愛しい人
艶見いろはは、新宿の街を駆けていた。
隣には、赤城烈志。炎を纏った拳を構えた熱血漢だ。
「いろは、左だ!」
烈志の声と同時に、オークの鉄槌が地面を叩き割った。破片が飛び散り、いろはの頬をかすめる。
「わかってるっての!」
彼女は身をひねり、滑るように回避した。スカートの裾が焦げ、髪が炎の色を反射して光る。
視界の端、イフリートの巨腕がビルを薙ぎ払う。灼熱の火線が横切り、コンクリートが溶け落ちた。
二人の前方には、深度2の魔物が三体。
オーク――暴食の魔物。巨大な体に豚の顔。
イフリート――憤怒の魔物。炎を纏った巨人。
スライム――怠惰の魔物。液状の体に浮かぶ人型パーツ。
「三体か……厄介だね」
いろはは、自分の能力を発動させた。
色欲の半魔、その能力は、誘惑と魅了。相手の心を操る力。
だが、深化した彼女の能力はもう一つあった。心の底で、ひとりの男の笑顔を思い出す。
「欲念具現」
肌が透け、輪郭が溶ける。血肉が液化し、体がスライムのように形を変えた。
振り下ろされたオークの腕が彼女を貫く――だが、手応えはない。攻撃は液状の身体を通り抜け、地面を砕いただけだった。
「いろは、それ……!」
「ちょっと黙ってて。集中してるんだから」
液体のようにうねる体で、いろはは敵の背後に回り込む。反射的に烈志の熱源を感じ取り、彼の動きに合わせて位置を変えた。
「烈志、上から!」
「了解!」
烈志が拳を燃やし、上空から降下する。
オークの背中に炎の雨が降り注いだ。熱風が爆ぜ、いろはの体がその衝撃を吸収する。そして軌道を逸らすと同時に爆発音が鳴り響き、地面が波打った。
欲念具現――愛した相手の能力を真似る力
いろはは、心の中で呟いた。
彼女が愛したのは、根倉眠。局長であり怠惰の半魔。
彼の能力を、いろはは真似ることができる。
スライム化による柔軟性。
そして――効率化。
「烈志、あたしがサポートするから、思いっきりやって!」
「おう!」
烈志が拳を握りしめた。炎が、さらに激しく燃え上がる。
烈志の指先から、連続で火の弾丸が飛んだ。
いろはは、スライム化した体でオークの攻撃を受け流しながら、烈志をサポートした。
「いっけぇ!」
火の弾丸が、オークに直撃しオークが怯む。
「今だ!」
烈志が距離を詰めて、炎を纏った拳を叩き込んだ。
オークが吹き飛ぶ。
「よし、一体目!」
イフリートが咆哮し、両拳を地面に叩きつける。炎の波が街路を走る。
「っ、熱い!」
いろはがスライム化した体で避けようとするが、炎の熱が体を焼く。
効率化した視界の中で、時間の流れが少しだけ遅く感じる。
熱、空気、衝撃――全てが予測できる。
イフリートの拳を紙一重で避け、懐に滑り込む。
腕を払う。指先が紅蓮の皮膚を切り裂き、火花が散る。
その動きには一片の無駄もない。
「烈志、今!」
「任せろォ!」
烈志の両腕から、灼熱の爆炎がほとばしった。
炎がイフリートの胸を貫き、空気が爆ぜる。耳鳴りの中で、いろははコアを見つけた。
高熱で焼けただれた空間を駆け抜ける。炎に包まれながら、いろはは跳んだ。
右足がコアを蹴り抜くと、赤い破片が空中に散りイフリートが爆音と共に崩れ落ちた。
「いろは、オークが復活してる!」
「え?」
いろはが振り返ると、倒したはずのオークが起き上がっていた。
深度2の魔物は、簡単には倒れない。
「ちっ、面倒くさいわね……」
「オークは俺がやるからお前は、スライムを頼む」
烈志のいう通りにスライムへと向き直る
「それじゃあんたは、あたしが相手してあげる」
いろはは、再び能力を発動させた。スライム化と効率化。
「はぁっ!」
いろはの動きが、一気に速くなった。
スライムの攻撃を避けながら、コアを狙う。
「そこ!」
いろはの蹴りが、スライムのコアに直撃した。
スライムが崩れ落ちる。
「やった!」
その時烈志の声も聞こえてきた。
「これで、終わりだ」
二体の魔物が、同時に崩れ落ちた。
「ふぅ……やっと終わった」
いろはが息を吐いた。
その時、烈志がニヤニヤしながら近づいてきた。
「なぁ、いろは」
「何よ」
「さっきの能力……根倉局長の能力だよな?」
「……っ」
いろはの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「へぇー、そういう事。へぇー」
烈志が、さらにニヤニヤした。
