報告書:新人について
艶見からの報告書がタブレットに送られてきたのは、根倉眠が執務室で三度目のあくびをした時だった。
件名:【緊急】新規半魔覚醒事案・即日スカウト完了
眠気が一気に覚める。緊急扱いということは、よほど特殊なケースか、もしくは危険度の高い事案だ。
「鏡昴、16歳……母親の魔物化事件に巻き込まれ、半魔覚醒を確認」
資料を読み進める。母親は憂鬱型魔物・バンシーに変化。現場で戦闘不能に陥った際、無意識に虚飾系の能力を発動し、透明なバリアで身を守ったという。
根倉は眉をひそめた。
虚飾の半魔——これまでに確認例のない、完全に未知の領域だ。八つの枢要罪の中でも、虚飾は最も捉えどころがない感情の一つ。見栄、虚栄心、偽りの自己……それらが魔物化に至る過程も、半魔として制御される過程も、理論的な予測すら困難だった。
「性別:戸籍上女性、外見上男性。完全な男装状態を維持。当初は男性と判断していたが、色欲の半魔としての感知能力により女性と確認」
艶見の報告はいつも的確だ。しかし、この一文には根倉も驚いた。完全な男装——それも、艶見ほどの観察眼を持つ者が一目では見抜けないほどの。
さらに読み進めると、より深刻な事実が記されていた。
「家族構成:母子家庭。父親は幼少期に他界。今回の事件により、身寄りは完全に失われた状態。住居:賃貸アパート、継続困難。学業:私立高校在学中、今後の継続は不明」
根倉は深くため息をついた。16歳。まだ子供と言っていい年齢で、たった一人の肉親を目の前で失い、同時に自分自身が人外の存在になったことを受け入れなければならない。想像を絶する精神的負荷だったろう。
「心理状態:表面上は冷静を保っている。異常なまでに強い自制心を見せており、感情の制御に長けている。非常に礼儀正しく、謙虚な性格。悲劇に見舞われながらも前向きな姿勢を崩さない、稀有な精神力の持ち主と判断される」
艶見らしい洞察だった。この報告を読む限り、鏡昴という少年——少女は、想像以上に強い心の持ち主のようだ。
根倉は立ち上がり、コーヒーを淹れ直した。これから会う相手は、大きな悲劇を乗り越え前を向こうとしている立派な子なのだろう。
エレベーターが開くと、受付の前に一人の人影が立っていた。
根倉から見た、昴の第一印象はなんという美しい少年だろう、だった。
中性的でありながら凛とした顔立ち。背筋の伸びた立ち姿。制服を着崩すことなく、だからといって堅苦しくもない、完璧なバランス。これが女性だという艶見の報告は、本当に正しいのだろうか。
「鏡さんですね。初めまして」
声をかけると、鏡昴は振り返った。
根倉は、この子の目には深い悲しみがある、そう思った。しかし、それ以上に強い意志の光があった。今日、母親を失ったばかりの少年とは思えないほどの気丈さ。
「私、八罪管理局局長の根倉眠です。よろしく」
「鏡昴と申します。よろしくお願いします」
深々とお辞儀をする姿勢に、感心する。これほどの礼儀作法を身につけた若者は珍しい。きっと、母親の教育が行き届いていたのだろう。せめて、その教えを無駄にしない環境を用意してやりたい。
面談室で向かい合うと、鏡昴は適度な緊張を見せながらも、しっかりと根倉の目を見つめていた。逃げることなく、現実と向き合おうとする強さがある。
「お母様の件、お悔やみ申し上げます」
根倉がそう告げると、昴の表情に深い悲しみが浮かんだ。しかし、この子は、周囲に気を使わせまいと必死に隠そうとしている。
「……ありがとうございます」
その声音に、どれほどの悲しみを抱えていることか。それでも、他人への感謝を忘れない。大人でもできる者は限られているだろう。
「艶見の報告によると……隠してるんだろうけど、ごめん。君って女の子だよね?」
あえて直球で聞いた。この子がどれほど動揺するかと思ったが——
「……気づかれましたか」
昴の反応は、驚くほど冷静だった。動揺はほんの一瞬で、すぐに落ち着きを取り戻している。秘密がバレることへの恐怖ではなく、むしろ隠し続けることの負担から解放されたような安堵感さえ見える。
「ああ、大丈夫だよ俺も全然わからなかったから」
根倉は慌てて手を振った。実際、艶見の報告がなければ絶対に気づけなかっただろう。
「艶見の枢要罪色欲だからさ、そういうのわかっちゃうのよ、ごめんね?」
「そうなんですか」
昴の反応は、やはり見事だった。驚きも、困惑も、適切な範囲で表現している。それが余計に、心配してしまう。無理して隠していないだろうか?
