうしてですか?」
「俺は、人間を殺すために戦ってきた。守るための戦い方など知らない」
「……そうですか」
昴が、残念そうな顔をする。
「でも、また来ます」
「来るな」
「来ます」
昴が、笑う。
そして、去っていった。
竜司は、ドアを閉める。
「……変な女だ」
そう呟いて、また酒を飲んだ。
それから、昴は毎日のように竜司を訪ねてきた。
最初は無視していたが、だんだん面倒になってきた。
「なんで、そんなに俺にこだわるんだ」
竜司が、ある日聞いた。
「あなたが必要だからです」
「他にもいるだろう」
「あなたほど強い人は、いません」
「……」
竜司は、昴の顔を見る。
本気だ。
この女は、本気で自分を必要としている。
「……わかった」
「本当ですか!」
昴が、目を輝かせる。
「ただし、条件がある」
「なんでしょう?」
「給料は、今の倍」
「わかりました」
「それと、いつでも辞められる」
「……それも、わかりました」
昴は了承する。
竜司は、溜息をつくと呟く様に言った。
「根負けしたよ」
「ありがとうございます!」
昴が、満面の笑みを浮かべる。
その笑顔を見て、竜司は少しだけ悪くないかもしれないと思った。
管理局に入ってから、竜司の生活は一変した。
魔物との戦闘は、人間相手とは全く違った。
理性がない。本能だけで動く。
だからこそ、読みやすくもあり、読みにくくもあった。
でも、竜司は順応した。彼は、戦うことにかけては天才的だった。
そして――彼女に出会った。
蘭堂紅葉。
管理局の事務職員だ。
最初に会ったのは、食堂だった。
「あ、新人さんですか?」
明るい声で話しかけてきた女性。
茶色の髪に、優しい顔立ち。
「ああ」
「私、蘭堂紅葉です。よろしくお願いします」
「松元竜司だ」
「竜司さんですね。よろしく」
紅葉が、笑う。
その笑顔に、竜司の心が少しだけ温かくなった。
それから、二人はよく話すようになった。
食堂で、廊下で、屋上で。
紅葉は、いつも明るかった。
竜司の暗い過去も、笑って受け止めてくれた。
「大変だったんですね」
「……ああ」
「でも、今は違います」
「違う?」
「今は、ここにいる。私たちと一緒に」
紅葉が、笑う。
竜司は、その笑顔に救われた気がした。
そして――気づいたら、恋をしていた。
でも、言えなかった。
自分は、いつ死ぬかわからない。
紅葉の重荷になりたくなかった。
紅葉も、同じように感じていた。
二人とも、お互いの気持ちを知っていた。
でも、踏み出せなかった。
そんな関係が、数年続いた。
ある日、紅葉が倒れた知らせが届く。
竜司は、すぐに駆けつけた。
「紅葉!」
「大丈夫……ちょっと、気分が悪くて」
「医務室に行くぞ」
「うん……」
竜司は、紅葉を抱きかかえて医務室に向かった。
診察の結果――。
「妊娠しています」
医師の言葉に、竜司は固まった。
「……何?」
「妊娠です。おそらく、三週間ほど」
「そんな……」
紅葉が、青ざめる。
竜司は、紅葉の手を握る。
「どういうことだ」
「わかりません……心当たりが……」
医師が、カルテを見る。
「魔物の発生記録があります。インキュバス型の魔物がご自宅の周辺で」
「……!」
竜司の顔が、歪む。
インキュバス、色欲の魔物だ。
能力次第では、気づかれずに襲うことも可能だろう。
「くそっ……!」
竜司は、壁を殴る。
「そういうことか……!」
「竜司さん……」
「なんで紅葉が!」
竜司は、自分を責めた。
紅葉が、竜司の手を握る。
「自分を責めないで」
「……え?」
「この世界に足を踏み入れた時から、いつか襲われることも覚悟していました。生きているだけ儲け物です」
「でも……」
「それに、この子は、私の子です」
紅葉が、決意を込めた目で言う。
「絶対に産みます」
竜司は、紅葉の目を見る。
「わかった」
竜司は、頷く。
「俺も、一緒に育てる」
「……本当に?」
「ああ。お前と、この子を守る」
竜司が、紅葉の手を強く握る。
紅葉が、涙を流す。
「ありがとう……」
二人は、抱き合った。
管理局は、紅葉を全力でサポートした。
