ヒーロー
(やばぁ、誇さん食われたよ)
《やばい言うてる場合か?》
(いや、もうそれしか感想浮かばんて。どうするのこの状況)
誇が――食われた。
暴食のオークの口の中に、丸ごと飲み込まれて、消えた。
喉がごくりと動いて、それで終わり。
あっけないもんだ。あれだけ最強を自負していた誇さんが、まさかこんな呆気なく。
《まぁな。おまけにあれ、依里が魔物になるぞ》
(ん? ああ、そうだね)
《そうだねって……》
視線を依里に向ける。
案の定、彼女の体は黒い霧に包まれ始めていた。
絶望。悲しみ。憂鬱。兄を失った妹が、感情の閾値を超えて、魔物化する。
最近になって、何度も見てきた光景だ。もう、驚きもしない。
(あーもうおーしーまーいーだー)
《お前、感想軽すぎだろ》
(だって本当にそうじゃん)
私は心の中でポン吉と会話しながら、冷静に状況を分析する。
オークは、誇を食ったことで満足げにしている。でも、その体には傷がある。私たちの攻撃で、確実にダメージは入っている。
もう少し。もう少しで、倒せそうだ。
(と言いつつもう少しで暴食倒せそうだし、依里をぶつければよくね?)
《ありよりのあり。でも素直にやり合うか?》
(暴食は誇を食った張本人だし、順当に考えたらそっち行くでしょ)
《いやぁ、あいつ歪んでるし、「力が足りなかったお前らのせい」とか言ったらどうするん?》
(……あー)
ポン吉の言葉に、私は思わず考え込んだ。確かに。依里は、兄に異常なまでに執着していた。ブラコンなんてレベルじゃない。完全に依存していた。
そんな彼女が魔物化したとして、誰を憎むか。
オークか? それとも――助けられなかった私たちか?
(んじゃ魔物化完了する前の苦しんでる最中だし、サクッとやっちゃうか)
《おま、血も涙もねぇな》
(いや、乙葉の安全より大事なもの存在しないから)
私は虚空から剣を生成した。
依里は、今まさに魔物化の最中だ。黒い霧が、彼女の体を包み込んでいる。髪が濡れたように垂れ下がり、下半身が鱗に覆われ始めている。
バンシーだ。憂鬱の魔物。
でも、まだ完全には変わっていない。今なら――今なら、まだ人間の部分が残っている。
(ごめんね、依里ちゃん)
心の中で謝りながら、私は剣を振り上げた。
依里は、私に気づいていない。いや、気づいているのかもしれないけど、もう何も見えていないのかもしれない。
彼女の目は虚ろで、ただひたすらに「兄さん、兄さん」と呟き続けている。
剣を振り下ろす。
依里の首が、地面に落ちた。
黒い霧が、音を立てて消えていく。依里の体が、ゆっくりと倒れる。
「依里ちゃん!!」
乙葉の悲鳴が、響いた。
(あー、やっちまったなぁ)
《お前が決めたことだろ》
(分かってるって)
私は剣を虚空に還しながら、乙葉の方を見た。彼女は、座り込んで泣いている。
変身も解けて、ただの可愛い女の子に戻っている。
「え……? え……?」
乙葉が混乱している。当然だ。
目の前で、誇が食われて、依里が魔物化して、そして私が依里を殺した。
この一連の流れを、全て見ていたのだから。
「もういや、もういやだよ……」
乙葉が泣きじゃくる。その声は、壊れかけている。
「もう無理。無理なの。耐えられない」
(え?)
「ねぇ昴、何もかもほっといて2人っきりで逃げよう。魔物も人もいないどこか遠くに。私昴まで居なくなっちゃったら……」
乙葉が、私を見上げる。涙でぐしゃぐしゃの顔で、それでも必死に笑おうとしている。
ああ、ダメだ。
その顔を見たら、私は――。
(……答えは、一緒に行こう一択だよな!)
《じゃあなんですぐ言わないんだ?》
(だって、これは乙葉の本心じゃないだろ? だから……)
私は、言葉に詰まった。逃げる? 乙葉と二人で? それは――それは、確かに魅力的だ。でも――。
数秒間、沈黙が流れる。
乙葉が、ふっと笑った。
「ふふふ、そうだよねごめんね」
その笑顔は、諦めの色が混じっている。
「昴は絶対逃げないよね」
(え? めちゃくちゃ逃げますけども……)
「辛くたって苦しくたって、立ち向かって全部跳ね除けちゃう正義の味方みたいな人。それが、昴でしょ?」
(いや、誰その聖人!?)