「いろはと俺しか知らないから安心してね。にしてもこんなにイケメンなのに女の子なのか。オジサンびっくりだよ。」
和ませようと、少しおちゃらけてみる。しかし言葉に配慮がなさすぎたか?
「あ、これセクハラにならない? 今ってさ厳しいじゃん? そういうの」
この子の緊張をほぐしたかった。あんなことがあったのに気丈に振る舞っており、それがとても痛々しかった。
「大丈夫です」
苦笑いを浮かべる昴。その表情には、大人への思いやりさえ感じられる。年上の人間が失言したとき、それを咎めることなく受け流す優しさ。
根倉は思ってしまう。この年で肉親が亡くなったのだ、もっと泣いたり喚いたりしてもいいはずなのに。その異常な気丈さ、精神がどこか壊れていないか、と
「っとまぁその辺は諸々置いといて、ちょっと適性見るにあたって模擬戦でもやる?」
根暗も昴が、苦しんでいるのはわかっていたが、後回しには出来ない。出来ること、制御範囲、本当に虚飾の枢要罪なのか。その辺を確かにしないと寮に向かわせることができない。
「模擬戦ですか」
「誇とかでいいかな、歳も近いし同性だし……って同性じゃないんだった。まぁいいか」
根暗は、意識していないと女性だということを忘れてしまいそうだった。
「じゃあ、地下の訓練場に行きましょう」
地下訓練場へ向かう途中、根倉は昴に質問した。
「あー何で男装してるかとかって聞いても大丈夫な感じ?」
「性自認は女なんですが女の子が好きで、男になればノーマルの人にもモテると思って」
昴の答えは、率直で正直だった。嘘偽りのない、純粋な動機。
思わず根倉も心配になってしまう。よく知りもしない人間に対して、こうも素直に答えてしまって大丈夫だろうか?
訓練場で誇を呼んだ時、根倉は少し心配だった。
虚飾の半魔は前例がない。どの程度の戦闘能力を持つのか、すべてが未知数だった。危険な能力かもしれない。
「高城誇です。よろしくお願いします」
「鏡昴です。こちらこそ、よろしく」
誇は、傲慢の半魔らしく堂々としている。一方の昴は、謙虚で礼儀正しい。この対比は興味深かった。まったく異なる枢要罪を持つ半魔同士の、初めての邂逅。何事もなさそうで根倉は、安心した。
未知数の戦闘力。詳細を知るには追い詰めるのが一番。心苦しいが誇に告げる。
「誇、手加減いらないからねー」
根倉がそう言った時、昴は恐怖を見せなかった。むしろ、微かに微笑んでいるようにすら見える。この子には、恐れというものがないのか?
「鏡さん、殺さないようにだけやりますね」
誇の物騒な言葉に対しても、昴は動揺しなかった。これほど肝の据わった16歳を、根倉は見たことがない。
根倉は、変身についての説明をしたが、能力の使い方がわからないのだろう、実際に変身しようとする気配はなかった。
そして、戦闘が始まった。
根倉は、目を見張った。昴の立ち振る舞いが、あまりにも素人と思えなかったからだ。
誇が、攻撃を仕掛ける。実戦ほどでは無いが本気の拳。姿が掻き消えたかのような速さ。
しかし昴の目の前に、透明なバリアが現れ拳を防ぐ。昴は一歩も動かず、表情一つ変えない。まるで、すべてを予期していたかのような冷静さ。
初めて半魔の能力を使うとは思えない。少しでも遅れれば拳が顔面に突き刺さっていたであろう。寸分の無駄も無い能力発動。コレを偶然で片付けていいものか?
誇が後方に回り込み、死角から攻撃を仕掛ける。先程同様目にも止まらぬ速さでの移動からの攻撃。
敵が、目の前から掻き消えたら普通なら動揺するところだが、昴は違った。振り返ることすらしない。
拳が届こうという瞬間、背後にバリアが展開され、攻撃を完全に無効化する。
そして、昴がゆっくりと振り返る。その動作には、一片の焦りもない。全ての行動が見えているかのような余裕さ。いや、実際見えているのだろう。
昴が手を伸ばすと、虚空から光る槍が実体化した。
「次は此方から、行きますね」
昴の声は、驚くほど穏やかだった。戦闘中とは思えないほどの冷静さ。まるで、日常会話をしているかのよう。
そして、槍を投げる。
誇は余裕を持って避けるが、避けた槍が後方から襲ってくる。
そして、同じように誘導機能を持つ槍が、一本、二本、三本と追加されていく。
最初は余裕の表情で避けていた誇りも、その数が10を超えた辺りで逃げ場がなくなってくる。
当たりそうな場面になると、不自然な機動で誇からそれてく槍が出てくる。誇りを傷つけない配慮だろうか?