「うるさい!」
いろはが烈志の頭を叩いた。
「しょうがないじゃない! あんなにカッコいいんだもん。性別とか関係なしに惚れるわよ!」
「分かった分かった! 怒るなって!」
烈志が笑いながら手を上げた。
「でも、良い能力だな。愛した相手の能力を真似るって」
「……ありがと」
いろはは、少しだけ照れながら頷いた。
その時、通信機が鳴った。
『全員、広場に集合してください』
誇の声だった。
「了解。今から向かう」
いろはと烈志は、広場に向かった。
広場には、すでに誇と若手三人が集まっていた。
昴、乙葉、依里。
三人とも、少し疲れた様子だったが、無事のようだった。
「お疲れ様、みんな」
いろはが声をかけると、昴が笑顔で返した。
「お疲れ様です、いろはさん」
「みんな、怪我はない?」
「はい、大丈夫です」
乙葉が元気に答えた。
誇が地図を広げた。
「これから、今後のことを決める。深度2の魔物はほとんど倒したが、まだ深度1が残っている。各自――」
誇が話している途中で、空が暗くなった。
「……何?」
いろはが空を見上げた。
そこには、巨大な影。
いや、影ではない。
巨大な翼を持った、竜。
黒い鱗に覆われた体。赤く光る目。
その姿は、まさに――ドラゴン。
「まさか……」
誇が呟いた。
「傲慢の魔物」
ドラゴンが、ゆっくりと地面に降りてきた。
その威圧感に、全員が息を呑んだ。ただの魔物では無いと。
その時、誰かが駆けてきた。
根倉局長だった。
「集合遅れちゃってごめんねー」
根倉局長は、いつもの飄々とした様子で言った。
だが、その目は真剣だった。
「とりあえずあいつの相手は俺がやるから、みんなは帰っちゃって良いよ」
「局長!」
いろはが叫んだ。
「だめです! 一人で戦うなんて!」
「大丈夫大丈夫」
根倉局長は、笑顔で手を振った。
「誇、俺が戻るまで指揮お願いねー」
「局長……」
誇が歯を食いしばった。
「烈志は頑張れ」
「……了解しました」
烈志も、拳を握りしめた。
「いろは、なんか美味しいの作って待っててよ」
「局長……」
いろはの目に、涙が浮かんだ。
「ヒヨッコども、ちゃんと俺の帰り待ってるんだぞ」
根倉局長は、若手三人に笑顔を向けた。
昴が、小さく頷いた。
「……はい」
乙葉も、涙を堪えながら頷いた。
「待ってます」
依里も、震える声で言った。
「必ず……帰ってきてください」
「おう、任せとけ」
根倉局長は、ドラゴンの方を向いた。
「さて、と。伝説の魔物さん、相手してもらうよ」
ドラゴンが、咆哮を上げた。
その声に、街全体が震えた。
「みんな、早く!」
誇が叫んだ。
「いろは、行くぞ!」
烈志がいろはの腕を掴んだ。
「やだ! 離して!」
いろはは、必死に抵抗した。
「局長を一人にしないで! お願い!」
「いろは!」
烈志が、強い口調で言った。
「局長を信じろ!」
「でも……!」
いろはの目から、涙が溢れた。
誇も、いろはのもう一方の腕を掴んだ。
「行くぞ、いろは。これは命令だ」
「誇……」
いろはは、二人に引きずられるように、その場を離れた。
振り返ると、根倉局長がドラゴンと対峙している姿が見えた。
根倉局長は、こちらを向いて、笑顔で手を振った。
「局長……!」
いろはの叫びは、咆哮にかき消された。
管理局のビルに戻ると、いろはは壁に手をついて、崩れ落ちた。
「局長……局長……」
涙が、止まらなかった。
烈志が、いろはの肩に手を置いた。
「大丈夫だ。局長は強い」
「でも……あれは普通の魔物じゃ無い。多分原罪魔群よ」
「それでも、局長なら勝てる」
烈志は、強い口調で言った。
「俺たちは、局長を信じるしかない」
誇も、頷いた。
「そうだ。今は、局長の指示通りに動く。それが、俺たちにできることだ」
いろはは、涙を拭った。
「……そうね」
いろはは、立ち上がった。
「局長のために、美味しいもの作って待ってる」
いろはは、無理やり笑顔を作った。
だが、心の中では、ずっと祈っていた。
どうか、無事で帰ってきて。
どうか、生きて帰ってきて。
根倉局長――あたしが愛した人。
その時、窓の外で、巨大な爆発が起きた。
ドラゴンの咆哮が、街中に響いた。
いろはは、窓の外を見つめた。
そこでは、根倉局長とドラゴンの戦いが始まっていた。
いろはは、ただ祈ることしかできなかった。
どうか、無事で――。