《乙葉から見た、お前だよ。昴》
乙葉の目が、私を見ている。期待している。信じている。私が、何とかしてくれるって。私が、世界を救ってくれるって。
《残念だったな昴。こりゃ逃げ道塞がれちまったぞ》
(まーじーかー。まぁでも乙葉の願いを聞かないわけにはいかんよなぁ)
私は、ため息をつきながら、暴食のオークに向き直った。
「話は終わったようだな」
オークが笑う。
「逃げ腰のやつを食っても食い出がないからなぁ。それで? 今度は1人で向かってくるか」
「まぁ、自分の女にケツ叩かれちゃったもんで」
私は、虚空に剣を生成する。
タキシードドレスの裾を翻し、オークに向かって歩き出す。
「ま、私は叩く方が好きだけどね」
《叩いたことねぇ癖に》
(この私が、乙葉あのお尻叩かないで、死ぬわけないでしょ?)
《めっちゃ決め台詞風に言ってるけど、ただの変態だぞ》
(うるさいよ、このぽんぽこ愛くるしいたぬきめ!)
オークは、私よりもずっと大きい。誇さんでさえ敵わなかった相手だ。私一人じゃぁ楽に勝てない。
そう、楽にね。乙葉が信じた私を、私が信じなくてどうするのさ。
(やるしかないよね、ポン吉)
《ああ、やるしかねぇな》
「あんたの欲望……私が喰らい尽くしてやるよ」
私は、盾を足場に空中に跳躍した。
オークが、巨大な拳を振り上げる。それを、紙一重で避ける。
「遅いね」
挑発しながら、剣を振るう。オークの腕に、浅い傷がつく。
「チッ、小癪な」
オークが苛だったように舌打ちする。
その瞬間、私は盾を連続展開しそれを足場にして、オークの背後に回り込んだ。
「こっちだよ」
剣を、オークの背中に叩き込む。でも、傷は浅い?オークの皮膚は、異常なまでに硬い。
(これ、本当にダメージ通ってんのかな)
《通ってる。少しずつだけどな》
(少しずつじゃ意味ないんだけど)
《文句言ってないで攻撃しろ》
(やっぱり戦闘って作業だよな)
私は、虚の武器庫を発動した。
虚空から、無数の武器が出現する。
剣、槍、斧、鎌、弓、銃や爆弾。それらが、オークに向かって飛んで行く。
「うおっ!?」
オークが、腕で顔を守る。その隙に、私は更に距離を詰める。オークの懐に潜り込み、剣を振るう。
一撃、二撃、三撃。
オークの体に、傷が増えていく。でも、まだ倒れない。
「しぶといな……!」
《お前もな》
(褒めてくれてるの?)
《ああ、そうだよ》
オークの拳が、私を捉えようとする。
咄嗟に角度をつけて盾で防ぐ。
鏡面が砕け散りながら、目の前でオークの拳が滑っていく。
(うわ、マジで重い)
《当たり前だ。原罪魔群だぞ》
(分かってるって)
私は、再び距離を取った。息が上がっている。疲れてきた。ぶっちゃけもうやめたい。
もう、どれくらい戦っているんだろう。
(ねえ、ポン吉)
《なんだよ》
(もう全部放り出して逃げていいかな?)
《いいぞ。お前だけは助かるかもな。お前だけな》
(そっかぁ。じゃあ頑張らなきゃなぁ)
私は、空を見上げた。夜空が、やけに広く見える。
星は見えない。
雲が、厚く空を覆っている。
(勝てたらさ、おっぱい揉ませてくれるかな?)
《しるか》
(ワンチャンないか? てか負けても、もましてくれそう)
《生きてたらな》
(じゃあ勝っとかなきゃなぁ。かっこ悪いし)
《……ああ》
私は、再び剣を構えた。オークが、私を見ている。その目には、まだ余裕がある。
「まだやるか、小娘」
「当たり前でしょ」
私は、笑って見せた。本当は怖い。本当は逃げたい。でも――。
(乙葉にヒーローって言われちゃったからなぁ)
《言ってないけどな》
私は、虚飾の力を振り絞る。虚空に、巨大な槍を生成する。イメージは、竜殺しの聖槍。
虚な模造品
「いくよ」
《おう》
私は、槍を投げながら、槍を追い越して突撃する。
オークが、拳を振り上げる。それを、盾で受け流す。そして剣で腕を払い、がら空きになった胸に槍が突き刺さる。
「ぐあっ!?」
オークが、初めて苦痛の声を上げる。槍が、深く深く、オークの体に食い込んでいく。
(やった!?)
《まだだ! もう一押し!》
(分かってる!)
私は、槍を更に押し込む。オークの体が、ぐらりと傾く。その瞬間――。
オークの口が、大きく開いた。
「逃がすか」
(え?)
吸引力が、私を襲う。抵抗しようとするが、間に合わない。私の体が、オークの口に向かって引き寄せられる。
(やば――)
《昴!》
オークの口が、私を飲み込もうとする。
その瞬間――。
「昴!! いやあああ!」
乙葉の叫び声が、響いた。
昴マジ無情




