諦観
やばいことになったなぁ。
ほんと、笑えないくらいやばい。乙葉ちゃんの胸に顔埋めちゃったよ。
柔らかさとか暖かさとか、興奮のあまり涙が出てきた時には我ながら震えたね。
(もうずっと乙葉の胸の感触忘れられないんだが)
《この状況もなかなかなのに、胸の方がやばいんか》
私は、虚空に足場を作り出し宙へと跳躍した。盾を水平にに展開し、それを蹴って高く舞い上がる。眼下には無数の魔物たちがうごめいていた。
(いやもう魔物は、雑魚なら作業なんで……。それよか、興奮とか感動とか鳥肌とかもう全てが湧き上がって泣いちゃったのはちょっと恥ずかったなぁ)
《大丈夫だ。乙葉は抑え込んだ悲しみが溢れた、としか思ってないから》
深度2のスライムが三体。オークが五体。ゴーレムが二体。それからミラージュも数体。バンシーの泣き声も聞こえる。イフリートの炎も見える。全部で、ざっと数十体はいるだろうか。
(まぁ冷静にみて、この状況)
深度2程度なら私の敵じゃあない。
(明らか詰んでるよなぁ)
《何をいまさら》
ポン吉の声が響く。いつものふてぶてしい調子だ。肩に乗っているたぬきは、相変わらずの調子だ。
(だって局長死んじゃったし、いろはさんも、烈志さんも)
《ずいぶん軽く言うなぁ》
(重いも軽いもある? 事実なんだしさ)
空中で身を翻し、ミラージュの幻影攻撃を紙一重で避ける。タキシードドレスの裾が翻り、白い太腿が露わになる。
観客がいればきっと歓声を上げただろう。艶めかしくも凛々しい私の姿に。しかし目撃者は魔物のみ。返ってくるのもウザったい咆哮だ。
盾を足場にして落下速度を上げる。重力を味方につけて、急降下。
オークの頭上に踵を叩き込んだ。
鈍い音と共に、深度2のオークが縮んでいく。暴食の魔物は、ダメージを与えれば与えるほど体が小さくなる。
即座に次の足場を生成し、横に跳ぶ。ゴーレムの巨大な拳が、さっきまで私がいた空間を通過していった。乳房や臀部で形成されたゴーレムだが、なぜ色欲じゃなかったのか。枢要罪とは奥が深い。
(ちまちま倒してもキリないなぁ)
《んじゃ大技いっとくか》
(攻撃以外は全部お願いね!)
再び盾を連続展開。階段状に空中に配置された鏡面を駆け上がり、一気に上空へ。
魔物たちが見上げてくる。飢えた獣のような目だ。
かつては人間だったはずなのに、今はもう何も残っていない。
感情が閾値を超えて、枢要罪の魔物になってしまった元人間たち。
哀れ、だがそれだけだ。やらなきゃこちらがやられるのみ。
虚の武器庫
ありとあらゆる武器の雨。
虚空から無数の刃が出現する。剣、槍、斧、鎌、ハンマー、弓矢。ありとあらゆる形状の殺戮兵器が、魔物に向かって降り注いだ。
魔物たちが悲鳴を上げる。
刃が次々と突き刺さり、貫き、切り裂く。
ミラージュの仮面が砕ける。仮面が割れた瞬間、幻影能力が消失し、本体が露わになって消滅していく。
ゴーレムの体に剣が突き刺さり、乳房を破壊する。巨大な体が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
スライムのコアに槍が直撃する。液状の体が、力を失って地面に広がった。
バンシーの泣き声が響く。憂鬱の魔物は、声を止めれば倒せる。でも、あの泣き声を聞いていると、こっちまで気が滅入ってくる。
消滅の光が、まるで花火のように地上で弾けた。
(乙葉も頑張ってるのは知ってるけど)
《ああ》
(正直無駄じゃん?)
《……お前なぁ》
ポン吉の声に呆れが滲む。でも否定の色はない。だって、事実だもの。
壊れて妹に手を出す誇と、それを嬉々として受け入れる依里。
すごい新人って言われる割になんもできなかった私に、限界ギリギリの乙葉。
大丈夫な要素がどこにある?
武器の雨を避けた魔物たちが、再び私に向かってくる。しぶといな、本当に。イフリートの炎が、バンシーの泣き声が、サキュバスの誘惑が。
《そう言うなら乙葉に無駄だ休めって言ってやれよ》
(それこそダメだよ。乙葉が正気でいられるのは、なんとかしようと無理してるからなんだから。それを取り上げたら、ほんとに壊れちゃうよ)
重力に従い落下していく最中、私は虚な模造品で虚空に槍を生成する。
投擲。
一本、二本、三本、四本、五本。
連続で放たれた槍が、イフリートの体を貫いた。その瞬間バシャッと槍が解けて水になり炎が弱まる。でもまだ消えない。憤怒の魔物は、しぶとい。
サキュバスが接近してくる。色欲の魔物の誘惑――でも、私には効かない。だって私、女の子が好きだけど、今は乙葉以外興味ないもの。完全拒絶だ。
サキュバスが怯んだその隙に、虚空から剣を生成して叩き込む。消滅。
盾を足場に、落下速度を更に上げる。激突するような勢いで、両手に剣を生成。
回転しながら、魔物の群れに突っ込んだ。
剣が、バンシーの喉を切り裂く。声を止める――泣き声が途切れた瞬間、バンシーは消滅した。
オークの体に剣を叩き込む。更に縮む。もう人間サイズ以下だ。あと少し。
ゴーレムの残骸を蹴って跳躍。空中で槍を生成し、投げつける。
(だから私がこうやって魔物を殺して殺して殺して殺して殺しまくればさ)
両手の剣を振るいながら、虚空から新たな槍を次々と生成して投げ飛ばす。
殺す。
殺す。
殺す。
(少しはカウントダウンまでの時間伸びるでしょ?)