その間、昴の表情は穏やかだった。微笑みすら浮かべている。相手を傷つけることを望まない、優しい心の表れだろう。
根倉は戦闘を止めた。これ以上続ければ、誇が怪我をしてしまう。昴の配慮を察してのことかもしれない。
「ありがとうございました。お互い怪我一つなくて良かったですね」
戦闘後の昴の言葉は、初戦闘で大人げなく本気を出した誇りに対する恨み言ではなかった。
相手を気遣う優しさ。謙虚さ。
「高城先輩に指導していただき、能力の使い方ある程度理解できました。ありがとうございました」
昴の気持ちは純粋だ。本心から感謝しているのだろう。
そして、初めて発動したであろう槍の制御能力の高さ。発動数も発動速度、操作能力も申し分ない。
根倉は改めて思った。この子は、本当に特別な存在だ。強い力を持ちながら、それに溺れることがない。謙虚で、優しく、誠実で——まさに理想的な半魔と言えるだろう。
昴が去り二人になった所で、根暗が誇に感想を聞く。
「どうだった?」
「正直言うと……嫉妬しかありません」
誇の声は低く、困惑を含んでいた。
「戦闘経験がないと言っていたのに、全てを見切っているかのような立ち回り。しかも、欲望解放をすることなく、手加減していたとはいえ、完全に私を上回った」
「能力の強さは?」
「異常です。バリアの強度、槍の威力操作性、すべてが規格外。新人の半魔とは思えません」
誇の分析は的確だった。根倉も同じ印象を持っている。
「それに……」
誇が言いかけて、口を閉じた。
「何だ?」
「いえ、個人的な感想になってしまうので」
根倉は誇の肩に手を置いた。
「言ってみろ」
「彼は、相手を傷つけることを好まないようでした。槍での攻撃も、致命傷を避けるように調整されていました。それでいて、確実に私の戦意を削ぐ、まさに理想的な戦闘スタイルです。それが私を格下に見ているかのようで……許せません」
誇の、傲慢の半魔が、ここまで他人を評価することは珍しい。
「君は、彼をどう思う?」
「新人でありながら、私と同じかそれに次ぐ、適正の持ち主だと言わざるを得ないですね。」
根倉は頷いた。誇りには悪いが、唯一無二の存在だと思い始めていた。
鏡昴。16歳の少女。虚飾の半魔。
強い力を持ちながら謙虚で、悲劇に見舞われながら希望を失わず、戦いにおいても相手への思いやりを忘れない。
こんな人間が、現実に存在するものだろうか。いや、現状目の前にいるのだから認めざるを得ない。
夜、一人になった根倉は、今日の出来事を整理した。
鏡昴という少女は、間違いなく特別な存在だった。能力の強さもそうだが、それ以上に人格が素晴らしすぎる。
母親を失った悲しみを乗り越え、初対面の大人と誠実に向き合い、未知の能力を使いこなし、格上の相手にも敬意を払う。まさに理想的な人間の姿がそこにあった。
虚飾の半魔——この枢要罪は、他とは根本的に異なるのかもしれない。見栄や虚栄心ではなく、理想の自分になろうとする向上心。それが、この子をここまで完璧な人間にしたのだろう。
根倉は深く感じ入った。
八罪管理局に、素晴らしい人材が加わった。この子がいれば、組織はより良い方向に進んでいけるだろう。
根倉は報告書の作成を始めた。虚飾の半魔についての初の公式記録。
【新規半魔適性検査報告書】
対象者:鏡昴(16歳・女性)
枢要罪:虚飾
適性評価:S(特級)
人格評価:模範的
特記事項:極めて高い戦闘能力と、卓越した人格を兼ね備えた稀有な人材。組織の将来を担う逸材として、最重要視すべき存在。
根倉は筆を止め、窓の外を見つめた。
明日から、この子の新しい人生が始まる。きっと、素晴らしい半魔に成長してくれるだろう。
深夜の八罪管理局で、局長の長い一日が終わった。
百合しか書けない私を許して。
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