医療体制を整え、住居を用意し、精神的なケアも行った。
昴も、頻繁に紅葉を訪ねてきた。
「調子はどう?」
「はい、おかげさまで」
「それは良かった」
昴が、笑う。
でも、竜司は昴を睨んでいた。
「局長、ちょっといいか?」
「何?」
「話がある」
「……わかった」
昴が、立ち上がる。
「紅葉、ちょっと席を外すね」
「はい」
廊下に出るなり竜司は、昴の襟首を掴むと壁に押し付けた。
「おい」
「何?」
「お前、未来を少し知ってるって聞いたぞ」
「……」
昴が、黙る。
「だったら、なんで紅葉を守らなかったんだ!」
「……」
「答えろ!」
竜司の拳が、昴の顔に向かう。
しかし、皮膚にあたった感触がない。
直前で見えない何かに、阻まれている。
「くそっ……!」
それでも竜司は、何度も殴る。
昴に傷一つつかないというのに殴るのを辞めない。
「ごめんね」
昴が、静かに言う。
「私は、私はどうしてもあの子に会いたいんだよ」
「……何?」
「紅葉のお腹の子に、会いたいの」
昴が、目を真っ赤にして言う。
「だから、防がなかった。ごめんね」
「お前は人でなしだ」
竜司は、それだけ言って拳を下ろす。
昴を見て、それ以上責めることができなかった。
「本当に、ごめん」
昴が、頭を下げる。
「子供には会わせない。それがお前への罰だ」
それだけ言って、竜司は病室へ戻っていった。
それから数ヶ月後、紅葉は無事に女の子を出産した。
名前は、珠洲。
竜司と紅葉は、珠洲を大切に育てた。
それはもう愛情たっぷりに。
でも――。
珠洲は、大きな感情を見せなかった。
笑わない。
ただ、じっとこちらを見るだけ。
おむつや空腹時のせい理的不快感以外で泣くこともない。
子供として不気味以外の何者でもなかった。
紅葉は、それでもお腹を痛めて産んだだけあり可愛がったが、竜司は心の何処かで不安があった。
魔物の子だから……紅葉には決して言えないが。
それは二歳になっても、変わらなかった。
竜司は、ずっと不安だった。
「大丈夫か……」
「大丈夫よ。ゆっくり成長しているだけよ」
紅葉が、励ます。
でも、竜司は不安だった。
そして――昴を頼ることにした。あれだけ会わせないと言ったくせに。頼りたくはなかったが、頼るしかなかった。
「局長」
「何?」
「珠洲の様子を、見てくれないか」
「……いいの? 私は願ったり叶ったりな感じだけど」
竜司が、頷く。
「ああ、頼む。発育が遅れてるんだが、それが魔物関連なんじゃないかって不安でしょうがないんだ」
そう言って竜司は、昴を珠洲のいる部屋に案内する。
「こんにちは、珠洲ちゃん」
昴が、珠洲に話しかける。
珠洲は、じっと昴を見る。
そして――。
「あ……」
珠洲が、声を出した。
「え……?」
竜司が、驚く。
「あ、あ……」
珠洲が、笑う。初めて、笑った。
「きゃっきゃっ」
珠洲が、 昴は向けて手を伸ばす。
昴が、珠洲を抱き上げる。
「よしよし」
昴が、優しく割れ物を扱うかの様に抱きしめる。
そして――昴の目から、涙が溢れた。
「う……」
昴が、嗚咽を漏らす。
「局長……?」
「ごめん……ちょっと……」
昴が、珠洲を抱きしめたまま泣き続ける。
竜司は、その姿を見て――。
昴が、どれだけ珠洲を愛しているのか、理解した。
「局長……」
「ごめん……会いたかったの……ずっと……」
昴が、泣きながら言う。
「珠洲……珠洲……君はこんな小さな時から、本当に可愛いねぇ」
昴が、何度も名前を呼ぶ。
珠洲は、昴の顔を触りながら笑っていた。
竜司は、その光景を見て――。
自分の中にあった恨みが、消えていくのを感じた。
「……ありがとう」
竜司は、そう言った。
昴が、顔を上げる。
「え……?」
「珠洲を、笑わせてくれて」
「……」
「それに、紅葉に珠洲を産ませてくれて」
竜司が、頭を下げる。
「ありがとう」
「……こちらこそ」
昴が、涙を拭く。
「ありがとう。珠洲に会わせてくれて」
二人は、笑い合った。
そして――珠洲も、笑っていた。
初めて見せた、本当の笑顔だった。
珠洲に会えてよかったね