深度2の魔物なんて、この通り何体いたって敵じゃない。私の力なら、楽勝だ。
でも――。
《カウントダウンってお前》
(だってオリジンシンにはもう敵わないって)
最後のオークに剣を突き刺す。完全に縮み切って、消滅した。
(ポン吉だってわかってるでしょ?)
イフリートの炎に、水を想像する。大量の水が出現してイフリートを飲み込んだ。鎮火。憤怒の魔物が、蒸気と共に消えていく。
周囲を見回すが、もう魔物はいない。
だが人間が絶望すれば、憂鬱の魔物が生まれる。怒り狂えば、憤怒の魔物が生まれる。暴食や強欲の魔物が生まれる。色欲の魔物が生まれる。怠惰の魔物が生まれる。
そして、それらの魔物は時間と共に深度1、深度2、深度3と、段階的に強くなっていく。
(私だって深度2ならこの通り何体いたって敵じゃないけど)
剣を虚空に還し、タキシードドレスの裾を整える。
(深度3相手じゃ、一体にだって苦戦する)
それが現実だ。
私は、強い。
でも、深度3の魔物。あれは次元が違う。
(原罪魔群はそれよりもずっと強いみたいじゃん?)
《えらく弱気じゃねぇか》
そして、原罪魔群。理性を再取得した魔物、その中でも最強の存在たち。
局長の根倉眠さんは、傲慢にやられた。
きっと私たちが束になってかかっても、原罪魔群には敵わないと思う。
(そうだよ。ただでさえ乙葉と一緒の時間が減ってきてるし)
膝から崩れ落ちるように、私は座り込んだ。
変身が解けて、スカートからパンツへと変わっていく。
(能無しの私には、乙葉といられる時間を少しでも伸ばすことしかできないんだよ)
《……昴》
(分かってるよ。分かってる)
分かってる。
こんなの、ただの延命措置だ。
根本的な解決には何一つなっていない。
でも――。
でも、それでも。
乙葉の笑顔を、もう少しだけ。
もう一度だけ見てみたい。
それだけなんだ。
虚飾の半魔、鏡昴。
局長は私が希望みたいに言ってたけど、全部嘘。
全部、全部、嘘っぱち。
男装も、強がりも、カッコつけも、全部嘘。
本当の私は、ただの弱虫で、臆病で、誰かに認められたくて仕方ない、ただの女。
ずっと、嘘をついてきた。
でも、乙葉だけは――。
乙葉だけは、私を見てくれた。
男装している私も。
弱い私も。
全部ひっくるめて、笑いかけてくれた。
「昴、大丈夫だよ」って。
「昴、すごいね」って。
「昴、ありがとう」って。
ああ、ダメだ。思い出したら、涙が出そうになる。だから……。
(もう少しだけ、時間を稼ぐよ)
《……ああ》
(ポン吉も付き合ってくれる?)
《当たり前だろ。最初から最後まで、お前と一緒だ》
(ありがと)
そう返すと、私は立ち上がった。
遠くから、また魔物の咆哮が聞こえてくる。
変身し、虚空に剣を生成する。
タキシードドレスの裾を翻し、私は再び戦場へと駆け出した。
盾を足場に、空中を駆ける。
終わりが見えている戦いだとしても。
絶望しかない未来だとしても。
私は、まだ諦めない。
諦められない。
だって――。
乙葉の笑顔を守りたいから。私は戦い続ける。
カウントダウンが終わるその時まで。
遠くからドラゴンの咆哮が近づいてくる。
なぜかわかる、深度3の傲慢だ。正面から打ち負かさないと倒せない、相性最悪の相手。
傲慢の魔物は、プライドを砕かないと倒せない。
つまり、力比べで勝つしかない。
(んじゃ本番に向けて、ドラゴン狩の予行演習と行こうかポン吉)
《おう》
(原罪魔群の傲慢と比べたらかなーり小さいけどな)
《それはしゃーない》
虚空に、巨大な槍を生成する。イメージは、竜殺しの聖槍。
そんなもの、本当は存在しない。でも、私の虚飾の力なら――虚構を、現実にできる。
(期待してるよポン吉)
《ああ、任せとけ》
久しぶりの昴きゅん




